avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

宮沢賢治

宮沢賢治は、他者救済にその生涯を捧げるために童貞のまま生涯を終えたという伝記が一般に信じられている。

宮沢賢治がある種の天才であったことは確かであろう。

そのことは、確かに彼の作品だと確認されている童話や詩で証明されている。

だが、それらの文学作品を創作した人物像に関しては、確かなことは良く分からない。

宮沢賢治の人物像は、全て、彼の周辺に居た人達が述べ、書き残したいわゆる伝聞のみだからである。

賢治の作品は、賢治が残した自筆原稿に依っているが、彼の周辺の人達が残した賢治に関する資料は、賢治の全てをありのままに記録した実像の記録ではなく、賢治について述べたり、記述した周辺の人達の主観や判断のもとで述べられ記述されたものである。

今、賢治の故郷花巻では、聖者宮沢賢治の人物像を補強する為に、新たな策動が行われているようだ。

松田甚次郎の事績を利用して宮沢賢治の聖人偉人伝承を補強しようとする策動である。


このような策動に惑わされないようにするためにも、宮沢賢治像をいろいろな角度から見る必要がある。


つい最近見つけた二つのサイト(ブログ)を是非お読み頂きたい。


ここまでの私の文章と、以下にご紹介するサイトのご趣旨は全く関係ありませんので、ご了解頂きたい。



宮沢賢治の恋などに関する新たな伝聞資料を提示する二つのサイト(ブログ)


1.「みちのくの山野草」
    鈴木守さんのブログ
    https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/s/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E3%81%A1%E3%82%91


2.「たまむし日記」
    澤口たまみさんのブログ  
    https://happy.ap.teacup.com/applet/tamamushi/msgcate14/archive

*検索は、上記ブログ題名をキーワードにすればすぐ見つけられます。

宮沢賢治は、家の宗教・浄土真宗から日蓮宗(国柱会)に改宗しました。

この事情を宗教の側から説明しているのが、以下の講演ビデオです。

講師は、正木晃さんという学者さんです。
 
Wikipediaに正木晃先生の紹介記事があります。

Wikipediaで紹介している正木晃先生の主な著作が紹介されていますが、宮沢賢治の作品を理解するために役立ちそうな題名の本がずらっと並んでいます。

ビデオです。

「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか その1」


ビデオは、その1からその9までありますが、表示されたページ右側に

「宮沢賢治は浄土真宗から法華経信仰・・・
 日蓮宗公式チャンネル 1/9 」

とあり、下にその1からその9までの一覧が表示されたら、「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか その1」をクリックして視聴すると、後は、自動的にその9まで次々と再生されます。

このビデオをアップロードされたのは、日蓮宗公式チャンネルさんです。

正木晃先生のこの講演ビデオは、2012年にアップロードされており、私も何年か前に一度視聴しておりました。

しかし、改めて今回視聴しますと、宮沢賢治を知るための重要な知識を得ることが出来ると再認識し、ここに最後ご紹介する次第です。




前回あまり気に留めなかった、キリスト教と日蓮宗と浄土真宗とには、とても重要な共通項がある、という正木先生の指摘などは重要だと思います。


追記:コメントで次の動画を紹介していただきました。

「テラコヤスコラ vol.10【宮沢賢治 × 仏教】ゲスト講師:宮澤和樹氏」


なお、正木先生の動画その1の6分30秒あたりでおっしゃっている、宮澤啓祐氏というのは、賢治の母方の子孫ということになりそうです(以下のサイト参照)。

 〇 「「賢治」縁故の方々」

 この記事の中に、宮沢啓佑氏、宮沢和樹氏の名前・写真が出てきます。

 〇 次のリンクは、2019年3月にお亡くなりになった宮沢啓佑氏に関する岩手日日新聞の記事へのリンクです。



75歳でお亡くなりになったそうですが、正木先生が動画で紹介された時は、60歳台ということですので、約10年後の啓佑氏の御姿ということになりましょうか。

確かに賢治に似ていると言えないこともないと思います。


宮沢賢治の作品を研究している人たちの大半は、その作品(詩・童話・その他)を
”文学”というジャンルに分類している。

賢治の一般読者も同様だろう。

彼の童話や寓話の中には宗教が表面に出ているものもあるが、それすらも、宗教色を棚上げにして文学作品として読んでいると思う。


詩集「春と修羅」の「序」も、相当に宗教色の濃いモノだと思うが、大方の読み方は、文学の一ジャンルの「詩」として読んでいるようだ。

私も、これまで何回かこの「序」を記事にしたが、「序」の”第四次延長”に関しては、あまり宗教(日蓮宗や法華経)と結びつけて考えなかった。

だが、宮沢賢治という人は、最後まで日蓮を信じ、法華経に理想世界実現の法力があると信じていたのは間違いないと思う。


絶筆(辞世の短歌)とされる歌、

 方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる

 病(いたつき)の ゆゑ(え)にもくちん いのちなり みのりに棄てば うれしからまし

 *参考サイト:
 ①「万葉歳時記一日一葉」

 ② 「花巻このごろ」サイト内の
   「5 宮澤賢治その他について」の「11「稗貫のみかも」について」
   
②のサイトの筆者は、絶筆1の「稗貫のみかも」の「のみかも」の読み方にこだわられて、詳しく論じておられます。
私avaroも「のみかも」が読めず引っかかっていた一人でしたので、なんとなくこの方の解釈に納得しました。


「のみかも」に寄り道しましたが、絶筆2首は、賢治の後半生を振り返っての思いが溢れるものだと思います。

双方に歌われているのは、稲の豊作であり、農村にかかわりあった賢治には嬉しいことだったでしょう。

しかし、この絶筆のもう一つの重要性は、「みのりに」の部分です。

これは、半生を捧げた、稲の豊作(実り)と日蓮宗(法華経→御法ミノリ)をかけた表現だとされ、そう読むのが良いのかなと思います。

つまり、宮沢賢治は、自身も「御法(日蓮宗)」に自分の一生を捧げたと自任していたと言えそうなのです。

詩集「春と修羅」の「序」は、賢治の世界観(世界とはどういうものなのか、そこで人はどうすべきなのか)の表明であるとも読めます。

賢治が死ぬまで日蓮宗の信者であり、法華経を信じていたとするなら、「序」の結論部とも言える”第四次延長”の意味は、世界観の根拠となる「法華経」もしくは「日蓮の教え」を踏まえたものであるはずです。

私はまだ法華経を十分に読解できていませんから、憶測になりますが、「法華経」は、法(永遠に存在し続ける仏ホトケ=釈迦や観音菩薩、その他の菩薩に具現される)の”実在”を説いていると思います。

生きとし生けるものが救済される世界が実在するということです。

それは、どう考えても私たちの常識が捉えている3次元世界ではなく、もしかしたら、この3次元世界と併存して存在する次元の異なる世界だと言っているように思えます。

日蓮は、それが、心の中の一番深い所に実在すると考えたようです。

「九識心王」「真如の都」と呼ばれているものです。

「九」の「識」ですから、見方によっては認識の仕方に過ぎないとも言えます。

しかし、「春と修羅」の「序」でも主張される通り、物理的な現象と心的な現象は併存しており、賢治にとっては、心的な現象が「真の実在」であるとも言えそうです。

また賢治は、本当の世界を知る(本当のことを知る)には、常識的な認識では駄目だと考えていた可能性があるという事です。

「九識」だけが、法華経が説く理想の世界を知ることが出来るのだと思っていたのかもしれないのです。

第四次延長とは、すなわち、九識によってのみ捉える(認識する)ことが出来る所という事なのかもしれません。

物語「銀河鉄道の夜」は、そういう本当の世界に憧れていた賢治の、空想を交えた疑似体験談とも言えます。

(多分続く)
  

最近は、ヤフーのアクセス解析をよく見ている。

かなり前に、詩集「春と修羅」中の「恋と病熱」に関する当ブログの記事だけが毎日トップになっているのに気付いた。

何故この記事にだけ毎日訪問者があるのか見当がつかないでいた。

ところが、しばらく前に、ふと思いついて、googleで「恋と病熱」で検索してみた。

結果、思いもかけない事実が分かった。

表題に書いたように、賢治の詩と同じ題の歌があるらしいのだ(「マンガ」もあるらしいが、この記事は歌の方だけを対象にした)。

シンガーソングライター?の米津玄師(ヨネヅ ケンシ)という方の「恋と病熱」という歌がそれ。

当ブログの「恋と病熱」に関する記事を覗きに来られる方は、どうやら、ほとんどが米津さんの「恋と病熱」関連の記事と思ってやってこられたらしい。

恐らく、当ブログの記事が米津さんの詩(歌詞)と全く異なる宮沢賢治の詩に関するものなのでガッカリされただろうと思う。

「恋と病熱」と「レモン」をyoutubeで聴いただけだが、米津さんの歌は素敵だと思う。

若いという点で、「春と修羅」当時の賢治の心と米津さんの心には共通点があって当然だと思う。

恋という、生き物が持たされたどうしようもないものに焦がれるということ。

しかし、大きな違いもある。

米津さんの歌は、恋を肯定し、賢治の詩は、恋を否定しようとしている。

恐らく、賢治の詩集「春と修羅」のテーマの一つが、「恋」との闘いだったのだろう。

同じ詩集の中の「小岩井農場」の中に、そういう賢治の思いが綴られている。

また、物語「銀河鉄道の夜」も、「恋」をテーマの一つにしている。

賢治も「恋」を全く否定していたわけではなく、物語「シグナルとシグナレス」なんかはむしろ恋を肯定しているように思える。

「恋」の正邪とか善悪のことではなく、二人の生き方に関する思いに相違があるということ。

「恋」という得体のしれない衝動は、様々な情動の原因となる。

その衝動の背後には、生き物の宿命「種の保存」本能がある。

大学に入る前、賢治も「恋」をしたらしい。

結婚まで口にして父親に叱られたようだ。

当時の気持ちは短歌として残されている。

当然のことながら、この「恋」は、種の保存本能の支配下で起こったはず。

ところが、主として家業(古着屋・質屋。長男だった賢治は家業を引き継ぐ責任があった)に関する父親との諍いが原因で、大学(今の短大あるいは専科大学のような)卒業頃から宗教に熱中し、次第に、普通の生き方から離れていったようだ。

普通の生き方とは、チャンとした職業を持ち結婚して家庭を持てるような生き方のこと。

勿論、生き方だから人それぞれで良い。

本来、何の目的もない人生なんだから、どういう生き方をしようと文句をつけられるものでないのだが、実際には、全く自由に人生を生きられる人なんてそう居ない。

米津さんの歌も、賢治の詩も、それぞれの人生の生き方を歌っているものだろう。

だから、どちらに共感するのも自由だし、両方好きになっても、嫌いになっても、別におかしくない。

この歳になってもまだ「春と修羅」の序の詩が読めずぐずぐずしている。

買い込んでおいた解説書を読み返している。

「春と修羅 第二集」の序のようならそれほど苦労しないのだが。


解説書はめいめい勝手なことを言っていて、どうやらいまだに大方が認める読み方は出来ていないのではないかと思う。

もっとも、買いためた解説書を買ったのは20~30年以上前なのだから、最近の研究では解決しているかもしれないが。

ネット上の情報では、まだのようにも思える。

実は、もっと期待しているのは、序の解説を踏まえた詩集全体の解説なんだが、大抵、序の解説だけか、個々の詩編の解説で口を拭っている状態だ。

もし、「春と修羅」が純然たる詩集であるなら、これが唯一の読み方だなんていう解説はあり得ないだろう。

当然、上の様な期待をしている私は、「春と修羅」を心理学のデータだと考えたいのだ。

このお話は、magさんのブログから始まります。

magさんが、ホバリングしながら花の蜜を吸うハチドリの写真を掲載しました。

だが、残念ながらmagさんが見たのはスズメガという蛾の一種だったようです。

野生のハチドリは日本には居ないそうです。

ホント、残念でした。


ところで、賢治の作品の幾つかにハチドリが登場します。

〇 「よだか(*蛇足の注:夜鷹)は、あの美しいかはせみ(蛇足の注:カワセミ)や鳥の中の宝石のような蜂すヾめ(蛇足の注:ハチドリ)の兄さんでした」(よだか星)

〇「(こっちのみちがいゝぢゃあないの)
(をかしな鳥があすこに居る!)
(どれだい)
   稲草が魔法使ひの眼鏡で見たといふふうで
   天があかるい孔雀石板で張られてゐるこのひなか
   川を見おろす高圧線に
   まこと思案のその鳥です
(ははあ、あいつはかはせみだ
  翡翠 かはせみさ めだまの赤い

  ・・・・・・・・・

(ははあ こいつは…… )
   まだ 魚狗 かはせみはじっとして
   川の青さをにらんでゐます
(……ではこんなのはどうだらう
 あたいの兄貴はやくざもの と)
(それなによ)
(まあ待って
 あたいの兄貴はやくざものと
 あしが弱くてあるきもできずと
 口をひらいて飛ぶのが手柄
 名前を夜鷹と申します)
(おもしろいわ それなによ)
(まあ待って
 それにおととも卑怯もの
 花をまはってミーミー鳴いて
 蜜を吸ふのが……えゝと、蜜を吸ふのが……)
(得意です?)
(いや)
(何より自慢?)
(いや、えゝと
 蜜を吸ふのが日永の仕事
 蜂の雀と申します) (「北上川は※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)気をながしィ」)

〇 「(蛇足の注:標本の剥製の)その蜂雀が、銀の針の様なほそいきれいな声で、にはかに私に言ひました」(「黄いろのトマト」)

宝石が好きだったという賢治らしい捉え方です。

夜鷹はともかく、カワセミもハチドリもとても綺麗な鳥で、どちらもホバリングします。

ハチドリは蜜を吸うため、カワセミは獲物の魚に狙いを定めるため。

ビデオを拝借します。

ハチドリです。


カワセミです。

下のURLをクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=10&v=jUtYfH7EaSM


賢治も生きたハチドリは見ることが出来なかったでしょう。

それにしても、剥製の鳥を見て次々連想し物語が生まれてくるという賢治の頭、どういう構造だったのでしょうね。

いったいどれほどの情報が詰まっていたのでしょうか?


詩集「春と修羅」の序の詩で言うように、風景(自然の風景・そこに生きる生き物など)はまさしく外にあるのではなくそれぞれの頭の中に在るのですね。

私の見ている風景が平凡なのは、私の頭の中が貧弱だからなのかもしれません。


ところで、カワセミはこのあたりにもいる可能性が高いのですが、私はまだ見たことがありません。

見たいですね。

途中まで入力したのだが、手が何かのキーに触れ、それまでの入力が一瞬で消滅。

よって、また後で書き直します。

一応、ビデオだけ。



関係する情報:




toowoonba市街地は一種の台地上にあり、レッドウッド公園は、どうやら、その台地のはずれにある下り斜面(大きな窪地)にあるようだ。


だから、ヴァイオリンを弾いているウエッブ家のお嬢さんは、市街地からレッドウッドの森に降りてきたところだと思えばいいようだ。

公園内だから、降りてきた道はハイキングコースなのかもしれない。

さて、森の中の空き地で美しいヴァイオリンの音色を奏でている、その情景はとても美しい。

では、誰もいない同じ空き地に立ったとして、このビデオが醸すような情感を感じるだろうか?

