avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

大乗仏教

「廻諍論(論争の超越)」(梶山雄一訳:大乗仏典14 龍樹論集、中央公論社版)より抜粋(p157~159)
 *サンスクリット原書より和訳。原題:「vigrahavyavartani(論争を遮止する書)」
 
 
 
(avaro75:ニヤーヤ学派(ヴァイシェーシカ学派を継承)の実在論者の論難に龍樹が反論している。)

また、君の言った、

 「否定に対する(われわれの)否定も同じように(誤っていると)考えるかもしれないが、それは正しくない。このように、形式において成り立たなくなるのは君の主張であって、私の主張ではない。」(四) *(四)はニヤーヤ論者の主張。
 
ということに対して、われわれはこう言おう。

 「もし私がなんらかの主張をしているならば、そのような誤りが私に起こるであろう。けれども、私には主張というものがないのだから、誤りも私にはない。」(二九) *(四)に対する龍樹の反論(詩頌)。
 
もし私がなんらかの主張をしているならば、私は主張命題の形式を採用していることになるから、君が先に指摘したような誤りもあるであろう。けれども、私にはいかなる主張もない。すなわち、すべてのものが空であり、絶対的に閑静であり、本性として孤寂であるときにどうして主張がありえようか。また、主張命題の形式をとることがあろうか。どうしてまた、主張命題の形式をとることにまつわる誤りがあろうか。そのばあい、私が主張命題の形式をとっているのであるから、私にこそ誤りがある、と君が言ったことは正しくない。*(二九)の詩頌に対する龍樹自身による散文の注釈。



また、君の言った、

 「たとえ君が、まず知覚によってものを認識してから(その本体を)しりぞけるとしても、ものを認識する方法であるその知覚は、(君にとって)存在しない。」(五)*ニヤーヤ学派の主張。
 「推理・証言・比定も、さらに、推理や証言によって証明される対象や、比喩によって比定される対象も、知覚(の批判)によってすでに答えられている。(六)*ニヤーヤ学派の主張。
 
ということに対して、われわれは言おう。

 「もし私が、知覚その他(の認識方法)によって何かを認識するとしたら、私は肯定的に主張したり、否定的に主張したりするであろう。けれども、それがないのだから、(君の言うことは)私への非難にはならない。(三〇)*(五)(六)に対する龍樹の反論詩頌。
 
もし私が、知覚・推理・比定・証言という四つの認識方法のすべて、あるいは四つの認識方法のいずれか一つによって、なんらかの対象を認識するというならば、それによってあるいは肯定的に主張したり、あるいは否定的に主張したりすることもあろう。しかし、私はいかなる対象も認識することはないのであるから、私には主張したり、否認したりすることもない。このようなばあいには、「たとえ君(中観者)が、知覚をはじめとする認識方法のいずれかによってものを認識したのちに否認するとしても、それらの認識方法も(君には)存在しないし、それらの認識方法によって理解される対象もないではないか」と君(*avaro:ニヤーヤ学派の論者)が言ったことは、私に対する非難にはならない。*(三〇)の詩頌に対する龍樹自身による散文の注釈。



avaro75:

ここには、知覚とか認識に関する龍樹の立場が表明されている。

「金剛般若経」(長尾雅人訳:大乗仏典1--中央公論社版)、原典はサンスクリット語)より抜粋  *( )内の数字は、梁の昭明太子の文節。ページ数は、中央公論社版のもの。

 
 (二) 世尊はつぎのように話された。
「さて、スプーティよ。菩薩の道を志したものは、ここでつぎのような考えを起こさなければならない。すなわち、スプーティよ、『生けるものの世界(衆生界)において、およそ衆生という名のもとに包摂される生きとし生けるもの―卵から生まれたものにせよ、胎生のものにせよ、湿気から生まれたものにせよ、忽然と化生したものにせよ、形あるものにせよ、形のないものにせよ、意識(想)のあるものにせよ、意識のないものにせよ、意識があるのでもなくないのでもないものにせよ―およそ衆生界に属するものとして考えられているほどのものは、何者にもせよ、彼らすべてを、私は、煩悩の余燼さえない涅槃(無余依涅槃)の世界に引きいれなければならない。しかもなお、たとえそのように無数の衆生を涅槃に導いたとしても、実はいかなる衆生も涅槃にはいったのではない』と。
 それはなぜかというと、スプーティよ、もしも菩薩に衆生という観念(想)が生ずるならば、彼を菩薩と呼ぶべきではないからである。それはまたなぜか。スプーティよ、もし彼に自我という観念が生ずるなら、あるいは衆生という観念、命あるものという観念、個我という観念が生ずるなら、彼を菩薩と呼ぶべきではないからである。」(p9~p10)

青字部分の他の翻訳

① 中村先生訳「金剛般若経(岩波文庫版)」

 それらのありとあらゆるものを、わたしは、《悩みのない永遠ん平安》という境地に導き入れなければならない。しかし、このように、無数の生きとし生けるものを永遠の平安に導き入れても、実は誰ひとりとして永遠の平安に導き入れられたものはない。(p47)

② 羅什漢訳、紀野一義書き下し「金剛般若波羅蜜経(岩波文庫版)」

 われ、皆、無余涅槃に入れて、これを滅度せしむ。かくの如く無量無数無辺の衆生を滅度せしめたれども、実には衆生の滅度を得る者無し(p46)

緑字部分の他の翻訳

①中村先生の訳(同上書)

スプーティよ、もしも求道者が、《いきているものという思い》をおこすとすれば、もはやかれは求道者とは言われないからだ。それはなぜかというと、スプーティよ、誰でも《自我という思い》をおこしたり、《生きているものという思い》や、《個体という思い》や、《個人という思い》などをおこしたりするものは、もはや求道者とは言われないからだ。
 *中村先生の訳注(同上書): 《悩みのない永遠の平安》---原語はanupadhisesa-nirvanaである。本書では、『悩みのない永遠の平安」と訳してある。仏教徒の理想であるニルヴァーナに二種ある中の一でる。一切の煩悩を断ち切って未来の生死の原因を無くした者が、なお体だけを残しているのを有余涅槃と言い、その体までもなくしたとき、無余涅槃という。具体的に言えば、無余涅槃とは迷いが全く無い状態で死し、永遠の真理に還って一体となったことを指している。

羅什漢訳、紀野一義書き下し(同上書)

須菩提よ、もし菩薩に、我相、人相、衆生相、寿者相あらば、すなわち、菩薩に非ざればなり。



*avaro75:

  たとえそのように無数の衆生を涅槃に導いたとしても、実はいかなる衆生も涅槃にはいったのではない
 
 ② もしも菩薩に衆生という観念(想)が生ずるならば、彼を菩薩と呼ぶべきではないからである

大乗(大きな乗り物)の意味が述べられているとともに、大乗の実践修行の特徴が述べられていると思います。

①も②も「空」を根拠としているのかなと思います。



画像の説明(上から)。一番目:11歳のマリア・テレジア、二番目:同じ画像の明度を暗くしたもの、三番目:同じ画像の左目を拡大したもの、四番目:インドネシア・ジャワ・Singhasariのprajnaparamita像(同じ石像の正面からのと側面からの画像。色の違いは加工上の相違。なお、伝承ではこの石像にはモデルがあり、王妃であったとされる)。





大方は、私を「預流道に入ったなどと大言壮語しているが、お前何言ってんだ!」「お前のようなのを慢心とか迷妄、もっとはっきり言えば“馬鹿”というんだよ。」と嗤笑していることでしょう。
ま、当たらずとも遠からず。
そんなことはどうでも良いささいなことです。

今回は図解です。

これが、私の「空」の図解です。
この四枚の画像によって、「空」が説明されています。
どのように解されますかな。

         *** <○>***

一番目の画像を見て、200年以上昔の女帝(マリー・アントワネットの母でもあった)の少女時代の面影を想像した方は、残念ながら今現在は「空」とは縁がありません。

四枚の画像によって「空」を説明していると断わっているのですから、一番目だけに囚われていてはいけません。

最低でも、マリア・テレジアの画像3枚を一組にして考えなければなりません。

また、二番目、三番目を「なんだこりゃぁ?!」と敬遠した方も適切ではありません。
それぞれ個々の画像に囚われています。

マリア・テレジアの少女時代の画像を初めて見たのは、ある方のブログの表紙上でした。
昨夜、TVのシェーンブルン宮殿案内を見ていたら、突然、この画像が表示され、それが現在のシェーンブルン宮殿を作った女帝の少女時代の肖像だというナレーションでびっくりした次第です。
11歳という年齢にもびっくりしました。
宮廷画家に父親がどんな注文を付けたのか分かりませんし、画家がどういう意図でこういう表現にしたのかも分かりません。
11歳と言われてみれば、確かにそんな年頃に見えなくもない。
彼女は、結構聡明で教養も高かったそうです。

すぐにこの記事を思いつきました。
画像を集め、チョッと色相を変え、明度を変え、拡大をして3枚の画像を作りました。

ついでに最近見つけたSinghasariの石像を追加した次第です。

さて、画像ですが、私はかれこれ10年前に買った15インチの液晶ディスプレイで見ています。
眼の位置が変わると画像は微妙に変化します。
jpgの画像は、ディスプレイ画面を分割した小さな升目に信号を送って表示するようになっています。
この画像の便利な点は、ソフトを使えば色相とか明度、サイズなどをかなり自由に変更できることです。サイズを大きくするということは、升目を大きく表示することですから、画面の同じ面積の画像は不鮮明になります。

極端に明度を下げると、少女の顔立ちははっきりしなくなり、元の画像から受けるようなイメージとは全く異なります。
イメージを拡大すると、各部分は不鮮明となり、何がなんだか分からなくなります。

あなたが一番目の画像を見てどんなイメージを持ったかは分かりませんが、いずれにせよそのイメージは、ある条件下でディスプレイ画面上の画像という対象からの刺激を受けてあなたの(脳の)中のイメージ形成回路が再構成した、あなたオリジナルのイメージです。

眼に飛び込む刺激(明度の暗いもの、拡大したもの)が変わると、イメージ回路は、別の解釈をして、全く別のイメージを作製します。

次のソースファイルを見てください。

<div class="entryBody">
<table width="564"><tr><td class="entryTd">

<p class="img"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ab/aa/avaroikite/folder/1500511/img_1500511_59282662_0?1269750599"; alt="イメージ 1" class="popup_img_346_454"></p><p class="img"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ab/aa/avaroikite/folder/1500511/img_1500511_59282662_1?1269750599"; alt="イメージ 2" class="popup_img_335_401"></p><p class="img"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ab/aa/avaroikite/folder/1500511/img_1500511_59282662_2?1269750599"; alt="イメージ 3" class="popup_img_500_464"></p><p class="img"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ab/aa/avaroikite/folder/1500511/img_1500511_59282662_3?1269750599"; width="560" alt="イメージ 4" class="popup_img_691_522"></p><div class='wiki'>
画像の説明(上から)。一番目:11歳のマリア・テレジア、二番目:同じ画像の明度を暗くしたもの、三番目:同じ画像の左目を拡大したもの、四番目:インドネシア・ジャワ・Singhasariのprajnaparamita像(同じ石像の正面からのと側面からの画像。色の違いは加工上の相違。なお、伝承ではこの石像にはモデルがあり、王妃であったとされる)。<br />
</div>

これは、ブラウザが読み込んだ更に元になるプログラム・ファイルを読みやすくしたものでしょうから、元のプログラムは最終的には2進数で書かれ、すぐ電気信号に変換できるようになっているはずです。

この画像は、実際には、プログラムにすぎないものです。
ディスプレイは、いわば、私たちの見る機能をうまく利用して騙しているようなものです。

ディスプレイ上にお澄まししたマリア・テレジア像は、実際にはありません。
騙されて、あなたの画像形成回路があなたの(脳の)中に作製した蜃気楼のようなものだと言えなくもありません。

宮廷画家(?)アンドレア・メラーが描いたほんものの”マリア・テレジア像”という絵も、同じ仕組みになっています。
あなたの脳の中に形成されるマリア・テレジア像と同じものは、画布上に無いと思います。

では、仮に、200年以上時代を過去に戻れたとして、11歳の彼女に直接会えば、彼女はそこにいるでしょうか?
200年前に戻れて、本物のマリア・テレジアの前に立てば、あなたの前には、何かがいるでしょう。
だが、あなたの眼に映る11歳のマリア・テレジアはやはりあなたオリジナルのマリア・テレジアなのに変わりはありません。
ま、オリジナルといっても、所属する民族の文化(現在は欧風化された)の範疇内のものでしょうが。
更にオリジナルに見れればあなたは芸術家です。

なぜ、マリア・テレジアは客観的(もしくは外部)に存在しないのでしょうか?

あなたの眼が、突然、顕微鏡のような仕組みになってしまった場合を想像してください。
その顕微鏡が電子顕微鏡だったらどうなるでしょう。
あなたの前に存在するのは、なにやら、隙間だらけの膨大な物質の集合体に過ぎなくなります。
民族の遺伝子と民族文化の学習で形成されたあなたの脳の画像形成回路は大混乱に陥り、お澄ましした彼女を思い描くことは出来ません。

そして、大事な点なのですが、竜樹の時代は電子顕微鏡の概念はありませんから、人をチョッと分解するだけで、存在しなくなったのです。

最後に、インドネシア・ジャワ・Singhasariのprajnaparamita像です。
私は、かねがね思っていたのですが、大乗仏教が「空」を説くなら、仏像を作って礼拝するのは大変奇妙なことです。

しかし、多くの人々は、この石像を見て般若波羅蜜多に敬意を払うのでしょう。
分かり易くていいですからね。
実際には、これはただのでこぼこの激しい石の塊にすぎません。
これを見て崇拝する気になるのは、あなたがそう思いたいからであって、この石ころの塊に般若波羅蜜多が宿っているからでも、後光を発しているからでもありません。
単なる、あなたの錯覚にすぎません。

ただ、不思議なことに私たちは共通に、こういうただの石ころを見ても、尊崇の気持ちを抱くようになっているのです。

では、「空」を観ずることに成功すれば、本当にマリア・テレジアは消滅するのでしょうか?
残念ながらこの体験は未だ未体験です。

予想なんですが、大乗の「空」を体得しても、マリア・テレジアは相変わらず「お澄まししている」ことでしょう。
では、釈迦仏教の「空」を体得した場合はどうでしょう。
やはり、マリア・テレジアのイメージは形成されると思います。
ただ、釈迦仏教の場合は、もしかしたら、「お澄まししている」マリア・テレジアじゃないかもしれません。

追伸:
もしも、涅槃を達成したら、言い換えると、「空」を体得すると、脳の認識機能も完全な「空」状態になってしまうのだとしたら、事実上生きていけません。とくに現代のような高度な文明社会では、危険過ぎて、アッというまに事故死でしょう。
だから、般若経典はちゃんと逃げを用意している感じです。不二というものの見方がそれだと思います。
釈迦仏教にしても、般若経典にしても、「空」は智慧によって見ているのであって、世界が本当に「空」になるのではない、と思います(「空」を体験していないので推理)。
お釈迦様時代も、般若経作成時代も、現代でも、世界を本当にそのまま見るということは不可能です。
仏教の「そのまま、ありのまま」に見る、ということと、本当に「世界をそのままに見る」というのは違うはずです。
お釈迦様時代、般若経時代は、認識するもの(今でいう脳の機能)は、肉体とは別なものだと考えていたようです。しかし、今は、脳以外考えられません。後は、推して知るべしだと思います。


仏教経典に限らず、その他の宗教の聖典も、哲学書も押しなべて難解である。

だから、一人般若経典だけを責めるのは片手落ちだろうが、それにしても、読み取りにくい。
まるで、故意にすんなりと読めないように工夫したかのようである。

伝説的なお釈迦様の説法は、聞くものの頭の中に流れ込むように入っていったようである。
難解であったり、言語表現が難しい事柄は、例え話や比喩によって分かりやすく説いたといわれる。

ただ、考えようによっては、般若経典は、古代インド人が古代インド人の為に書いた経典であるから、現代日本人の端くれである私が読みにくいのは当然なのかもしれない。
私にとってごちゃごちゃして見える文章術(説法術)やなじみのない用語も、古代インド人にはそれほど抵抗はなかったのだろう。
しつこいほどのくり返しは、現代の表現にもある。
同じような内容を何度も何度も見たがる聞きたがるのは古代人だけの傾向ではない。

さて、原始仏教の場合は、説法の目的ははっきりしている。
個人個人の涅槃達成である。
何故涅槃を目指すべきなのかもはっきり説明している。

では、般若経典(金剛般若経・善勇猛般若経・八千頌般若経・般若心経など)の説法の目的は何か?

金剛般若経(長尾訳、中央公論社。p10)
「...。およそ衆生界に属するものとして考えられているほどのものは、何ものにもせよ、彼らすべてを、私は、煩悩の余燼さえない涅槃(無余依涅槃)の世界に引きいれなければならない。...」

とあり、なるほどこれが大乗なのだなと思える。また、

善勇猛般若経(戸崎訳、中央公論社。p86)
「...。なぜかといいますと、世尊よ、すべての衆生は、まことに安楽を願い、苦を厭います。すべての衆生は安楽を求めていますが、しかし世尊よ、すべての衆生にとって、知恵よりほかに何か別に安楽があるとは、私は思いません。世尊よ、すべての衆生にとって、菩薩の乗り物である大乗よりほかに、何か別に安楽はありません。...」
この善勇猛の言葉に対して世尊が言った。
「...。お前は、如来(である私)に、大衆をあわれんで、この知恵の完成について尋ねてくれたのは、まことによろしい。...」

や、

八千頌般若経(梶山訳、中央公論社。p32)
「...・...菩薩大士はこう考える。『私は無量の有情を涅槃に導かねばならない。無数の有情を涅槃に導かねばならない。...」

のように記述されているので、これが般若経の目的なのかなと思いたくなる。
だが、読み進めると、どうもそう単純に考えることは出来ないと感じてくる。
目的がいくつも見えてくるのである。

①あらゆる生きとし生けるもの(衆生・有情)の完全な涅槃。
②良家(おそらく王侯貴族や資産家)の息子たちや娘たちの完全な涅槃。
③声聞・縁覚の完全な涅槃。
④菩薩の完全な涅槃。

①に②③④は含まれるのだが、般若経典は、①と②③④を区別している。
明らかに④が最上で、④の候補生②が次、③はこの三者中最下位に位置づけられている。
①は、どうやら、④②③を除外した残りのいわば劣等生を意味している感じである。(①の人たちが実際はどういう人たちだったのか興味在り)
①のことをかなり汚い言葉で表現していることからもそう言えそうだ。

私は①の救済をどのような方法で可能にできると主張しているのか知りたいと思い、目を皿にして読むのだが、今のところはっきり読み取れていない。
金剛般若経は簡略なので、こういう細かな事柄は記述していないようだ。
こういう事柄に関しては、善勇猛般若経か八千頌般若経を読むほかないだろう。

金剛般若経・善勇猛般若経・八千頌般若経を読む限り、もっとも多くのページを費やして説明しているのは、菩薩とその候補生・良家の息子たちと娘たちのさとり(完全な涅槃の達成)であるような気がしている。

そして、今、もっと本当の目的がありそうに思えてきている。
それが、

⑤経典の共通の名前である、「知恵(智慧)の完成=プラジュニャー・パーラミター」の説明。

である。

私はすでに「如来(仏)」と「菩薩」と「知恵(智慧)の完成」の関係について一つの仮説を提示した。

この仮説をまだ捨ててはいないが、般若経典群は、実は、菩薩にかこつけて、一般大衆に大乗の説明をしようとしているのではないか、というもう一つの仮説も浮かんできた。

部派仏教(現代の南アジア・東南アジアで行われている南方上座部=テーラワーダ仏教を含む)の膨大な教理体系の難しさとは異なるが、般若経典の難しさも相当なもので、一般大衆誰でも取り組めたとは思えないが、比丘とか菩薩とかのいわゆる専門家以外の人向けにも説いているのではないかと考えたのだ。

八千頌般若経(梶山訳、p9)の中に、

「(知恵の完成を説かれても)菩薩の心がおびえず、おじけず、失望せず、落胆せず、...」

とあるのは、「知恵の完成」として説かれている事柄が仏教としても、思想としてもかなり常識はずれの主張だった可能性があることを示している。
つまり、理解するのが難しいということ。

この大乗のある意味非常に難しい教理を説明するために、菩薩(大士)というものを導入利用したとも考えられないか、というのが、⑤。


般若波羅蜜多心経(般若心経)は、短くて唱えやすい経なので人気がある。

しかも、なにやら霊験あらたかな気配も漂わせているから、人を惹きつけるのだろう。

問題の部分はこうなっている。

説、般若波羅蜜多咒。即説咒曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経。

般若波羅蜜多の咒ジュを説く、と言って、「羯諦羯諦.....」を唱えている。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶は解釈がいくつかに分かれるようだ。
咒(呪)とは、お呪マジナいであろう。

お呪い・「般若心経」で思いつくのが、西遊記の三蔵法師だ。孫悟空のお話である。

西遊記の三蔵法師が、烏巣禅師に「西天(インド)はどのへんにございますか」と訪ねると、禅師が「まだまだ遠いですぞ。しかし路は遠くとも何時かは着く日はあるが、魔物の難だけは避けられませぬ。わしは多心経一巻を所持しておるが、これはおよそ五十四句、すべて270字から成っている。もし魔物の難に遭われても、このお経を念じさえすれば危害を受けることはない」という。三蔵がその伝授を懇願すると、禅師は口誦クチヅテにこれを三蔵にさずけた。その経は、摩訶般若波羅蜜多心経である。(「西遊記」第十九回 浮屠山にて玄奘、心経を受く、p147:中国古典文学全集第13巻 鳥居久靖、太田辰夫訳 平凡社) *以下のページの助けで、うろ覚えでページを忘れていた上記エピソードにたどり着きました。感謝します。西遊記のあらすじなど、西遊記に関するお話があります。http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8295/saiyuki/saiyuki.html

烏巣ウソウ禅師も有名人であり、三蔵法師は言わずもがな、般若心経の漢訳者その人である。烏巣禅師の居られる浮屠山の名、浮屠フトは仏陀の省略形だとされる。中国では、仏教を浮屠と呼んだことがあるようだ。
多心経とは、般若波羅蜜多心経の後ろの三文字のことで、多心経を魔よけの呪マジナいとするようにと烏巣禅師が言っている。*「西遊記」(平凡社)では、咒は呪となっている。

そもそも「金剛般若経」の分解の途中であっちこっちと寄り道して、挙句の果てに分解の対象から外した般若心経に首を突っ込むとはどういうことか。

実は、「金剛般若経」を分解していて、どうもうまく行かない。
そこで、「善勇猛般若経」に首を突っ込み読んでゆくうちに、“般若波羅蜜(多)=プラジュニャー・パーラミター”、すなわち、“智慧(知恵)の完成”というものが鍵であると分かり、「金剛般若経」の分解の前に、せめて「善勇猛般若経」を見ておく必要があると決めた。