木立や木々、野草、小鳥や小動物たちが好きなら楽しいだろう。

それらが、このビデオのお嬢さんやヴァイオリンの響きの代わりをしてくれるからだと思う。

ちょうどそんな風に、宮沢賢治の感性は、このような森の空き地の情景・空気・音などにすぐ反応して、彼の心の中に、ある情景を描き出すようになっていたに違いない。

それは芸術家に共通するものかもしれない。

おまけに、彼には宗教と結びついた理想世界もあった。

私のような空っぽな頭(心)では、平凡な写真のような情景しか感じ取れず、興奮も起きない。




柏林の中に立っても、ただ寒いだけで何も変わったことが無かったのでガッカリしたことがあった。

それは今でも変わらない。

何が違うのか調べようということです。





何時手を付けられるかは不明。

今は肉体労働で忙しくてクタクタだから。























           ***

私の釈尊解釈の一つ。

釈尊は、悟りを開くまでの弟子や一般人に対して、輪廻について話をした。

解脱を勧めたのがその一例。

しかし、悟りを開き、解脱・涅槃を体験体得したものについては、輪廻を離れたとしか言っていない。

輪廻を離れたらどうなるのかということについては一切語っていない。

これは言い換えれば、輪廻とは悟りを開いていない者だけについてまわることがらだということだ。  

もっと言えば、悟りを開いていない愚者の迷妄だということだ。

悟りを開き、解脱し、涅槃を体得するということは、迷妄の根源である無知・無明を明らめ、迷妄に惑わされなくなることだ。

一方宮沢賢治は、霊界を信じていた。

宮沢賢治が信仰した「法華経」には、現在では観察も認識も不可能な霊的なモノ、世界が溢れている。
そのためか、詩集「春と修羅」にも、死亡し肉体が無くなり感覚も思考も存在しなくなったはずの亡き妹との「交信」を執拗に求めたり、ブラフマン・アートマン合一を思わせるような文言など、霊と関係のある言葉が沢山ある。

「銀河鉄道の夜」も、そういう霊的存在・霊界を当代風な言い方で表現しただけなのだろう。

詩集「春と修羅」の序の末尾にある、第四次延長もようするに、霊界のような所と思えばいいだろう。

現代物理学が扱う四次元時空とは似て非なるものだと思っていい。

宮沢賢治にとっては、物質界(この世)と霊界(あの世)とはひとつながりだったのだろう。

生前、久遠仏を信じたように、死の直前まで自分は死後天界(妹は兜率天)に化生するものと信じていたに違いない。

一説によれば、かの空海もミロクのいる天界への再生を望んだそうだ。


ただし、釈尊も「霊界」のようなものを信じていた可能性は否定できない。

なにしろ、はるか2500年前の古代インドで生きていたのだから。

おかしなことに、しかしながら、2500年前の古代インド人だった釈尊は、霊界の実在を説くことはなかった。

ここが、宮沢賢治と釈尊の決定的な違いである。


つまり、宮沢賢治の宗教は、釈尊の仏教とは全く異なる「法華経」教だったということなのだ。
 
釈尊が説いた教えとは、全く無縁と言って良いほどのものなのだ。

釈尊の教えを読めば、他人が自分を救うことなど有り得ないという事が良く分かる。
確かに、宮沢賢治の羅須地人協会他での実践活動は立派だと思う。

だが、宮沢賢治の活動の思想的な拠点は、間違いなく「法華経」であり、それは現世と霊界がひとつながりになった特異な思想なのである。

私は、現代においては、宗教というものは、暴走する欲望の塊のような人々を律する倫理としてはその意義を認めるが、いかなる宗教者にも見ることも聞くことも出来ない、あの世とか霊界とのつながりで権威づけして人々を縛るのは間違いだと思っている。

「法華経」の信者さんが、宮沢賢治を「賢治菩薩」と崇めるのは自由だと思う。
だが、「法華経」と縁もゆかりも無い宮沢賢治研究者・愛好家が「賢治菩薩」などと持ち上げるのは笑止。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という童話に出てくるお釈迦様は、あくまで、童話の登場人物つまり芥川龍之介の創作上の存在に過ぎないように。



以下の二つの詩編は、「森羅情報サービス 宮沢賢治の童話と詩①」サイトより拝借しました。
 ① http://why.kenji.ne.jp/index2.html


***  屈折率  ***

七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラッディン、洋燈とり)
急がなければならないのか


     *

次の写真は、「Office Kenji 賢治の事務所②」サイト内の、
 ② http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/office.htm

「kenji directory」内の、「7mori③」にあるものです。
  ③ http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/event/57/7mori.htm

写真をお借りします。

イメージ 1


イメージ 2

このお写真を元にして、国土地理院の「ウオッちず④」で見てみると次のようになります。
 ④ http://maps.gsi.go.jp/#15/39.697644/141.014457/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
イメージ 3

「ウオッちず」で周辺の様子を見てみると次のようになります。
イメージ 4

「賢治の事務所」サイトのお写真に見えていたように、北には岩手山があり、その手前には小岩井農場があります。

この時、賢治はどこを出発してきて、どこへ向かっていたのか?

秋田街道(現・国道46号線)を歩いていたのか、それとも、小岩井牧場に向かう道(現・県道219号線?)を歩いていたのか、それとも?

つまり、どこから七つ森の方を見たのか?

七つ森のこっちのどれか一つのあたりがとても明るく見えたのに、そっちは「今」の賢治の向かっている場所ではなかったようです。

*記事追加(3月21日):春と修羅の二番目の詩編「くらかけの雪」を忘れていました。

日付が「屈折率」と同じ1月6日なんです。

ということは、賢治は当日小岩井に向かって歩いていたことになるでしょう。

現在の秋田街道に沿うように走る田沢湖線(通称、秋田新幹線)は、昔、橋場線と呼んだそうで、賢治はもしかすると橋場線の小岩井駅 (昔の駅名は違うかも)から歩き始めたのかもしれません。

賢治は、現在の県道219号線の凍った道を歩いたのかもしれません。

google地図には、ストリートビユーという連続写真があります。

これを使って、県道219号線を辿ってみて、この219号線から七つ森が見えるかどうか確かめようとしましたが、跨線橋や家、沿道の森や林の木々に遮られて確認はできませんでした。

少なくとも、秋田街道から見たのではないということになりそうです。




では、今度は最後の詩編。


 ***  冬と銀河ステーション  ***

そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パッセン大街道のひのきからは
凍ったしづくが燦々と降り
銀河ステーションの遠方シグナルも
けさはまっ赤に澱んでゐます
川はどんどん氷を流してゐるのに
みんなは生ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがった章魚を品さだめしたりする
あのにぎやかな土澤の冬の市日です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかってもいい)
あゝ Josef Pasternack の 指揮する
この冬の銀河輕便鐡道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の臺地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊齒は
 だんだん白い湯気にかはる)
パッセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です


      
*

今回の記事は、いつもの通りなんですが、他愛のない思いつきから始まったものです。


そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パッセン大街道のひのきからは
凍ったしづくが燦々と降り
   ~
パッセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です


冒頭と最後の数行を漠然と覚えていて、同じような光景を見た時に「あ、これだ!」と閃いたのです。

確か2月、淡雪が折からの陽光で、どんどん融け始めました。

太陽は少しずつ西へ移動します。

それにつれて雪解けの水玉が太陽の光を複雑に反射するのでしょうかびっくりするほどの光を発します。

    https://www.youtube.com/watch?v=bQhh0jiFn34&feature=youtu.be


    https://www.youtube.com/watch?v=p4xMwDVKsKo&feature=youtu.be

土沢が通過駅なら、賢治は現・釜石線に乗っていたことになります。

「宮沢賢治語彙辞典」も詩編の中の「パッセン大街道」は、釜石街道だろうと言っています。

釜石線・釜石街道は、花巻から釜石に向かいます。

ただし、この場合も、花巻から釜石なのか、その反対なのかは分からないでしょう。

雪や氷、水滴の光と太陽との位置関係を考えればあるいはそのどちらだったのか特定できるかもしれません。

上のビデオは、愛用の750円カメラ(中古価格とは裏腹な高性能カメラです)で撮ったものです。

宝石1ではあまり光りませんが、宝石2ではあちこちで相当な数光ります。

肉眼通りの記録になっていないので、瞬間的な光の色しか見えませんが、肉眼ではもっとはっきりと赤・青・黄色・シトリンというような色を見ました。


この詩集は、都会での放蕩の末のつぶやきのようなものではなく、それなりに未来を見つめた希望を秘めた詩編のはずです。

だから、詩集の最後の詩編は、何か明るい光に溢れているのでしょう。


夢は夢で、希望は希望であり続けます。

山の向こうに何かを望んでも、実は山の向こうもこちらに何かを望んでいるものです。

少しずつ良くなるのか、悪くなるのか、先は見えませんが、それでも賢治は希望を未来に託したはずです。


述べることは、いたって簡単なことがらです。

「春と修羅」の序詩の一節の引用から始めます。
テキストは、「森羅情報サービス 宮沢賢治の童話と詩」
http://why.kenji.ne.jp/index2.html
より拝借しました。

けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

ここで賢治が言いたかったのは、先人たちが考えたことは、その時代その時代の人たちに共感されたものであり、時代が変われば考え方も変わりますよ、ということだろうと思います。

だから、と賢治は例えを述べます。

2000年も経てば、あるいは、気圏の一番の上層の窒素を発掘すると化石が見つかったり、白亜紀砂岩の中から透明な人類の足跡も見つかるかもしれないと言うのです。

この発見の可能性は、賢治の時代の考え方ではないので、今見つかるということはないのでしょう。

賢治は用心深く、

われわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに

記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)

本体論も感ずるだけだとしながらも、「ひかり(光)」は保ち続けられると言います。

(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

すべてが頼りないものばかりという中に、賢治は必死に何かを探します。

 くらかけの雪

たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしやぽしやしたり黝んだりして
すこしもあてにならないので

詩集「春と修羅」は、巻頭の詩「屈折率」中で、七つ森のこっちの一つが

水の中よりもっと明るく

見えるのに、賢治は巨大に明るい光を背にして、亜鉛のように陰気な雲の下を目指して行くという次の一節、

向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラツディン、洋燈とり)
急がなければならないのか

で始まり、最後の詩「冬と銀河ステーション」、

パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です

で締めくくられます。

締めくくりの詩「冬と銀河ステーション」では、一見、賢治の前には「ひかり」が溢れているようにも思えますが、何度読み返しても、賢治が見た(感じた)景色は、賢治が感じた(に過ぎない)のではないかと思えます。

では、詩集「春と修羅」後に、賢治は頼れるものを確かに見つけたのでしょうか?

少なくとも詩集「春と修羅」では、明確な答えが出ているようには思えません。

その後も、苦悩と希望が交錯しながら晩年へと向かったように思えます。

病(イタツキ)のゆえにもくちん(朽ちん) いのちなり

 みのり(み法)に棄てば うれしからまし

の辞世の句を残して逝きました。

恐らく頼りにしたものは、法(法華経)の教えが実現する理想の世だったのでしょう。

しかし、これは大変に難しいと思う。

賢治は認めようとしなかったでしょうが、法華経も時代の制約から外れていたわけではないからです。

賢治は、日蓮的な解釈の法華経を信じたようです。

この日蓮の法華経解釈は、宮本先生の「わかる仏教史」ではこのように解釈されています。(宮本啓一著「わかる仏教史」春秋社)

日蓮が提唱した新しい仏教は、①みずからの内面を深く反省し、心を修める従来の現世否定的なものではなく、②積極的に社会に働きかけてみずからの願望を実現することに終始する、きわめて現世肯定的なものであり、その意味で、仏教史上きわめて特異なのです。(*①②はavaroが挿入)

賢治の生家の宗教「浄土真宗」が①であるのに対し、賢治が所属した日蓮宗系の「国柱会」は典型的な②の系統の宗教団体だったようです。

仏教に限らず、あらゆる思想・宗教・学問は時代を超えて永久に存続しませんでした。

宮本先生の「わかる仏教史」を通読しても、釈尊に始まる仏教史には、なんと沢山の新しい解釈が現れては消え現れては消えしたでしょう。

まさに、釈尊の遺戒どうりではありませんか!(*引用するのは中村先生訳「ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経」岩波文庫です。)

もろもろの事象は過ぎ去るものである

これは言い換えれば、賢治の「春と修羅」の序詩の次の言葉に対応するものです。

われわれ(我々)が、かん(感)じてゐるのに過ぎません

賢治は、自分で上のように納得しながら、一方で、変わらないものを探していたのかもしれないのです。

絶対的に、当てになるもの、頼れるもの、縋(スガ)りつけるもの、そんなものは人の世には無いのです。

おかしなことに、すべてが過ぎ去るものの中にあって、このことだけは今でも変わらないのです。

*宮本先生の「わかる仏教史」は、平易な説明で分かりやすく、釈尊の教え(つまり仏教の始まり)と釈尊滅後の仏教の変遷を、賢治と同じ目で見ることができるように工夫されています。

つまり、時代が変われば人の考え方も変わり、必要とする宗教や思想も変わるということがよく分かります。

If you are a Christian, you can read the poetry "Cursing about the ray of Spring(春光呪咀)" as lost love poetry.

Kenji might hide his lost love behind his excuse, because he felt deep regret over his lost love.

At last he came to get around to curse about the ray of spring.

But I don't think so.

Kenji Miyazawa defined his poetry as the mental sketch.

What is the mental sketch ?

In the Introduction to "Spring and Ashura", Kenji explained his definition as follows...

***
As a result people and galaxies and Ashura and sea urchins
Will think up new ontological proofs as they see them*
Consuming their cosmic dust...and breathing in salt water and air
In the end all of these make up a landscape of the heart(mind)
I assure you, however, that the scenes recorded here
Are scenes recorded solely in their natural state
And if it is nihil then it is nothing but nihil
And that the totality is common in degree to all of us
(just as everything forms what is the sum in me
so do all parts become the sum of everything)
***
* The word "them" indicate the preceding stanza as follows...

"These poems are a mental sketch as formed
Passage by passage of light and shade
Maintained and preserved to this point
Brought together in paper and mineral ink
From the directions sensed as past
For these twenty-two months
(the totality flickers in time with me
all sensing all that I sense coincidentally)"

What did he made sketches ?

He made sketches of landscapes of his heart(mind).

What is a landscape of a heart(mind) ?

It is events or episodes which he saw or felt by his mind consisted of the Kyushiki.

Because Kenji believed the Tendai Doctrine(天台教学) and the Japanese monk Nichiren's Doctrine which claims the Kyushiki, he believed that his mind consisted of five classes(parts) which are the five sences, the recognition, the Manashiki(skt;Manas-Vijnaana),the Alayashiki(skt;Alaya-Vijnaana) and the Amalashiki(the Kyushiki-shinno九識心王,skt;Amala-Vijnaana,the Ninth-Vijnaana).

According to the scholars of Kenji's literature, Kenji didn't understand whether he could see(feel) correctly or not.
Until he published his collection of the mental sketch "Spring and Ashura", he couldn't know the seventh class(the Manashiki), the eighth class(the Alayashiki) and the ninth class(the Amalashiki) correctly.
Then Kenji didn't concluded that he always got the correct understanding.
He couldn't distinguish the real word from the demon's wisper.
He always wanted to hear the Makoto-no-Kotoba(the sincere and truthful words of the Thus Come One: the Tathagata's veracious word).

Actually, he said in his poem as follows...

***
(translated into English by Avarokitei)
What I have been waiting for all the time is The Tathagata's veracious word.
Exactly it is The Shingon(The real Mantra) hearing in the rain.

(original text in Japanese)
わがもとむるはまことのことば
雨の中なる真言なり
***

I think that Kenji wanted to hear The Tathagata's veracious word(The Shingon) by his Ninth-Vijnaana(the kyushiki-shinno).

This is why he did make mental sketches.
He wanted to know whether the landscape of his heart(mind) proved The Ninth-Vijnaana(The Amala-Vijnaana) or not.

In "Cursing about the ray of Spring(春光呪咀)", Kenji hated his inherent instinctive desire which lead him to a wrong way(path).
He thought the desire belonged his five sences(the first class to the fifth class) and recognition(the sixth class) with potentialities of a wrong understanding.
Kenji must have thought that the ray of Spring lead him to the wrong way(path) at last, then he denied love itself.

Actually Kenji mentioned it in other poetry as follows...

***
(original text in Japanese)
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ

(translated into English by Avarokitei)
If we can call it an applicable religious sentiment
That I, others and the universe together
Intend to attain our supreme welfare.
When someone was crushed his motivation and tired from his intention,
I and the only one another soul
Want to go together forever to the end trusting each other perfectly.
This metamorphosis(abnormality) turned from the religious sentiment is called love.

(from the poetry "Koiwai farm part 9")
***

Kenji thoght love as an abnormal metamorphosis.

春光呪咀

いったいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかってゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれっきりのことだ
  春は草穂に呆(ほう)け
  うつくしさは消えるぞ
    (ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれっきりのことだ
    (おおこのにがさ青さつめたさ)

Cursing about the ray of Spring

I murmured in my mind 'What am I doing ?,
How do I understand it ?'
She has glossy and long hair now
And holds her togue by the side of me.
Ultimately it is all of my acquisition.
Through springtime sitting together on the grass
But someday unexpectedly I lost her brightness.
(Now I feel a deep dark blue extent and emptiness)
Her lovely rose cheeks and clear brown eyes.
Ultimately it is all of my acquisition.
(Alas, I have to feel something bitter, dark blue and cold)

(from the collection of the mental sketch "Spring and Ashura" by Kenji Miyazawa published in 1924 ; from Japanese into English by Avarokitei)

いよいよこの論考のメインテーマである「第四次延長」について考える。

第五連。

       ***
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
       ***

これまでも、この第五連の第四次延長の解釈をあれこれ試してきた。
どれも納得のいくものではない。

今回の閃きも、今は一応こんなもので良いかなと思っているが、十分なものではあるまい。

それでも、こうやって考えるのが楽しいのだから、今はこれで良しとする。

今までは、アインシュタインの相対性理論に引きずられて、相対性理論を理解しなければ、序詩の「第四次延長」は読み解けないと思い込んでいた。

今回は、考え方を少し変えた。
そもそも、1924(大正13)年当時、最先端の物理学の理論を正しく理解できた人物がどれほどいたことであろう。
しかもその人物は、文武両道ではないが、理科系と文科系の両系を共に極めている人物と期待されるのである。

私の推理では、賢治は第四次延長という如何にも物理学らしい用語を使ってはいるが、ここまで読んできたように、決して物理学の研究対象と同じものを心象スケッチの対象にしていたのでは無さそうなのである。

従って、この「第四次延長」という用語は、もとは物理学の用語だったかもしれないが、序詩で用いられる時には物理学とは異なる意味合いを持たせていたと考えるのが適当だということである。

この序詩は、長ーい一つの文章であるとも解釈できる。

「わたくしといふ現象は・・・・透明な人類の巨大な足跡を発見するかもしれません、というこれらの命題は」という主部と「心象や時間それ自身の性質として第四次延長のなかで主張されます」という述部から構成されると読むのだ。

AはBだ、と言っているのだから、Aの中でBが説明されていると言える。

すでに心象については考察を済ませたので(済んでいないと思う方は堪コラえて欲しい)、この記事では時間について改めて考えてみる。

観点を決めてジッと文章を見つめると何かが見えてくる。

序詩は実に注意深く時間に関する記述をちりばめ、それとなく読者に注意を促しているようだ。

第一連、
○ せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける 
○ ひかりはたもち その電燈は失はれ                
第二連、                              
○ これらは二十二箇月の/過去とかんずる方角から/紙と鉱質インクをつらね                                 
○ ここまでたもちつゞけられた                   
第三連、                              
○ 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら          
第四連、                              
○ 巨大に明るい時間の集積のなかで                 
○ わづかその一点にも均しい明暗のうちに/(あるひは修羅の十億年)/すでにはやくもその組立や質を變じ                   
○ (因果の時空的制約のもとに)/われわれがかんじてゐるのに過ぎません

このように、時間を意識した表現が見られる。
やや我田引水的な解釈だが、これらの表現の中でも特に、時間の連続性を意識させる表現がいくつも有るのに注目してはどうだろうか?

○ ともりつづける
○ 保つ
○ たもちつづけられた
○ 呼吸しながら
○ 時間の集積のなかで
○ その一点にも均しい・・・あるいは修羅の十億年、(という対比)

時間は私たちの意識では、実在するのは今だけである。
過去は記憶の中にしかなく、未来は到来していない。
記憶障害の患者さんにとっては文字通り現在のみが存在する。

明滅という刹那滅の思想においては、三次元空間は広がりだけであろう。
なぜなら、刹那は時間の最小単位なのだから。
時間は、刹那ごとに断絶している。

だが前五識、第六識は不可思議な連続を感じとる。

詩篇「小岩井農場」の次の部分。

それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね/すみやかなすみやかな万法流転〔ばんほうるてん〕のなかに/小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が/いかにも確かに継起〔けいき〕するといふことが/どんなに新鮮な奇蹟だらう

さらに、天台教学は、九識心王に仏を見ようとしている。
仏は永遠に実在しているはずである。

このような事実を旨く説明する考え方を賢治が知った。

一つは空間と時間を一体のものとして扱うミンコフスキー空間。
あるいは、時間を連続したものと考えようとする思想。

物質が占める空間は三次元の広がり(延長)という性質が認められている。
これは、前五識・第六識の感じ方に一致する。

賢治は、空間(心象)の広がりだけでなく、時間に関しても不可思議な連続を感じ取っていた。
ミンコフスキー空間は、時間と空間を一体のものとして扱い、時間にも軌跡という広がりを認めた。

三次元の(心象)空間だけでなく、第四の次元、時間にも広がり(延長)を認めて良いのではないか?

そうすれば、九識の不可思議な時間感覚(小岩井農場)も旨く説明できる。
九識心王の永遠の仏も合理的に説明可能となる。

かくて、賢治は、心象(空間)の三次元に加え、第四の次元、時間にも広がりすなわち延長を認め、九識の実在を心象スケッチというデータによって証明して見せようとした。

第四次延長とは、心象(空間)の三次元と第四の次元の時間とに広がりすなわち延長を認めたものである。
第四次としたのは、第四の次元である時間を強調するためであろう。
従って、単に四次とか四次元と表記しても、意味は全く同じであろう。

なお、風呂敷の広げついでに開陳すれば、「銀河鉄道の夜」における幻想第四次の意味は、三次元の心象(空間)と広がりを持った時間が一体化した現ウツツの四次元時空に対する概念で、賢治が夢幻境と感じた時空のことである。

「三次元の方から」という表現は、目ざめている現実の心象(空間)の方から、というふうに解釈できないだろうか?

心象スケッチは、(九識の)現の状態の正しい記録である。
それに対して、「銀河鉄道の夜」は、心象スケッチとしての正当性を主張できないものなのであろう。

詩集「春と修羅」に収められた詩篇の中には、いわゆる幻覚・幻聴の記述と思われるものがいくつもある(春と修羅、谷、陽ざしとかれくさ、真空溶媒、小岩井農場など)。
詩集「春と修羅」に収められた詩篇は、実際に賢治の心象空間すなわち九識のいずれかに生起した本当のことがらである、と賢治は考えていたはずである。

詩篇「春と修羅」のように、生起したそのままではなく、多少の粉飾を加えたものについては、mental sketch modified というような但し書きまで添えている。

賢治は、九識心王の実在照明のためのデータとしたい心象の真正のスケッチと多少粉飾はしたがほぼそのままのスケッチと実際に賢治の心象に生起したとは言い難い創作(フィクション。「銀河鉄道の夜」など)が勝っている幻想とを明確に区別した、と考えられないか?
フィクションは、心理的研究のデータとしては使えない。
科学的な証明とならないからである。



賢治作品の解釈に関して今でも一番疑問なのは、賢治が明解な解を持っていたのかどうかだ。

私は持っていなかったと予想している。

農民芸術概論綱要において、賢治は如何にも到達点を見ていたかのように、自信ありげに宣言しているが、本当は最後まで迷っていたのではないかと思う。

そのことはこれから作品に即して読み解いていかなければならない。

そしてもう一つの大疑問が、死後、賢治が法華経の行者として持ち上げられ、結果的に法華経の宣伝マンを努めたにもかかわらず、あまり、法華経を依拠の経典とする宗教団体が大々的に自宗派と賢治を結びつけて喧伝しないように見えることだ。

多分、賢治が熱心な信者ではあったが、法華経に忠実なあまり、その真実性をどうしても自分で確証したくなり、「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい(農民芸術概論綱要)」などと言い出したからではないだろうか?

賢治が目指していた宗教世界というのは、賢治自信が疾中詩篇「(一九二九年二月)」後半で、

「われがわが身と外界とをしかく感じ/これらの物質諸種に働く/その法則をわれと云ふ/われ死して真空に帰するや/ふたゝびわれと感ずるや/ともにそこにあるは一の法則のみ/その本源の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり」

と述べているように、物質的な領域と精神的な領域の境界が曖昧で、九識心王真如の都に至っては、脳科学によっても、瞑想やヨーガによっても確認しがたいものであろう。

従って今現在こうして進めている序詩の解釈において私は、賢治の作品読解によって、お釈迦様の悟り・涅槃に匹敵する救いを見出し得るとは期待していない。
ただそこに盲目的とも思える強烈な信仰を読み取れそうである。

ならば、何の為にこの作業を続けているのか、それは死ぬ前に自分なりの納得を得たい為である。
それだけである。

今回は、第四連を読む。
 *行末の半角数字は行数を表す。

  • **
けれどもこれら新世代沖積世の 1
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるひは修羅の十億年) 5
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や 10
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料〔データ〕といつしよに
(因果の時空的制約のもとに) 15
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には 20
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に 25
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
  • **

あまり特殊な用語が使われていないが、その分解釈もしにくい。

この連は、大まかに読んで誤魔化す。

この連を三つの段落に分けてみる。

第一段落  1~9行目
第二段落  10行目~16行目
第三段落  17~27行目

第一段落。
賢治は、心の風物(心象)を正しく写したと思っているのだが、実際には、写し取ったスケッチ(印刷されつつある詩集の印刷用紙や印刷された活字)もどんどん変化を続けている。
それなのに、賢治も印刷屋も紙や印字された活字が変わらないと思っている。
賢治の視点は変化(無常性)ではなく、認識のあり方にある。
正しい認識か誤った認識か、嘘かホントかを問題にしているようだ。

1~2行目は、時間軸の軌跡を地層に例えているのか?

第二段落。
人は、「記録や歴史 あるひは地史」というものを、印刷中の詩集「春と修羅」の印刷用紙や印字された活字(スケッチの内容も同時に)について変わらないと感じるのと同じように、変わらないと感じているだけなのだ。
「感覚・風景・人物を感じる」のは、天台教学の九識の内の、「前五識(眼識~身識)・六識(意識)は凡夫の心法」と解釈される認識に相当しよう。

つまり、正しい認識に達していないということであろう。
「けだしわれわれがわれわれの感官や/風景や人物をかんずるやうに/そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに」と「ただみんなが同じように感じている“だけ”なのだ」と“だけ”を強調しているようだ。

丁度それと同じように、みんなが正しいと思っている「記録や歴史 あるひは地史といふものも/それのいろいろの論料〔データ〕といつしよに/(因果の時空的制約のもとに)/われわれがかんじてゐるのに過ぎません」のだ、と賢治は考えている。

はっきりと言えば、人間はまだまだ遅れている、進化していない、嘘とホントを見分ける力を身につけていない、と賢治は考えた。

この部分は、「銀河鉄道の夜」のどの稿かでほぼこの通りに説かれている。

この部分は、日蓮の折伏・四箇格言(日蓮宗の宗祖日蓮が他の仏教宗派を批判し、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊とした)を受けているのか?

賢治の強烈な信仰が現れている部分なのであろう。

第三段落。
第二段落を受けて、だから、詩篇「小岩井農場」の独白にあるような進化(「この不可思議な大きな心象宙宇のなかで/もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操」とし、その目標を達する)を人類が遂げれば、同じ独白の続きのような「それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」ような今の人類が犯している過ちを犯すことも無くなり、人類は精神的霊的な段階に達するだろう、と賢治は期待する。

詩篇「小岩井農場」は、“賢治の”心象スケッチなのだから、「そのねがひから砕けまたは疲れ・・・この傾向を性欲といふ」という記述は、当時の賢治の心象風景でもあったはずだ。
詩篇「春と修羅」がその証言の一つであろう。

賢治が期待したような進化を遂げた時、人類は、地上に縛り付けられている必要なくなり、大気圏の上層にまで自由に居住でき、「気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を発掘したり」するだろうと想像する。

「おそらくこれから二千年もたつたころは/それ相当のちがつた地質学が流用され/相当した証拠もまた次次過去から現出し」とは、そのころの人類はもはや「(因果の時空的制約のもとに)/われわれがかんじてゐるのに過ぎません」というようなことはなくなり、九識を究めて、正しい認識を達成していると言いたいのではないか?


この記事は第三連の続稿である。

「心象とは心の風物である」と定義したが、まるで定義になっていないと皆さんはお笑いになったであろう。

賢治が、「明滅する人や銀河や修羅や海胆のいる風景」を「風物」と呼んだらしいということは序詩の記述でなんとなく分かる。

ところが、その風物が明滅する場所(時空)と思しき「こゝろ(以下、“こころ”と表記する)」を賢治がどのように理解していたのかということに関しては、序詩には直接的で明解な記述が見当たらない。

わずかに、

○ みんなが同時に感ずるもの
○ それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
○ すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから
○ しかもわたくしも印刷者も/それを変らないとして感ずることは
○ けだしわれわれがわれわれの感官や/風景や人物をかんずるやうに/そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
○ われわれがかんじてゐるのに過ぎません
○ みんなは二千年ぐらゐ前には/青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
○ 透明な人類の巨大な足跡を/発見するかもしれません
○ すべてこれらの命題は/心象や時間それ自身の性質として/第四次延長のなかで主張されます

というような間接的な表現で、「こころ」の働き方を

・感ずる
・かんがへる(考える)
・わたくしやみんなの中にあるもの
・おもひ(思い)=思う
・発見する
・心象(や時間)にはそれ自身(特有の)性質がある

と記述している。

私やみんなの中に有るもので、感じたり・考えたり・思ったり・発見したりするものは、私たちが普通に考える「心」である。

ところが、序詩から抜き出した「心」に関すると思われる記述の中には、普通に考える「心」と明らかに異なる「心」の定義がある。

一つは、「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから」という定義である。賢治のこのような「心」の定義は、十界互具という仏教的な世界観・悟りの階梯と結びついていると考えられている。*十界互具についてはGoogleなどで検索してください。

二つ目が、序詩の最終連(第五連)の言明(命題)において、第四連までの命題が心象と時間の性質であるとする定義である。
しかも賢治は、この言明が有効となるのは、「第四次延長のなか」だけである、と主張している。

十界互具という用語は仏教関係書から引用したものらしいが、第四次延長という用語は経典にも注釈書にも日蓮・智学らの教義書・解説書にも載っていないようである。

このように、第一連~第四連で言明された命題の特異さと第五連の言明とをあわせて考えると、賢治がたった一言さらりと書き流した「こゝろ(こころ)」というものが、実は、普通に私たちが考えている「こころ」とは異なるものであると解釈する他なくなる。

私自身は、ごく単純に、こころ=脳の機能と考えている。
私は、唯物論的な理解をしていて、意識は脳の機能の一部がモニタのように表象されていると理解する(唯物論者であろうと無神論者であろうと、虚無主義者であろうと、彼らの中に涅槃は等しく存在している。いくら俺には無いと言い張っても無駄である)。
したがって、極端な言い方をすれば、意識を含めた脳の機能は化学反応と同じ物質の作用であると思っている。
慈愛溢れる他者への思いやりも、高度な思索も、文学鑑賞も、人がそういう活動を人間的なとか、精神的なと感じているだけだと解釈している。

これは私の独断偏見だが、皆さんもそれぞれの「こころ」理解・解釈を持っておられるであろう。
だがおそらく、賢治の「こころ」の理解とは相当に異なっているのではないか?