ネットで般若波羅蜜(多)を検索中に「善勇猛般若経」の読みを公開されているサイトを見つけ読んだ。
しかし、どうも、その解釈に釈然としない。

ネット上に見える大方の“般若波羅蜜(多)”理解・解釈も同様である。

私は、その原因が、大乗仏典・知識だけで“般若波羅蜜(多)”を理解しようとしているためではないかと考えた。

「般若心経」の出だしは、

「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時(求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに---サンスクリットからの和訳)、...」

となっている。

まだ仮定の段階であるが、私は「般若波羅蜜(多)」の起源は、お釈迦様のさとりではないかと推理している。
初期仏教(原始仏教)においては、“さとり”は一人一人が修行によって自力で達成すべきものである。

しかし、出家して修行一筋に励める者ならそういう方法も可能であろうが、在家の信者や一般の人たちは、仕事もあり、家庭もあり、到底自力での修行による“さとり”は覚束ない。

そこで、考え出されたのが、“さとり”を人の内部に求めるのではなく、永遠の真理として設定してしまうという方法であった。
改めて修行をしなくても、“さとり”はすでに完成し、人々を待っているのだという寸法である。

確かにお釈迦様が悟り体験で証アカした真理は、悟ろうと悟るまいと真理として存在する、と言えないこともない。
その方法によれば、私たちはすでにその永遠の真理に包まれ、苦も楽もない、平安の内にあるのだとされる。
ただ、そのことに気付きさえすれば良いというのだ。

それが、「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし(求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していた)」なのだ。

ここには初期仏教(原始仏教)のような意味での修行という考え方は無い。
むしろ、何処までも信じるという信仰、信頼が求められている。

仏(如来)を信じ、菩薩を信じ、法を信じ、僧を信じ、...というように、信を求められる。
哲学的な思索も求められない。
一切の疑いを持たずただひたすらに帰命し、信じることが必要なのだ。

だから、観自在菩薩(観音)も、この“般若波羅蜜多”を絶対的に信じ、委ねていた、それが、“行ずる”ということなのだと思う。
自力の修行をしていたり、哲学的な思索を深めていたのではない。

なんとも物凄い信仰である。
すべて丸ごと受け入れることからすべてが始まるというのだ。

“般若波羅蜜(多)”とは、ウルトラスーパーなパワーそのものなのだ。
従って、“般若波羅蜜(多)”のパワーを秘めた「般若心経」は、これを信じ、唱えることで、そのウルトラスーパーパワーを期待できるのである。

「般若心経」も「金剛般若経」も「善勇猛般若経」も「八千頌般若経」も、どれも、“般若波羅蜜(多)”をどのように信じて帰命すれば良いのかという『心構え』が記述されているのだと予想している。
決して、哲学的に読んだのでは正しい理解にはたどり着けないと思う。
哲学ならば、たぶん、竜樹の著書を読めば良いのではないか。

ただし、“羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶”の真言の意味はさっぱり分からない。


 *文中の「智慧の完成」の「智慧」は、「知恵」とも表記されるが意味は全く同じで、「般若波羅蜜(プラジュニャーパーラミター)」のことである。

自立した智力・判断力がある人なら、大乗仏典(般若経典等)において、どうして衆生の救済の主役が如来(仏)ではないのか、どうして如来(仏)は直接民衆の救済に乗り出さないのか、という疑問を持つはずである。

金剛般若経・善勇猛般若経のシチュエーションは、如来(仏)を引き立て役・後見人という役割にして、いわば、お飾りのような扱いをしているように見える。

原始仏典で常に救済者はお釈迦様如来(仏)である。
自らさとりを体験し、ニッバーナを体得し、実際にニッバーナの智慧で生きておられた。
王、資産家だけでなくあらゆる民衆にも救済の教えを説き、彼らを生セイの苦しみから開放させようとした。

救済を求める者は、お釈迦様を訪ね、説法を所望した。
お釈迦様の教えが広く受け入れられれば、広いインドのことだから、当然、お釈迦様一人では各地の人々に救済の教え(法)を説法して回ることは不可能となる。
お釈迦様の教えを体得した弟子(阿羅漢)たちが、お釈迦様の指示で手分けして、各地を説いて回っただろう。

少なくとも、お釈迦様が生きておられる間は、各地で説いて回る弟子たちの説法(救済法)は、同じものだったに違いない。
つまり、説法の内容は、後に文字化されるアーガマ(漢訳では阿含経)とほぼ同じものだったはずである。
苦しみの原因を説き、苦しみから開放される道(方法)を説いている。

さて、現在では、大乗仏典はお釈迦様の説法集ではないと判断されている。
また、大乗仏典が作製されたのも、西暦前後とされていて、少なくともお釈迦様が亡くなってから数百年後のことだとされる。

お釈迦様が亡くなった後は、この世で説法する仏(如来)は不在だった。

アーガマ(経)やアビダンマ(経を研究してお釈迦様の教えを体系化したもの)の記述によれば、私が知る限りでは、はるか後世になって弥勒という仏がこの世に現れることになっている。

一方、アビダンマのような権威あるものではない一種のお釈迦様説話・仏伝が世に広まっていたらしい。
その中でも、お釈迦様がさとりを開いて仏(如来)になるまでの過程を描いた物語(ジャータカ)に人気があったようだ。
また、お釈迦様の遺骨などを納めた仏塔(ストゥーパ)で祈ることも流行った。

また、かつて、お釈迦様の指示で、お釈迦様の教え(苦しみを止滅させる方法)を説いていた、弟子たちの集団(サンガ、教団、僧院---日本の町や村の所帯持ちの坊さんのお寺、お墓を管理しているお寺ではなく、修行・研究の場である。永平寺・延暦寺・金剛峰寺などを想起して欲しい))は、次第に大きな研究組織となり、お釈迦様の教えを一つの巨大な教義体系(ドグマ---アビダンマ)にしてしまった。
お釈迦様在世当時は、お釈迦様のさとりを追体験し、そのニッバーナ体験を踏まえて、民衆にも分かりやすい譬えを多用して説法していたが、アビダンマの教義体系は膨大で瑣末であり、民衆はもとより、多少の教養を持ち合わせた資産家・王族・貴族にも難解なものになっていただろう。
実際、「倶舎論」をめくっていくと、あらゆる事柄を細かく細かく分析し分類している。専門用語の数も膨大で、私などは用語を覚えきれないうちに人生を終わってしまいそうなほどだ。

現世で教えを説く仏(如来)の不在、お釈迦様の偉大さを物語る説話とお釈迦様への民衆の憧憬、民衆不在の学問体系構築に専念する仏教教団、こういう状況の中で大乗仏教は始まったらしい。

私の知る限りでは、未だに、大乗仏教が何処でどのようにして始まったのかということに関しては定説がないようだ。

有力な説によれば、インド北西地方を拠点にした説一切有部(上座部)に対して、根本分裂(アショーカ王前後に起こった仏教教団の最初の分裂---上座部と大衆部)後、南部地方に移動した大衆部が大乗仏教の思想と重なる思想を持っていたらしいこと、大乗仏教の遺物が南部から見つかること、竜樹の本拠地がインド南部だったことなどから、インド南部が起源とされる。

保守的な上座部(お釈迦様の方法を固守する)に対し、大衆部は進歩的といわれ、戒律に関しても時代に対応した変更を認め(ヤサの十事、大天の五事)、大胆な改変を実行する姿勢を持っていたようだ。

般若経典(金剛般若経・八千頌般若経・善勇猛般若経など)に共通しているのは、「菩薩」と「智慧の完成」を強調していることである。
如来(仏)には、それらを保証するような役割が割り振られている。
主役は、「菩薩」と「智慧の完成」である。
「智慧の完成」の力によって、「菩薩」が身命を捧げて一切衆生の成仏を果たすという筋書きのようだ。

「智慧」というのは、どうやらお釈迦様(他の諸仏)が達成したさとりで獲得した智慧のようだ。
お釈迦様は、その智慧で何をしたのか?
涅槃の境地を達成した。
涅槃の境地とは何か?
言葉で説明は出来ないとされ、比喩的に暗示されるだけである。
簡単に言い換えれば、「空」に住することと言えそうだ。
では何故、「空」と言わないのか?
「空」とは、境地であり、状態であるから、さとりへ導く「力」のようなものではない。

大乗仏典はたくさんの仏(如来)を創作している。
しかし、大乗仏典がそれらの仏(如来)の現存をどんなに力説しても、誰の眼にも耳にもその存在は確認できない。

そこで、どうしても二種類の役者が必要になる。
①お釈迦様同等、或いは、それ以上の「力」を持つ「なにものか」。
②その「なにものか」の力の加護により、その力の効力を信じて、現世で救済活動をする生きた活動家(つまり、人)。

①の役割を振り当てられたのが「智慧の完成」であり、
②の役割を振り当てられたのが「菩薩」である、と言えないだろうか。

このように推理すると、なぜ、智慧の完成という「抽象的な概念」が、人格を持つように扱われるのかが分かる。
「知恵の完成」は、いわば、お釈迦様もしくは諸仏(如来)の精髄のようなものとして考えられ、お釈迦様(諸仏・如来)の代役を果たしていると言えそうだ。
いや、お釈迦様はあらゆる生きとし生けるものどもを救済できるなどとは考えなかったろうから、お釈迦様を遥かに超越するスーパー・パワーを「知恵の完成」に託していると言えそうだ。

以下の文章がそのことを証している。

A.「金剛般若経」の冒頭と末尾の文章(長尾先生の訳)

(冒頭)「とうとき聖なる『知恵の完成』に帰命したてまつる。」
(末尾)「以上『金剛のごとくに摧断サイダンするもの』という、聖なる、とうとき『知恵の完成』が終わった。

 *これだけでは、仏像のような偶像礼拝とも取れる。

B.「善勇猛般若経」の冒頭に後代になって付加された賛辞(戸崎先生の訳)
 *戸崎先生の註:賛辞はラーフラバドラ(三世紀)の作。「善勇猛般若経」の成立年代は5世紀~6世紀。

     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
一切の仏と菩薩に礼拝する。十方のはてしなく窮まりない世界におられる過去・未来・現在のあらゆる仏と菩薩に礼拝する。尊い神聖な「知恵の完成」に礼拝する。
 一.妄想なく、はかりしれない「知恵の完成」よ、あなたに礼拝する。完全無欠なものよ。完璧なものが(を)あなたを(に)見る。*( )内はavaroの読み方。
 二.汚れなく、ことばも文字も離れている虚空のようなあなたを見てこそ、まことに人は如来を見る。
   三、四省略。
 五.ひとたび意楽ココロが浄らかとなり、規則に従ってあなたを見るとき、その見ることはむなしからず、その人はかならず完成(成就)を得る。
 六.あなたは、他のもののために身をささげる雄々しいものをみな、生み育てるやさしい母である。
 七.慈悲に満ち、世間の師である仏たちも、あなたの子供であるゆえに、あなたはあらゆるものの祖母である。幸あるものよ。
  八 ~ 二〇省略。

 「知恵の完成」をたたえることによって積んだ私の善根によって、全世界のものが知恵の窮極をめざすものとならんことを。
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

 ラーフラバドラの賛辞を読めば、「知恵の完成」が人格化されていると感じるであろう。

このことは、これから「金剛般若経」「善勇猛般若経」「八千頌般若経」を読んでいけば分かることだと思う。


参考資料:「菩薩」と「知恵の完成」との関係についての世尊の説示
(「善勇猛般若経」戸崎宏正訳、中央公論社・大乗仏典1 一.序より)
 * 戸崎先生がこの翻訳をすることになった経緯については、下記URL参照、
http://ankei.jp/yuji/?n=137


「善勇猛般若経」の冒頭、一.序は、善勇猛ゼンユウミョウという名の菩薩が世尊(お釈迦様)に次のように質問することから始まる。

「正しいさとりを得た尊敬すべき如来・世尊に、あることについてお尋ねしたく存じます。もし世尊が、問われてその質問に答える暇をつくってくださいますならば。」

世尊(お釈迦様)は、快諾する。そこで、善勇猛は質問を始めた。

「世尊よ、知恵の完成(般若波羅蜜)、知恵の完成といわれますが、世尊よ、偉大な菩薩たちの知恵の完成、知恵の完成とは、どんなものをいわれるのですか。世尊よ、どのようにして偉大な菩薩は知恵の完成を実践するのですか。世尊よ、知恵の完成を実践するとき、偉大な菩薩の知恵の完成の修行(修習シュウジュ)は、どのようにして完全になるのですか。世尊よ、知恵の完成を修行している偉大な菩薩には、悪魔(天魔波旬ハジュン)のつけこむ隙間がなく、(彼の)悪だくみがすべて見破られるのはなぜですか。世尊よ、偉大な菩薩は、どのようなかたちの知恵の完成を住まいとすることによって、すべてを知るものの教え(一切智法)をすみやかにそなえることになるのですか」(80-81)

この善勇猛の質問に対して世尊(お釈迦様)は順々に説明を始める。そのなかに、「金剛般若経」にはないだろうと思われる、「知恵(智慧)の完成」というものがどういうものなのか説明するくだりがある。その部分は全文引用したいのだが、果たして入力できるかどうか。とにかく、首の骨が気になってしょうがないのです。頑張ってみましょう。
ところで、お気づきでしょうが、善勇猛のこの質問と、「金剛般若経」における須菩提の質問とは、言い方こそ違うが、内容は同じことを尋ねているのだと思います。ただ、「金剛般若経」では、知恵の完成に焦点を当てていないので気付きにくいだけで、全篇、知恵の完成に関する説示なんだという風に読める気がします。
また、どのようなかたちの知恵の完成を住まいとすることによって、すべてを知るものの教え(一切智法)をすみやかにそなえることになるのですか」という問いは、釈迦仏教の涅槃を思わせるような意味深な言い回しです。どういう意味なのか早く知りたい思いをいだかせます。


∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞ 
世尊はいわれた。
「善勇猛よ、お前は(さきに)尋ねた――世尊よ、知恵の完成、知恵の完成というが、偉大な菩薩の知恵の完成とは、世尊よ、どんなものをいうのか、と。
実に善勇猛よ、知恵の完成はどんな言い方をしても表現できないものである。なぜならば、知恵の完成は、すべてのことばを超越しているからである。(p87) <つづく>

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 須菩提とお釈迦様の発問の答えを整理しようとして「金剛般若経」前半を読みながら、考えるとなく考えていた。

 「金剛般若経」には、五種類のタイプが登場する。
 
 如来(お釈迦様を含む)、菩薩、衆生(有情)、声聞・縁学(預流者~阿羅漢を含む)、智慧(知恵)の完成。
 如来は仏とか師とか世尊とかの名で呼びかけられている。
 須菩提は声聞であり、自ら言うように阿羅漢である。
 衆生とは、如来でも菩薩でも声聞・縁覚でもないその他のありとあらゆる生き物たちである。
 うっかりして、第五番目の人格(?)を失念していたのである。
 「智慧(知恵)の完成(般若波羅蜜)」を無視してしまっていたのである。

 「金剛般若経」の根本原理って一体なんだろうと思い、中央公論社の「善勇猛般若経」と「八千頌般若経」をパラパラめくっていてこの「智慧(知恵)の完成」に気づいた。
 智慧の完成とセットで出てくるのが、仏母という言葉である。

 「金剛般若経」経文の冒頭に、

 「尊ぶべき、神聖な、智慧の完成に礼ライしたてまつる」(中村訳)
 (「とうとき聖なる『知恵の完成』に帰命したてまつる。」<長尾訳>)

とあり、経文の末尾に、

 「切断するものとしての金剛石、聖なる、尊むべき、智慧の完成、終わる。」(中村訳)
 (「以上『金剛のごとくに摧断サイダンするもの』という、聖なる、とうとき『知恵の完成』が終わった。」<長尾訳>)

という文言があるのは見ていたが、単なる決まり文句だろうと読み飛ばしていた。

 中村先生の註には、経文冒頭の一文について次のように書いてある。

 「この一文は後世に付加されたものであろう。チベット訳文には欠けていて、その代わりに「一切の仏と菩薩とに帰命したてまつる」という一文がある。」

とある。 

 文献学的には後世の付加かもしれないが、尊重されている大乗仏典として考えれば、この文言は無視すべきものではない。

 チベット訳文の「一切の仏と菩薩」というのは、分かりやすい。
 しかし、「智慧の完成」に「礼したてまつる(帰命したてまつる」とは、どういうことか?

 これまで、「金剛般若経」は、須菩提の質問から始まったと読んでいたが、もしかすると、この経(だけでなく、他の般若経)は、「智慧の完成」への帰命文で始まり、「智慧の完成」について説き終わって(理解して)終了しているのではないか、と気づいた。

 「金剛般若経」では、「智慧の完成」という言葉は、経の名前としては数回出てくるが、「智慧の完成」とは何か、という説明は見つからない。
 「金剛般若経」の説法全体で「智慧の完成」を説明しているのであろう。

 「金剛般若(経)」とは、「『金剛のごとくに摧断サイダンするもの』という、聖なる、とうとき『知恵の完成』(切断するものとしての金剛石、聖なる、尊むべき、智慧の完成)」という意味らしいのだから、まさしく、「智慧の完成」こそが「金剛般若経」の根本原理であると言えそうである。

 どうやら、「智慧の完成」は、人格化(?)されているようでもある。

 今後の分解作業の指針にする。


 古くて新しいブラックユーモア(偽交通標語)---赤信号、みんなで渡れば怖くない。
 よそ見運転のトラックが突っ込んできたら全員お陀仏だし、運悪くパトカーが通りかかれば、全員しょっ引かれてしまう。
 少しも大丈夫じゃないのに、みんなと一緒ならば何となく安心する。
 この常識、日本人固有なものなんだろうか?

 幽霊が出るといって恐れられている深い山中にある薄暗いトンネルを歩く時、傍に恋人が居ると、何となく怖さが薄らぐ。
 恋人は女性だから、いざとなったら、役に立たないどころかパニックを起こして体にしがみ付かれたりしたら、緊急事態にまともな対応が出来ない。
 
 それなのに、たとえ女性でも傍に人が居れば何か心強い感じがする。
 面白いものです。
 精神(心)というものの正体が見えてきそうです。

 さて、冒頭の偽標語が通用しない場面に、誰でも一度は直面します。
 死ぬ時です。

 本当は、24時間、一年365日、いつも私たちは一人なのですが、進化の過程で、脳の思考回路を偽標語のように錯覚するように形成してきたために、いつも誰かと一緒で居れば、安心出来るようになっているのです。

 こういう回路が常時はたらいているため、人はお互いに寄り添いあいます。
 その結果、自分は独りではないと確信できて安心します。
 反対に、寄り添いあう仲間を見つけられない人は、物凄く孤独感を強め、非常に心細くなり、精神が不安定になります。

 ところが、死ぬ時だけは、誰も寄り添ってやることはできません。
 もともと、みんなと一緒なんだという感覚が錯覚なわけですし、一緒だという感覚は、脳の働きなわけですから、死ぬ人の脳が機能を停止すると、残された人たちは、その死に行く人と、みんなと一緒という感覚を共有できなくなります。
 もちろん、死んでゆく人も同じです。
 いつも一緒に寄り添いあい、支えあってくれた仲間がだんだん遠のいて行くでしょう。
 私は、この歳ですから、両親・祖父母たち、みんなずいぶん前に旅立ってしまいました。
 どんな心細い思いで旅立ったのかなぁと思うとやりきれなくなります。

 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という偽標語は、倫理的にも間違いですが、人の本質を無視しているという意味でも間違いな訳です。

 そういう人の本質的な孤独に気づいた人がお釈迦様ですし、後に続いたたくさんの修行者たちです。
 そして恐らく、宮沢賢治もそういう先人の一人だと私は思っています。

 五感で確認できるこの世に居てさえもいつも誰かと一緒でなければ寂しくて不安でどうしようもないのに、死後のあの世のことは、何も分からない。
 一体どうすればいいのだろうか?
 人が人であるということ自体が錯覚なんですから、もともと答えなんか存在しません。
 そこで、古人はいろいろ工夫してきました。
 どうすれば、あの世での孤独を回避できるか。

 永遠不変の絶対確実という保証つきの名案が実体とか本体があるというアイディアです。
 ブラフマンとかアートマンです。
 しかし、名案なのですが、どうも何か頼りなく、危うげです。
 絶対確実と発案者が保証するのですが、その保証の再保障者が見つからないのです。
 絶対元手は二倍になると言われて大金を投資したら、二倍どころか、肝心の証券がただの紙くずになってしまったら、途端に投資会社の社長の信用はゼロになります。
 こういう時に、再保障会社があれば、信頼性は揺るぎません。
 もちろん、インチキ投資会社では再保障会社の保証を受けられませんが。

 ただ、このアイディアなかなかの名案なので、現在までも手を変え品を変えて再利用されています。

 しかし、お釈迦様はこのアイディアの決定的な欠陥に気づいていました。 それはどういうことかというと、これがアイディアであって、体験ではないということです。
 仮に、発案者が体験した事柄だと主張したとしても、再体験出来なければ、お釈迦様を納得させることは出来なかったでしょう。

 お釈迦様はその超天才的な頭脳の能力の限りを絞りつくし、体力の限りを使い尽くして、やっと、単純なことに気付きます。

 「私ってホントに私なのかなぁ」っていうことに。

 これが涅槃(ニッバーナ)の体験で確認されました。
 「私というのは、私の錯覚です。私に関するあらゆる事柄も錯覚です。だから、一人も錯覚、寂しいも錯覚、死ぬも錯覚。このことを体験できれば、本当に怖いものなし。なぜかと言うと、怖いも錯覚だから。」というような感じのことを体験的に納得した。
 私の勝手な解釈ですが、このことを言い換えると、「空」の「体験」と「体得」です。
 誤解の無いようにくどくど言いますと、「空」を理解したのではなく、体験し、体得したのです。
 この体験・体得した「空」は、従って(言葉による理解ではないので)、言葉で表現できないとされます。
 
 従って、本当にお釈迦様のこの体験を再体験できた阿羅漢は、一人きりだろうと、雑踏のなかだろうと、心は不動。
 釈迦仏教の第二祖(つまり、お釈迦様の後継者)マハーカッサパは、いつも一人で険しい岩山に住んでいたそうです。
 私が想像するに、決して強がりでそうしていたのではないと思います。

 ところが、一般大衆には、この体験が難しい。
 それに、いつも可愛いペットのワンちゃんと一緒の奥様は、「私が私でなくなるなんて耐えられそうにないわぁ」ってなことで、今まで通りの生活を続けながら、死後の安心だけ確保したいというちゃっかりした要求を所属する教団に求めました。
 律儀な教団は、必死に考えました。
 
 それまでも、厳しくて難しい修行は無理だから、せめて、お釈迦様の遺骨が納められているストゥーパ(仏塔)を礼拝して少しでもお釈迦様にあやかろうと考えて盛んにお供えやらをして拝んでいました。
 分かりやすくて楽しいお釈迦様の前世物語(お釈迦様が仏になる修行のお話し)も読みました。
 しかし、確たる保証は無い。
 やはり不安だったのです。