賢治は、古代インドで発想され、中国・日本の僧たちが解釈を重ねて体系化した「こころ」観を継承しているらしい。
仏教になじみの薄い現代日本人にとってはかなり特異な「こころ」観であろう。

ここから先は賢治研究者の論考を参照して賢治が理解していた「こころ」の構造を見てみよう。

鈴木健司著「宮沢賢治--幻想空間の構造」(蒼丘書林)の第一章「心象スケッチの目的--田中智学とウィリアム・ジェームスの視点から」によれば、賢治は天台教学(中国、天台大師智顗が大成した教学→最澄の天台宗→日蓮の日蓮宗)における九識(キュウシキ)説を日蓮や田中智学が再構成した「心」観を採用していたらしい。*九識については、キーワード「阿頼耶識アラヤシキ」「阿摩羅識アマラシキ」「菴摩羅識アンマラシキ」で検索し、参照して欲しい。

鈴木教授は、賢治の詩作メモおよび農民芸術概論綱要の次の一節を手がかりとして考察を進める。

1.詩作メモ
詩は裸身にて理論の至り得ぬ/堺を探り来る/そのこと決死のわざなり/イデオロギー下に詩をなすは/直観粗雑の理論に/屈したるなり
2.農民芸術概論綱要
感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と/諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力は(加クワ)はる/機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり/練意了って表現し 定案成れば完成せらる/無意識(部)から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である(農民芸術の製作)

この二つの断片中の「直観」と「無意識」とを結びつけて、賢治が、スケッチすべき心象すなわち心の風物は、心の無意識部にあるものであり、直観によって得るものだと考えていたと解釈したようです。

仏教的には、この「直観」は瞑想で直接的にありのままに自己の心を見るというような感じなのであろう。

問題なのは、賢治が無意識(部)と呼んだ「心」の領域のようである。
私たちが普通に考える無意識とは大きく異なった特殊な考え方のようである。

天台教学では、私たちの認識(心)の構造を、大きく三種類に分類する。

①眼識・耳識・鼻識・舌識・身識(触覚)の五感と結びついた感覚情報の認識。第一から第五識。
②意識という五感の情報を内部記憶などと総合する認識。第六識。いわゆる、意識。
③末那識マナシキ(第七識)・阿頼耶識(第八識)・菴摩羅識=阿摩羅識(第九識)という普通の意識に上ることの無い無意識領域。このうちの菴摩羅識=阿摩羅識を特に「九識心王キュウシキシンノウもしくは九識心王真如の都」と呼ぶ。

天台教学におけるこの九識説は、元々は、インド唯識の八識説(第一識、眼識~第八識、阿頼耶識まで)を採用したが、阿頼耶識には汚れた心の要素と成仏可能な清浄な要素が混在するとされたので、一切の汚れのない仏性の在処として第九識が考え出されたようである。

九識を検索中に出会った田中智学の同系と思われる本化妙宗聯盟の記事では、宇宙は人間の心が作り上げたものなのだと言っている。
「では唯識論及ぴ法華経ではどのように教えているのでしょうか、結論から中し上げましょう。答は「人間がこの地球を造り、大宇宙を造った」のです。
 「おいおい正月早々冗談はやめて下さいよ、人間が地球を造ったなんて、」と、思われるでしょう。ところが本当なのです。今、我々が見て観察し調べているこの地球・娑婆世界なり、大字富は、人間の阿頼那識が展開して現われている大字富でありこの地球という星なのです。
 この地球の囲りには、無限に近い人間の霊が浮遊して、人問の肉体を得て、人間になりたがっている「魂」が居るのです。その無限数に近いほど存在している魂の中にある阿頼那識が、一心になって地球を造ってしまったのです。」(本化妙宗聯盟 URLは下記)
 http://www.honge-myoushu.or.jp/sermon/h14-01.html

まさかと思うだろうが、賢治の世界観宇宙観はこの記述と大同小異であった可能性がある。
異なるのは、賢治がこういう宇宙観や九識を科学の手法で証明しようとしていたことであろう。

田中智学は、九識を次のように解釈していたそうである。

「前五識(眼識~身識)・六識(意識)は凡夫の心法」
「七識、末那識は第六識より深くあるが、八識に対しては取次ぎの地位で意(ココロ)で、染汚(汚れ)意識というて煩悩の識である」
「第八識は無没識含蔵識というて、元品の無明を混同した根本識である(輪廻転生の因は種のようにこの第八識に蓄えられ、次の生まれ変わりを決定しているとされる)」
「『此御本尊全ク余所ニ求ムル事ナカレ、只我等衆生ノ法華経ヲ持チテ南無妙法蓮華経ト唱ウル胸中ノ肉団ニオハシマスナリ、是ヲ九識心王真如ノ都トハ申スナリ。』(という日蓮の言葉を智学が解釈して以下のように述べる)その意は、本門本尊は遠く彼に在るにはあらずして近く行者の一身に在り、之を知らずして自己の色心(身心)を離れて別に之を求めが信じて詮なく行じて益なきこと恰も他の宝を数えて自己に一分の益なきが如し、故に今之を近く自己の色心に約して妙判し、彼の本門本尊と行者冥合一如を詮し、彼正体妙用ショウタイミョウユウを一身に光現せしめて成仏の妙益を決せらる。」

「本門本尊とは妙法蓮華経の五文字を中央に配した十界曼荼羅のことで、全宇宙が妙法蓮華経により在らしめられていることを表したものである。」(鈴木健司 同上書)
 
賢治の疾中詩篇の「(一九二九年二月)」後半に、世界宇宙と法華経との関係が述べられている。

「あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則の外の何でもない
  からだは骨や血や肉や
  それらは結局さまざまの分子で
  幾十種かの原子の結合
  原子は結局真空の一体
  外界もまたしかり
われがわが身と外界とをしかく感じ
これらの物質諸種に働く
その法則をわれと云ふ
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるは一の法則のみ
その本源の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり」

この考え方を図にしたものが本門本尊であろう。

鈴木教授は、田中智学を引用して、智学が第九識と無意識という概念を結びつけ、賢治がその意を受けたとしている。

「ゆえに、法界万有は、若しくは有意識にも、若しくは無意識にも、本仏を中心とする傾向と一致すべき筈である。然るに無意識のものは一致しつつあるに、却って有意識のものは、外界の障りの為に誤られ無明縁起の動揺をうけて、本仏に随うべき軌道を有意識にわすれるのである。」

賢治の認識論・形而上学は観念論・唯心論だとする哲学事典の記述を採用したが、上の二つの引用中で、賢治と智学が共に、「外界」という概念を使用していることは興味深い。
常々私が疑問としていた、賢治が、心の風物(心象)と私たちが普通に世界とか物質と呼んでいるものとの関係をどのように考えていたかを知る手がかりになるからである。

以上、賢治の心象言い換えれば心の構造の特異性を概観できたと思う。
賢治は、法華経・九識心王・本門本尊の大曼荼羅というような大前提を無条件に真なる命題としていたのである。



第三連。テキストは森羅情報サービスより借用しました。URLは、
 http://why.kenji.ne.jp/index2.html

       ***
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
       ***

清水正(ドストエフスキー研究者)という先生が、賢治作品論の中で、作品が一度公開されれば、それは『テキスト』となり、読者の裁量に委ねられることになる、というようなことを言っている。

もし、文学作品(テキスト)の鑑賞が、宗教のドグマのような縛りを受けるのであれば、これは文学ではなくなる。
一篇の詩の中に、自分を投影し心を解放できるから詩の鑑賞に喜びを感じられるのだろう。
大方の賢治愛好者は、賢治作品をこのような意味での「テキスト」として扱い、それぞれに読んで楽しんでいるのであろう。

一方、アインシュタインの特殊相対性理論を文学作品と同じ意味あいの「テキスト」と見なしたら、物理学は成立しなくなるであろう。

もう一つ、文学作品のような「テキスト」としてそれぞれの好きなように(?)読むことが許されないのが宗教の聖典である。
もしも、仏典を読者が好きなように読んで好きなように解釈していいのなら、お釈迦様の悟りは、読者の数だけ存在することになってしまう。
言い換えれば、悟りというものが何でも有りとなってしまいかねない。

長ーい前置きだったが、言いたいのは一言である。

賢治作品には、二面性があり、一面は文学作品としての「テキスト」という性格があり、もう一面に賢治の宗教文書としての「テキスト」という性格がある。

これは初めから賢治が意図した二面性であろうし、賢治が文学作品という表現形式を採用した意図でもある。

私は、この二面性の一方、宗教性だけに目を向けているのである。

母イチに対して、自分の作品(童話)は「有り難い仏様の教えを、いっしょうけんめい書いたものなんだから、いつかきっと、みんなでよろこんで読むようになる」、と語ったとされている。

それでは何故賢治は、一般の仏教書のような表現形式を採用しなかったのか?
その答えは、第三連以降に潜んでいる。

さて、「春と修羅」の序詩に関する限りは、二面性の内の宗教性がはっきりと前面に打ち出されているものだと思う。
したがって、私たちは、賢治の主張を忠実に読み取るべきだと思うのである。

序詩の宗教性に対し、本体の各詩篇は文学性で装飾されている。
序詩は理屈っぽいが、各詩篇は奔放自在である。
各詩篇は、序詩を読むようには読めないと思う。
総論と各論の関係とは異なると思う。
農民芸術概論で「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい」という時の、直観によって詩篇は生み出される。


第三連を読む場合まず、冒頭の「これらについて人や銀河や修羅や海胆は」の「これら」が第一連、第二連のどの部分を指すのかを決定しなければならない。

しかし、「これら」を明確にする前にやっておくことがある。

現象と本体及び虚無という概念の規定である。
正直、こういう言葉を普段はいい加減に使い、読んでいる。

手元にある「現代哲学事典」(山崎正一・市川浩編 講談社現代新書)の定義を引用する。

1.現象とは何かの現われた姿を意味し、その場合の「何か」が実在である。実在は現象の背後にあってこれを支える本体あるいは本質とも呼ばれる。従って実在は事実の真の姿というのに対し、現象は時間・空間によって制約された相対的なものという意味を担っている。

この現象と実在の関係を、物的(物質的)と心的(精神的)という対立概念との関係として解釈すると、唯物論と観念論もしくは唯心論という対立の構図となる。

2.心的なものに対する物的なものの根源性を主張し、以って世界の究極の実在を物的なものないし物質に求め、心的・精神的なものの全てをそれの現象ないし仮象とみなす認識論的・形而上学的見地がうまれ、この立場は認識論的見地としての観念論および形而上学的見地としての唯心論に対して、唯物論と呼ばれる。
3.唯心論とは、世界の本質と根源を心的あるいは精神的なものに求め、物質的なものはそれの現象乃至は仮象であるとみなす形而上学的・世界観的見地をいう。

哲学的には、現象と実在or本体に関してはこの他にもいろいろな立場があるようだ。

次に虚無という概念についてであるが、現象・実在・唯物論・唯名論もしくは観念論などは、私たちという存在をどのように意味づけよう(生きる意義、価値を見出そう)とするかの相違であろうが、そういう立場に対して、私たちの存在に意味を見出そうとしないのが虚無の考え方であろう。
しかし、絶対的な虚無という立場は事実上あり得ない。
とても、耐え切れるものではないと思うからである。
全てを否定するなどということは不可能だと思うが、仮に出来たとしてもその人間は平衡を保てないだろう。

さて、「これら」が指示するものであるが、「これら」は第一連・第二連で提示された命題を指していると思う。

第一連では、賢治が自分を含む世界とはどういうものなのかを言明している。
○ 賢治も風景もみんなもすべて現象である。
○ 賢治は、科学(化学)的に規定すれば有機体であるが、賢治の全てを、観察・分析可能で化学・物理の法則に従う有機体であると仮定できない。これまでも科学(化学)の対象となっていなかった幽霊のような側面がある。その幽霊は、因果の法則によって現象させられている。
○ 賢治も風景もみんなも常に明滅(一刹那ごとの生成消滅の繰り返し)しているので、賢治という現象は、交流電燈の照明(ひかり)に譬えられる。
○ 有機体としての賢治の身体(電燈)は生成消滅(無常)の原理に従いその形態を失い、他のものに置き換えられてしまうが、電燈から発していた「ひかり」は保たれる(失われない)。
第二連は、賢治や風景やみんなという現象の記録に関する言明である。
○ 賢治達の現象は、時間軸に沿った軌跡でもあり、時間は、空間同様に過去・未来・現在という広がりを持つ。
○ その軌跡を辿るためには何らかの形で記録されなければならない。そこで、賢治はこの軌跡をスケッチした。それが心象スケッチである。

なお、第一連、第二連だけからは、スケッチしたものは賢治や風景やみんなの現象であるということは分かるが、心象とは何かを説明していない。

これらの命題を受けて、第三連では、賢治・風景・みんなが明滅している現象とは何か、スケッチする心象とは何かを説明する(新しい命題の提示)。

第三連は、「風景やみんな」の「みんな」を紹介している。
勿論みんなの一例なのであろうが、人・銀河・修羅・海胆という名称を挙げている。
すでに触れたように、みんなの中に「修羅」が挙げられていることに注目をしたい。
第四次とか十界互具とかを考える時のキーワードとなるからである。

みんなは、第一連・第二連の命題についてそれぞれに本体論を考えるだろうが、背後から現象を支えるような実在としての本体というものは無いと言明する。

第一連・第二連で提示した命題を含め、それぞれが考える本体論も全て、心の風物なのであるとしている。

従って、賢治の立場は、観念論or唯心論に近いものだと思われる。
近いという表現にしたのは、おそらく賢治は、心についても本体とか実在とか実体という立場を表明しないと思うからである。
そこで、必然的に、失われずに保たれる「ひりか」も同様に本体とか実在あるいは実体というような見方をしないということになる。
時間軸に沿った軌跡も同様であろう。

この命題から導かれるのが、心象という概念の定義である。

心象とは、心の風物である、と定義される。

心の風物について、これまでに次のような表現がなされていた。

○「風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける」
○「すべてわたくしと明滅し/ みんなが同時に感ずるもの」
さらに第三連でも、
○「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから」

明滅すなわち刹那ごとの生成消滅というのは、ニュートン的な空間のように、同時性を持ってシンクロするものなのか、それとも、アインシュタインの時空のように、系ごとにそれぞれの時間なのか。
上記の引用からすれば、前者であると言えそうだ。

私には信じがたいことであるが、賢治は、本気で仏教的な因果の法則・業報輪廻観に縛られていたようである。

私の第一の関心事は、如何にして今日を無事に過ごすか、生きてゆくかであって、主義主張は正直二の次になっている。
しかし、賢治は、主義主張が第一であったということのようだ。
だから、魅力的なのだし、こうして研究したくなるのだ。
私のような生き方では、ただ時間が過ぎ去っただけとなる。

私には、賢治の自信作とされる序詩は、特に、現代のごく一般的な読者(つまり私)のことを考えると、説明不足の失敗作だったと思える(多分賢治がそういう試みをしたとしても成功しないだろう。想定される読者の層は月からスッポンまでと広い層に跨るだろうからである。)。