 そして、ついに登場するのが、皆を余すことなく絶対安心なところへ導くよ、という保証書です。
 これが大乗仏典であると思っています。

 冒頭に「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という偽標語を挙げました。
 本当に怖くないのであれば、それはそれで良いのです。
 しかし、赤信号って何のためにあるのか考えれば、このブラックユーモアの危険性は明白です。

 安心安全絶対確実という保証があるなら、それは結構です。

 今私はその保証が有るのか無いのか、その保証は確実なのかどうかを確認作業中であります。


年のせいか、当初の設定を忘れたため、「金剛般若経」分解作業の中にスッタニパータの経の分解作業を挿入しなければならなくなりました。

ここから、また、「金剛般若経」の分解作業を続行します。


[5]「金剛般若経」の分解 <2>

分解作業<1>では、須菩提とお釈迦様がどんな発問をしているか、という観点から分類を行いました。

お釈迦様の発問が以外に多いということが分かったが、それはチョッと置いておいて、この作業で「金剛般若経」の流れが掴めないか分析してみました。

何度か、A1~A4、B1~B12の質問と中村先生の岩波文庫「金剛般若経」を眺めているうちに、一つの流れを見つけました。

それは、須菩提の発問、A1.に対する答えが、[14a]で一度終結していると読めることです。これは、長尾先生の解説にもあるとおりです。次のように読めそうです。

A1. [2]「ところで、師よ、求道者の道に向かう立派な若者や立派な娘は、どのように生活し、どのように行動し、どのように心を保ったらよいのですか。」

 須菩提のこの問いに答える問答が続く。
 この問答の終結部はというと、

A3.[13a]「師よ、この法門の名は何と申しますか。また、これをどのように記憶したらよいか(この法門の名は何と申しますか。また、それをどのように[心に]受持したらよいか<長>)」

 という須菩提の要求と、

[14a] そのとき、スプーティ長老は、法に感動して涙を流した。かれは涙を拭ってから、師に向かってこのように言った――「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです。《この上ない道に向かう人々》のために、《もっとも勝れた道に向かう人々》のために、この法門を如来が説かれたということは。そして、師よ、それによって、わたくしに智が生じたということは。...。」

 とをあわせて読めば、須菩提がA1の質問の答えを得たと思っている、と解釈できると思います。
 つまり、ひとまず、[14a]までが一つの流であると読んで良さそうです。
 

 そこで、A1.[2]の発問から、[14a]までの発問を全て記述順に並べてみます。兎に角、発問形式の文章は全て列挙します。

 ◎ 発問を中心にして見た、[14a]までの流れ。

A1. 「ところで、師よ、求道者の道に向かう立派な若者や立派な娘は、どのように生活し、どのように行動し、どのように心を保ったらよいのですか。」[2]---①
 ↓
「スブーティよ、どう思うか。東の方の虚空の量は容易に測り知られるだろうか。」[4]、同じ[4]に「南や西や・・・あまねく十法の虚空の量は...」---②
 ↓
B1.「スブーティよ、どう思うか。如来は特徴をそなえたものと見るべきであろうか。[5]---③
 ↓
A2.これから先、後の時世になって第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃には、このような経典の言葉が説かれても、それが真実だと思う人々が誰かいるでしょうか。[6]---④
 ↓
B2.「如来が、この上なく正しい覚り(無上等正覚<長>、阿耨多羅三藐三菩提を得んに<羅>)であるとして現に覚っている法がなにかあるか。また、教え示された法がなにかあるか。[7]---⑤
 ↓
B3.「スブーティよ、どう思うか。良家の子女がはてしない宇宙(三千大千世界<長>)を七つの宝で満たして、如来に施したとすると、多くの功徳を積んだことになるか。[8]---⑥
 ↓
B4.「スブーティよ、どう思うか。永遠の平安への流れに乗った者(預流の者)が、私はその流れに乗った者という成果(預流果)に達しているという考えをおこすだろうか。」[9a] *以下、一来果[9b]、不還果[9c]、阿羅漢果[9d]について同様の質問。---⑦
 ↓
B5.「スブーティよ、どう思うか。如来が、尊敬さるべき人・正しく目ざめた人であるディーパンカラ如来のみもとで得られたものが、なにかあるか。(何か教法があって、それを如来が、正しいさとりを得た尊敬すべきディパンカラ如来のもとで、[自ら学び]把握したのであろうか<長>]」[10a]---⑧
 ↓
「スプーティよ、たとえば、ここにひとりの人がいて、その体は整っていて大きく、山の王スメール山のようであったとするならば、どう思うか。かれの体は大きいであろうか。」[10c]---⑨
 ↓
B7.ガンジス大河の砂の数だけあるガンジス河の砂の量は多いか*施しとこの法門の四行詩の例え」[11]---⑩
 ↓
それらのガンジス河にある砂の数だけの世界を、ある女なり、あるいは男なりが、七つの宝で満たして、如来・尊敬すべき人・正しく目ざめた人々に施したとしよう。スブーティよ、どう思うか。その女なり、あるいは男なりは、そのことによって、多くの功徳を積んだことになるであろうか。」[11]---⑪
 ↓
A3.「師よ、この法門の名は何と申しますか。また、これをどのように記憶したらよいか」[13a]---⑫
 ↓
「スブーティよ、どう思うか。如来によって説かれた法というものがなにかあるだろうか。」[13b]---⑬
 ↓
「スブーティよ、どう思うか。このはてしなく広い宇宙の大地の塵は多いであろうか。」[13c]---⑭
 ↓
「スブーティよ、どう思うか。如来・尊敬すべき人・正しく目ざめた人は、偉大な人物に具わる三十二の特徴によって見分けられるだろうか。」[13d]---⑮
 ↓
[14a] そのとき、スプーティ長老は、法に感動して涙を流した。かれは涙を拭ってから、師に向かってこのように言った――「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです。《この上ない道に向かう人々》のために、《もっとも勝れた道に向かう人々》のために、この法門を如来が説かれたということは。そして、師よ、それによって、わたくしに智が生じたということは。...。」---⑯

 どうも、発問を全部並べてみても、一つの流れとはならない感じです。
 おそらく、私が大乗の考え方に不慣れなためなんでしょう。
 この発問には、こういう答えが予想できる、というような予想ができないのです。

 そこで、次回は、この発問の列に、①~⑯のように番号をふって、発問にどんな答えがなされているのか調べてみましょう。
 その作業によって流が見えてくるかもしれません。


 このシリーズをはじめる時に、分解・分析対象の経典を選んでおいたのですが、すっかり忘れてしまい、スッタニパータの経の分解では、「マーガンディヤ」を分解してしまいました。

 本来はこの記事が[3]なのですが、折角分解したので、「マーガンディヤ」はそのまま残しておき、「メッタグー」を[4]とし、「金剛般若経」を[5]とします。

 同じスッタニパータの経でも、「メッタグー」の方は、メッチャ・グーなんです。
 というのは、読めばお分かりのように、文字面の流れは実に一本にすっきりと流れているのです。
 経の文章量(情報量)は、『マーガンディヤ」と大して変わらないのですが、こちらは非常にすっきりした流れがあるのです。

 全文を引用しつつ(既に入力済みなので)分解してみます。


[4]「スッタニ・パータ第五彼岸に至る道の章(パーラーヤナ篇) 五.学生メッタグーの質問」の分解

 1.導入部 * Snという略号は、スッタニパータのこと、数字は通し番号。

Sn1049 メッタグーさんがたずねた、「先生! あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

 メッタグーの質問がすなわち導入部です。
 如是我聞とか何時何処で誰とという前置きは、パーラーヤナ篇の場合は、パーラーヤナ篇の最初に説明されている。

 2.本体部分(お釈迦様の説法部分)

Sn1050  師(ブッタ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。
Sn1051  実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることあり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」

 お釈迦様の説法本体は、メッタグーへのこの答えから始まり、メッタグーの問いかけとお釈迦様の答えという形式で流れて行く。
 1050、1051にあるお釈迦様の説法こそが釈迦仏教の核心だと思います。

 続いて、
Sn1052 「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かしてくださいました。あなたに他のことをおたずねしますが、どうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り越えるのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かしてください。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」

 と、メッタグーが「どのようにしたならば・・・乗り越えるのか?」と、修行法を説くように求めます。それに答えて、お釈迦様が、

Sn1053  師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ。」
Sn1055  師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。
Sn1056  このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」
Sn1059 「何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、──かれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸に達して、心の荒びなく、疑惑もない。
Sn1060  またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り越えた』とわたくしは説く。」

 と、「いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう」と言って解脱・涅槃の理法を説きます。番号が飛んでいるのは、メッタグーが合いの手を入れたためです。

 しっかり見て欲しいのは、「わたしは知り得たとおりに」「いま眼のあたり体得されるこの理法」と言っていることです。お釈迦様は自分の体験から語っているのです。だから、確信があるのでしょう。また、お釈迦様は次のようにも言っています。「またかの人はこの世では悟った人であり」。この世で「悟って」生きている、と言っているのです。
 「生きている」からこそ、『かれは生と老衰とを乗り越えた』とお釈迦様は説くのだと思います。「死んでしまった」ならば、こういう言い方はおかしいでしょう。
 
 3.終結部

 さて、通し番号順では、順序が逆ですが、

Sn1057 「偉大な仙人のことばを聞いて、わたくしは喜びます。ゴータマ(ブッダ)さま。煩悩の要素のない境地がよく説き明かされました。たしかに先生は苦しみを捨てられたのです。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのです。
Sn1058  聖者さま。あなたが懇切に教えみちびかれた人々もまた今や苦しみを捨てるでしょう。竜よ。では、わたくしは、あなたの近くに来て礼拝しましょう。先生! どうか、わたくしをも懇切に教えみちびいてください。」

 これが終結部であると見て良いと思います。
 メッタグーの言葉の中で、私が重要視するのは、「先生! どうか、わたくしをも懇切に教えみちびいてください。」の部分です。
 メッタグーのこの発言の前に既にお釈迦様は理法を説き終わっています。では、メッタグーは、何故、なおもしつこく、この要請をしているのでしょうか?
 私は、修行の実践のことを言っているような気がするのです。これから、お釈迦様の理法に従って実践修行をしたいが、どうか私を実践においても導いてくださいとお願いしているのではないでしょうか。


○金剛般若経を読む <2>

 オー!ミステーク!! がありました。
 モニタ画面だけで作業すれば、紙を浪費する心配がない点と、何と言っても全文検索が便利で良いのだが、文章のチェックや、既に記述した内容のチェックには不便な時もある。
 晩飯を食って、一休みしながらこれまでにまとめた文章を読み直すためには、パソコンを置いてある冷暖房不備の自分の部屋に行かなければならない。
 そうすると、リビングで兎も角一緒に過ごす時間がなくなってしまう。
 かといって、タワー型とは別にノート・パソコンを買い、リビングにもLANケーブルを引けばモニタ画面でもチェックも可能なのだが、パソコンに敵意を抱いているのでこれは絶対に不可。
 一緒にいても逆効果。
 で、最近はしきりにプリントアウトして読み直しています。
 これで見つけました。
 スッタニパータの経を間違えていたことを。

 出来るだけ早く、最初に予定した「スッタニ・パータ第五彼岸に至る道の章 五.学生メッタグーの質問」の分解もアップしたいと思います。愛無総理。

 「金剛般若経」の分解は、実際にやってみて、かなり面倒くさく難しい作業であるということが分かりました。分解作業①では、須菩提とお釈迦様の発問に着目して分解作業をやってみました。
 しかし、まだ、ほとんど構造が見えてきません。

 分解①をアップしてからずっと考え続けています。次は、何処から切り込んで行こうか?

 そんな中で、閃いたことがあります。

 分解・分析対象として今回取り上げた原始仏典は、いずれも、かなりはっきりした流れがあるが、金剛般若経には原始仏典のような一本の流れが見えないということの意味するものについてです。

 原始仏典の流れの意味するものは、原始仏典の記述が、涅槃(ニッバーナ)到達の方法・手順を示そうとしているので流れが一本はあるように見えるからだということは分かっています。もっとも、この読み方は一般的ではないかもしれないが、少なくとも、私はそういう風に原始仏典(パーリ仏典)に相対している。

 それに対して、「金剛般若経」に一本の明確な流が見えないということが意味するものが何なのか、原始仏典の場合と比較すれば自ずから見えてくると閃いたのです。

 原始仏典の説法の目的は、説法を聞いた者が、納得して修行を始め、最終的には涅槃(ニッバーナ)を達成することができるようにすることだった、と私は思っている。つまり、修行法を理解させようとしていた。
 これに対して、「金剛般若経」の目的は、説法を聞く者に、ある考え方を分からせようとしているのだな、と考えられそうだ、ということです。
 例を挙げれば、

 D3.「スブーティよ、もしも、求道者が、『ものには自我がない。ものには自我がない』、と信じて理解するとすれば、如来は、その人を求道者・大衆生であると説くのだ(スブーティよ、もしも菩薩が『法モノには自我がない、法には自我がない』と信じ理解するならば、彼をこそ、正しくさとりを得た尊敬さるべき如来は、菩薩であり偉大な衆生であると、称するのである。<長>)。[17h]

 適当な表現とは言えないが、この「金剛般若経」の目的は、イデオロギーを植えつけようとしているのだ、と表現できそうだ。お釈迦様の体験を、修行によって実際に体験(追体験)して体得するのでなく、「信じて理解する」べきだと主張しているのだ。つまり、丸呑みせよと言っているのに等しいのではないか。

 私のこの分析・解釈は、テンポラリ・ファイルのような一時的な仮定だから、論証的ではない。あくまで閃きであるので、これから、第二・第三の分解法で作業し、それをもとに分析しなければ断言はできない。


[5] 「金剛般若経」の分解 <1>

 今回は般若経典である。
 引用文末の記号:<羅>が鳩摩羅什漢訳、<中>が中村先生訳、<長>が長尾先生訳。
 なお、金剛般若経には、昭明太子による32分(節)の区切りがある。幸い中村先生も長尾先生も同じ区切り方で利用しておられるので、私も使用させてもらいます。[1]とか[30]がその区切りの番号である。[13a][13b]のように同じ分節をa、bのようにさらに細かく区切っているところもある。


[4]「金剛般若経」の分解


 1.如是我聞。一時佛在舎衛國祇樹給孤獨園。與大比丘衆千二百五十人倶。爾時世尊。...<羅>(わたしが聞いたところによると、――あるとき師(お釈迦様)は、千二百五十人もの多くの修行僧たちと[と、多くの求道者・すぐれた人々]とともに、シュラヴァスティー市のジェータ林、孤独な人々に食を給する長者の園に滞在しておられた。さて師は....<中>)
 にょーぜーがーもん、いちじーぶつざい、しゃーえーこくぎーじゅぎっこーどくおん、よーだいびーくーしゅーせんにーひゃくごーじゅーにん..と唱える経文の出だし部分である。
 この説法がなされた時お釈迦様が何時何処に誰と一緒に居られたかを説明する文章で導入部は始まる。
導入部は、托鉢を終え、食事を済ませ設けられた座に坐ったお釈迦様に対し、修行僧たちの中から須菩提(スブーティ)が立って、お釈迦様の前に進み出、敬礼をしてから、
「師よ、すばらしいことです。・・・。」と切り出して、①如来(お釈迦様)が菩薩(求道者)・摩訶薩(大衆生)たちを最高に援助し、最高の委嘱を与えていることを称賛し、②求道者の道(菩薩道)を進もうとする良家の子女たちが、どのように生活し、どのように行動し、どのように心を保つべきか、と質問し、お釈迦様が「善哉善哉(よいかな、よいかな)」とスプーティの求めに応じて「汝今締聴。當為汝説(汝今あきらかに聞け。まさに汝のために説くべし)」<羅>と説法を始めようとする[1]~[2]の部分。
 ここに早くもこの経典のテーマが提示されている。すなわち、求道者(菩薩・摩訶薩を目指す者)になろうと志す者が持つべき心構え・行動などである。

 2.次の[3]から、[32a]までが本文となると思う。なお、<長>本によれば、<中>本p135,L11以降が[32b]と区分されている。
 本文は、A.須菩提の質問とそれに対するお釈迦様の答え、B.お釈迦様が須菩提に質問し、それに対する須菩提の答えに評価を与えるもの、C.須菩提がこの経を讃えたりするもの、D.お釈迦様の長ーい独白(説法)とに分解できそうである。

 そこで、まず、須菩提の質問から箇条書きしてみる。同じような質問は、区切り番号だけ記載。A1、B1...は箇条書きの番号、[3][4]...は区切りの番号。略号が無いものは全て<中>。

 A1.求道者(菩薩<長>)の道に向かう良家の子女は、どのように生活し、どのように行動し、どのように心を保つべきか。(どのようにあるべきであり、どのように実践すべきであり、どのように心を訓練すべきか。<長>)[2]、[17a]
 A2.これから先、後の時世になって第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃には、このような経典の言葉が説かれても、それが真実だと思う人々が誰かいるでしょうか。[6]、[14b]、[21b]
 A3.「師よ、この法門の名は何と申しますか。また、これをどのように記憶したらよいか(この法門の名は何と申しますか。また、それをどのように[心に]受持したらよいか<長>)」[13a]
 A4.「師よ、求道者は、積んだ功徳を自分のものにすべきではないのでしょうか」[28]

 B1.「スブーティよ、どう思うか。如来は特徴をそなえたものと見るべきであろうか。(如来は32の相をそなえたものとして見られてよいであろうか。<長>)[5]、[13d]、[20a・端麗な身体]、[20b]、[26a]、[27]
 B2.「如来が、この上なく正しい覚り(無上等正覚<長>、阿耨多羅三藐三菩提を得んに<羅>)であるとして現に覚っている法がなにかあるか。また、教え示された法がなにかあるか。[7]、[13b]、[21a]、[22]
 B3.「スブーティよ、どう思うか。良家の子女がはてしない宇宙(三千大千世界<長>)を七つの宝で満たして、如来に施したとすると、多くの功徳を積んだことになるか。[8]、[19]、[24]、[32a]
 B4.「スブーティよ、どう思うか。永遠の平安への流れに乗った者(預流の者)が、私はその流れに乗った者という成果(預流果)に達しているという考えをおこすだろうか。」[9a] *以下、一来果、不還果、阿羅漢果について同様の質問。
 B5.「スブーティよ、どう思うか。如来が、尊敬さるべき人・正しく目ざめた人であるディーパンカラ如来のみもとで得られたものが、なにかあるか。(何か教法があって、それを如来が、正しいさとりを得た尊敬すべきディパンカラ如来のもとで、[自ら学び]把握したのであろうか<長>]」[10a]、[17b]
 B6.「ひとりの人がいて、その体は整っていて大きく、山の王スメール山のようであったとすれば、かれの体は大きいであろうか」[10c]、[13c・宇宙の大地の塵]
 B7.ガンジス大河の砂の数だけあるガンジス河の砂の量は多いか*施しとこの法門の四行詩の例え」[11]、[13e・砂の数だけ体を捧げる]、[28]
 B8.『スブーティよ、一体、かの求道者と名づけられるようなものがなにかあるか(そもそも、さとりを求める衆生=菩薩と呼ばれるようなものが、何かあるか。<長>)。[17f]
 B9.「スブーティよ、どう思うか。如来には肉眼があるだろうか。以下、天眼・知恵の眼・法の眼・仏眼と続く」[18a]
 B10.「スプーティよ、どう思うか。『わたしは生きているものどもを救った』というような考えが、如来におこるか(『私は衆生を解脱させた』などと、はたして如来が考えるであろうか。<長>)。」[25]
 B11.「スブーティよ、どう思うか。その原子の集合体は、多いであろうか」[30a]
 B12.「スブーティよ、誰かが、『如来は自我についての見解を説いた。...。』と説いたとしても、スブーティよ、その人は正しく説いたということになるだろうか」[31a]

 C1.そのとき、スブーティ長老は、法に感動して涙を流した。かれは涙を拭ってから、師に向かってこのように言った――「師よ、すばらしいことです(世尊よ、驚くべきことです<長>)。...。師よ、わたくしは、このような種類(形の<長>)の法門を未だかつて聞いたことがありません。」[14a]
 C2.「けれども、また、師よ、それらの人々には、自己という思いはおこらないし...」[14c]
 C3.師はこのように説かれた。スブーティ上座は歓喜し...。[32b]
 

 D1.このように言われたとき、師はスブーティ長老に向かってこのように言われた――...。[14d~16c]
 D2.「それはなぜかというと、スブーティよ、如来というのは、これは、真如の異名なのだ(これは実在なる真如の異名にほかならないからである<長>、如来者即諸法如義=如来とは、すなわち、諸法は如なりとの義なればなり<羅>)。[スブーティよ、如来というのは、これは、生ずることはないという存在の本質の異名なのだ。・・・。これは、存在の断絶の異名なのだ。・・・。これは、究極的に不生であるということの異名なのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、生ずることがないというのが最高の真理だからだ(如来というのは、不生なる法性の異名である。ものが断絶することの異名である。究極的に不生なることの異名である。なぜかといえば、最高の真理とは、すなわち不生であることだからである。<長>)。[17c]、[29]
 D3.「スブーティよ、もしも、求道者が、『ものには自我がない。ものには自我がない』、と信じて理解するとすれば、如来は、その人を求道者・大衆生であると説くのだ(スブーティよ、もしも菩薩が『法モノには自我がない、法には自我がない』と信じ理解するならば、彼をこそ、正しくさとりを得た尊敬さるべき如来は、菩薩であり偉大な衆生であると、称するのである。<長>)。[17h]
 D4.「スブーティよ、これらの世界にあるかぎりの生きものたちの、種々さまざまな心の流れをわたしは知っているのだ。それはなぜかというと、スプーティよ、『心の流れ、心の流れというのは、流れではない』と、如来は説かれているからだ。それだからこそ、心の流れと言われるのだ。それはなぜかというと、過去の心はとらえようがなく、未来の心はとらえようがなく、現在の心はとらえようがないからなのだ」[18b]
 D5.「スブーティよ、実に、その法は平等であって、そこにおいてはいかなる差別もない。それだからこそ、この上ない正しい覚りといわれるのだ。この、この上ない正しい覚りは、自我がないということにより、生きているものがないということにより、個体がないということにより、個人がないということによって、平等であり、あらゆる善の法によって現に覚られるのだ。それはなぜかというと、『善の法、善の法というのは法ではない』と如来は説いているからだ。それだからこそ『善の法」と言われるのだ」[23]
 D6.さて、師は、この折に、次のような詩を歌われた。
    かたちによって、わたしを見、                
    声によって、わたしを求めるものは、             
    まちがった努力にふけるもの、                
    かの人たちは、わたしを見ないのだ。[26a]          
    [目ざめた人々は、法によって見られるべきだ。        
    もろもろの師たちは、法を身とするものだから。        
    そして法の本質は、知られない。               
    知ろうとしても、知られない。][26b] *[ ]内は、鳩摩羅什訳にない。
 D7. 現象界というものは、                    
    星や、眼の翳カゲ、燈し火や、                
    まぼろしや、露や、水泡ウタカタや、               
    夢や、電光や、雲のよう、                  
    そのようなものと、見るがよい。[32a]