このことは、賢治研究者が苦労して読解した論文を読むとはっきりと分かる。
当たり前と言えば当たり前だが、賢治の創作の動機となり、実生活(生き方)を支えた賢治の思想・理念を知らなければ、テキストを自分なりに解釈して満足する文学鑑賞になってしまう。
作品によって賢治が問いかけている宗教性は読み取れない。

この序詩の主張、言い換えると賢治の心象スケッチを本当に理解するためには、賢治が偏執的なほどに拘っていた心の理念・理論、日蓮や智学の法華経解釈を知らなければならないと思う。
これについては次回記事にしたい。

さて、賢治の心の風物というのは、この「心の風物」という言葉をごく一般的に解釈する私の心に去来する状景とはかけ離れたもののようである。
やはり、賢治の心の理論を理解した上で、彼の心象スケッチすなわち各詩篇を読んだ方が良いと思う。

さて、賢治の心の風物観に従えば、賢治という現象は生起するように生起している(法に従っている)のであり、その風物は、賢治の主観に過ぎないものではなく、みんなに共通する(普遍性がある)と確信できるから、現象の背後に実在・本体・実体を想定しなくとも、虚無ではないと断言できるというのだ。

「すべてわたくしと明滅し/ みんなが同時に感ずるもの」という命題が真であるなら、虚無だと非難するもの自身も虚無なのだから、虚無だという非難は無意味となる。

もって回った言い方になってしまった。
次回の記事を読んで欲しい。



  ***
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
  • **

第二連。

賢治は死ぬ直前まで、この命題に忠実であったようだ。
晩年力を注いだ童話と文語詩を心象スケッチに分類出来るかどうかは微妙だが、文字通りの(心象)スケッチではないかもしれないが、心象(風景)を記録(書きとめた)したことだけは確かだろう。

では何故賢治はこれほどに己の心象風景を記録しなければならなかったのだろうか。

賢治はついに半陰地(湿地)の林の中を飛び回る無数の羽虫の一匹一匹の伝記を書かねばならぬとまで言い出す始末である。

       ***
それはちいさな蜘蛛の巣だ
半透明な緑の蜘蛛が
森ぢゆういつぱいに細截機〔ミクロトーム〕を装置して
虫のくるのを待つてゐる
ところが虫はどんどんとぶ
あのありふれた百が単位の羽虫の群が
みんなちいさな弧光燈〔アークライト〕といふやうに
さかさになつたり斜めになつたり
自由自在に一生けんめい飛んでゐる
それもあんなに本気で飛べば
公算論のいかものなどは
もう誰にしろ持ち出さない
むしろ情〔なさけ〕に富むものは、
一ぴきごとに伝記を書いてやるべきだ
 (生前発表詩篇「半陰地選定」)
       *** 

この課題はチョット脇に置いて先に進む。

第二連の冒頭は、過去を方角として感ずるという表現で始まる。

普通の感覚では、時間に方角(角)の観念は混じらない。
「唯一の現在が不断に更新されていく過程が、時間の流れだ--というのが一般的なイメージだろう。」

しかし、すでに引用したミンコフスキー空間においては、時間は空間と同じ軌跡として表現されるため、角を持つことになる。
「しかし、ミンコフスキー空間では、時間は、空間と同じく広がりの次元となる。現在だけが存在するというわけではない。過去から未来にいたるあらゆる時刻が同等に扱われるのだ。」
つまり、方角という表現が、時間軸に沿った軌跡という時空認識を示唆していることになる(理論を理解しているわけではないので、いい加減といえばいい加減だが、要するに一次元の空間と一次元の時間という二次元座標を想定している)。

例えば突飛な発想だが、「ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケッチ」の一つ一つを座標の点と見なし、時間軸に沿って座標上に置いていったら、そこに立派な賢治の軌跡が出現する。

では、そうやって日常感覚に逆らって、時間(時空)の軌跡に拘る理由は何なのか、それこそが重要なポイントであろう。
これが、先ほど提起した問題、何故賢治は記録することに執着したのかという問いと同じ問題なのである。

       ***    
「一〇八六 ダリア品評会席上」(1927年) 

 最后に一言重ねますれば
 今日の投票を得たる花には
 一も完成されたるものがないのであります
 完成されざるがまゝにそは次次に分解し
 すでに今夕は花もその瓣の尖端を酸素に冒され
 茲数日のうちには消えると思はれますが
 すでに今日まで第四次限のなかに
 可成な軌跡を刻み来ったものであります
       ***

この詩篇で、賢治は品評会に展示されているダリアの運命を述べている。

「今日の投票を得たる花には
 一も完成されたるものがないのであります
 完成されざるがまゝにそは次次に分解し
 すでに今夕は花もその瓣の尖端を酸素に冒され
 茲数日のうちには消えると思はれますが」

これは生まれたもの、生じたものの必然の運命である。
これが仏教の基本認識である。
最近は変わってしまったようだが、少し前まで日本人である私たちは、普段無意識に、このようなものの見方をしていた。
このものの見方を突き詰めれば、我々は生まれて死ぬものという無意味な存在となってしまう(キリスト教徒はこういう考え方をしないようだ)。
仏教は虚無の思想ではないかと揶揄される所以である。

賢治が高校の頃に、初めて法華経に出会い、震えるほどに感激したとされる。
私が法華経如来寿量品を読んでも、一向に震えるほどに感激出来ない。
賢治と何が違うのか?

さて、ダリアの話に戻る。

賢治は、ダリアをこのように見ている。

「今日の投票を得たる花には
 一も完成されたるものがないのであります
 完成されざるがまゝにそは次次に分解し」

明らかに私の普通のものの見方とは異なる。

ダリアが完成されないとはどういうことなのか?

完成されざるがまま...という表現は、農民芸術概論の次の記述と合致する。

       ***
われらの前途は輝きながら険峻である
険峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
       ***

この言葉をジッと睨んでいると、法華経の登場人物(?)が頭に浮かぶ。

如来は完成者である。
菩薩は...これは永遠ではないにしても永遠に近い未完成者であろう。

前途は輝きながら険峻である、というのは誰にも当てはまるが、特に、菩薩にぴったりの表現ではないか。
詩人は苦痛をも享楽するというのも、詩人を菩薩に置き換えれば、同様である。

さらに、ダリアについて賢治はこう述べる。

「すでに今日まで第四次限のなかに
 可成な軌跡を刻み来ったものであります 」

可成な軌跡とは、時間軸に沿った軌跡の意味であろう。
ダリアの軌跡はミンコフスキー空間にキチンと記され、一刻一刻が未完成の完成なのだということである。

何故時間軸に沿った軌跡に拘るのか。
それは、賢治という存在が、ある一点の到達点だけのために生きているのではなく、また、賢治の死によって、賢治が断滅してしまうのでもない、輝く前途は死を超越してどこまでも続き、一瞬一瞬を享楽しながら前進するという、法華経に述べられる永遠性を現実化するものなのであろう(まだ良くまとまっていない)。


         ***   
もしミンコフスキー空間が現実的なものだとすると、時間について根本的に考え直さなければならない。われわれの実感は、時間が流れだと告げている。過去は過ぎ去り、未来は未だ来たらず、ただ現在だけが現に在る。唯一の現在が不断に更新されていく過程が、時間の流れだ--というのが一般的なイメージだろう。しかし、ミンコフスキー空間では、時間は、空間と同じく広がりの次元となる。現在だけが存在するというわけではない。過去から未来にいたるあらゆる時刻が同等に扱われるのだ。
  (吉田伸夫著「思考の飛躍 アインシュタインの頭脳」新潮選書)
          ***

この説明だけでミンコフスキー空間(四次元時空)というものを考えると、直ぐに説一切有部(有部)が主張した三世実有の理論が想起される。

三世実有の考え方によれば、有部が「法」と呼んだ「現象」の本体(実体)が現在において実在するだけでなく、過去にも、さらに驚くべきことに未来にも実在しているというのである。「法」は私たちが普通に実在すると考えている「物質」を意味するのではなく、例えば「心」「煩悩」といったような精神的な原理のようなものを想定していたようだ。

仏教的な世界観の特徴は、生成消滅に代表される変化であろう(無常)。

有部は、この変化を刹那滅というカラクリで説明したらしい。

お釈迦様の教えを分析し体系化した有部の理論の最大の問題点がこの二つの原理にあった。
無常・苦・無我という大原則に矛盾するのが実体論であり、現象が刹那的であり、一刹那ごとに消滅し、また、新しく生成される、とすると、一刹那前に消滅した私と新しい刹那に生成した私との間の同一性はどうなるのかという難問を反対派から指摘されたのだ。

しかし、「春と修羅」の序詩には、この二つの理論が垣間見える。
明言されていないが、賢治は有部の二つの理論(原理)とミンコフスキー空間の理論とを融合させて、序詩の理論的土台としているような気がする。
ただし、賢治は有部のような実体論は採用してはいないようだ。

過去・現在・未来が時間の広がりとして実在するという(時間軸に沿った軌跡として)考え方は、序詩の次のような表現に現れていると思う。
 *私の推測どおり賢治がミンコフスキー空間(四次元時空)の理論や時間軸・軌跡といった考え方を採用したとしたら、おそらく無条件に採用しただろう。とても賢治がこの理論を検証できたとは想定できないからだ。アインシュタインの相対性理論の成功や名声を信頼してのことだろうと思う。

○(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
○ ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケッチです
○ けれどもこれら新世代沖積世の/巨大に明るい時間の集積のなかで
○ 相当した証拠もまた次次過去から現出し

刹那滅の考え方は、

○ 交流電燈
○ せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける
○ (すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの)
○ かげとひかりのひとくさりづつ
○ 正しくうつされた筈のこれらのことばが/わづかその一点にも均しい明暗のうちに/(あるひは修羅の十億年)/すでにはやくもその組立や質を變じ

賢治は有部(など)の実体論を採用していないらしく、次のように表明している。

○ これらについて人や銀河や修羅や海胆は/宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら/それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが/それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

同時に、賢治は、実体を否定したからといって直ちに虚無論とはならないと表明している。

○ たゞたしかに記録されたこれらのけしきは/記録されたそのとほりのこのけしきで/それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで/ある程度まではみんなに共通いたします

上に引用した序詩の一部が、末尾の結論部で、「すべてこれらの命題は」と称された命題の核心部分でもある。

では、序詩をざっと読んでみよう。


第一連。 賢治という現象と法華経との関係を暗示する。

われわれ人間存在といものは、実体的な存在ではなく、業報輪廻・因果の法則にしたがって現象しているだけであるという仏教の考え方が前提になっている。キリスト教のような、神が実在し、神の恩恵によって魂と肉体が実在するという考え方とは異なる。

農芸化学で学んだ科学知識によれば、賢治という現象は有機体であると仮定されている(科学知識は全て仮定・仮説である)。その有機体は、当時岩手県にも普及していた電燈に譬えれば、刹那という一瞬ごとに生成と消滅を繰り返す刹那滅の理論と一致する交流電燈に比することが出来る。

では賢治は、有機体(肉体)という現象にすぎないのだろうか。
いやそうではない。
有機体のどこにも見出せない(科学の研究対象にならない)、幽霊のようなもう一つの賢治を確かに自覚している。
それは、化学反応が生起する有機体の原理とは異なる原理で現象している。
「風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら」現象しつつ、「いかにもたしかに」存在している。
これは科学では解き明かせない因果の法則、業報輪廻の原理に基づく現象である。
これを電燈に譬えれば、因果交流電燈といえる。

したがって、賢治という現象は、有機体という現象であると同時に、因果の現象でもある。

このように序詩の冒頭で、賢治は、仏教理論に科学的な考え方(方法)を導入して見せた。

そして第一連の最後にさりげなく、「(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」という法華経如来寿量品のテーマを提示した。

          ***
わが智力はかくの如し 慧光の照らすこと無量にして
寿命の無数劫なるは 久しく業を修して得たる所なり。
汝等よ、智有る者は これにおいて疑を生ずること勿れ。
当に断じて永く尽きしむべし 仏のことばは実にして虚しからざること...
 (坂本幸男訳注「法華経 下 如来寿量品第十六」岩波文庫)
          ***

「ひかり」は、賢治自身の交流電燈という現象の象徴であると共に、久遠の釈迦仏の象徴でもあろう。

久遠の釈迦仏(如来)の慧光は太陽に譬えられようが、当時の賢治は蛍光菌のような青白い光でしかないと自嘲気味に表現している。

詩篇「屈折率」がその状況を如実に物語っている。
鬱々としたまま鉛色の暗い雲の下のでこぼこの雪道をふらつきながら歩いていると、突如彼方に巨大な明るい光(慧光の比喩?)が出現した。
しかし、賢治はその光の方向に向かうことが出来なかった。
うつむいたまま、反対方向の暗い雲の下を目指して歩き続けた。

当時賢治は道を踏み迷っていたらしい。

          ***
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
     ・・・・・・・
あかるくつめたい精進〔じゃうしん〕のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や螢光菌のくらい野原をただよふとき
 (詩篇「無声慟哭」)
          ***

たとえ賢治が今は蛍光菌のような青白い光でしかないとしても、賢治は決して信仰を捨てたわけではなかった。

久遠の釈迦仏が智慧の光で人々(衆生)を無上道に導きいれ、仏身を成就させようとしている。賢治も菩薩道を行き、何度も生まれ変わって人々を導かなければならない。そのたびに、賢治の身体は失われるが、久遠仏とともに、(賢治の)光は保たれ、次の生存で再び菩薩行に励む。

(続く)


確証もなく、一貫性もないこういう推論をアドホックなというのかな。



多分賢治研究者のどなたかが同じ推理をされていると思うが、私は何かをヒントにして、賢治の第四次あるいは四次元と浮世絵版画との関係を考察してきた。
一応の結論も出してきた。

以下の引用の内、星印(☆)をつけたものは、下記のURLより借用したものです。
 http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/27314654.html)

          ***
「浮世絵展覧会印象」(1928年)  ☆
http://why.kenji.ne.jp/sonota1/ukiyoe.html
 見たまへこれら古い時代の数十の頬は
 あるひは解き得ぬわらひを湛え
 あるひは解き得てあまりに熱い情熱を
 その細やかな眼にも移して
 褐色タイルの方室のなか
 茶色なラッグの壁上に
 巨きな四次の軌跡をのぞく
 窓でもあるかとかかってゐる
          ***

賢治が浮世絵に強い関心を持ち、相当な蒐集をしていて、そのことを父から叱責非難されたことがあったとされる。
それほどまでして何故浮世絵なのか。
上の引用の次の部分に注目して欲しい。

褐色タイルの方室のなか
茶色なラッグの壁上に
巨きな四次の軌跡をのぞく
窓でもあるかとかかってゐる

賢治は浮世絵を切り取られた四次元時空の一瞬間と考えたのだ。
つまり、

ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

と同等の貴重な四次元時空のデータであると考えていたと解釈するのである。

ここで、「四次の軌跡」という語に注目して欲しい。

谷川徹三という哲学者が賢治を高く評価していたのをご存知だろうか?
谷川は、賢治の四次元、第四次をミンコフスキー(ヘルマン)の四次元時空(ミンコフスキー空間)だと解釈した。
以下にミンコフスキーの四次元時空の解説を引用する。