 前回、前々回と分解してみた「修行の成果―沙門果経―」と「空についての短い経―小空経―」に対して、今回分解してみる「スッタニパータ第四 八つの詩句の章(アッタカ・ヴァッガ)、九 マーガンディヤ」は、わずか数行で構成された詩句がたった13[詩句]しかないので、一見、筋書きらしいものを見つけにくい。
 スッタニパータの日本語訳は、中村先生の訳と正田大観師の訳の二つを読ませていただいている。
 そのどちらも、スッタニパータ第一 蛇の章から第五 彼岸に至る道の章までの通し番号(1―1149)が付けられている。
 「第四 八つの詩句の章 九 マーガンディヤ」は、通し番号835―847である。英訳は、この通し番号を使わないものもあり、参照しにくい場合がある。
 そもそもパーリ仏典に限らず、沙門果経でも小空経でも、それが本当にお釈迦様が説いた説法なのか、お釈迦様の説法そのままなのかという疑問はあり、いわゆる金口の説法か否かという問題は未解決のようである。
 また、スッタニパータはお釈迦様の説法ではないという主張をする方もあるようだ。
 しかし、素人探偵の私にこれに関して口を挟む能力なんて有るはずがないので、仮にすべてほぼ直説とした上で探索を続けている。

 スッタニパータは全篇がメモ帳をめくってゆく感じの体裁となっていて、ディーガ・ニカーヤやマッジマ・ニカーヤとは趣が違う。
 いわば、エッセンスを書き連ねたようでもある。

 仮にスッタニパータ全体やこの九 マーガンディヤの詩句がお釈迦様直説に近いと証明されたら、この詩句は非常に重要なものとなる。

 この詩句には、お釈迦様の説法が圧縮されていると思う。


[3]「八つの詩句の章(アッタカ・ヴァッガ)、九 マーガンディヤ」の分解

 1.「九 マーガンディヤ」のテーマらしきものが第二詩句・第三詩句に提示されていると考える。

  836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」
837  師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤カゴを)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」

 慎重に読み込めば、マーガンディヤと師(お釈迦様)との論点・視点の相違に気づかれるであろう。①マーガンディヤは外部のもの(定められた戒律や生活法、人々が欲しがるもの等)を見ているのに対して、お釈迦様は外部のモノへの執着・固執こそが真理への道を妨げるものだと考えて、自分の内部(内心=心)を見ている。
 詩句835でお釈迦様が述べている「女(世間的な価値観の象徴)」の話は、二人の立脚点の相違を浮き彫りにするための仕掛けのようなもの。
 2.詩句838―841までの対話でこの食い違いが明確にされる。詩句839でお釈迦様は、「それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。」と説くが、マーガンディヤは全く理解出来ない。マーガンディヤはあくまで「(お釈迦様が説いた詩句839の説法を指して)・・・と説くのであれば、それはばかばしい教えである、とわたくしは考えます。教義によって清らかになることができる、と或る人々は考えます。」と世間的な常識的な考え方を譲ろうとしない。頑迷なマーガンディヤに手を焼いてお釈迦様はこうボヤく。「あなたはこの(内心の平安)について微かな想いをさえもいだいていない。だから、あなたは(わたしの説を)『ばかばかしい』とみなすのです。」と。おそらく、のちのちまでも、お釈迦様の説法の真意を本当に理解できた人は少ないような気がする。
 3.詩句842―846では、マーガンディヤの主張の誤りを示す。何らかの教義を立てても、或いは教義を立てなくても、自己の外部に真理を求めている間は、互いに論争しあうだけで、真理に導かれることがないと説く。お釈迦様は説く、「①かれは宗教的行為によっても導かれないし、また②伝統的な学問によっても導かれない。」と、さらに、「かれは執著の巣窟に導き入れられることがない。」と。形が有るものであろうと、ないものであろうと、とにかく、外部に求めている間は、何かを得れば清らかになれるという執著を離れられず、真理を見ることがない、と説く。
 4.終結部、詩句847で、お釈迦様は、 「①想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない。」が、「②想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。」だけなのだと説いて終わる。

 「マーガンディヤ」という経が説いていることは、「諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤カゴを)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」という言葉に要約されると思う。
 釈迦仏教の要諦がこの一言に圧縮されていると思う。
 お釈迦様の直説であれば、経典の記述は常にニッバーナを、ニッバーナに至る道を、修行法を説いているはずだと私は思う。
 お釈迦様の教えというのは、何かを得ることではない、と見なければならないと思う。自分というものを含めてあらゆるものに対する執着を捨て、何かを求めて固執することがないということは、何を意味するのかよく考える必要がある。
 ニッバーナを達成するということは、イコール「空」とも言われる。
 「空」とは、何かを得たり、身につけたりすることではないであろう。
 
 次回の分解はいよいよ「金剛般若経」である。難航が予想される。時間もかかるだろう。


「空についての短い経―小空経―」は、非常にシンプルな構造だと言えます。
前回分解した「修行の成果―沙門果経―」が、物語風に構成されていたのに比べ、この「空についての短い経―小空経―」は、導入部とお釈迦様の説法の本体部と終結部という構成になっていて、沙門果経のように、最後にアジャータサットゥ王が告白懺悔し入信を表明するというようなドラマチックな展開はありません。
むしろ、本体部分の説法の内容が重要な感じで、説法の理解がかなり難しい気がします。
なお、対照経典の分解が全部済んで、分析に移ってから改めて言及しますが、前回の「沙門果経」も今回の「小空経」も、どちらも、説法を聞く相手に、自分の体験にもとづいて説法していること、説法を聞いた者は説かれた修行法を実践するように求められています。
これが原始仏典の特徴だと思います。

[2]「空についての短い経―小空経―」の分解

 1.わたしはこのように聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティーの東の僧園にあるミガーラの母の講堂におられた。
 おなじみの出だしの文章です。しかも、非常に簡潔です。
 2.さて、アーナンダ尊者は夕刻に瞑想から覚めると、世尊がおられるところへ赴いた。・・・。かたわらに座ったアーナンダ尊者は世尊にこう申し上げた。「師よ、わたしはそこで世尊からじかに伺い、じかに承りました。『アーナンダよ、わたしはこのごろよく空の状態にいる』と。師よ、わたしはそれを正しく聞き、正しく受けとり、正しく理解し、正しく覚えておりますか」「アーナンダよ、汝はたしかに正しく聞き、正しく受けとり、正しく理解し、正しく覚えている。アーナンダよ、わたしは以前もいまもよく空の状態にいる」
 この説法が語られた時に、お釈迦様の前に居たのはアーナンダ一人だったようです。ここまでが、導入部で、アーナンダがお釈迦様に「空の状態にいる」ということについて質問し、お釈迦様がその問いに説法を以って答えているという形式をとっている。
 「アーナンダよ、わたしは以前もいまもよく空の状態にいる」というこの経のキーワードが提示されている。
 注意すべきは、お釈迦様が「私は空の状態にいる」と述べていることです。
 3.これ以降が説法の本体部分で、まず、お釈迦様が例えを使って、このように、「たとえば、このミガーラの母の講堂は、象・牛・雄馬・雌馬については空で、金銀については空で、女や男の集まりについては空で、ただ次の『空でない状態』がある。すなわち、比丘僧伽ただひとつに起因するものである。」と説明して、或るモノが「空である状態」と「或るモノが空でない状態」ということについて確認する。
 4.次にお釈迦様は、もう一つの例えによって、どうやって「空である状態」と「空でない状態」を知ることが出来るのか説明する(要するに修行法を述べた)。それが、「ちょうどそのように、アーナンダよ、比丘は村の観念に心を向けるのではなく、人間の観念に心向けるのではなく、森林の観念ただひとつに心を向ける。かれの心は森林の観念に跳びこみ、満足し、落ち着き、集中する。・・・。このように、X(エックス)にないものについてXは空であると理解し、一方、Xに残っている、あり続けているものを『これがある』と知る。このようにして、アーナンダよ、かれには『空である状態』が現実に、紛れもなく、完璧なかたちで生起する。」という説明である。
 5.次に、お釈迦様は本当の修行である、「四無色定」「無想三昧」について説明する。無想三昧の説明は、どうやら三段階になっているようだ。
 重要だと思うので、少し長い引用をする。
 「①さらにアーナンダよ、比丘は『なにもない境地』の観念に心を向けるのではなく、『観念があるのでも観念がないのでもない境地』の観念に心をむけるのではなく、『特徴を超えた精神集中』(無想三昧)ただひとつに心を向ける。かれの心は『特徴を超えた精神集中』に跳びこみ、満足し、落ち着き、集中する。かれは『<なにもない境地>の観念に起因するような煩いはここにはなく、<観念があるのでも観念がないのでもない境地>の観念に起因するような煩いはここにはなく、ただ次の煩いだけがある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と知る。かれは『ここに観念としてあるものは<なにもない境地>の観念については空である』と知り、『ここに観念としてあるものは<観念があるのでも観念がないのでもない境地>の観念については空である』と知り、『ただ、次の<空でない状態>がある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と[知る]。このように、XにないものについてXは空であると理解し、一方、Xに残っている、あり続けているものを『これがある』と知る。このようにしても、アーナンダよ、かれには『空である状態』が現実に、紛れもなく、完璧なかたちで生起する。
②さらに、アーナンダよ、比丘は『なにもない境地』の観念に心を向けるのではなく、『観念があるのでも観念がないのでもない境地』の観念に心を向けるのではなく、『特徴を超えた精神集中』ただひとつに心を向ける。かれの心は『特徴を超えた精神集中』に跳びこみ、満足し、落ち着き、集中する。かれは『この<特徴を超えた精神集中>は形成物であり、考え出されたものである。なんであれ形成され、考え出されたものは、無常であり、消滅する定めにある』と知る。かれがこのように知り、このように理解していると、感覚的欲望という煩悩から心が解脱する。生存欲という煩悩からも心が解脱する。無知という煩悩からも心が解脱する。解脱したときに、解脱したという智がおこる。『[さらなる]誕生は滅ぼし尽くした。禁欲修行は全うした。なすべきことは果たした。[煩悩のない]この状態にいたるために、これ以上[すべきこと]はない』と知る。
③かれは『感覚的欲望という煩悩に起因するような煩いはここにはない。生存欲という煩悩に起因するような煩いはここにはない。無知という煩悩に起因するような煩いはここにはない。ただ次の煩いだけがある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と知る。かれは『ここに観念としてあるものは感覚的欲望という煩悩については空である』と知り、『ここに観念としてあるものは生存欲という煩悩については空である』と知り、『ここに観念としてあるものは無知という煩悩については空である。ただ次の<空でない状態>がある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と[知る]。このように、XにないものについてXは空であると理解し、一方、Xに残っているもの、現にあるものを『これがある』と知る。このようにしても、アーナンダよ、かれには『空である状態』が現実に、紛れもなく、完璧なかたちで生起する。」
 6.お釈迦様の説法のまとめ。
 「アーナンダよ、誰であれ過去の沙門やバラモンで、完璧にして最高無上なる『空である状態』に達していた者はみな、まさにこの完璧にして最高無上なる『空なる状態』に達していたのである。・・・。それゆえ、アーナンダよ、『完璧にして最高無上なる<空である状態>に達しよう』と、アーナンダよ、このように汝らは努力するがよい」
 7.終結部。
 世尊はこういわれた。アーナンダ尊者は感激して世尊のことばを讃えた。
 難しいです。この経を読んだだけでは、どうやって「○○という観念」に飛び込めば良いのか分かりません。
「『特徴を超えた精神集中』ただひとつに心を向ける。かれの心は『特徴を超えた精神集中』に跳びこみ、満足し、落ち着き、集中する。」
 これを習得できればニッバーナは遠くないと言えます。

 次回は、スッタニ・パータの分解です。


般若経典群(というより、大乗仏典群)と原始仏典の違いは一読して感じ取れる。

大乗仏典に見られる特徴は、

①フィクションの臭いが濃厚である。
②説明がくどくどしい。
③経典の価値を押し付けてくる。
④信仰を強制する。
⑤私と似ていて排他的攻撃的である。
⑥内部世界を無制限に外部に拡張している。
⑦理念上止むを得ないだろうが実践法を説いていない。

等等。

しかしこういう感想をいくら並べても、般若経典を分析できない。
出来るだけ客観的に比較し考察しなければ現代には応用できない。

そこでまず、原始仏典と般若経典の構造をそれぞれ分解してみて、構造上の違いから検討してみたい。
パーリ語もサンスクリット語も読めないので、日本語訳文を使用するのだから、適当なものになりそうだが、やらないよりは益しだろう。

分解対象テキストは、

①原始仏典
 A.森祖道訳「ディーガ・ニカーヤ第2経 修行の成果―沙門果経―」(春秋社)
 B.山本充代訳「マッジマ・ニカーヤ第121経 空についての短い経―小空経―」(春秋社)
 C.中村元訳「スッタニ・パータ第五彼岸に至る道の章 五.学生メッタグーの質問」(「ブッダのことば スッタニ・パータ」岩波文庫)
②般若経典
 A.中村元訳「金剛般若経」(岩波文庫)
 B.長尾雅人訳「金剛般若経」(中央公論社・大乗仏典シリーズ)
 C.鳩摩羅什訳「金剛般若波羅蜜経」(岩波文庫)

般若経典は、同じ金剛般若経なので、分解はまとめて行う。

なお、すでにお断りしたように、長文の引用は出来ません。
ご自分でそれぞれの本を調達して読んでいただきたい。

[1]「修行の成果―沙門果経―」の分解

 1.このようにわたしは聞いた、という決まり文句で始まる。
 2.お釈迦様がラージャガハ(王舎城)近くにある医師ジーヴァカのマンゴー園に滞在していたある時の出来事であると言って、時・場所・一緒にいた弟子たちのことを記述する。
 3.この経典でお釈迦様と対話する人物を紹介する。お釈迦様とも親しかったビンビサーラ王の息子であり、その父を殺して王になったアジャータサットゥ王である。
 4.アジャータサットゥ王がブッダを訪ねる経緯を説明する。この日は、布薩日(ウポーサタ)であった。王は廷臣たちに尋ねる。「今日は、どの沙門あるいはバラモンを訪ねたらよいであろうか、[誰が]訪ねていく者の心を浄めてくれるのであろうか」と。家来たちが、(おそらくラージャガハ近くにいたであろう)六師外道の名を挙げて勧めるが、アジャータサットゥ王は黙ったままである。
 5.アジャータサットゥ王が医師ジーヴァカを促す。ジーヴァカが自分のマンゴー園に滞在中のお釈迦様の評判を述べ、お釈迦様を訪ねるよう勧めて、王はマンゴー園に向かう。
 6.お釈迦様と挨拶を済ませたアジャータサットゥ王は、訪問の目的を述べる。お釈迦様が了解したので、お尋ねをする。「・・・。そこで尊師よ、ちょうどそのように、この世において、目に見えるかたちで、『修行の成果』を示すことがおできになりますか」お釈迦様はアジャータサットゥ王の質問にすぐさま答えないで、同じ質問を他の沙門・バラモンにも尋ねたことがあるかどうかと聞き返した。
 7.アジャータサットゥ王は、六師外道に同じ質問をしたことを認め、その様子をかいつまんで話した。この経典としては、この件クダリで、六師外道の所説を紹介し、批判している形式となる。王は六師の説明に納得していない旨を述べた。六師外道とは、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンパラ、パクダ・カッチャーヤナ、ニガンタ・ナータプッタ、サンジャヤ・ベーラッティプッタの六人。
 8.六師外道への質問とその答えを説明し終わったアジャータサットゥ王は、あらためてお釈迦様に、六師にしたのと同じ質問をして回答を求めた。質問とは「世間にはさまざまな技能職種があるが、たとえば、象に乗る者、・・・陶器職人、会計人、指算人など―かれらはこの世において、目に見える技能の報酬によって生活しています。」と言って、職人がその技能によって目に見える報酬という成果を得ているが、お釈迦様が教える道(修行)の成果を目に見えるように明らかに示して欲しいというものであった。
 9.お釈迦様は快くこの求めに応じ、目に見えるような答え方をして見せた。
  お釈迦様は一方的に説明するのではなく、王に問いかけ、王に考えさせ、最終的な結論も王自身にさせることで王を納得させ、お釈迦様が目に見えるように答えられることを示した。それが、奴隷の例え話と農民の例え話。
「大王よ、このことをどう思われますか。もしこのとおりであるならば、目に見える修行の成果というものはあるのでしょうか、ないのでしょうか?」「尊師よ、そうであれば、たしかに目に見える修行の成果というものはあります」
 10.二つの例えを聞いてアジャータサットゥ王は、お釈迦様を信頼し始め、もっと深いお話しを聞きたくなった。「尊師よ、また、これらの目に見える修行の成果よりも、さらに優れさらによい、この世界において目に見える修行の成果を、他にも示すことができるでしょうか」
 この経典の目的の一つは、この質問にありそうですね。「(尊師は)わたしにこの世(界)において、目に見えるかたちで、『修行の成果』を示すことがおできになりますか」---『この世(界)』という用語がキーワードではないでしょうか?
 11.アジャータサットゥ王が聞く耳を持ったことを確認して、お釈迦様は説法を開始した。まず、今の世、この世(界)に、本物の指導者(お釈迦様のこと)が出現していることを告げる。「大王よ、この世界に如来が出現しています。・・・。かれは、初めもよく、半ばもよく、終りもよい、内容もよく文体もよい教えを説示し、完全無欠で清浄な梵行(教説)を明らかにします。」王は素直にこの説明を受け入れたのであろう。お釈迦様は続いて、どのような修行が目に見える成果を生み出すのか、その修行について説く。「このようにして、[かれは]出家者となり、・・・、きわめて軽微な罪過に関しても恐れの念を抱き、①戒律の各条項を正しく受持し学習します。身体とことばに関するよき行為を維持し、清浄な生活をなし、戒をそなえ、②諸感覚器官の門を守り、③注意力と明瞭な意識を維持し④満足しているのです」と。
 12.以下、お釈迦様の説法は、ここに列挙された修行の内容の説明に移る。
  ①まず、戒について説明する。小戒、中戒、大戒と説き進める。
  ②次に、感覚器官の防護について説明する。
  ③次が、注意力と明瞭な意識。
  ④最後が満足。
  ①~④の修行の成果によって、修行者は五種の障害(五蓋)を除去できる。
  そのような障害の除去について、また、例え話で分かりやすく説明している。借金の例えと病気の例え、投獄の例え、奴隷の例え、危険な旅の例え。
「これら五種の障害がすでに捨てられているのを自己のなかに見る者には満足が生じ、・・・、楽福の心の者は安定(三昧)を得ます」
 13.そこで、説法は四禅の説明に移る。第四禅に至り、「超越より生じた注意力がもっとも清浄になっている第四禅に達してそこにおります。かれは、この身体をば清浄で純白な心をもって満たして坐り、・・・、これもまた、大王よ、前に述べた目に見える修行僧の諸果報よりもさらにすぐれ、さらにすばらしい、目に見える修行僧の果報であります」
 14.続いて無我の洞察。「そしてかれは『じつに、わたしのこの身体は、形を有し、四大元素からなり、母と父から生まれ、[食べた]飯と粥の集積であり、無常であって[たえず]衰え、消耗し、分解し、破壊する性質のものである。しかもわたしのこの意識は、ここ[身体]に依存し、ここに付属している』と、このように洞察するのです。これもまた、大王よ、・・・、さらにすばらしい、目に見える修行僧の果報であります」
 15.このあとは、調子が変わり、いわゆる超能力の説明に移る。超能力の説明のラストが煩悩を滅する智(漏尽智)である。「・・・。このように知り、このように観察するかれにとって、欲望の煩悩からも心は解放され、生存の煩悩からも心は解放され、無知の煩悩からも心は解放されます。解放されたときには、解放されたという認識が生まれます。そして『[輪廻]再生はなくなった。梵行は完成された。なすべきことはなされた。もはや[再び]この[迷いの]世界に生まれ変わることはない』と洞察します。これもまた、大王よ、前に述べた目に見える修行僧の諸果報よりもさらに優れ、さらにすばらしい、目に見える修行僧の果報であります」と、お釈迦様の説法は結ばれる。
 16.諄々と順を追って教えを説かれたアジャータサットゥ王はお釈迦様に心服し、信頼し、ついに自分の犯した父殺しの大罪を告白する。「尊師よ、わたしは愚かさのままに、迷いのままに、・・・、殺してしまいました。尊師よ、将来の自己抑制のために、わたしのこの罪を罪として、世尊は[そのまま]受け入れてくださいますように」「たしかに大王よ、あなたは愚かさのままに、・・・、犯しました。・・・。しかし大王よ、あなたが罪を罪として認め、法に従って懺悔するからには、わたしたちはそのあなたを[そのまま]受け入れましょう。なぜならば大王よ、罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己抑制をするということは、それこそが、聖者[ブッダ]の戒律の繁栄というものであるからです」
 17.このような次第で、お釈迦様によって在家の信徒として認められ安心したアジャータサットゥ王は、次のような会話を交わして帰って行った。「さてそれでは尊師よ、わたしどもはこれでおいとまいたします。わたしどもには仕事が多く、しなければならないことがたくさんあります」「大王よ、もう時間ならば、どうぞご随意に」
 18.終結部は、「世尊が以上のように語ると、満足したかれら[千二百人の]修行僧たちは、世尊の説示に歓喜したのであった、と[このようにわたしは聞いた]。」と、結ばれている。

次回は、「空についての短い経―小空経―」の分解をします。

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ある目的があって、今、主としてイギリスの児童文学を勉強している。

Alice's Adventure in wonderlandとかPeter Pan and Wendyなど。

文学作品となると、宛て推量だけでは読めない。
大学に英文学部が存在する理由である。

そこで、最低お二人の翻訳を買ってひきくらべながら英文も読む、というやり方で、日本の子供向けの文章に直そうとしている。

というのは、原作の英文は、小学校低学年前後から読めるはずなのだが、日本語訳の日本文は結構難しい。
英文がそういう程度なのかどうかはもちろん分からないが、例えば、Aliceは8歳だというから、小学校2~3年だろう。
ところが訳文は、どう見ても、小学校高学年でやっとの感じなのだ。

さて、今日のテーマは、翻訳した文章の賞味期限である。

次の文章を読んでハッと閃いたことがあったのだ。

「この作品には、いうまでもなく、過去に何種類かの翻訳があり、・・・・・。にもかかわらず、敢えてこの、かなり面倒な翻訳に取り組んだ理由は、ただ一つです。翻訳というものには、一定の寿命があると信じているからです。」(福島正実氏。「角川文庫版「不思議の国のアリス」あとがきより)


福島氏のこの文章を読んで、何かピンと来た方とは通じ合えそうです。

私は、この文章を読んで直ぐに、二つのことを同時に考えました。

①南方上座部保存のパーリ・キャノンや漢訳阿含経、或いは、古代インドや西域地方の古語で記述されたアーガマの断片などの、いわゆる、お釈迦様の説法集としての経典にも、同じように賞味期限があったと考えられないか、という発想。

②部派仏教がアビダンマに熱中した理由は、賞味期限切れのアーガマの再生努力だったのではないのかというのが①の関連発想。

釈迦仏教→部派仏教→大乗仏教と部派仏教の対立と並存→部派仏教と大乗仏教の融合と密教隆盛→仏教とヒンドゥー教の融合、および、仏教教団の消滅という、インドで辿った仏教の歴史は、まさに、この賞味期限切れというキーワードで理解できるのではないか。

どんな思想にも賞味期限が存在する。

宗教だって同じだろう。
古代インドのヴェーダだって、いろいろ変遷があったらしい。
最後がウパニシャッドで、その後はヴェーダンタなどの哲学に移行したようだ。

その時代の人々を熱中させた宗派仏教も、次の時代になると別な宗派や思想などに取って代わられる。

お釈迦様の教えも、多分、同じような運命を辿ったのではないだろうか。

考えてみれば、お釈迦様の教えだけが世界で唯一つ全く味が落ちずにどの時代の味覚にもピッタしだったと考える方がむしろ難しいのではないだろうか。

現代インドでは、ヴェーダは丁度日本の古事記や日本書紀のような古典に位置づけられ、日常生活で人々がヴェーダに依存するということが無いように、お釈迦様の教えも相当早い時期に古典という蔵に入ってしまったのではないだろうか?

結構見ているTV番組「なんでも鑑定団」で、鑑定士がよく言う。

「これは××年前なら、○千万円でいくらでも買い手がいたのですが、今は、ちょっと人気が衰えています。」

宗教にだって、供給と需要の関係がある。
これは紛れもない事実である。

いくら供給しようとしても、需要に応えられるものでなければ売れない、淘汰される。
そこで、新たな商品開発が必要になる。

私はお釈迦様を心から慕っている。
だから、本当にお釈迦様の心にまで分け入って現代人の需要に応えられるように新装開店したいのだ。
お葬式やお墓の添え物なんかにしておきたくないから研究している。

宮沢賢治は、明治の時代背景で翻訳された「家なき子」を担任から読み聞かされたとされている。
多分その翻訳をそのままで読んでも何か違和感があるだろう。
原文の英文は同じでも、翻訳者の時代が変われば、その翻訳も変わって当然だと思う。


 以下の説明は、服部正明著「認識と超越 <唯識>」(仏教の思想4 角川書店)より引用させていただきました。

     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
(原子論)
 物質的存在を“いろ”や“かたち”などという諸要素に分析する有部の学説を徹底させれば、物質が空間的なひろがりをもつことは説明がつかなくなる。“いろ”や“かたち”そのものが延長をもつとすれば、“いろ”のあるところに“かたち”はありえず、かたちの占めている空間に感触がはいりこむ余地はない。青磁の壷の“いろ”を賞メでながら、滑らかな感触を楽しむことはできなくなる。しかし、有部の理論は物質から延長を否定し去るほど徹底してはいない。物質的存在は空間的なひろがりをもったものとも考えられている。その考え方を示しているのは原子論である。
 物質的存在はすべて原子(paramanu極微)の集合体である。四元素もその例外ではない。原子そのものは延長をもたないが、原子は単独で存在することなく、窓辺にさす光線の中に浮かぶ塵でさえ「集まった原子」であり、延長をもっている。原子はすべて等質なのではない。地・水・火・風の原子はそれぞれ質を異にしている。“いろ”や“かたち”などは四元素から成るものであるが、“いろ”は“いろ”の、“かたち”は“かたち”のというように、みなそれぞれの原子の集まりであると考えられる。そして、外界のものが認識されるときには、最も単純な無機物の場合でも、地・水・火・風の四元素と、色形・香り・味・感触との八要素の総和として認識されるという。触覚器官(身)をもったもの、視覚・聴覚器官などをもったもの、さらには音声を発するものとなると、八要素にそれぞれの場合に応じた他の要素が加えられることになる。ものの質的な差別は、原子の質的な差別に由来する。あるものが堅いのは、そのものの地の原子の勢力が強いからである。碾ヒき割り麦と塩とを混ぜ合わせてなめてみると、塩の味だけが感知されて麦の味は感知されない。それと同様に、八種の要素の原子が混ざり合っているとき、地の原子が他の原子よりも勢力が強ければ、堅さだけが感知されるというのである。
 右(上)の説明が示すように、説一切有部は堅・湿・暖・動の性質、あるいは“いろ”や“かたち”などが、それ自体で存在すると考えていたわけではない。認識されるものとして存在しているのは、少なくとも八要素から成り、空間的なひろがりをもったものである。堅さなどの感触や、いろ・かたちなどは、具体的に存在するものからわれわれの認識器官に対応する要素を、観念的に抽象したものである。有部はこうして抽象した要素の一つ一つを実在視した。具体的な物質、たとえば粘土でつくられた一個の壷は、視覚器官で見られれば茶色の“いろ”であり、円い“かたち”である。触覚器官で触れられれば、粗い感触であり、そして堅い。壷とはこれらの要素の総和である。その壷は床に落とせばこわれてしまうが、“いろ”や“かたち”などはなくなることはない。同じ“いろ”同じ“かたち”は、その壷がなくとも他の壷において見られ、粗い感触も堅さも依然としてどこかに存在している。色形ないし感触は恒常不変であるが、それらの総和としての具体的な物質は、恒久性をもたない仮の存在にすぎない。
 原子は物質の空間的なひろがりを分割した極限である。原子の集合によって物質の量的なあり方は規定されるが、質的なあり方は規定されない。物体を組成する原子が多数ならばその物体は大きく、少数ならば小さいが、堅い感触は大きな岩にも小さな石にもあり、白い“いろ”は一枚の布にも一本の糸にもある。ヴァイシェーシカ学派は原子を「実体」として、“いろ”や感触などの「属性」とは明確に区別した。有部の理論では両者が混同されている。それは物質を個々の感覚与件に分析する認識論的な視点と、物質を一定の質量をもった存在として、主観との関連から切りはなしてとらえる存在論的な視点との混淆であるといえるであろう。無表色を例外として、物質的存在を五種の認識器官とその対象とする有部の立場には、認識論的な視点が優先している。原子論は元来、有部の学説ではなく「大毘婆沙論」のころにヴァイシェーシカ学派からとり入れられたらしい。有部は本来量的分析の極限である原子にも、質的差異を認めてその学説と調和させたのである。
(有部の学説の難点)
 全体と部分ということは、右(上)のような説一切有部の学説的立場においては、本質的には問題にならない。全体・部分は物質の量的なあり方に関わる概念である。椀型は壷の部分であるが、壷の“いろ”や感触は壷の部分ではない。多数の兵士や戦車・象などから成る軍隊も、さまざまな樹木が集まっている森も、それを遠方から見れば一つの“いろ”であり、一つの“かたち”である。
 多くの要素によって組成されたものは、仮象であって実在ではないという考え方は、有部にも一貫している。何某という名に対応するような人格的実体はどこにも存在しないのである。ただその組成要因とされるものは、全体に対する部分、たとえば車の轅ナガエや車軸などではなく、個々の認識器官によってとらえられるもの、“いろ”や“かたち”であり、感触などであるとする点に有部の学説の特色があった。壷や布あんどは多種の感覚与件の総和であり、仮の存在であるが、“いろ”や“かたち”などの感覚与件は実在するという考え方が有部によって示されたのである。その場合、“いろ”や“かたち”は視覚器官によって見られるものとして、すなわち、視覚的認識を生じさせる機能をもつことによって、実在と認められている。このように、物質を「認識の門」としての機能をもった個々の感覚与件に分析し、それを実在とする立場をとりながら、それとは異質の原子論をとり入れたことによって、有部には学説上の難点が生じている。“いろ”や“かたち”もそれぞれの原子の集まったものであるとすれば、実在ではありえず、仮の存在にすぎないことになるからである。単一の原子は視覚器官によって見られるものではない、それは認識の門ではない。有部は“いろ”の原子も、その集まりも共に実在と考えたようであるが、この点について首尾一貫した理論を立てられたのは経量部であった。(p78-81)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


服部先生の説明から長く引用させていただいたのを最後に、原典の引用は終了します。

と言いますのは、身体の老化のため、進行した老眼で、本とモニタを見比べながらの文字入力は大変な負担で、「引用」に命を懸けるのであればそれも止むを得ないのですが、そういう我侭を許されない事情もありまして、今後は私の主張と、参照した本(原典)の名前、ページ名などを付記するだけと致します。

入手困難な本もあることでしょうから、出来るだけ大風呂敷の虚言的断言が何を根拠にしているのか原典を共有していただきたかったのですが、それは今後適いません。

さて、説一切有部の所説の解説を読んできましたが、おぼろげながら分かったのは、
①有部の学僧たちすなわち部派グループは、分析という方法では解明できない事柄を、しかも、不十分な準備の中で行った。
②お釈迦様の説法の整理を行って、有部が納得する論理的な教理体系にまとめようとすると、整合性が取れない説法が切り捨てられた可能性がある。
 これは、テーラヴァーダ仏教のS師などが懸命に力説する金口の説法の継承というパーリ仏典にも当てはまるものと推量できます。
 なぜなら、ブッダゴーサの「清浄道論ヴィスッディマッガ」は、それ以前の大寺派の修行書「解脱道論」(ウパティッサ)の土台部分を大変換したとされていること一つでも推量可能でしょう。
③いくら分析をしても、結局最後は見道・修道ともに、実践的体験的な活動が不可欠だとしているということは、有部も分析だけでは涅槃・解脱は不可能だと認めていたことになる。
④般若経典群を依拠とする大乗仏教徒も竜樹も、有部の教理の一部を否定したが、有部の仕事すなわちお釈迦様の説法の整理という研究成果を十分に利用した。言い換えれば、八万四千といわれるお釈迦様の説法を整理しなおし、説法に基づく全く新たな教理体系を作り上げたのではなく、有部など部派仏教が築き上げた研究という土台の上に大乗仏教の体系を構築したのではないかという仮説が浮かび上がってきた。これは今後検証できれば面白い。
⑤竜樹は西暦後2~3世紀の人らしいが、彼は一体どの部派が伝承していた三蔵を読めたのでしょうか。竜樹は、それらの三蔵を整理し体系化する時間的な可能性があったのでしょうか。もし、竜樹が部派とくに説一切有部の整理した体系とは全く異なる整理した体系を構成できていたなら、それを根拠に有部に反論したと思う。いかし、どうもそうではないらしいので、竜樹も部派の体系を借用しているのではないと想像できる。

次回からは、桜部先生・梶山先生・服部先生らの解説を参照しながら、般若経典や竜樹の論書を読んで行きたいと思います。


「実在」の定義を二冊の本から引用させていただきます。

①梶山雄一著「空の論理 <中観>」(角川書店)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 説一切有部はこのような範疇表によって分類された存在要素をさらに小さな単位に細分類する。同時に、古くからあった五群・十二領域・十八種などの範疇表のほかにも、制約されたものと無制約的なもの(有為・無為)、内と外、煩悩あるものと煩悩なきもの、原子からなるものとそうでないもの、というようなさまざまな範疇を考案する。そして、十八種のうち内なるものはどれとどれ、外なるものはどれとどれ、というように、範疇を縦横に組み合わせる操作をくり返してゆくことによって、存在の細小単位をいよいよ厳密に規定し、それら相互の関係を明らかにしてゆくのである。そのような過程を通じて有部が到達した最終的な範疇が五位七十五法と呼ばれるものである。
 ・・・・・。
 説一切有部がこのように存在の分析、区別の哲学を追及したもともとの動機は、それによって、自我の存在を否定することにあったことはたしかである。永遠な変化しない人格主体としての自我は、どんなに存在を分析しても見出されない。存在の究極的な要素としての七十五法の中に自我は含まれない。だから自我は存在しない。こうして仏教の中心的教義としての無我説を論証しようとしたのである。それは早くから経典において、五群が一切である、ということによって、その五群に含まれない自我の存在を否定したのと同じ方法であった。
 しかし、有部の哲学のメリットは無我の論証ということに尽きるわけではない。むしろ、その範疇的思惟がそこへ必然的に導いていった実在論にこそこの学派の最大の特色があるのである。
 範疇にもとづいて存在を区別し、存在の要素を規定してゆくという操作は、存在の究極的要素、原子的な要素に行きつくまで続けられるはずであって、中途で中止されてしまってはならない。まだ分析しうる途中の段階でとどまってしまうならば、それは究極的な要素とはいえないし、存在を区別するということの意義も失われてしまうからである。
 しかしその場合に、究極的な要素とはどのような基準によって定められるのであろうか。有部は、ただ一つの本体とただ一つの機能をもっているものが究極的要素である、と考えた。一つのものに二つの本体、二つの機能があるならば、それは二つの存在要素に分析されなければならない。そして、二つ以上の本体、二つ以上の機能から構成されているものの全体は、ほんとうに存在するものではない。たとえば人というものは心と身体からできているとき、実在するものは心と身体であって、その二つの総合体としての人というものは実在ではない。心と身体もさらに細かく分類されれば、残るものは五群とか、十二領域とか、十八種とか、五位七十五法という存在要素となってしまう。たとえば軍隊とか林とか車というような全体は存在しない。実在するのはそれらの全体を構成している兵隊・馬・戦車などあって軍隊という全体ではない。個々の樹木であって林ではないし、車体・ながえ・車軸・車輪などであって車という全体ではない。(p37-39)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

②服部正明著「認識と超越 <唯識>」(角川書店)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 経量部はさらに物質的存在(色)についても、実在(paramartha-sat究竟的な存在)と、単に名のみで実在性をもたない仮象(prajnapti-sat名目上の存在、あるいはsamvrti-sat慣行上の存在)の区別を明確にした。その際、有部のように、視覚器官によって見られるもの、すなわち青い“いろ”や円い“かたち”をそのまま実在とはなさずに、視覚的認識を生ずる能力あるものを実在と考えることによって、有部における原子論の難点を解決しようとした。目に見えるものは原子の集まりであって、個々の原子がそのまま視覚器官によって見られることはないが、集まった原子の一つ一つは視覚的認識の原因となる、という経量部の見解は、「倶舎論」に示されている。「原子の集合体は原子と別のものではない」という経量部の定説の意味も、この観点から理解されるであろう。
 実在するものは単一のもの、一つの能力をもつものでなければならない。多種の組成要素が互いに結合することによって成ったものは、結合した諸要素が分離すれば非存在となるのであるから、仮象であって、実在ではない。実在するのは、分析を極限まで進めることによって得られる単一のものである。有部は視覚器官の対象を、青・黄・赤・白などの“いろ”(顕色)と長・短・方・円などの“かたち”(形色)とに区別したが、経量部は“かたち”の実在性を否定している。それは“いろ”の原子の集まり方によって生じたものであり、仮象なのである。
 「倶舎論」(賢聖品)には、実在と仮象との区別が次のようにしるされている。

   たとえば壷のように、こわれたときにはそのものに関する観念がなくなるもの、また、たとえば水のように、思考によってそれの成分である“いろ”・味等の原子をとり除いていく場合にも、そのものに関する観念がなくなるものは仮象である。実在はそれとはあり方を異にする。

 壷を床に落としてこわしてしまえば、在るのは破片であってもはや壷ではない。布をほぐしてしまえば、糸があるだけで、布とよばれるものはない。水は壷や布のように破壊することはできないが、それには“いろ”もあり味もあり、冷たい感触もあるから、思考力によってそれを諸要素に分析することができる。“いろ”の原子、味の原子等に分析してしまえば、それとは別に水と名づけられるべきものは存在しないことになる。このようなものはすべて仮象であり、こわれることなく、思考力によっても組成要素に分析することもできないもののみが実在である、というのである。(p82-83)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


 「有部における原子論の難点を解決しようとした」とは、どういうことかと言うと、

 「多くの要素によって組成されたものは、仮象であって実在ではないという考え方は、有部にも一貫している。何某という名に対応するような人格的実体はどこにも存在しないのである。ただその組成要因とされるものは、全体に対する部分、たとえば車の轅ナガエや車軸などではなく、個々の認識器官によってとらえられるもの、“いろ”や“かたち”であり、感触などであるとする点に有部の学説の特色があった。壷や布あんどは多種の感覚与件の総和であり、仮の存在であるが、“いろ”や“かたち”などの感覚与件は実在するという考え方が有部によって示されたのである。その場合、“いろ”や“かたち”は視覚器官によって見られるものとして、すなわち、視覚的認識を生じさせる機能をもつことによって、実在と認められている。このように、物質を「認識の門」としての機能をもった個々の感覚与件に分析し、それを実在とする立場をとりながら、それとは異質の原子論をとり入れたことによって、有部には学説上の難点が生じている。“いろ”や“かたち”もそれぞれの原子の集まったものであるとすれば、実在ではありえず、仮の存在にすぎないことになるからである。単一の原子は視覚器官によって見られるものではない、それは認識の門ではない。有部は“いろ”の原子も、その集まりも共に実在と考えたようであるが、この点について首尾一貫した理論を立てられたのは経量部であった。」(服部正明著「認識と超越 <唯識>」p80-81)

③三枝充悳著「バウッダ ・佛教・」(小学館)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 有部は、「法(ダルマ)」に関する種々の分析が最優先する。その説をいくつかあげよう。まず存在(「ある」もの・こと)を「勝義の存在」(勝義有)と「世俗の存在」(世俗有)とに分ける。私たちの日常は、後者の「世俗の存在」にとり囲まれ、またそれらによって現に生まれ、生き、死んで、「世俗有」が現実そのものにほかならない。しかし、それらはすべて「滅」という性質をもっており、時間的のみならず、その形すなわち空間的に見ても、壊れるという在り方を本質とする。それをどこまでも壊し続けてゆけば、その極小化された極限に、これ以上は壊し得ない「極微ゴクミ」に至る。(それはギリシャで説かれた「原子アトム」説と共通する。なお、この考えは、インド正統哲学のひとつであるヴァイシェーシカ学派でも、明確に説かれる)。極微は、したがっていわば究極の存在であり、それは他のものに依存せず、関係ももたずに、それ自体で存在しており、このようなものを「勝義有」と名づける。とくに、有部の術語では、「実体として有るもの」、「自性をもつもの」、「自相上、有るもの」であり、これが真実の「法(ダルマ)に最もよくかなっているという。・・・。
 また、「法(ダルマ)」は「作られたもの」と「作られたものではないもの」とから成り、前者を「有為法」、後者を「無為法」と称する。「無為法」は、永遠の存在ともみなされるのに対して、「有為法」は、要素としては実在であっても、生滅・変化を伴っており、無常の存在と措定される。つまり、「有為」であるあらゆる“もの”は、生滅変化して移り変わってやまない存在、と見られている。(p177-178)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞ 

 実在に関してはもう一つの議論があったようです。
 説一切有部は、実在するもの(法=ダルマ)は、現在にも未来にも過去にも有る(三世実有・法体恒有)と主張したそうですが、経量部は、現在だけに実在する(現在実有・過未無体)と主張したそうです。
 
 さて、有部は実在の基準に「本体」の概念を用いました。それに対して経量部は「単一のもの、一つの能力をもつもの」という概念を用いました。「実在するのは、分析を極限まで進めることによって得られる単一のものである」。経量部の主張するこの単一のものとは、本体なのでしょうか。本体だとすれば、「現在実有・過未無体」という主張と矛盾してしまうような気がします。

 これ以上分けることができない最小の単位、つまり、壊れないものは生滅変化しないもの、と考えたようです。
 私の考えでは、こういう基準は、あくまで仮定であり、実証されなければ論拠となりえないと思うのですが、そのまま議論を進めています。
 議論が噛み合うわけも無く、平行線のままえんえんと...だと思うのですが。

 学説が異なるということは、当然基準も異なると考えていいでしょう。では、どの程度異なるのか、となると、これまでに見てきた哲学・部派の主張に見られる基準は似たり寄ったりという感じがしないでもない。
 

 以下の説明は、服部正明著「認識と超越 <唯識>」(仏教の思想4 角川書店)より引用させていただきました。

 考え方はいろいろ有るでしょうが、お釈迦様の説法は苦の滅唯一つを説いたと私は考えています。この立場で実践するなら、ヴァイシェーシカ学派や説一切有部、次に引用させていただく経量部などの分析は必要ありません。
 しかし、一度お釈迦様の説法集である経典の核心に疑義を抱くと蟻地獄のような分析に陥ることになると私は思います。

 さて、引用させていただく説一切有部の主張は、テーマが「外界実在論」とあるように、主として外的な存在(五感の対象)に関するものです。


     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 多くの組成要因から成るものが、仮に一つの名辞によってよばれるだけで、名辞に対応するような実体は何も存在しないという仏教の学説は、組成部分とは別に単一の全体があって、それが語によって指示されるというヴァイシェーシカ学派の見解と、明瞭に異なっている。ところで、名辞を与えられたものは実在しないとしても、その組成要因は実在すると考えられるのではないか。車という実体はなくとも、それを構成している轅ナガエや、車軸や、車輪は実在するのではないか。それらも名のみのもので実在しないとすれば、究極的には何が存在するのであろうか。このような問いに対する解答はアビダルマ哲学体系において用意された。
 説一切有部は、物質的存在(色)・心・心作用(心所)・心に伴わぬもの(心不相応行)・無制約的なもの(無為)の五群に分類される七十五種の要素(五位七十五法)を究極的な存在と認めた。それらは他の要素によってつくり出されたものではなく、他の要素によって変化させられず、それ自体に固有の特質をけっして失うことのないものである。たとえば元素としての火は他の要素を俟マつことなく存在して、その自己同一性を失わず、熱さという固有の特質をもっている。鍋に入れて竈カマドにかけられた水は熱くなり、炎暑の砂漠には熱風が吹くが、水の熱さ、風の熱さは、竈の火や太陽から与えられたもので、その条件がなくなれば失われる。したがってそれぞれに固有の特質ではない。それに反して、火の熱さはどのような条件の下にも失われることはない。熱さをもった火の元素は究極的な存在要素である。
 説一切有部が数えあげた究極的な存在要素の数が七十五であったかどうかについては問題があるようだが、物質的存在を十一種とする点ではこの部派の諸論書は一致している。十一種とは五種の認識器官(眼~身=触覚器官)と五種の対象(色と形~感触)および無表色ムヒョウシキである。眼・耳などの認識器官は、見る・聞くなどの機能をもった透明で不可見な一種の物質で、元素(地・水・火・風)の特殊な変容といわれる。それは眼球・耳孔などのように目に見える身体的な器官(扶塵根フジンコン)とは区別され、そこに宿る機能そのものとわれわれには解せられるが、有部は特殊な物質器官(勝義根)とみなすのである。無表色とは“かたち”としてあらわれた身体の働きのあとにのこる余勢、“音声”としてあらわれた語のはたらきのあとにのこる余勢で、目に見えず、他の要素によって抵触されない(無見無対)一種の物質である。
 五種の対象は四元素それ自体を除外すればすべて元素から成るものである。ところで、元素に関する有部の特色ある見解に、まず注目しなければならない。「倶舎論」(界品)によると、元素は地・水・火・風であるが、それらは五種の対象のうちの“感触”の下にふくまれ、色形イロカタチとはみなされていない。地とは“堅さ”であって堅い“もの”ではない。水とは“湿りけ”であって、湿潤なものではない。同様に、火は“暖かさ”であり、風は“動き”であるとされる。元素は具体的な物質の質量因という考え方はそこに見られず、むしろ物質のもつ性質が元素と理解されているのである。
 古い経典には、地とは堅い“物質”である、という考え方が明示されている。それは人間の身体についていえば、毛髪・爪・歯などであり、外界においては石や瓦礫である。水は人間における汗・涙・尿などであり、また外界の雨・露や酒・牛乳などである。ところが、これらの具体的物質から、それのもつ触覚的な性質すなわち堅さ、湿潤性などが抽象される傾向がしだいに生じ「大毘婆沙論」には四元素を堅さ・湿りけ・暖かさ・動きとする解釈がはっきりとあらわれるのである。
 四元素の解釈に見られる有部の傾向は、五種の対象とされるもののすべてについても同じように指摘することができる。色形は“いろ(顕色ケンジキ)”と“かたち(形色ケイシキ)”とに分けられ、前者は青・黄・赤・白の四種、またはそれに影・光・明・闇・雲・煙・塵・霧を加えた十二種、後者は長・短・方・円・凸・凹・正・不正の八種である。音声・香り・味はそれぞれ八・四・六種に分類され、感触は四元素のほかに滑らかさ・粗さなどの七種があるので合計十一種になる。青・黄などの“いろ”や、長・短・方・円などの“かたち”も音声や香りや味や感触も、物質の属性であって、物質的存在それ自体とは考えられないであろう。青い“もの”・円い“もの”や、音をたてる“もの”などは、一定の質量をもち、質量に応じた空間を占める不可侵入性の物質として存在するが、青い“いろ”・円い“かたち”や、たてられた音などがそのような物質として存在するとはわれわれには理解しがたい。それらは、見る・聞くなどの機能によってとらえられる物質の属性である。有部は認識論的な観点に立って、主観の側の認識機能の一つ一つに対応する属性を、具体的な物質から抽象し、それを物質的な存在とみなしたのである。こうして具体的な物質は見られる“いろ”と“かたち”、ないし触れられ感触に分解されてしまう。(p75-78)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞ 