          ***
一般的な常識では、運動とは刻々と場所を移動するというダイナミックな過程を意味する。しかし、時間軸も空間軸と同じように扱う四次元空間の幾何学では、こうした常識とは全く異なる視点を提供する。この視点からすると、運動とは、四次元空間の中の軌跡(トラジェクトリ)というスタティックな存在となる。静止は時間軸に並行な軌跡、等速運動は時間軸に対して一定の傾きを持つ軌跡である。
        ・・・・・・・・・・
もしミンコフスキー空間が現実的なものだとすると、時間について根本的に考え直さなければならない。われわれの実感は、時間が流れだと告げている。過去は過ぎ去り、未来は未だ来たらず、ただ現在だけが現に在る。唯一の現在が不断に更新されていく過程が、時間の流れだ--というのが一般的なイメージだろう。しかし、ミンコフスキー空間では、時間は、空間と同じく広がりの次元となる。現在だけが存在するというわけではない。過去から未来にいたるあらゆる時刻が同等に扱われるのだ。
  (吉田伸夫著「思考の飛躍 アインシュタインの頭脳」新潮選書)
          ***

正直に言えば、ほとんど理解できていない。
文字面を追っているだけかもしれない。

しかし、この解説文と賢治の文章、詩を読むとぴたりと一致することがある。

賢治の文章・詩などに「軌跡」という語が結構見られるのだ。

引用文にも在るように、私たちには現在しか存在しない。
しかし、アインシュタインの特殊相対性理論を数学的に解釈したミンコフスキー空間(四次元時空)においては、時間は、現在という一瞬・一点だけが存在を認められるのではなく、時間も空間同様に過去・現在・未来という広がりを承認されるというのである。
空間には、東西南北左右上下などという広がりがあると考えられている。
それと同じように、時間には過去・現在・未来という広がりがあり、それを軌跡という風に表現することが可能なのだろう。
極端な言い方をすれば、空間が無限の広がりを持つように、時間も無限の広がりを獲得したのだ。  

          ***
「一〇八六 ダリア品評会席上」(1927年)  ☆
http://why.kenji.ne.jp/sonota1/n1086dahlia.html
 最后に一言重ねますれば
 今日の投票を得たる花には
 一も完成されたるものがないのであります
 完成されざるがまゝにそは次次に分解し
 すでに今夕は花もその瓣の尖端を酸素に冒され
 茲数日のうちには消えると思はれますが
 すでに今日まで第四次限のなかに
 可成な軌跡を刻み来ったものであります       
          ***

「浮世絵展覧会印象」における「軌跡」と全く同じ意味に解釈することができると思う。

この軌跡は、吉田先生の解説にある、ミンコフスキーの四次元時空における軌跡と同じであると言えないだろうか(ミンコフスキーを正確に理解できないので断言できない)。

この読みが正しいとするなら、序詩の第二連、

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

における、「かげとひかりのひとくさりづつ」すなわち、「そのとほりの心象スケッチ」も、まさしく「軌跡」であると言えそうなのだ。

もう一つ賢治の文章を引用したい。森羅情報サービスより。
 http://why.kenji.ne.jp/index2.html

          ***
農民芸術の(諸)主義

……それらのなかにどんな主張が可能であるか……

 芸術のための芸術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
 人生のための芸術は青年期にあり 青年以後に潜在する
 芸術としての人生は老年期中に完成する
 その遷移にはその深さと個性が関係する
 リアリズムとロマンティシズムは個性に関して併存する
 形式主義は正態により標題主義は続感度による
 四次感覚は静芸術に流動を容る
          
農民芸術の綜合

……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての
田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術を創り
あげようではないか……

 まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
 しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
 ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
 青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
 「つめくさ灯油ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
 雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ」
 詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
 われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
 巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
 おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう

結論

……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……

 われらの前途は輝きながら険峻である
 険峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さを加へる
 詩人は苦痛をも享楽する
 永久の未完成これ完成である

 理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
 畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである
          ***  

「われらの前途は輝きながら険峻である
 険峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さを加へる
 詩人は苦痛をも享楽する
 永久の未完成これ完成である」

とは、まるで菩薩行の解説のようではないか?

「理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる」も、経典で良くお目にかかる決まり文句である。

では、なぜ、賢治にとって芸術は四次元でなければならなかったのか?

まだ閃き程度であるが、妙法蓮華経(法華経)如来寿量品第十六で説かれる永遠性がその鍵ではないかと思う。
菩薩行の視点から見れば、何度でも輪廻転生を繰り返さねばならないが、四次元時空の理論は、そういう菩薩行が架空ではなく実在しうると保証していると解釈したのかもしれない。


以下の引用は、全て、森羅情報サービスさんから拝借しました。URLは下記。
 http://why.kenji.ne.jp/index2.html

また、性懲りもなく第四次延長に関するあて推量を行います。
念のため、「春と修羅」の序詩全文を引用します。

          ***                      
    序                             

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料〔データ〕といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日  宮澤賢治
          ***


年譜によれば、賢治は「春と修羅(第一集)」に収められた全詩篇が書かれた後でこの序詩を書いたことになっている。
この日付の意味を重視するなら、序詩(序文に相当すると思う)の内容と、収載された詩篇とが無関係であるということはあり得ないので、全詩篇のエッセンスや原理はこの序詩に集約されているものと信じる。

前回の小論で書いたように、賢治は特異な世界観を抱いていた。
私たちにとってそういう世界観は、アニメ映画のようなもので、映画の中では真実であっても、映画館を出てしまうと、いつもの現実に戻ってしまうという程度の関係に過ぎないが、賢治にとっては、映画館の中も、映画館の外も全く同じ世界であったと言えそうなのだ。
つまり、本気で信じていたということである。
賢治にとっては常にいつも全て真実であったらしいのだ。

例えば、次の連を読んで欲しい。

          ***
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
          ***

私は、この記事を書き始めるまで、以前の記事に書いたように、人と修羅は同じ世界を共有していないと考えていた。
少なくとも、同じ三次元の中に存在しているのではない、と思っていたのだ。
そこで、第四次を四次元時空ではなく、四次元空間の第四の次元つまり異次元空間と解釈していた。
ところが今日、序詩を読んでいるうちに、賢治が何の区別もせずに、人・銀河・修羅・海胆と並べていることの意味を考え直した。
賢治にとっては、修羅は決して異次元の存在ではないと気づいた。
人や海胆と共に同じ世界に存在している、と解釈できそうな気がした。

銀河を人格神のように扱っている理由は前回の記事を読んでいただければ納得されるだろう。
賢治は、心象世界における全存在と賢治とを切り分けることが出来ないと考えていた。
そうだとすれば、賢治が人格を持てば、銀河も人格を持つことになる。
賢治風に言えば、
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
となるのだろう。
つまり、切り分けられないのならば、一体なのだから、当然次元は同じはずである(粗雑な議論で失礼)。

では何故、地獄・餓鬼・修羅・天を見ることが出来ないのか?
それは、私たちの認識能力・機能が貧弱であるからだと賢治が考えていたふしがある。
五感に依存する科学の限界を宗教が(もしかすると、詩心つまり直観によっても)超えられると信じていたようなのだ。

はなはだ簡単だが、以上のことから、第四次を四次元時空と解釈する。
我々が通常感覚している三次元空間とこれに連動する一次元の時間である。



最初に一言。
以下の論には、大乗(仏教)、小乗(仏教)という用語がしばしば登場する。
勿論、この用語が後発である大乗側から発信されたものであることや、この用語の品のなさと小乗側の僻みに配慮して、大方の仏教関係者は小乗(劣悪な乗り物=低劣な教義)という用語の使用を避けていることも知っている。
それを承知の上で、小乗という歴史用語を使用する。

この小論は、閃きだけを頼りにして構成したものであり、あまり論理的ではない。
(以下で引用した賢治作品のテキストは、全て、森羅情報サービスから拝借したものである。URLは下記)
 http://why.kenji.ne.jp/index2.html

          ***
ちいさな自分を劃ることのできない
 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと萬象といっしょに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから碎けまたは疲れ
じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする
この變態を戀愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその戀愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得やうとする
この傾向を性慾といふ
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に從って
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといっても
それがほんたうならしかたない
さあはっきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理學の法則にしたがふ
これら實在の現象のなかから
あたらしくまっすぐに起て
          ***

avaro註:
 ・劃クギる---劃カクする。分け目の筋をつける。区域をきめる。物事をはっきりと区画する。

賢治作品の中には、人の区分けとか人の変化(進化)に関するいくつかの仮定(命題)がある。詩「小岩井農場」のこの部分もその一つである。

賢治は、人というもの、少なくとも賢治自身に関しては、心象宇宙やそこに存在するあらゆるモノと賢治自身とを明確に区別出来ない(個別化すべきでない)と考えていたようだ。
この観念は、おそらく、詩集「春と修羅」の序詩で何度も主張される次のような考え方に通じるものだろう。

          ***
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
          ***

この考え方は、「農民芸術概論綱要」の次の部分にも通じるものであろう。

          ***
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
          ***
          ***
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
 しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
          ***

賢治は妙法蓮華経(法華経)を信奉していた。
法華経を依拠として一宗派を立てた日蓮を敬慕していた。
日蓮教学を奉ずる教団「国柱会」の会員にもなっていた。

妙法蓮華経(法華経)は、大乗仏典の代表作の一つである。

賢治作品は好きだが、法華経のような宗教臭さには蓋をしているという賢治ファンがほとんどだろう。
彼らの本棚には、妙法蓮華経(法華経)はない。

さて、冒頭に引用した、「ちいさな自分を劃ることのできない この不可思議な大きな心象宙宇のなかで」のフレーズには、賢治の精神的バックボーン・大乗の精神が込められているような気がする。

「心象宇宙」は、まことに不可思議の極みである。
この「心象宇宙」という表現は、多分客観的に存在するであろう物理的な宇宙を指すのではなく、私たちの心に(意識に)表象されている宇宙のことを指していると思う(もしかすると、賢治はこの両者を区別せず一体のものと考えていた可能性はある)。
この表象がどんなに人々を惑わせてきたことだろう。

賢治の人間進化論によれば、「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化」し、ついには、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」ということになる。

これが賢治の大乗論なのだろう。
大乗仏教も究極的な人の幸せ(至上福し)を説いているはずなのだから。

ただし、賢治の大乗論が、従来の大乗論と異なって特異なのは、「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい」という方法論を採用したことであろう。

賢治はこの方法論を説くために「銀河鉄道の夜」を構想し、未完成のまま世を去った。

この点に関しては別稿で論じたい。

さて、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という目標は、小乗においても変わらないはずであろう。
小乗の比丘たちも、決して自分たちだけが幸せになればいいとは考えなかったはずである。

このような齟齬は、何も宗教だけに特有な現象ではなく、人が寄り集まって何事かを為そうとすると必ず生じるものであろう。

賢治が希求した、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向」はほとんど実現不可能なのである。
どんな主義を、どんな原理を、誰をその「一の」ものに据えるかという大問題が立ちはだかるからである(賢治は直感的判断で法華経・日蓮をその「一」に据えた)。

今も世界は、この問題をめぐって陰謀術策を交錯させ、多くの現場で流血の代理戦争を繰り広げている。
この酸鼻を極める対立抗争に較べれば、国内宗派仏教同士、あるいは、宗派内に見られる対立抗争はどんぐりの背比べのようなたわいないものであろう(最も絶対に暴走しないという保証はないが)。

今日広島に集まった欧米の代理人たち、或いは、中東の代理人たちの言葉を聞いていると、実に醜い真っ黒な腹の内が透けて見える。
彼らは、広島の犠牲者に哀悼を捧げに来たのではない。
おのれらのプロパガンタの恰好の場を得たから来たのである(仏代理人の証言)。
あるTV局は、無節操にも、米英仏、イスラエルの代理人を紹介しながら、アラブ急進派(米英仏イスラエルの世界制覇の障害となっている対抗勢力)を無視して、メディアの大原則を放棄している。
世界制覇を目指す米英仏イスラエルに本当に哀悼の心があるなら、まず核兵器を廃棄して、犠牲者たちに「私たちは核兵器を完全に廃棄しました。」と報告に来たはずなのだから。

話しがそれつつある。
テーマに戻そう。

小乗は、悟りを実証的に体験し、人々を導こうとした。
大乗は、形骸化した小乗の精神に反発し、あらゆる人々の悟りを実現しようとした。

小乗・大乗共に、分派を繰り返し、各派の考え方にはかなりの相違があったようだ。
したがって、小乗・大乗で括って簡単に議論できないのであろうが、いくつかの相違点を挙げられる(前が小乗、後が大乗)。
 ①出家主義か、そうでないかの違い。
 ②お釈迦様の悟りを至高なものに特別扱いし、一段低い悟り(阿羅漢)を目指すか、お釈迦様の悟り(仏)を目指すかの違い。
 ③現世では、比丘(僧)は阿羅漢を目指し在家信者は生天を目指すか、それとも、全員が仏を目指すか(成仏)の違い。
など。

「インドにあって、仏教は元来から『出家者による、出家者のための宗教』(出家の宗教)であ」るとされるのは尤もだと思う。
なにしろ、悟り解脱涅槃は達成しがたい難事だからである。
仏教とは自分の努力で悟り解脱涅槃を成就することだと定義すれば、小乗こそが仏教だということになる。

それではあんまりだと考えたのが大乗を興した人たちだろう。
全ての人に、いや、生きとし生けるもの共すべてに成仏のチャンスを、と気高い理想を掲げ実現させようとした。
そういう大乗の理想を下支えした原理が、「空クウ」であろう。

そういう理想は気高いと思うが、現実的に実現可能なのかと問えば、これはなかなか悩ましい難問であろう。
インドにおいても、中国でも、日本でも、大乗側が分派に分派を重ねたのもそのあたりに原因があろう。

無謀にも、賢治はこの難問に挑戦したようだ。
賢治の方法論は、
「①近代科学の実証と②求道者たちの実験と③われらの直感の一致に於いて論じたい」
であり、①は追求したがついに果たせなかった。
②は日蓮などに求められる。
③はおそらく、文芸であろう。賢治の文学作品である。特に、詩。

賢治文学愛好家のほとんどはこんな事情をご存じないままイーハトヴ劇場へ観光旅行に出かけているに違いない。
賢治の願い「本当の・・・」は、なかなか理解されない。

何とかゆとりが残っている日本人は、退屈な日々の退屈を紛らすのに四苦八苦している。


出会いは常に偶然を装う。

家の前の道路でジョギング/5 でのそのそやっていたら、後ろからスケーターに乗った男の子(小3~5あたり)がスーイスイとこいで来た。目がきれいな子供だった。スイスーイとこいで行ってたちまちにカーブを曲がって行ってしまった。僕の過去がイキナリやってきて、男の子の未来に消えていった感じだった。

ヘンデルのオペラ・クセルクセスの冒頭アリア、「Ombra mai fu」を、カウンター・テナーAndreas Schollの歌で聞いた時は感動した。何語なのか不明な歌詞の意味は分からなかった。
後で調べて、当時のオペラはイタリア語で書かれたことが分かった。

四人の歌がyoutubeで聞ける(他にも沢山の歌手のOmbra mai fuがある)。

①Andreas Scholl(Ombra mai fuだけ) 
 http://www.youtube.com/watch?v=WsbYGdCQsgk
②Paula Rasmussen(Recitativo accompagnatoから歌っている)
 http://www.youtube.com/watch?v=PqaZ6CtRjPM
③Rolando Villazon(2ビデオ)
 http://video.search.yahoo.co.jp/video/351a67e8b21998c0a67b23596b95ba28?p=Rolando%20Villaz%C3%B3n&fr=strm&tt=c&ei=UTF-8&from=srp&rkf=1&r=15
 http://www.youtube.com/watch?v=dCUEVyGlI20&feature=related
④Dmitri Hvorostovsky(レチタティーヴォから。日本語歌詞あり)
 http://www.youtube.com/watch?v=vn6CA522JTY
⑤anonymous(未熟のボーイ・ソプラノ)
 http://www.youtube.com/watch?v=Sk28mm-bOkc&NR=1

レチタティーヴォの日本語歌詞
 私が愛するプラタナスの しなやかで美しい枝葉よ
 その輝きを失わないでくれ
 雷鳴や稲妻、激しいあらしよ
 すこやかなやすらぎを決して踏みにじらず
 荒れ狂う南風もこの木陰を 二度と汚さないでくれ

アリアの歌詞
 この木陰にまさる所は ほかに見当たらない
 枝葉の茂りによって 甘くそして愛らしく
 心地よいこの木陰よ

イタリア語の歌詞と別な訳
Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave piu`

こんな木陰は今までになかった
どれよりも愛しく、愛らしく
そして優しい

このオペラの日本語の解説は下記URLをご覧ください。
 http://homepage3.nifty.com/classic-air/database/handel/serse_syp.html
このオペラの主人公クセルクセスの実話とオペラの全楽曲名は、
 http://homepage3.nifty.com/classic-air/database/handel/serse_exp.html

さて、ヘンデルのオペラと「土神ときつね」がどんな関係なのか?

お気づきのように、どちらにも同種の木以外のもの(人、神、きつね)から恋される一本の木が登場するのです。
ま、オペラの方は導入のための小道具みたいなあしらいですが。

Andreas Schollのビデオでは、ずっと木と枝葉を映し続けています。この木が、若きクセルクセス王が恋したプラタナス(すずかけの木)なのです。良く見ていると、大きな切れ込みの有る葉っぱと、すずかけの木の由来となった鞠のような果球がぶら下がっているのが分かります。
英語の歌詞にはplane treeとあります。
まるでプラタナスの葉っぱを表現しているようです。
そして、樺の木(これははっきり同定されていないようですが)もギンドロのように、プラタナスのように平べったい葉っぱをつけ、風でひらひら揺れるのです。

Xerxes, the young king, ripe for love, directs his amorous attentions to a favorite tree.

クセルクセスがプラタナスに恋をしたのは、彼の中に恋心が目覚めたが、その対象がまだ明確でなかったかららしいのです。

ripe for love自分でもなんだか分からない、いずれ目覚めるモノが目覚めたのです。
本当の迷妄(無明)の始まりです。
directs his amorous attentions to a favorite tree対象が木であろうとも一度それが相手だと決まると、闇雲に熱中するのです。

これはまさに土神の身に起こったことと同じです。

実在のクセルクセスは後に唾棄すべき人物に成り下がったようですが、彼も始めて恋に目覚めたころは純粋だったかもしれません。

ヘンデルは、そういう”人の純情”をアリアに託してクセルクセスにombra mai fuを歌わせたのかもしれないのです。

オペラのあらましを読むと、後はもうドタバタ劇としか言いようの無いもののようです。
何処にでも転がっている恋の鞘当です。

そこには、必ず恋を成就できない人がでます。

オペラでは、妹のアタランタです。

彼女はなんとか王弟と結婚したいと思うのですが、気の毒にも、王弟は姉のロミルダに恋をしてしまっていたのです。
一方、クセルクセスもロミルダの歌声を聴いてプラタナスからロミルダに気を移します。さらに、王の許婚まで登場してドタバタは激しくなります。
最後は、筋書き通り、アタランタだけが取り残されて幕となります。

アタランタとロミルダの何処が違うのでしょう。
何故アタランタは姉と同じ人を恋してしまうのでしょう。
何故ロミルダは妹に恋人を譲らないのでしょう。

生き物の世界共通の悲劇です。

本人たちは意味も分からずに命がけの闘争をします。

何故そうしなければならないのかなんて考えが及びません。

生き物は他の生き物を食べる。
生き物は異性をめぐって命がけの戦いをする。

宮沢賢治はこの宿命を呪ったのではないでしょうか?

(すべての生きとし生けるものの幸せを宣言して早や2000年、未だにほとんど変わっていない。
菩薩は見当たらず、宗教家は堕落している。
賢治は苛立つ。)

ヘンデルは、初めのたった数行の歌詞に救いを託した。

賢治は、土神にきつねをグジャグジャにさせ挙句に途方も無い大声で泣かせた。

森羅情報サービスから借用します。URLは下記。
 http://why.kenji.ne.jp/index2.html


    ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

    序

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料〔データ〕といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

        大正十三年一月廿日  宮澤賢治

    ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
    

昨日アップした、桜部先生の「存在の分析<アビダルマ>」の一節を入力していて、宮沢賢治のこの「春と修羅」序を思い浮かべました。

先生の説明に基づいて春と修羅 序を読むことも可能かなという気になりました。

第一連のテーマは人という存在が刹那滅の連続という現象であること、その現象は縁起という因果の法則に従っていること。
幽霊とは、因果の法則に従って現象させられたダルマという風にもよめるかなぁなんて。
有部風に言えば、現象としての人は、ダルマの集合体に他ならないと言えそうです。

ただし、読みきれない問題もあります。

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

この「ひかり」をどう解釈するかという問題です。
因果によって未来からやってきたダルマで構成された賢治という現象は、瞬時に消滅し、構成ダルマは過去へ去る。
もちろん、有部の説によればそれらのダルマは分解して個々のダルマとなり、過去に存在しているはずです(三世実有・法体恒有)。
では、保っている「ひかり」とは何でしょう?

第二連は、心象スケッチの性格を述べている。
何をスケッチしたのか、つまり、心象とは何かということです。
これは、実に壮大そのものの世界観です。

<風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける>

<(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)>

世界(銀河までも含む?)がシンクロしながら同時に明滅していると言っているようです。
これだけ広くなると、光速有限の決まりに従って、同時ということは不可能となります。
あるいは、同時という意味が異なってきます。

釈迦仏教の考え方に従えば、こういう外的世界に関する事柄は論外のこととなります。
自分の経験の範囲外だからです。

しかし、有部の説明の中には明らかに自分の経験外の事柄が混入してきます。
釈迦仏教は世界などという事柄は考察の対象にしませんでしたが、有部の説明では必要になります。

実際に奇妙な須弥山世界のようなものを考案しています。

大乗仏教になると、諸仏の世界が登場し、ますます世界を対象とするようになります。

賢治は銀河宇宙まで世界を広げました。

第三連は、本体論というより世界のあり方を問おうとしているようです。

何度も繰り返される、
<(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)>
の思想は、恐らく釈迦仏教とは縁がなく、有部のものでもないでしょう。

第四連の、
<正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます>
は、無常観であると思えます。

桜部先生の文章を入力していて「あっ。」と思い出したのが、以下の部分でした。

<けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料〔データ〕といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され>

有部の理論は、表面的な読み方によれば、現代の常識からは実に奇妙な印象の考え方です。
しかし、当時のインド人たちにとってはそれほど奇妙奇天烈ではなく、本気で議論するに値するかなり納得できる理論だったと考えられます。
他の部派や当時のインドの諸哲学の論師たちが有部の説を批判したようです。
大乗仏教の経典はどうやら初めのうちはほとんど無視され、嘲笑されたとされていますが、有部の理論は他の諸説を脅かす理論だと受け取られたようです。
科学史を読むと、数百年前どころかホンの百年まえでも可笑しな考え方がまかり通っていたようです。

だから、今私たちが本気で考えている事柄も後世の人たちには何でそんな考え方をしたのだろうと訝られるものもあるでしょう。

お釈迦様も同時のインドの知識人が本気で信じていた宗教や哲学の教理・理論をそういう目で見て、自分が納得できるまで「本当のこと」を追求したのでしょう。

賢治も「本当の世界、本当の宗教、本当の...」を本気で求めていたのでしょう。
「銀河鉄道の夜」で賢治はジョバンニの口を通して、とうとうこの課題を追求し切れなかった悔しさを述べているように感じます。

最後の連にある、

<心象や時間それ自身の性質として>

が賢治の拠り所だったのでしょう。
この文言は一見仏教とは何のかかわりも無いように見えますが、実は物凄く仏教的なものだと思えてきました。

西洋の観念論とは相当に違う、仏教史を貫く考え方が根底にあるような気がします。

④ 詩 二篇 - 賢治の心象世界に入ってみる -
(校本全集第四巻 詩稿補遺より テキストは森羅情報サービスより拝借しました。URLは下記)
  http://why.kenji.ne.jp/index2.html


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


葱嶺〔パミール〕先生の散歩


気圧が高くなつたので
昨日固態の水銀ほど
乱れた雲を弾ハジいてゐた
地平の青い膨らみが
徐々に平位を復するらしい
しかも国土の質たるや
それが瑠璃から成るにもせよ
弾性なきを尚タットばず
地面行歩に従つて
小さい歪みをつくること
あたかもよろしき凝膠ゲルなるごとき
これ上代の天竺と
やがては西域諸国に於ける
永い夢でもあつたのである
向ふ紫紺の古い火山のこつち側
何か播かれた四角な畑に
鉋屑カナガラ製の幢幡とでもいふべきものが
十二正しく立てられてゐて
古金の色の夕陽に映え
いろいろの風にさまざまになびくのは
たしかに鳥を追ふための装置であつて
別に異論もないのであるが
それがことさらあの高山を祀るがやうに
長短順をととのへて
二列正しく置かれたことは
ある種拝天の餘習であるか
山岳教の遺風であるか
ともかく誰しもこの情景が
単なる実用が産出した
偶然とのみ看過し得まい
古金の色の夕陽と云へば
きみのまなこは非難する
どうして卑しい黄金キンをばとつて
この尊厳の夕陽に比すると
さあれわたしの名指したものは
同じい純粋の黄金とは云へ
今日世上交易の
暗い黄いろなものでなく
遠く時軸を溯り
幾多所感の海を経て
龍樹菩薩の大論に
わづかに暗示されたるたぐひ
すなはちその徳はなはだ高く
その相ソウはるかに旺んであつて
むしろ流金クイックゴールドともなすべき
わくわくたるそれを曰ふのである
 
さう、亀茲国キジコクの夕陽のなかを
やつぱりたぶんかういふ風に
鳥がすうすう流れたことは
出土のそこの壁画に依つて
ただちに指摘できるけれども
沼地の青いけむりのなかを
はぐろとんぼが飛んだかどうか
そは杳として知るを得ぬ


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


〔雪と飛白岩の峰の脚〕


雪と飛白岩ギャロプの峰の脚
二十日の月の錫のあかりに
澱んで赤い落水管と
ガラス造りの発電室と
  ……また餘水吐の青じろい滝……
黝い蝸牛水車スネールタービンで
早くも春の雷気を鳴らし
鞘翅発電機ダイナモコレオプテラをもって
愴たる夜中の睡気を顫はせ
大トランスの六つから
三万ボルトのけいれんを
野原の方へ送りつけ
むら気多情の計器メーターどもを
ぽかぽか監視してますと
いつか巨大な配電盤は
交通地図の模型と変じ
小さな汽車もかけ出して
海よりねむい耳もとに
やさしい声がはいってくる
おゝ恋人の全身は
玲瓏とした氷でできて
谷の氷柱を靴にはき
淵の薄氷をマントに着れば
胸にはひかるポタシュパルヴの心臓が
耿々としてうごいてゐる
やっぱりあなたは心臓を
三つももってゐたんですねと
技手がかなしくかこって云へば
佳人はりうと胸を張る
どうして三つか四つもなくて
脚本一つ書けませう
技手は思はず憤る
なにがいったい脚本です
あなたのむら気な教養と
愚にもつかない虚名のために
そこらの野原のこどもらが
小さな赤いもゝひきや
足袋をもたずにゐるのです
旧年末に家長らが
魚や薬の市へ来て
溜息しながら夕方まで
行ったり来たりするのです
さういふ犠牲に値する
巨匠はいったい何者ですか
さういふ犠牲に対立し得る
作品こそはどれなのですか
もし芸術といふものが
蒸し返したりごまかしたり
いつまでたってもいつまで経っても
やくざ卑怯の遁げ場所なら
そんなものこそ叩きつぶせ
云ひ過ぎたなと思ったときは
令嬢フロイラインの全身は
いささかピサの斜塔のかたち
どうやらこれは重心が
脚より前へ出て来るやう
ねえご返事をききませう
なぜはなやかな機知でなり
突き刺すやうな冷笑なりで
ぴんと弾いて来ないんです
おゝ傾角の増大は
tの自乗に比例する
ぼくのいまがた云ったのは
ひるま雑誌で読んだんです
しっかりなさいと叫んだときは
ひとはあをあを昏倒して
ぢゃらんぱちゃんと壊れてしまふ
愴惶として眼マナコをあけば
コンクリートのつめたい床で
工手は落した油罐オイルをひろひ
窓の外では雪やさびしい蛇紋岩サーペンテインの峯の下
まっくろなフェロシリコンの工場から
赤い傘火花の雲が舞ひあがり、
一列の清冽な電燈は、
たゞ青じろい二十日の月の、
盗賊紳士風した風のなかです 


∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

にほんブログ村 仏教

ルアンポル・ティエン師の説法「To One That Feels」のChapter2の読みに入ると、難解な用語の連発で躓いている。
"Because every person has doubts in seeking the method to be free from confusion"
のconfusionでつっかかり、何とか適当な日本語を当てはめて次に進むと直ぐに、
”Formerly, I learned many kinds of kammatthana (meditation; lit. working ground),
の、working groundという語でstopさせられた。パーリ語のkammatthanaの字義なのだろうが、分かりやすい日本語にできないので、P→E辞書を検索する。
ある辞書にこの文におけるworking groundの字義にぴったりの説明を見つけたが、その中で、今度は「Phra Ajaan Mun」という名前に目が釘付けになった。マン(ムン)阿闍梨に関しては、唯一残されているとされる師の説法を途中まで読んだ。略伝は幾つか読んだが、それらとは異なる師の伝記があるらしいと分かりさっそくジャンプして見つけた。それが、引用した英文、
「The Biography of the Venerable Phra Acharn Mun Bhuridatta Thera」
  http://www.luangta.com/english/site/book8_biomun.html
である。なんと500ページを越す大著である。
英訳者、Bhikkhu Dick Silaratanoによる前書きを読んでいると引用した文が現れた。spiritual dimension(霊的な次元)という語が引っ掛かった。読んでみると、これは賢治の第四次延長を理解するのに適当な感じがしたので、引用してアップした。訳者の前書きということは、本文に記述があるはずである。最初にマン(ムン)師に出会った頃はまだ闇の中にいた。その闇の中で行くべき進路を示してくれたのがマン(ムン)師であった。今回見つけた伝記の前書きは、ちょっと師の説法前半部と異なる印象を受けるが、spiritual dimensionというのは、神通力や輪廻、仏教的な宇宙観・世界観という仏教の経典に存在する根本問題でもあるので、それについてはコメントしない。
また、この前書きは、賢治の仏教観を理解するのに役立つ感じがするし、大乗仏教とテーラヴァーダ仏教の共通項を示しているような気もする。

かなり適当な読み方だが、英文を提示しただけでは無責任なので読みもアップした次第である。英文と一緒に読んで欲しい。


マン(ムン)阿闍梨は一般人にはない特異な能力を持っていて、幾つもの人と異なる生存の領域(異世界---六道のこと)に住む、人ではないものたち(非人)と直接言葉を交わすことが出来た。彼は、頻繁に、無色界の天界と欲界の天界に生きる者たちや、竜族・ヤッカ族・各種の霊魂たちのような地上界の精霊たち、さらには、地獄界の住人たちなどと交流していた。
 ***<阿闍梨(あじゃり、あざり、サンスクリット:a-ca-rya アーチャーリャ、阿闍梨耶とも音写)とはサンスクリットで「軌範」を意味し、弟子たちの規範となり法を教授する師匠のことである。(wikipidiaより)>***
これらのものたちすべては、人の通常の目では見えないし、人の通常の耳では聞くことが出来ない。ただ、天眼通と天耳通という普通の人には現れていない超能力によってしかはっきりと知ることが出来ない。