 「名辞を与えられたものは実在しないとしても、その組成要因は実在すると考えられるのではないか。車という実体はなくとも、それを構成している轅ナガエや、車軸や、車輪は実在するのではないか。」
 外界にモノは実在するのかしないのか、この超難問を当時の知識と方法・技術で解き明かそうとしているのだから、相当無理な筋書きが作られてしまいます。
 車の比喩に見られる分析の仕方は、それ自体が奇妙に感じられます。
 部品が実在なら、部品で構成される全体も実在する、というのが私の素朴な認識です。
 また、部品の構成要因(この概念も変)が実在するなら、部品も実在するし、部品で構成される全体も実在すると考える方が自然です。

 したがって、当時(西暦前200~500前後)の人たちは、私のような考え方をしていなかったと仮定しなければならないでしょう。
 外界にモノが有るか、無いか、という議論をすすめるに当たって、物をどのように分析し、どのようにその有る無しを論証しているかを良く読み取らなければなりません。
 この論理は、当然、他派や他の哲学・宗教の学者・学僧を意識したものだったはずです。
 つまり、その論証の仕方などは、私にとってどんなに奇妙でも、当時の人たちに通用するものだったはずなのです。
 例えば、「それは眼球・耳孔などのように目に見える身体的な器官(扶塵根フジンコン)とは区別され、そこに宿る機能そのものとわれわれには解せられるが、有部は特殊な物質器官(勝義根)とみなすのである。」という有部の分析・解釈の仕方は、恐らく当時のインドではあまり違和感のないものだったのでしょう。
 そこには、「存在する」という語の含意する内容の違い、概念の違いがあるように思われます。

 大乗仏典や竜樹(ナーガールジュナ)の奇妙な論理や主張がどうして可能なのか、これがこのアーカイブ「般若経典を読む」における私のテーマですので、大乗仏教ならびに竜樹が換骨奪胎したとされる部派仏教特に説一切有部の考え方を知ることは重要です。

 そのためには、出来るだけいろいろな原典の読み方を知る必要があります。


般若経や竜樹を読むために、ここまで説一切有部の教理をいろいろな角度から説明した先生方の論を引用させていただきました。
これらインド哲学やインド仏教に現れた考え方をインド以外の視線で見てみることも有効であると思います。

以下の引用は、三枝充悳著「縁起の思想」(法蔵館)から頂いたものです。



     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 ここに、この小論の要、すなわち仏教の思想を一貫する「縁」「関係性」について最も重要な特徴と私が考えるもの、それをまず示したい。
 関係という以上、万人が認めるように、必ずAとB(とC…)との二項(ないし三項以上)がそこに存在することを前提する。以下の論述において、その項の両数ないし、複数を一々記すのは煩雑なので、しばらくAとB(の両数)の例に限定しよう。(機に応じて、さらにCとD…に拡大して行き、複数化することは容易である。
 AとBとの関係という場合、仏教思想の非常に大きな特徴は、一言でいえば、そのうちのAが“つねに”自己ないし自己の現実にかかわっているということである。仏教にあっては、自己ないし自己の現実を離れて、全然無関係の第三者において、関係支が立てられるということは、きわめて例が少なく、たとえ
そのような稀な場でも、その関係支の討議が、その討議の“さなか”ないし結論の線上でやはり自己ないし自己の現実に引き戻されている、もしくはそのような営為が必ず存する。換言すれば、仏教においては、ほとんどの場面において、関係性をいい、縁を説くが、そのさい、“つねに”自己ないし自己の現実を一方の支とし、それに対する他支との縁-関係を考え、論ずる。
 それに対して、明らかに西洋哲学の大多数の例は、関係し合うAとBとが、一切任意に立てられ、そこに必ずしも自己ないし自己の現実とのつながり-関係をもちこもうとはせず、いわば自己からは第三者的なAとBという形で、関係性の観念ないし思想が説かれている。
 先にカントの用例をあげたが、判断について、そこに自己の判断という限定はない。(むしろ普遍的な判断そのものが問われている)。それよりもさらにカテゴリーの三種は、上例に明白なように、全く自己ないし自己の現実から或る意味で独立した場において、捉えられ、機能している。
 おそらく、西洋では、このような自己ないし自己の現実から切り離された二項が一般に承認され、その二項間の関係について、逆にそれらから独立し得ている自己が観察するというところに、いわゆるテオリア(見ること、観想)ということがあり、ひいてはそれがいわゆる科学的な思考を生み育てて行くことになるのであろう、またそのように推移してきたのであろう、と私は考える。
 再言すれば、仏教の思想では終始不断、自己ないし自己の現実から独立してしまっては、縁-関係が考察されようともしない以上、その場に第三者たり得ない自己ないし自己の現実がつねに密接に入りこんでいるあまり、どうしてもいわゆる科学的思考は生じようがない。
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 ここでとくに注目すべきことは、五蘊説において、五蘊により一切すべてが包括されており、また五蘊がつねに上述の五項の順序において考えられ一括して論じられていて、それぞれの五項がばらばらにそれぞれ単立して取り上げられる例は比較的少ない、ただ十二支縁起説の十二支のなかの四支は、五蘊のなかの想を除いた四項による、という点にある。
 色は、上述の説明を敷衍して一種の現代風にいえば、“もの”といいかえてもよかろう。しかしこの“もの”は、決して“もの”として独立してあるのではない。“もの”=色は、どこまでも五蘊における一項なのであって、決して受~識を離れてはあり得ず、考えられ得ない。“もの”といういわば客体的な存在が単独にあって、受~識のいわば主体的な存在がまたそれと孤立してある、というように考えることは、仏教の思想においては決して許されない。つねに色=“もの”は、受~識との関係上に包まれてのみ考察されており、たとえば識に到達しないままの色=“もの”がどこかに浮遊していることはあり得ない。
 現在の私たちの日常の思考は、すでにヨーロッパ風の一種の科学的な認識(のごときもの)にほぼ全面的に依拠してしまっているために、いちおう、主と客とを分かち、色を客体的な“もの”のごとく扱う分析的な説明が仮設される。しかしながら、それはあくまで便宜的なものにすぎず、仏教にもとづくならば、そのようないわば主―客の二分そのものが問われて、ついには排されなければならず、あくまで主すなわち自己ないし自己の現実における色~識のなかの一項にほかならない。(そのために色を自己の身体と見なす説もおこなわれた)。
 そのような自己ないし自己の現実とつねにつながり包み込んでいる世界、そしてその世界の要素もしくは様相を「法」として概括し、そこに色~識の五蘊が立てられつつ、五項はつねに集合体であって、しかも自己ないし自己の現実を離れない。判りやすくいえば、たとえ色=“もの”といったとしても、自己ないし自己の現実との関係における色=“もの”であり、しかも受から識にまでいたって色=“もの”たり得るのである。
 色の語は、たとえば十二支縁起説では「名色」としてあらわれ、それはいわば「名称と形態」を表現する。ここでは色=“もの”には必ず“名”が伴っている。そこにある“名”は、実はとりもなおさず自己ないし自己の現実との関係を明示している。(私がしばしば例としてあげるのは、たとえば机上の“これ”は、「コップ」という“もの”であり、「ガラス」という“もの”であり、「水入れ」「容器」という“もの”であり、・・・、ときに「凶器」という“もの”でもある)。“これ”という色=“もの”が“名”に表現されるときには、必ずそこに自己ないし自己の現実との関係が表現されている。
 以下の受~識に関しても、以上の色の叙述と同様のことが主張される。
 五蘊説とならんで、「法」説の有名なものに、六入、六境(十二処)、六識(十八界)の説があり、ここにも色がある。すなわち
 六入---眼~意
 六境---色~法
 六識---眼識~意識
がそれであり、ここでは明らかに色は眼と離れず、そして眼との関係の上に眼識がある。いわば眼識(眼に見えている)という自己ないし自己の現実の認識にもとづいて、いちおう、器官の一つとして眼と、それの対象となっている色とが立てられてはあるものの、それらは決して対立した孤立的存在ではなくて、結局は両者不可分とされる。それゆえ、眼以下の六入はまた六内処、色以下の六境は六外処(あわせて十二処)と呼ばれ、どちらも、自己ないし自己の現実の処(アーヤタナayatana)なのであり、その関係から離脱することはあり得ない。
 色の用例の最も有名なものは「般若心経」中の、
  色即是空、空即是色
であろう。そのときに、右の対句のみに眼を奪われて、それで終わってはならない。この経はただちに、
  受想行識亦復如是(受想行識も亦た復た是くの如し)
と続いている。空を主張しているのは、色についてだけではなくて、受想行識も同様である。しかも右の句の前には、
  五蘊皆空
がすでに明記されている。
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


 先生の説明の中の「先にカントの用例をあげたが、判断について、そこに自己の判断という限定はない。(むしろ普遍的な判断そのものが問われている)。それよりもさらにカテゴリーの三種は、上例に明白なように、全く自己ないし自己の現実から或る意味で独立した場において、捉えられ、機能している。」で言われているのは、カントが主張した判断の信頼性の根拠が、万人に共通する資質(それが主観的かどうかはさて置いて)であるとすると、確かに、判断は個々の現実に拘束されないかもしれません。
 不勉強でカントの学説をほとんど分かっていないので、先生が意図したように理解できていない可能性があります。

 ただ、私の粗雑な理解では、お釈迦様が説いている事柄は、常に自己の体験に引き寄せて理解すべきものだと思います。
 四聖諦で説かれる真理(?)は、自分で確かめ、確認し、実践するから真理となるのだということです。(この立場は、思想史的・哲学史的には稚拙な考え方だろうと思いますが)。

以下の説明は、服部正明著「認識と超越 <唯識>」(仏教の思想4 角川書店)より引用させていただきました。
説一切有部と似ている範疇論の立場をとったヴァイシェーシカ学派と、説一切有部を批判して新しい主張を展開した経量部がどういう主張をしたのか少し詳しく知ることが出来ます。
観点は、私たちの心に現れる表象(認識)が外界(心の外)に表象の対象を必要とするかどうかであります。

     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 多くの部分によって組成された全体は、部分とは別の単一のものである、というのは、ヴァイシェーシカ学派およびそれから分立したニヤーヤ学派に特有の学説である。たとえば、多数の糸によって織り成された布は、糸とは異なるものとして存在し、二個の椀型(カパーラ)を接合して造られた壷は、椀型とはことなる単一の実体である。布も壷も、単にそれぞれの質量因の集合体に過ぎない物なのではなく、質量因の集合によって新たに発生したもの、質量因とは異なる独自の存在性をもった単一のものと考えられるのである。・・・。ここには、部分と全体という問題をめぐって、ヴァイシェーシカ学派やニヤーヤ学派などの実在論者と仏教学者との、実在観の相違が明らかに示されているのである。
 ヴァイシェーシカ学派もニヤーヤ学派も、観念またはその指標としての語はすべて存在するものと対応していると考える。存在するものは「語の意味(パダ・アルタ)」(句義)という術語であらわされる。意味アルタとは外界に存在する語の指示物そのものであると理解されるのである。たとえば「牛」という語に対応して、牛という「実体」が存在し、その牛について述語される「白い」「歩く」などという語は、実在する白色という属性、歩行という「運動」に対応している。さらに、「牛」という語は、白牛にも斑牛マダラウシにも、歩いているうしにも立っている牛にも適用されるから、その語の指示物として牛一般、すなわち、すべての牛を「牛」たらしめている牛の「普遍」が実在すると考えられ、同時に「牛」という語の指示物を馬やその他の動物から区別する「特殊」も実在すると理解される。そして、白色や歩行、普遍や特殊は、実体としての牛と切り離すことのできない関係によって結合しているから、この関係そのものも実在すると考えられる。この関係は「内属」といわれる。「この牛は白い」という判断は、「この牛」という語の指示物である実体に、「白い」という語の指示物である属性が内属している、という実在のあり方に対応しているのである。
 こうしてヴァイシェーシカ学派は、「語の指示物」として存在するものを、六種に分類する。すなわち、実体・属性・運動・普遍・特殊・内属である。これらはいずれも、肯定的な観念に対応して存在するもので、この学派の学説綱要書である「ヴァイシェーシカ・スートラ(Vaisesika-sutra)」にあげられているのはこれらの六種であるが、後代には否定的観念に対応する実在としての「非存在」がこれに加えられるようになった。「牛小屋に牛がいない」というときには、牛小屋における牛の非存在が指示されているのであり、「牛は馬ではない」というときには、馬における牛の非存在が指示されていると考えられるのである。
 これらの「語の指示物」のうちで、実体が中心的位置を占めることはいうまでもない。他は実体に内属し、実体を限定する要素として存在している。牛の白色でも布の白色でもなく、何ものの属性でなもないような白色はありえず、また、どの実体にも属さないような歩行もない。実体の側からいえば、それは純然たる実体そのものとして存在するのではなく、つねに属性その他に限定されたものとして存在している。牛は白牛・黒牛などとして、また、歩いている牛・立っている牛などとして存在するのである。さきに「牛」という語に対応して牛という実体があると述べた。しかし、「牛」という語はどの牛に対しても適用されるが、実体としてわれわれが知覚するのは個別的な牛であって、牛一般ではない。したがって「牛」とは、多数の個別的な実体から一般性を抽象する主観の操作によって構成された概念であって、実在には対応しないという考え方がやがて仏教学派によって明示されるようになるが、ヴァイシェーシカ学派の実在論哲学においては、そのようには考えられない。多数の個別的な実体をいずれも牛たらしめる牛の「普遍」が、主観の外に実在し、個別的な実体はこの普遍に限定されているから牛として把握されるというのである。そして、牛の普遍に限定された個別的実体は、白い牛・歩いている牛などとして、属性・運動によっても限定されている。
 このヴァイシェーシカ哲学によれば、我々の認識の対象となるのは、諸要素によって限定された実体である。属性その他の限定要素の知覚は、実体の知覚を前提とする。そして、知覚されたものは「語の指示物」であるから、語によって言いあらわすことができる。もともと、語とは実在するものの認識によって得られた観念を伝達するために、古人が定めた標識である、というのがヴァイシェーシカ学派の見解である。プラシャスタパーダ(Prasastapada六世紀の学者)は、ヴァイシェーシカ哲学を組織的に論述した「諸原理の特質の綱要」の中で、実在にはすべて「在ること」「言いあらわされること」「認識の対象となること」の三性格がそなわっているというがこれらの三性格はヴァイシェーシカ体系において、実質的には相互に区別されえない。在るものは語によって指示されるものであり、語は認識されたものを良い表すのである。
 さて、認識された実体は「牛」とか、「布」「壷」などの語によって言いあらわされる。直接知覚される実体は「これ」であるが、その実体の限定要素である牛の普遍も同時に知覚されるから、「これ」は「牛の普遍を所有するもの」すなわち「牛」として認識され、言いあらわされるのである。実体を限定する属性や運動も同時に知覚されるから、「これ」は「白い牛」「歩いている牛」などとして認識され、「この牛は白い」「この牛は歩いている」と言いあらわされる。一つの実体が他の実体の限定要素となることもある。たとえば「この牛には角ツノがある」「彼は杖をもっている」という表現は、角をを限定要素とする牛、杖を限定要素とする人の認識にもとづいてなされるのである。
 実体をヴァイシェーシカ学派は、地・水・火・風・虚空・方位・時間・アートマン・思考器官の九種に分類する。実体はまた、多数の実体を構成要素とするものと、構成要素としての実体をもたないものとに分けられる。構成要素をもたない実体は、虚空以下に列挙した五種と、地・水・火・風それぞれの原子とである。原子は集合して諸種の実体を新たにつくり出す。原子の集合によってつくられたものもすべて単一の実体として、存在性をもち、それによって固有の語によって言いあらわされる。原子は「原因としての実体」であり、その集合によってつくられたものは「結果としての実体」である。さらに、それ自体としては結果である実体が集合して、新たな実体をつくり出す。胴体や脚・尾などとは別に牛という実体があり、糸とは別に布という実体がある。「牛」という語の指示物、「布」という語の指示物は、それぞれを構成する諸部分とは別の、単一なる全体として存在しているのである。
 もしも「全体」が諸部分の総体以外のものではなく、諸部分とは異なるものとして独自の存在性もつのでないとすれば、たとえば庭にある一本の木を「木」として認識することはできない、とウディヨータカラ(Uddyotakara六世紀後半ごろ。)は言う。われわれに知覚されるのは木のこちら側の部分にすぎない。向こう側の部分も、表皮に包まれた内の部分も、われわれには知覚されない。それにもかかわらずわれわれが知覚している対象を「木」と認識することができるのは、「木」という全体が知覚された部分に内属しているからなのである。彼はまた次のような実例をあげている。一枚の布の一部分を引けば、布そのものが引きよせられる。壷の一部分を持てば、壷そのものが保持される。諸部分の総体、たとえば塵の山の一部を引いても、さし上げても、塵の山全体が引きよせられたり、さし上げられたりすることはない。このことからも、「布」や「壷」は、部分とは異なる単一の全体として、部分に内属していることが知られる。
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
参考:
 ①ヴァイシェーシカ学派の自然観
    http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/c/contents.htm
 ②全体と部分に関する仏教の論理の一例:「ミリンダ王の問い」
    http://www.manduuka.net/i/p/r/milinda/mi11.htm

 当時の人たちがどういう風に議論していたのか良く分かります。
 これらの議論は、納得できそうな部分と全く同意できそうもない部分があります。
 ヴァイシェーシカ学派の主張やナーガセーナ長老の主張にどう反論すればいいのでしょうか?

 また、般若経典を作成した大乗の人たちや竜樹はどう反論したのでしょう?

以下の説明は、服部正明著「認識と超越 <唯識>」(仏教の思想4 角川書店)より引用させていただきました。
服部先生の説明は、説一切有部のためのものでないのですが、「心」や「モノの実在」をめぐる論議に関する複数の学説・教理を比較してくれていて、その中に説一切有部も含まれているため、説一切有部の教理の特徴を掴みやすいと思い引用させていただきました。


①サーンキャ学派の主張
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
心を万物の発生してくる源とする思想は、個々の事象に応じて変化する心の根底にある心の本質をとらえているということができるであろう。・・・・・。知性的な最高存在から経験的世界にかかわるものとしての性格を払拭し去るこの傾向は、中期ウパニシャッドのころから次第に形成されたサーンキャ哲学体系にはっきりと示される。それは精神原理と物質原理とを明確に区別する二元論の哲学である。物質原理は原質(prakrti)または第一原因(pradhana)とよばれ、現象界のすべてはそれから開展する。さまざまの対象も、それを把捉する知覚器官や思考器官も、自我意識も、思惟機能(buddhi)も、みな原質から開展したものである。精神原理は原質とは本来無関係な純粋精神(purusa)であり、現象界を構成するすべてのものの原質からの展開をながめている傍観者である。通常の認識作用を行うのは思惟機能である。それは知覚器官や思考器官が受容した対象について思惟し決定する。本来的には、思惟機能は原質から開展した物質的なものであるから、それ自体で認識作用を行っているのではない。それは月が太陽の光を反射することによって闇を明るく照らし出すように、純粋精神の知性を反映して対象を認識しているにすぎない。純粋精神は対象の認識にたずさわることなく、ただ思惟機能の活動を意識するだけである。人が純粋精神を自覚するとき、原質から開展した一切は帰滅し、したがって思惟機能も止んで純粋精神が独立する状態に達する。それが輪廻からの解脱である。(p36-37)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

②説一切有部の主張
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
原始仏典の中に見られる心を最も根源的な存在とする思想は、説一切有部のアビダルマにおいては、サーンキャ哲学のように心を対象とのかかわりから切り離す方向に徹底させられなかった。有部の理論によると、すべての存在要素(ダルマ)は未来の領域から現在に生起してきて、次の瞬間には過去の領域へと去っていく。心もそのような存在要素であって、恒常不変の最高存在ではない。現在に生起する心は、視覚的認識(眼識)、聴覚的認識(耳識)など六種の認識のいずれか一つの様相をとり、必ず多種の心作用とあい伴っている。その心は、善と悪と、善でも悪でもない無記との三種に区別される。無記の心には、正しい知恵(心作用の一種)の発生を妨げる点で汚れているものと、純粋に無記で汚れていないものとがあり、前者が「有覆無記ウブクムキ」、後者が「無覆無記ムブクムキ」とよばれる。悪心と有覆無記心とが汚れた心、善心と無覆無記心とが清らかな心である。こういうさまざまの心が等無間縁トウムケンエン→増上果の関係で継起し、「心の流れ」を形成する。説一切有部は心をこのように瞬間的な、心作用を伴った、現象的なすがたにおいて把握した。たえず様相を変えながらつねに同一であるような心そのもの、現象的な心の根底にある心の本質という観念は有部のアビダルマに見出すことはできない。汚れた心と清らかな心とは、一つの流れを形成している別々の心であって、両者の間に現象と本質というような関係はない。汚れた心を清めるということは、修行の心の流れにおいて、煩悩とよばれる心作用とあい伴う心が生じなくなり、正しい知恵という心作用とあい伴う心が生ずるようになることである。(p38)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

③大衆部の主張
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
説一切有部のこのような学説とは明らかに異なって、心は本来清らかなものであり、汚れは偶然的に心に付着しただけであるという思想が、原始仏典の中に見られ、大衆部(Mahasamghika)の学説となり、大乗仏典において強調されるようになる。「増支部経典」に次のような仏説がある。

  比丘よ、この心は光り輝くものである。しかしそれは偶然的な煩悩によって汚されている。凡人はこの心のことを教えとして聞かず、真実に理解しない。それゆえに教えを聞かない凡人には心の修習がないと私は言うのである。比丘よ、この心は光り輝くものである。そしてそれは偶然的な煩悩から離脱している。貴い仏弟子はこの心のことを教えとして聞き、真実に理解する。それゆえに教えを聞く仏弟子には心の修習があると私は言うのである。

この経典の述べる思想が大衆部の教理となっていたことは「異部宗輪論」その他にしるされ、その教理に対する説一切有部の反駁は「大毘婆沙論」などに見いだされる。大衆部の学説は断片的に知られるのみで、それを体系的に理解するための資料はない。ともかく、現象的な心は汚れているが、その汚れは心に付着した偶然的な要素にすぎず、心の本性は清らかな、変異をこうむらないものである、というのが大衆部の見解であった。大衆部はまた唯識派の説くアーラヤ識と同様に、無限の過去から輪廻の続く限り継続する「根本識(mulavijnana)」の存在を認めたといわれるが、それと清らかな心の本性との関係は明らかではない。(p39)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

サーンキャ哲学は、ヨーガと深いかかわりを持つようです。説一切有部も大衆部も部派仏教ですから、当然解脱のための修行をしたはずです。
①②③のそれぞれの中に誰一人体験者がいなかったとは考えられないのだが、この三つの主張はそれぞれ全く異なる世界を覗いできたかのようです。
ただし、体験的に基づいて、①も②も③も、心が最も重要なものであることは認めている。
①は形而上学的な説明をし、②は分析的な説明を、③は体験をそのまま説明しているように思える。
三世実有・法体恒有とか刹那滅とか相続などの有部の考え方は他の二者と相当異なっていることは分かる。
現代なっても、未だ心の正体は明確でないのですから、当時(恐らく西暦前4~5世紀-西暦後5世紀)の知識の制約下で、有部のような分析を行っても、分析しきれるものではなかったでしょう。
③に引用されているアングッタラ・ニカーヤ(増支部)の記述は読み方によっていろいろに解釈可能な気がします。形而上学に深入りせず、体験を述べただけなのか、それとも、アートマンのような実体を示唆したものなのか。

仏陀滅後100年後? 部派仏教(上座部系と大衆部系)時代始まる。
 第二回結集(経典の再編集→経蔵・律蔵成立)
 アビダルマ論書始まる。
  「阿毘達磨発智論」カーティヤーヤニプトラ著。
 枝末分裂進む。

西暦前160頃 メナンドロスの北インド統治。
   ギリシャ哲学流入。

西暦前100頃 ミーマーンサー学派「ミーマーンサー・スートラ」。
   ヴァイシェーシカ学派。
西暦前後? 般若経などの大乗仏典成立。 
  「ヴァイシェーシカ・スートラ」。

100年頃 「阿毘達磨大毘婆沙論」(説一切有部の論書注釈)成立

200年頃 竜樹(ナーガールジュナ)の「中論」など成立。
   ニヤーヤ学派。「ニヤーヤ・スートラ」。

300~400頃 中期大乗仏教。「大般涅槃経(大乗系)」「解深密教」。
  ブッダゴーサ「清浄道論(ヴィスッディマッガ」。
  ナーランダー僧院。
  弥勒(マイトレーヤ)「喩伽師地論」など。無着が続く。
  サーンキャ学派の綱要書「サーンキャ・カーリカー」。
  世親(ヴァスバンドー)「阿毘達磨倶舎論」(本論の注で経量部の立場示す)
  説一切有部のサンガバドラ「阿毘達磨順正理論」。
  ヴァスバンドー「唯識二十論」などで唯識派に移る。
  「ヨーガ・スートラ」。
500頃 ディグナーガ、仏教論理学(印明)。
  中観派分裂(帰謬論証派と自立論証派)。
  ブッダパーリタ、パヴィヤ(バーヴァヴィエーカ)、アスヴァバーヴァ、スティラマティ、ダルマパーラ、パラマールタなど。
600頃 チャンドラキールティ。
  チベットに仏教伝わる。
  玄奘、インド旅行。
  経量喩伽派。
  ダルマキールティ。
  義浄、インド旅行。
700頃 喩伽行中観派(中観喩伽派)。
  シャーンタラクシタ、カマラシーラ、ハリバドラ。
  チベットでカマラシーラと中国禅僧、論争。
900頃 密教隆盛。
1203年 ヴィクラマシー寺院焼け落ちる。インド仏教急速に衰亡。

 一時期インド仏教で最有力であった説一切有部に代わってインド部派仏教を代表したのが、経量部Sautrantikaだそうですが、経量部は、「経典のみを典拠とし、有部の所説を批判的に改め、色法のうちの四大のみと心との実有を説き、心所有法・心不相応行法・無為の実有を否認した。心所有法などは人間の想定したものであって、実在するものではない、という。また、経量部は現在実有・過未無体(現在のみが実在であり、過去と未来は存在しない)という説を唱えた。」そうです。
 では、説一切有部はどのように法(ダルマ)が恒有である、過去・未来・現在に実有であると説明したのでしょうか。出典名は記録しておかなかったため不明です。申しわけありません。出典名を明示せず引用させていただきます。

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<説一切有部  恒有の意義>

1.三世の区別の成立

 有部の根本思想はシナ、日本では昔から「三世実有、法体恒有」とまとめられているが、これはきわめて不明瞭な表現であるから、「てにをは」を補えば「三世において実有なる法体(法そのもの)が恒に有る」という意味である。
 過去・現在・未来の三世において有るならば、三世の区別はいかにして成立するか、という問題に関して、「大毘婆沙論」ではダルマトラータ(法救)、ゴーシャカ(妙音)、ヴァスミトラ(世友)、ブッダデーヴァ(覚天)という四人の学者の間に異説のあったことを伝えているが、「大毘婆沙論」「雑阿毘曇心論」「倶舎論」などによれば、第三のヴァスミトラの「位の不同」によると解する説が正統説(正義)であるとされている。すなわち作用の異なるにしたがって三世の区別が立てられる、という説である。
 なお「倶舎論」では尊者ダルマトラータの「類の不同」という説はサーンキャ説に類似しているといって斥けられているが、サンガバドラによればその説もけっして有部の正統説と矛盾せず、ヴァスミトラの説と同趣意であるという。「大毘婆沙論」からみても、元来有部はサーンキャ説のような現象的存在の本質の変化である自体転変を否定しているが、はたらきによる変化である作用転変または可能力による変化である功能転変クノウテンペンは承認している。
 したがって、ダルマトラータの説が、作用転変または功能転変の意味ならば、サンガバドラのいうようにかならずしも排斥する必要はないであろう。ようするに有部としてはヴァスミトラの説を正統説とし、ダルマトラータの説をこれと同趣意に解してよいかどうかに関しては後世の諸学者の間に二説があったのであろう。
 ただいずれの説についてもいえることであるが、ここではもろもろの事象の生起および消滅を意識の流れにおいてとらえているのであって、輪廻の問題からは切り離されている。ここではもろもろの法が時間的様態において存すると考えられているのである。

2.三世においての恒有

 次にしからばなにゆえに三世において恒有であるかという理由に関しては、有部の諸論書に種々説明されている。これを根拠づけて主張しているのはおそらく「識身足論」が最初であろう。同論巻一では、マウドガリヤーヤナ(目乾連)が唱えた、過去と未来とは無であり現在と無為とは有であるという説を、ほぼ九節に分けて排斥している。そのうち種々の理由によって「三世実有法体恒有」を主張している(「大毘婆沙論」第七十六巻、「倶舎論」第二十巻、「順正理論」第五十巻、「顕宗論」第二十六巻など)。いまその理由をいちいち検討する余裕はないが、それぞれの理由に共通な根本的論拠は次のようにまとめられると思う。
 すでに述べたように法とはわれわれが経験的に知覚するものではなく、したがって自然的存在ではなく、自然的存在を可能ならしめている「ありかた」である。自然的存在としてのものは現在一瞬間でなくなってしまうが、われわれの意識において志向されているありかたは決してなくならない。すなわち「かた」としての純粋の法が先になくて後にあり、先にあって後になくなるということはありえない。自然的存在は過去未来においては存在しないが、「法」は三世において存する、という意味であろうと思われる。
 このように解釈すれば、「三世実有法体恒有」の証明のために用いられているあらゆる論拠をことごとく説明しうると思うが、いまここでは余裕がないので省略しておく。
 「三世に実有である」ということに関して日本では古来、体滅説と用滅説とが行なわれた。両派ともにそれぞれ有部の論書から典拠を集めてきて論じているが、これは「体」という文字の解釈いかんによる。漢字の「体」のインド原語は一定していないので、多義的解釈を可能ならしめる。「体」を抽象的一般的な「ありかた」「本質」と解するなら、それは滅びないが、時間的制約を受けているのものであるならば滅びざるをえない。ともかく体滅説も用滅説も有部の思想の一面をとらえているということが出来るであろう。
 ところで経量部は、有部の「三世実有」説を批判して、現在実有・過未無体(現在のみが実在であり、過去と未来は存在しない)という説を唱えた。すなわち現在のみが存在するものであり、過去も未来も現在を出発点として考えられるものである。かつて実在したものを過去といい、後に実在しうべきものを未来というのだと考えた。
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 私は、「三世実有・法体恒有」という説に囚われることなく自由に考えられるが、かつて、仏教教理の伝来を受けて研究に従事した日本の学僧たちは大変であったろうと思う。
 体滅説とか用滅説とかいう用語は初めてお目にかかったが、日本の学僧は発信地インドの事情を知らないままに与えられた経典・論書だけで研究するのだから、その困難さは想像にあまりある。
 「すでに述べたように法とはわれわれが経験的に知覚するものではなく、したがって自然的存在ではなく、自然的存在を可能ならしめている『ありかた』である。自然的存在としてのものは現在一瞬間でなくなってしまうが、われわれの意識において志向されているありかたは決してなくならない。」という解釈の立場があるように、説一切有部の法の概念そのモノが一種の解釈なのですから、これを確固たる真理であると受け取って研究するとなると、これはもう想像を絶する難行苦行でしょう。
 「法(ダルマ)」とは何かという問題の立て方ではなく、説一切有部がどうして「法(ダルマ)」の概念を立てたのか、それは妥当なのか、...という問題の立て方をしない限り底なし沼に沈んでいってしまうような気がします。
 研究するためには、歴史の縦糸横糸を縦横に手繰り寄せ解きほぐしていく必要があるでしょう。気の遠くなるような作業です。学者や研究者の先生方のご努力に深い敬意を表します。

 この説明は、説一切有部などの部派仏教の実践法すなわち解脱に至る道を説明しています。
 この説明の中で、簡単に説一切有部が抱えていた問題点が指摘され、その問題点を突くことで大乗仏教が現れたことを指摘しています。


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<説一切有部  実践論>

 説一切有部などの思想によると、衆生は煩悩(または惑)に束縛されているために、それに促されてもろもろの行為をなし、身・口・意の三業をつくり、その果報として苦を享受している(惑・業・苦の三道)。身業と口業とには、それぞれ表業(外に表れて他人に知られる業)と無表業(外に表れることなく他人に知られない業)とがあるが、意業は無表業のみである。
 われわれの迷いの結果として現れている世界は、有情世間(生けるもの)と器世間キセケン(物理的自然世界)とに分かれる。有情世間はわれわれの身心であり、正報(過去の業の直接の報い)である。器世間は生けるものどものおさめられている外的環境であり、われわれのよりどころである。それは依報(過去の業の報いとして与えられているよりどころ)である。
 生存する者各自のすがたは各自の業のもたらしたものであるが、物理的自然世界もまた多数の生存者の過去の業が重なり積もった結果として作りだされたものである(共業所感グウゴウショカン)と考えた。器世間は成・住・壊・空ジョウ・ジュウ・エ・クウの四劫によって循環する。すなわち物理的自然世界は、成立し、存続し、破壊され、空無に帰するという四つの長い時期kalpa(劫)を経過し、そののちまた空無の中から成立しまた四つの時期を経過し、この過程を無限に繰り返すというのである。
 生類は生有・本有・死有・中有という四種の存在状態をもち、十二因縁の次第によって輪廻転生する。生存の範囲は欲界・色界・無色界の三界にわたっている。
 さて、この苦しみの生存から離脱するためには煩悩が起らないようにしなければならない。もろもろの煩悩のはたらきが起るのは、もろもろの法がはたらいて、その作用が現れているからである。ゆえにもろもろの法のはたらきを静止させなければならないが、そのためには一切の欲望を制し、執着を離れ、戒律を守り、禅定を修して、そのうえでもろもろの法の自体を観じてもろもろの法の真相に通達しなければならない。
 有部の学者は、法の真相を観ずる智慧には特殊なすぐれた力があると考えた。しかし、実在する法を滅することがいかにして可能であるかということは、依然として大きな難点であり、この難点をついて空観が現われ出たのである。また禅定に関しては生得と修得との別があり、それぞれに四禅と四無色定との区別が立てられている。
 修行の究極の境地に達した人は阿羅漢arhatと呼ばれる。その究極の境地を阿羅漢果と称する。「阿羅漢」とは、「尊敬さるべき人」という語義であり、一切の煩悩を断じた人であるが、肉体の存する限りはまだ完全な状態に達していない(有余涅槃ウヨネハン)。肉体的生命のなくなったときに、身心がすっかり滅びて完全な解脱の状態に到達する(無余涅槃ムヨ)。ところで、そこに到達するためには幾生涯にわたって修行を続けなければならない。その過程として多数の修行の階梯が立てられた。
  1.賢位
    ①三賢---五停心・別相念住・総相念住
    ②四善根---煖ダン・頂・忍・世第一法
  2.聖位
    ①有学---預流・一来・不還
    ②無学(=阿羅漢)
 このような実践論は結局、積極的な活動を制止し、心を寂静に帰することを目的とする。そのためには、山林あるいは僧院の中に隠棲して、能うかぎり他人との交渉を断たねばならない。そのような生活態度は単に自己一身の利をはかるものにすぎない。そこには利他的活動が欠如している。大乗仏教はこの点を激しく非難した。大乗的と小乗的との区別もここから出てくるのである。
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大乗仏教が部派仏教の何を批判して自分たちの立場を固めたのかという疑問に対する答えが二つ示されています。

①「有部の学者は、法の真相を観ずる智慧には特殊なすぐれた力があると考えた。しかし、実在する法を滅することがいかにして可能であるかということは、依然として大きな難点であり、この難点をついて空観が現われ出たのである。」
②「このような実践論は結局、積極的な活動を制止し、心を寂静に帰することを目的とする。そのためには、山林あるいは僧院の中に隠棲して、能うかぎり他人との交渉を断たねばならない。そのような生活態度は単に自己一身の利をはかるものにすぎない。そこには利他的活動が欠如している。大乗仏教はこの点を激しく非難した。大乗的と小乗的との区別もここから出てくるのである。」

①は純理論の問題であるから、本質的な問題であり、説一切有部はこの難問を明解に説明できなければ他派に席を譲る他なくなるでしょう。ただし、この問題を他派が解決するのも難しいことでしょう。法を滅するのは、解脱・涅槃達成のためですが、有部以外の誰が問題解決を目指そうとも、解脱・涅槃とは何かという難問が立ちはだかるからです。現在、上座部仏教、大乗仏教がいろいろなセクトに分派して並立していますし、修行法も多種多様主張されています。これが解脱・涅槃とは何かという問題の難しさを証明していると思います。
②は、価値観の問題であるから、二者並立があり得ると思います。現に、部派仏教の伝統を引き継いだ南方上座部仏教(テーラヴァーダ仏教)は、南アジア・東南アジアで今も盛んであるし、日本にも次第に浸透してきています。また、この非難は、単に説一切有部の学僧たちの学究や修行に対する姿勢だけを糾弾しているのではなく、丁度日本の奈良・平安を絶頂期とする巨大な仏教教団組織のあり方に通じる部派仏教のあり方、その世俗性に対する批判もあったような気がします。部派によっては、莫大な資産を保有し、それこそ托鉢などせずとも、使用人に田畑を耕作させ、衣食住の世話を任せ、ひどい場合は高利貸にまで成り下がって資産を増やしたとされ、自分たちはただひたすら研究・修行に専心できたようです。

小乗という名称は不適切であり、現在は使用しないのですが、このテキストは歴史的経過を述べるために歴史的な用語法に従ったまでであると思います。

大乗仏教側の批判については①②の他に同じ本に、説一切有部の主張する法(ダルマ)の実在する(本体である)という主張の難点を突いて「空」を主張できたことに触れて以下のように述べています。

③「ところで、男または女というのは仮有であり、個人存在は和合有であるという思惟は、重大な問題を提供する。ここでは「われ」と「汝」の対立は無視されている。そうして人間が「ひと」であるかぎり、男か女かである。人間生活にとってもっとも重要な問題、―-それが撥無されているのである。
 説一切有部の学僧たちは、ただダルマの実存だけを問題としていた。これらのダルマの実在性を否定するならば、ただちに大乗仏教の空観に入ってしまうのである。」(当ブログ所収「説一切有部の所説を理解するために 参考論説②有について」)

著者が指摘しているのは、説一切有部が分析にのめり込み過ぎて、肝心の生きている人、苦楽の渦中にいる人を置き去りにして、理論の整合性ばかりに熱中しすぎたということなのでしょうか。

 以下のテキストは、以前、説一切有部を勉強した時に入力しておいた本の引用です。(申し訳ないのですが出典名を忘れました)
 説一切有部の名称は、一切が有るというこの部派の主張に由来するそうですが、現在一切が有るといきなり言われれば、一切のものがある、すなわち、宇宙にある一切のものを構成するものの実在を考えると思います。
 自分を考えると、自分の身体は確かに存在する・実在すると感じられます。
 ところが、説一切有部は私たちが実在する・有ると考えているもののほとんどを実在するものとは考えなかったようです。
 普通実在する・有ると思っているもので説一切有部が有ると認めなかったものを挙げています。
 

     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
<説一切有部  実有  「有」の分類と意味>

 このように「実有」とは「有sat」という類genusの中のあるひとつの種speciesであり、「有」よりも外延は狭いが内包は豊かである。この類である「有」という概念は、範疇の範疇とでもいうべきもので、他の概念によって解釈することはできるかもしれないが、定義することのできない性質のものである。ゆえに「実有」の意味は「実dravya」の分析から得られる。
 実有が「有」の他の種と対立しているという事実に注目するならば、さらに多くの規定が得られる。「有」の他の種のもつ内容の否定、すなわち他の「有」との種差が実有の内容である。いま、上に引用したところの「有」に関する種々の説を要約すれば、次のようになる。
 まず第一に、実有は、男、女、瓶、衣、車乗、軍、林、舎などの仮有ケウまたは施設有セセツウから区別される。すなわち瓶とか車とか言うような自然的存在は実有ではなくて仮有である。これに反して、「随触を領納すること一般」「像をとること一般」という「ありかた」としての「受」「想」のごとき法のみが実有であるとされている。実有とは法に関してのみいいうることであるから、有部は法の実在を説いたのであって、自然的存在の実在は説かなかった。したがってローゼンベルク、つづいて和辻博士が主張されるように、有部は単なる実在論ではなく、むしろ観念論的傾向さえもそなえているというのは一面の真理である。
 第二に、実有は相待有ソウタイウと区別される。相待有とは「長」と「短」、あるいは「これ」と「かれ」とのようにたがいに相関関係において存する「有」をいう。すなわち甲は乙に待するときには「有」であるが、丙に待するときには「無」である場合、たとえば具体的にいえば、甲は乙に待すれば「長」であるが、丙に待すれば長ではなく、短である場合のごときをさしている。
 なお、『大毘婆沙論』に紹介されている「和合有」とは「此処にありては有なれども彼処にありては無なるを謂う』とあるから、これは相待有をとくに空間的に限定した場合であり、「時分有」とは『此の時分には有なるも彼の時分には無なるを謂う』とあるから、これは相待有をとくに時間的に限定した場合であり、結局論理的には相待有の中に含められる。また『阿毘達磨順正理論』に紹介されている「因性有」とはこの「相待有」の同意義である。
 この相待有の概念は中観派の主張と密接な関係があうから、のちに考察するが、相待有に対する有部の批判をみると、サンガバドラは、相待有というのもけっきょくは実有と仮有との二つのなかに含まれてしまうし、また経典に「唯だ二有のみあり」と説かれているから、そのほかに相待有を立てる必要はない、といって排斥している。
 有部によれば、法はそれぞれ「それ自身の本質をもつ」がゆえに法として成立するのであり、その本質を「もの」として実体化したのであるから、法と法とはまったく別の実体とみなされている。すなわち『唯だ自性を摂して、他性を摂せず』であり、「此は彼と離れ」「他性と恒に相離れ」ているのである(倶舎論第一巻)。『中論』についてみても、『<それ自体>(自性)は<つくり出されたのではないもの>(無所作のもの)であって、他のものに依存しないものだからである。』(中論第十五章・第二頌)とあるように、本性は他に相待せずparanirapeksa、他に依存せずに成就しているものanapeksya siddhaであり、そうしてすでに述べたように法は本性と異なるものではないから、したがって「もろもろの法はそれぞれ別のものである」(法々別体)と説くのである。
 第三に、実有は「名有」と区別されねばならない。名有とは亀の毛、石女ウマズメの児などのような、それ自身に矛盾を内含し、自然的存在の領域においてその対象を見出しえない概念である。ところが実有とはこれに反して、自然的存在の領域において有りうる存在のありかたとしての「法」に関してのみいいうる。
 第四に、実有はプドガラpudgala(補特伽羅)すなわち連続した個人存在のような和合有と区別される。有部はプドガラの実有を認めなかった。個体を構成する五つのあつまり(五蘊)の和合を仮りに施設してプドガラとみなすにすぎないという。実有とは法に関してのみいわれることであり、プドガラは法ではないから、実有とはいわれない。
 なお『阿毘達磨順正理論』には「成就有ジョウジュユウ」と「縁合有」との二つに言及している。この二つは詳細は不明であるが、経に「…有りasti」とある場合の特殊な一例に名づけたのであり、「実有」と対立する哲学的な概念ではないからここでは省略する。
 以上を要約すれば次のようにいいうる。
 第一、実有とは、時間的空間的規定を受けている自然的存在を可能ならしめる「かた」としての法に関してのみいわれうる。この点で自然的存在たる「仮有」と区別されるし、また自然的存在の中に対象を見出しえない「名有」とも区別されるし、また実有なる五つのあつまり(五蘊)の仮りの和合に名づけたところのプドガラなる「和合有」とも区別される。
 第二、法は自然的存在の「ありかた」であるがゆえに、他に依存せず、独立している。したがって実有は「相待有」と区別される。有部は実有なる概念をさらに分類して詳細に説明しているが、いまは本質的な問題を検討しただけにとどめておく。
 ところで、男または女というのは仮有であり、個人存在は和合有であるという思惟は、重大な問題を提供する。ここでは「われ」と「汝」の対立は無視されている。そうして人間が「ひと」であるかぎり、男か女かである。人間生活にとってもっとも重要な問題、―-それが撥無されているのである。
 説一切有部の学僧たちは、ただダルマの実存だけを問題としていた。これらのダルマの実在性を否定するならば、ただちに大乗仏教の空観に入ってしまうのである。
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説一切有部の五位七十五法の一覧です。


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<説一切有部 五位七十五法>

 説一切有部によると、実体としての個人というものは存在しない。真に存在するものは、個人を構成しているもろもろのダルマdharmaと呼ばれる要素―その大部分は心理現象である―だけである。個人pudgalaというものは、もろもろのダルマによって仮に構成されている虚構にすぎない。その構成要素は七十五種あり、それは大きく二つに区別される。その一は、つくり出されるもの(有為法)、その二は、つくりだされないもの(無為法)。

(一) 有為法samskrta-dharmah---創りだされるものとは、変化するものとなって現われ出る諸要素のこと。

1.色法rupani---物質的なもの。場所を占有して他のものを入らせない性質を持っている。

   ①眼根caksur-indriya---視覚器官
   ②耳根srotra-indriya---聴覚
   ③鼻根gharana-indriya---嗅覚
   ④舌根jihva-indriya---味覚
   ⑤身根kaya-indriya---触覚。触覚は身体全体にわたって存在するので、身体による器官とする。
   ⑥色境rupa-visaya---いろかたち、眼に対応するもの
   ⑦声境sabda-visaya---音声、聴覚に対応するもの
   ⑧香境gandha-visaya---香り、嗅覚に対応するもの
   ⑨味境rasa-visaya---味、味覚に対応するもの
   ⑩触境sparsa-visaya---触れられるもの、触角に対応するもの
   ⑪無表色avijnapti---表示されることのない物質、感覚器官では知覚されない特殊な物質。善悪の行為が心に潜在的影響を残し、未来に報いを生ずる、そのための媒体となるもの。

2.心法cittam---人間の精神作用の中心となる機能。心・意・識は、同一の機能を指す。

3.心所有法citta-samprayukta-samskarah---心作用。心と結びついている精神作用。心理現象のこと。これらは心と結びついてはいるが、心とは別のダルマであり、それぞれの精神作用が個人を構成する独立の要素となっている。個々の精神作用は心の属性でもないし、また、心の現象でもない。

   ①遍大地法mahabhumikah[dharmah]---あまねくゆきわたる心作用、意識のいかなる瞬間にも現存するはたらき。
      (1)受vedana---感受の働き。快感・不快感・快でも不快でもないの三種。
      (2)想samjna---表象作用。対象の特殊な特徴を把握すること。
      (3)思cetana---意志作用。心を起動させる働き。
      (4)触sparsa---接触作用。感官と対象と心の三つが合すること。根境識の和合。
      (5)欲chanda---欲望の働き。行為主体が何ものかを欲すること。
      (6)慧mati---知慧。もろもろのダルマを区別して知る知恵。これがやがて解脱をもたらす。
      (7)念smrti---記憶。ぼうっとしないではっきり思い続けること。
      (8)作意manaskara---注意。気をつけること。
      (9)勝解adhimoksa---明確に認めること。対象を確認すること。
     (10)三摩地samadhi---精神統一。心の統一作用で、精神を一点に集中し続けること。三昧。
   ②大善地法kusala-mahabhumikah---心が善である場合に常に現存する心作用。
      (1)信sradha---心の澄みきって喜びに充ちている状態。教えを説かれたままに認めること。仏教では、信仰が最も重要なものではなくて、信はさとりを得るための入り口なのである。
      (2)勤virya---勇気。努め励み、善の行為をなすための勇気。
      (3)捨upeksa---心の平静。心が落ち着いて乱されないこと。
      (4)慚ザンhri---慚じること。自ら自分を省みて恥じること。
      (5)愧apatrapa---愧じること。他人の悪行をみて、嫌悪を感じて愧じること。
      (6)無貪alobha---貪りのないこと。
      (7)無瞋advesa---怒らないこと。怒り、憎しみのないこと。
      (8)不害ahimsa---不傷害。他人を傷つけ、悩まさないこと。
      (9)軽安prasrabdhi---軽やかさ。心が軽やかで快適なこと。
     (10)不放逸apramada---不怠惰。怠けないで、善い性質を体得しようと努めること。
   ③大煩悩地法klesa-mahabhumikah---あまねく煩悩にゆきわたる心作用。煩悩が起こったとき常に現存する心作用。
      (1)無明moha---無知、迷い。知慧の反対、すなわち、迷いの生存の根源。
      (2)放逸pramada---怠惰。なおざり。善の実行を怠けること。不怠惰の反対。
      (3)懈怠kausidya---勇み立たぬこと。勇気のないこと。勇気の反対。
      (4)不信asraddhya---心のにごり汚れていること。信の反対。
      (5)こん(リッシンベンに昏)沈styana---身心の物憂いこと。善を行なうのに軽やかでないこと。
      (6)掉挙ジョウコauddhatya---心が浮つくこと。心が静まらないで軽躁であること。
   ④大不善地法akusala-mahabhumikah---悪心にあまねく存する心作用。善の反対の悪、悪心が起こったときに常に存する心作用。
      (1)無慚ahrikya---慚じないこと。慚じることの反対。
      (2)無愧anapatrapya---愧じないこと。愧じることの反対。
   ⑤小煩悩地法upaklesa-bhumikah---付随的な煩悩にともなって起る心作用。これらの心作用は、悪心および有覆無記心ウブクムキシン(善でも悪でもないが、煩悩に覆われている心)に結びついて起り、それぞれ別々に現われる。
      (1)忿krodha---いかり。心に憤りを起こすこと。
      (2)覆mraksa---みずからの罪を隠すこと。
      (3)慳matsarya---ものおしみ。他人に教えを授けるのを惜しみ、財を与えることを惜しみ、など。
      (4)嫉irsya---ねたみ。嫉妬。他人の幸運、繁栄を喜ばないこと。
      (5)悩pradasa---かくたくなに悪事に固執すること。他人の道理にかなった諫言を容れられない。悪事に執着して心身をを悩ます。
      (6)害vihimsa---害すること。この心作用が起ると、他人を殴打し罵ったりする。
      (7)恨upanaha---恨み。忿りの対象となることを思い起こして怨みを結ぶ。
      (8)誑(タブラかす)maya---欺く。だます。
      (9)諂テンsathya---心が曲がっていて、自分をあるがままに顕わさず、偽り、つくろったり、手段を弄したりして、誤魔化すこと。
     (10)きょう(リッシンベン+喬)mada---驕り高ぶること。
   ⑥不定地法aniyata-bhumikah---いずれの心作用とも結合しうる心作用。
      (1)悪作kaukrtya---後悔。後で後悔すること。
      (2)睡眠middha---放心させる働き。心をぼおっとさせる働き。
      (3)尋vitarka---粗雑な思考作用。
      (4)伺vicara---微細な思考作用。
      (5)貪raga---快適なものを貪り愛すること。
      (6)瞋pratigha---嫌悪。不快なものを嫌う。他のものを恨み嫌う。
      (7)慢mana---慢心。自分が高く構えて、自分が他人より優れていると思いなすこと。
      (8)疑vicikitsa---疑い。疑うということは、善い場合も悪い場合もある。だから不定。

4.心不相応行法citta-viprayukta-samskarah---心と結びつかない要素。物質でもなく、心作用でもない原理(ダルマ)。

   ①得prapti---もろもろのダルマを身に得させるダルマ。人が修養をして心を清め澄ませるというような善い性質を身に体得する場合には、この得させるという原理が働くと言うのである。
   ②非得aprapti---前述と反対。もろもろのダルマを身から離れさせるダルマ。人が善い性質を体得しない時は、この得させないという原理が働いているとする。
   ③同分sabhagata---生きものの同類性。犬なら犬が、同類の生物として生まれ育つのは、そこに、生きものの同類性という原理が働くからと考える。
   ④無想果asamjnika---外道のニルヴァーナ。無想天という境地に生まれること。
   ⑤無想定asamjni-samapatti---外道の瞑想法。外道が無想果を得るための瞑想。そこにおいては、心も心の働きも全くなくなる。
   ⑥滅尽定mirodha-samapatti---聖者がしばらく休息するために入る無心の精神統一(禅定)。個々では心や心の働きを全く滅し尽くしている。
   ⑦命根jivita---生命原理。寿命。生きものがいきているかぎり、そこに生命原理が働いている。それは、体温と意識作用のよりどころとなっている。
   ⑧生jati---⑧から⑪までは、四有為相。生は、ものを生ぜしめる原理。
   ⑨住sthiti---ものをとどまらせる原理。
   ⑩異jara---ものを変化させ、衰えさせる原理。
   ⑪滅anityata---ものを滅びさせる原理。
   ⑫名身nama-kaya---以下三つは、言語表現の要素。名身は、名称の集合。概念自体。
   ⑬句身pada-kaya---文章の集合。命題自体。
   ⑭文身vyanjana-kaya---音節の集合。字母自体。

(二)無為法asamskrta-dharmah---創られたものではない原理。変化することのない原理。

   ①虚空無為akasa---場所一般。もろもろのダルマが現われるためには、それらに妨げを与えない場所の存在が前提される。
   ②択滅無為pratisamkhya-nirodha---正智の明確に知る力による消滅。われわれが正智に達すると、その明確に知る力(簡択力ケンチャクリョク)によって、ひとつひとつのダルマの本性を知ると、その「知る」働きの不思議な力により、個々のダルマが起らなくなる。そうしてすべてのダルマが消滅すると、やがてニルヴァーナに達する。
   ③非択滅無為apratisamkhya-nirodha---明確に知る力によるのではない消滅。あらゆるものごとは因縁によって生ずるのであるが、生ぜしめる縁が欠けると、もろもろのダルマも生じないで滅びてしまう。この消滅そのものを実体視して、こう呼んでいるのである。それは明確に知る力によって消滅するのではないから、「非択滅」とよぶ。簡単にいえば、ものや現象がひとりでになくなることである。
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説一切有部の教理を考えるシリーズの、③説一切有部の教理における「涅槃」、で引用させていただいたように、桜部先生の説明では、阿羅漢(アルハト、アラハット)となり、涅槃の境地に至るためには、
「一つ一つの煩悩が無漏の知恵によって断たれ離繋される(煩悩の拘束から解放される)ごとに、『択滅』という無為のダルマが一つ一つ、その有情の相続と結びつけられる、と考えるのである。こうして一つ一つの煩悩を断ち切って一つ一つの涅槃を得てゆき、ついにすべての煩悩が断ち尽くされたのを般涅槃ハツネハン、すなわち完全な涅槃という。」
とされています。
そのための修行過程は、見道・修道・無学道の三道であるが、実際的な修行は、見道と修道の二道であるとされます。
従って、修道は修行の最終段階ということになります。

桜部先生の本より引用をさせていただきます。出典はこれまでと同じ本です。


     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 (見道において八十八の煩悩を断ち切る方法と比較して)修所断の煩悩の場合はまったくこれと異なる。これは情・意の面での煩悩であるから、単にその不当なことを理性の上で了解しただけではそれを離れることにならない。ここでは知ることと断つことは別である。わかっていてなおやめられないというのが、情・意の面で起こる煩悩に共通な性格である。そこでそれを断ち捨てるには、三昧を修め四諦の真理の観知をくり返し行うことによって、倦まずたゆまず心を養い高めて、断ちがたい煩悩を徐々に断ち切ってゆかねばならない。
 修所断の煩悩は、先に図示したように、三界に分かって十種であるが、見所断の煩悩と違って情意的な煩悩はその一個一個を弁別して断ち切ってゆくというわけにはいかないので、煩悩の種類によっては差別を立てない。ただ、その力の強弱によって上上・上中・上下・~下上・下中・下下の九種(九品クホン)に分ける。また、色・無色の二界に属する煩悩はそれぞれさらに次下に述べるような四段階に分けられるから、それによって八段階の区別が立てられ、その上に欲界と合わせて三界において合計九段階(九地クジ)に分けられることになる。結局、九品・九地によってすべての修所断の煩悩を八十一に分類するのである。・・・。修所断の煩悩を断ち切る順序は、欲界の上上の煩悩から始めて下下の煩悩に至り、次に色界初禅地の上上の煩悩に進むというようにして、最後に無色界非想非々想処地の下下の煩悩に至るのである。
 色界と無色界とをそれぞれさらに四段階ずつに分けることは、いずれももともと三昧に入ったときの精神的境地に深浅の差別を立てたのによるのである。色界において初禅から第四禅までの四つの段階的境地(四禅)を立て、無色界において空無辺処から非想非々想処までの四つの段階的境地(四無色定)を立てる。この二組みのものは、ともに三昧の境地を示す名称として、アーガマにもしばしば現れる。しかし二組は本来相互に関係のないものであったし、それらと欲・色・無色の三界説ともまた関係のないものであった。それがいつか「四禅」と色界とが、「四無色定」と無色界とが、固く結びついて、三界九地の説が成立したのである。説一切有部アビダルマはことにその学説の中に三界説を重要なものとして取り入れているので、その煩悩論にも、修道論にも、世界論にも、この三界の分類が密接に関連して議論をすこぶる複雑にしている。
 まず初禅と呼ばれる三昧の境地においては、心は(もちろん「定」の心作用と倶生するがそのほかに)「尋(推究的な粗大な心の動き)」と「伺(観察的な微細な心の動き)」の心作用を伴い、肉体的な快さと精神的な快さとの両感受がある。初禅から進んで第二禅の境地に入ると、「尋」も「伺」もはたらかなくなるが、三昧から生ずる肉体的・精神的な快さは感じられ、心のきよらかさが増す。さらに三昧の境地が深まって第三禅に進むと、もはや絶妙な「楽」の感受だけがあり、第四禅に入ればそれすらもなくなって、心はなにものにも乱されずただ動揺のないきよらかさだけがあるという。だからこれは明らかにしだいに深まってゆく三昧の段階を示したものなのである。ところが四禅説が宇宙論と結びつくと、・・・。またこの四禅説が修道論に結びつくと、そこに、四階層のそれぞれに属する煩悩とその滅却が考えられることになった。いずれも修行者の三昧の体験とアビダルマの分析的学風との結合の所産にほかならない。
 四無色定についても、・・・。そしてそれぞれの階層に属する煩悩があり、その断滅があるという。
 このように、説一切有部アビダルマの中では、無色界の四無色定地と色界の四禅地と欲界地という三界・九地の段階的分析が煩悩の種類や質の分析と重なって、修行の道についての論議を形式的に整えてはいるけれどもいたずらに複雑なものにしているのである。(p130-133)
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


 「修所断の煩悩を断ち切る順序は、欲界の上上の煩悩から始めて下下の煩悩に至り、次に色界初禅地の上上の煩悩に進むというようにして、最後に無色界非想非々想処地の下下の煩悩に至るのである。」という風に説明されているように、順序良く一段階、一段階煩悩を断ち切ってゆくようです。
 
 参考資料:「倶舎論の原典研究 智品・定品」(桜部建、小谷信千代、本庄良文共著 大蔵出版)の序文の一部を引用させていただきます。

     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 実践の道を戒→定→慧の進み行きによって説く代表的論書に南伝の「ヴィスッディマッガ」がある。この論では戒の清浄・定の清浄・慧の清浄という三つの清浄(visuddhi)の次第をもって全篇の実践論が構成されている。それに比して「倶舎論」の場合、第六章に説かれる実践道のプロセスの中で順解脱分が戒→定に当たり、順決択分が定→慧に当たり、そして聖道(見・修・無学道)は慧によって解脱に至ることを示す、と一応理解することはできようが、「ヴィスッディマッガ」ほどはっきりした戒→定→慧の形をとっていない。それは、説一切有部の説く「道」論が、無漏の慧による煩悩の断滅という一点に強く収斂されているからである、と思われる。
 「道」は有為にして無漏であるから、実質として、それは無漏の慧とそれに相応する心・心所(およびそれと倶起する心不相応行・無表業)に尽きる。つまり、道の本質は慧にほかならない、と言える(もっとも「ヴィスッディマッガ」においても、蘊処界等は慧の「地bhumi」であり、戒の清浄・定の清浄は慧の「根mula」であり、慧の清浄は慧の「体sarira」である、と説かれる(vism、p.443)から、慧をもって道の実質と見る考え方はそこに見られる)。
 慧は諸法の知的弁別(pravicaya=pratisamkhya)であり、それこそが煩悩を静めるためのすぐれた手だてである。いっぽう、涅槃とは煩悩の断により苦の断を得ることであるといい、涅槃はすべての苦の静まりであるという。涅槃、すなわち滅、とは苦の静まり、煩悩の静まり、であり、それは無漏の慧による苦の断、煩悩の断(「断」とは、煩悩法と行者の相続santatiとの繋がりの断ち切り、)がもたらすところである。ただ、その滅(慧による滅、すなわち択滅)を、単なる(煩悩)法の不生起(行者の相続の上に続いてその法の生起することはもはや無くなったこと)でるとは見ず、いちいちの煩悩法の不生起が契機となって行者の上にあらわれるところの「離繋」(繋縛からの離脱)なる無為の別法(dravyantara)であると捉える所に、説一切有部独特の理解がある。
     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

準備的段階の終点は、「ついに修行者は無漏の知恵を起こすことを得」ることだと、桜部先生が説明しております。無漏の知恵とは、ルアンポル・ティエン師が説く「Panna」に相当すると思います。ルアンポル・ティエン師によれば、Pannaが生じると、それによってありのままの真実を見ることができるのだそうです。ありのままの真実とは、大乗で言う「空」だと考えて良いと思います。(興味がある方は、目次にある「自己への気づき手引書」のpart twoをお読みください。説一切有部のこみいった説明と正反対の読みやすい説明があります。ただし、ルアンポル・ティエン師の瞑想法においても、このPannaが生じてくるまでは大変だと思います。もし、Pannaが生じれば、後はスムーズにいきそうな感じを持っています。
では、説一切有部の説明はどうなっているのでしょうか。
桜部先生の説明を引用させていただきます。出典は、同じです。


     ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 「見道」に入って以後は、まさしく無漏の知恵によって煩悩を断ち切ってゆく過程である。まず、苦・集・滅・道の四諦を観知することによって八十八の見所断の煩悩を断ち、ついで「修道」に入って残りの修所断の煩悩を断ち捨てる。「見道」に入ってから修行者はもはや平常の人(凡夫)ではなく、貴い人(聖者)である。見・修・無学の三道は聖道(聖者の道)とも呼ばれる。
 見所断の煩悩は、さきに述べたように理知の面での煩悩であるから、四諦の観知から生起する無漏の知恵によってたちまちに断ち切られる。ひとたび四諦の真理性を認識することは、それがそのまま見所断の煩悩を離れることにほかならないからである。知ることがすなわち断つことである。だから見所断の煩悩は、ハンマーで石を打つと石がぽっくり割れるように、一挙に断たれるのである、という。
 これらの煩悩を断つためにはたらく無漏の知恵に二種類があって「忍」と「智」と呼ばれる。「忍」とは奇妙な呼称であるが、仏典の中でこの語は忍谷の意味でなく用いられる場合があり、そのときはある特殊な知恵のj働きを意味するのである。いまもその用例であって、まず「忍」によって煩悩を断ち、すなわち煩悩と心相続との”倶生クショウ”の関係を離れ、次に「智」(これもまた一種の知恵のはたらきである)によってその煩悩の断絶を確証し離繋リケを得る。それは一人がまず盗人を捕らえて家から引き出し、他の一人が彼をふたたび入れないように扉を閉ざすようなものであるという。だから、一挙に断たれるとはいっても、無漏の知恵が「忍」としてはたらくのに一瞬間を、「智」としてはたらくのにも一瞬間を要するから、見所断の一種類の煩悩が断ち切られるのには二瞬間かかるとしなければならない。
 ・・・。
 欲界の煩悩に対してはたらく「智」を法智といい、上界(色界・無色界)の煩悩に対してはたらく「智」を類智というから、見所断の煩悩の断たれる過程を無漏の知恵の側から見ていえば、苦法智忍が生起する(苦法智忍の生起する瞬間が見道に入るときである)ことから始まって、次に苦法智が生起し、ついで苦類智忍が・苦類智・集法智忍・集法智・集類智忍・集類智という順序に生起し、最後に道類智忍・道類智の生起に至る。苦法智忍の生起から道類智の生起まで十六瞬間を要するが、道類智によって最後の見所断の煩悩が断ち切られた瞬間に、その人は「修道」に入るから、この第十六瞬間はもはや「修道」に属するものと見なして除き、見道十五心という。このきわめてわずかな時間のあいだに次々と”石を割る”ように八十八の見所断の煩悩は断ち切られるのである。(p128-130)
 *avaro註:無漏ムロの知恵=無漏とは有漏ウロの反対概念です。有漏とは、煩悩を持つものという意味であるとされます。無漏はその反対概念ですから、煩悩を持たない、煩悩に汚されない、悟りの領域に属するものということになります。無漏の知恵とは、悟りの領域に属する知恵ですから、煩悩を断ち切ることが可能なのでしょう。
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文中の「瞬間」というのは、刹那(1/75秒)のことのようですので、それこそあっという間に、自動的に見所断の煩悩が断ち切れれるということになります。
ルアンポル・ティエン師の説明でも、Pannaが生じると、後は自動的に次々とありのままの真実を見ていくといった感じです。
このような切れ味鋭い知恵のことをダイヤモンドのカッターに例えるのがはやっていたようです。
初期大乗の仏典「金剛般若経」の金剛もダイヤモンドのような切れ味鋭いカッターというような意味にも解されるそうです。般若は知恵のことのようです。
ルアンポル・ティエン師のPannaも英訳では”panna= Knowing, understanding, wisdom; insight, intuitive wisdomなどとなっています。

読んでいて何か得心が行かない”もどかゆさ”を感じないでしょうか?
桜部先生の説明は明快です。
もどかゆさの原因は、原典すなわち「倶舎論」にあるようです。
説一切有部は、徹底的に分析を行い、いわば合理的な説明をしたはずですが、どうして無漏の知恵が見所断の煩悩を断ち切れるのか、その原理はイマイチ明確になっていない気がします。
どのように、何処まで分析し解明すれば納得できるのかという基準が明らかに私の基準と、有部の基準では異なっているようなのです。
有部は説明したと思っているようですが、私にはまるで説明が足りないと感じ、山ほど質問が生じるのです。


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