仏教の宇宙論に含まれる世界観は、現代科学が私たちに示している目に見える物質的物理的な宇宙像とはひどく異なっている。
伝統的な仏教世界観では、宇宙に住んでいるのは、人と動物から成る目に見える物質的な生き物だけではなく、段階的に繊細さと高尚さを増す階層に住する、物質で作られていないデーヴァ(天=神)と呼ばれる神性を持つ生き物や人界の下層(修羅・餓鬼・地獄)に生きる各種のより低い階層の生き物たちもいる。
人と動物の世界だけが通常の人の感覚器官で認識できる。他の者たちは、空間と時間に関する人の概念の範疇外に存在する、従って、私たちが普通に知覚している(見て聞いている)物質的な宇宙の境界をはるかに超えた精神的な次元に住している。

多くの階層(天~地獄の)の生き物たちと話が出来る非凡な、彼だけが持つ能力のゆえにマン(ムン)阿闍梨は真に(仏教的な)宇宙規模の重要な教師となった。
知覚できる全宇宙の生き物たち全てが輪廻の生存という宿命を負っていること、彼等が苦を避けたがり、幸せを得たがっていることを知って、偉大な教師は彼等が持つ精神的な(内に秘めた)潜在能力を活性化させ、永久的な幸せを達成させるためのダンマの道を知ることができるようにしてやっている。
明知がある彼は、人の心とデーヴァ(神々)の心に差異を設けないが、それぞれの境遇や理解力の程度に合わせて教えを説いた。教えの内容は同じだが、教え方は異なる。彼は人に対しては言語表現というやり方で教えを説いたが、人以外の全ての階層の者たちに対しては言語によらず、テレパシーという方法で教えを説いた。
マン(ムン)阿闍梨の驚くべき能力を真に理解するためには、私たちは、私たちの感覚(器官)によって知覚している世界というのは、経験できる事実(真実)のホンの一部に過ぎないということを納得する必要がある。そして、(感覚器官で知覚できる世界以外に)私たちの持つ限定された感覚器官の範疇を超越したデーヴァ(神々)やブラーマ(梵天)の精神的な宇宙が存在するということを納得する必要がある。
であるからして本当に、賢者達の宇宙というのは、普通の人が知覚している宇宙に較べるととてつもなく巨大である。賢者達は、他の人にはそれが存在することに気づくことも出来ない実在する次元を知り理解することが出来る。彼等賢者たちには全ての生存するものを支配する原理(法則)についての智慧があるので、固定観念に縛られずに現象世界を洞察する。

マン(ムン)阿闍梨は、その素晴らしく訓練された知覚力でもって、外界の現象世界の無数の生き物たちに会い、最高の仏教徒が為すべき行いとして、それら無数の生き物たちにダンマを教えるために少なからぬ時間とエネルギーを費やした。
それらの生き物種類は、阿闍梨が森の中で出会った野生動物たちや倦むことなく訓育し続けた彼の弟子たちの総数よりもっと多かった。こういうものたちに関する他の人に真似の出来ない特殊な技能を持っていたので、阿闍梨は彼らの精神的な幸せを実現させてやりたいという特別な思いを持ち続けていた。

そういう生存の現象がすなわちマン阿闍梨が心の神秘と呼んだものである。なぜなら、それらの生存現象は、私たちが住する次元と同じように実在する精神的な次元における意識のある生き物たちなのだからである。ただし、(これらの生き物たちが住する精神的な次元である)これらの境界は人が持つ実在という概念の境界を超えたところにある。
ハートとマインドという(どちらも心を意味する)語は、タイの日常語では、まぜこぜでよく使われる。(しかしどちらかというと)マインドは、感性的で精神的(霊的)な次元を許容しない傾向があるので、そういう感性的で精神的(霊的)な次元と馴染みやすいハートの方がよく使われる傾向がある。

心は私たちが知覚できる全宇宙というものがどういうものなのかを知ることができるように私たちに備わっているなくてはならないものなのだ。それはあらゆる意識の元となる欠くべからざる自覚機能なのであり、全ての(心の中で起こる)精神的感情的な過程の原理そのものなのである。ハートは、あらゆる生き物の身体の中にあってその中核となるものである。
それは身体の中心であり、実体であり、根本要素である。常にその譬えようも無い重要性が説かれるように、マン(ムン)阿闍梨はいつもハートこそがこの世で一番大切なものなのだと明言していた。そういうわけで、マン(ムン)阿闍梨の生涯とその教えに関する物語は、精神(霊的なもの)の超越性を証明しようとする心の苦闘の物語であり、心の本当の精髄に関する言葉では表現しがたい神秘を明らかにした物語なのである。

The Biography of the Venerable Phra Acharn Mun Bhuridatta Thera
http://www.luangta.com/english/site/book8_biomun.html

by VENERABLE ACARIYA MAHA BOOWA NANASAMPANNO
translated by Bhikkhu Dick Silaratano

Translator’s Introductionより

Acariya Mun possessed a unique ability to communicate directly with nonhuman beings from many different realms of existence. He was continually in contact with beings in the higher and lower celestial realms, spirits of the terrestrial realms, nagas, yakkhas, ghosts of many sorts, and even the denizens of the hell realms . all of whom are invisible to the human eye and inaudible to the human ear but clearly known by the inner psychic faculties of divine sight and divine hearing.
The comprehensive worldview underlying Buddhist cosmology differs
significantly from the view of the gross physical universe presented to us by contemporary science. In the traditional Buddhist worldview, the universe is inhabited not only by the gross physical beings that comprise the human and animal worlds but also by various classes of nonphysical, divine beings, called devas, that exist in a hierarchy of increasing subtlety and refinement, and by numerous classes of lower beings living in the sub-human realms of existence. Only the human and animal worlds are discernible to normal human sense faculties. The others dwell in
a spiritual dimension that exists outside the range of human concepts of space and time, and therefore, beyond the sphere of the material universe as we perceive it.

vi

It was Acariya Mun’s remarkable, inherent capacity for communicating with many classes of living beings that made him a teacher of truly universal significance. Knowing that living beings throughout the sentient universe share a common heritage of repeated existence and a common desire to avoid suffering and gain happiness, a great teacher realizes their common need to understand the way of Dhamma in order to fulfil their spiritual potential and attain enduring happiness. Having the eye of wisdom, he made no fundamental distinction between the hearts of people and the hearts of devas, but tailored his teaching to fit their specific circumstances and levels of understanding. Although the message was essentially the same, the medium of communication was different. He communicated with human beings through the medium of verbal expression, while he used non-verbal, telepathic communication with all classes of nonhuman beings. To appreciate Acariya Mun’s extraordinary abilities we must be prepared to accept that the world we perceive through our senses constitutes only a small portion of experiential reality; that there exists this spiritual universe of devas and brahmas which is beyond the range of our limited sense faculties. For in truth, the universe of the wise is
much more vast than the one perceived by the average person. The wise can know and understand dimensions of reality that others do not even suspect exist, and their knowledge of the principles underlying all existence gives them an insight into the phenomenal world that defies conventional limits.
Acariya Mun’s finely-tuned powers of perception contacted an immense variety of external phenomena, and in the best Buddhist tradition he spent a considerable amount of time and energy engaged in teaching them Dhamma. Such beings were as much a part of his personal world experience as the wild animals in the forest and the monks he trained so tirelessly. By virtue of his unparalleled expertise in these matters, he always felt a special obligation toward their spiritual welfare.
Such phenomena are what Acariya Mun called “mysteries of the
heart”; for they are conscious, living beings dwelling in spiritual dimensions that are just as real as the one we inhabit, even though those spheres lie outside the realm of human existential concepts. The words “heart” and “mind” are used interchangeably in Thai vernacular.
“Heart” is often the preferred term, as “mind” tends to exclude the emotional and spiritual dimensions associated with the heart.

vii

The heart is the essential knowing nature that forms the basic foundation of the entire sentient universe. It is the fundamental awareness underlying all conscious existence and the very basis of all mental and emotional processes. The heart forms the core within the bodies of all living beings.
It is the center, the substance, the primary essence within the body. Constantly emphasizing its paramount significance, Acariya Mun
always claimed that the heart is the most important thing in the world. For this reason, the story of Acariya Mun’s life and teachings is a story of the heart’s struggle for spiritual transcendence, and a revelation of the ineffable mystery of the heart’s pure essence.

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
 
かはばた



かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしょふ燕麦の種子は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
(詩集「春と修羅」より これ以降の全てのテキストは森羅情報サービスの以下のURLより拝借しました。有り難うございます)
 http://why.kenji.ne.jp/index2.html


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


賢治はお釈迦様の出現を心待ちにしていただろうし、お釈迦様は咳払いをしてから現れたようだから、この詩をそのように読むことも出来るだろう。

もし、そうでないとしても、ぼんやり想像できる河端の状景は決して暗くない。
この状景は灰色の労働が灰色でなくなった瞬間のような気がする。

雨の中でも、陽光の中でも、幸せでいられる。
ユートピアの階梯を歩ければ。
賢治は本気でその実現を模索していた。


これまでは、詩集「春と修羅」、童話集「注文の多い料理店」のそれぞれの序や農民芸術概論で述べられる理念と詩集・童話集の各篇とが一体化してこなかった。
やっとそれが見えてきたような気がして何とか形にしたいとこうして苦悶を続けている。

仏教を研究していた賢治は、農民芸術概論綱要の次の一節を信じた。

 
 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
  (序論 より)
  
農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である
そは直感と情緒との内体験を素材としたる無意識或は有意の創造である
そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする
  (農民芸術の本質 より)

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


この小難しい表現を童話集の読者向けに噛み砕いたものが、童話集の序であると思う。

賢治は、本当の幸せは豊かな心にあると信じていたと思う。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

……何故われらの芸術がいま起こらねばならないか……
曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
  (農民芸術の興隆 より)

……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術を創りあげようではないか……
  (農民芸術の綜合 より)

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


賢治の父、宮沢政次郎さんはあまり芸術に関心がなかったようだ。

賢治の家庭は、仏壇に支配されたようなものだったと想像している。
妙好人のようにその信じる信仰に徹することが出来ればこれも一つの芸術のようなものなのでそれでもいいと思う。
だが、それが形骸化したり、普遍性がないとき、家族は桎梏に苦悶する。

現代が広い意味での芸術全盛期であることを考えるとこのことを理解できると思う。

ただし、現代の日本人の多くは、賢治も批判していたような、自分(達)の外部に芸術を求める傾向がますます強まっている。
私ももちろん例外ではない。

上の文の中で賢治は、実生活から遊離した空理空論は明確に否定した。
農民芸術概論綱要の「結論」で、次のように宣言している。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……
われらの前途は輝きながら険峻である
険峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


この頃の賢治は、正しい目標に向かって着実に前進できるならば、険峻に圧倒され、たたずむことはないと自負する(後年賢治は思わずたたずんでしまうことがあったようだ)。


童話集「注文の多い料理店」の一篇、「狼森と笊森、盗森」の百姓たちは、そういう賢治の分身である。

そして、大人には理解できないが、森も山も同様に賢治の分身であるに違いない。

その時々のエピソードを共に体験しながら、交流し交歓しつつ一緒に生きている。
ただ、人間には堕落という傾向があるため悪い方向に曲がってしまう欠陥がある(物語末尾の一文。小さくなった粟餅の謂われ)。


「狼森と笊森、盗森」の物語は、これらの森(と黒坂森の合計四つの森)に囲まれた小さな野原に、四人の百姓とその家族達がやってくるところから始まる。

それまではこの辺一帯が岩手山の噴火で火山灰に埋まった後、植物達が法則どおりに順次繁茂し荒地となった火山灰地を開拓してきた。
開拓先住民は森の草木たちだった。

人間はまだやって来ていなかったので森には名前もついていなかった。
名前は人間がつける。

いよいよこの野原を自分達の生活の場にしようと決心すると、百姓達は野原を囲む森たちに呼びかける。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建ててもいゝかあ。」
「やうし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました。
「すこし木貰つてもいゝかあ。」
「やうし。」森は一斉にこたへました。
 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


自然と人間の共生が可能となるためには、こういう純粋さがなければならないのだろう。
私のように最後は自分しか信じられないというのは寂しいことなのだろう。
人と自然との共生を破壊する、私有物の観念も法律も金融も無い。
搾取者の影も見当たらない。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

「さあ、それではいよいよこゝときめるか。」
 も一人が、なつかしさうにあたりを見まはしながら云ひました。
「よし、さう決めやう。」いまゝでだまつて立つてゐた、四人目の百姓が云ひました。

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


すでに百姓たちは、森に囲まれた小さな野原に自分たちのユートピアを建設しようと決心していた。
後は森達が彼等を受け入れてくれるかどうかだった。
森達は彼等を迎え入れた。

開拓は決して安易には成らない。
道具以外はずべて自給なのだから、楽な暮らしでもない。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

その人たちのために、森は冬のあいだ、一生懸命、北からの風を防いでやりました。それでも、小さなこどもらは寒がつて、赤くはれた小さな手を、自分の咽喉にあてながら、「冷たい、冷たい。」と云つてよく泣きました。

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


大人にはこういう解釈は出来ないだろう。
私は今でも自分の都合で庭に木を植えたり、枝を切り詰めたり、また切り倒したりしている。

百姓たちもそのおかみさんたちも子供たちも厳しい暮らしだがその苦しさに負けたり絶望したりなんかしない。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

春になつて、小屋が二つになりました。

 そして蕎麦と稗とが播かれたやうでした。そばには白い花が咲き、稗は黒い穂を出しました。その年の秋、穀物がとにかくみのり、新らしい畑がふえ、小屋が三つになつたとき、みんなはあまり嬉しくて大人までがはね歩きました。

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


そしてこの後、読者がお待ちかねのエピソードが語られる。
森達との交流・交歓の始まりである。
本当の共生の始まりなのだろう。

この物語の読者は、賢治によれば、「この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終わり頃から、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとってゐる。」(「注文の多い料理店」の広告文)だそうである。
少年少女後期(小学生高学年)から思春期真っ盛り(旧制中学期~旧制高校)の頃なのだろうか。
丁度、花巻農学校の生徒達の年齢の前後あたりだろう。

童話というジャンルを明記しているが、私が考えるような幼年期を対象にしたお伽噺やフェアリーテールのようなものより、高年齢を対象にしているらしい。

賢治の作品でも、初期の童話や寓話などはかなりはっきりと寓意が表面にでているが、この「狼森と笊森、盗森」のような作品ではそれは文中に埋め込まれ顕になっていない。
童話とは名づけられているが、賢治が書いたとされる広告文にあるように、これが心象スケッチの一部であるなら、むしろ次の詩法メモのような生成過程が考えられる。


 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞

詩は裸身にて理論の至り得ぬ堺を探り来る
そのこと決死のわざなり
イデオロギー下に詩をなすは直観粗雑の理論に屈したるなり
 (新校本全集第十三巻上 ノート・メモ 「詩法メモ」より)

 ∞∞∞∞∞ ‡ ∞∞∞∞∞


文学などと正面から構えられると勝負にならない私なので、この走り書きの意味も独断偏見の解釈となるが、これを一種のインタプリタ機能に関するメモと読んでしまえば、私にも分かる。

黒坂森の中でしばしまどろむ内に、賢治は第四次延長と呼んだ自身の心象世界に分け入り、この物語の素材を持ち帰ったのだろう。
お話し上手な賢治は、その素材を心象スケッチの体裁を損なわずに上図に物語に仕上げたに違いない。

この物語は、童話集「注文の多い料理店」の各作品に共通する人と自然界との関係に関する賢治の理念のプロローグと読めないか。
その関係は、常識的な人間対自然という対立関係ではなく、人間とその背景に過ぎない自然環境でもなく、ましてや、利益を生ずる道具としての自然でもない。
心象の中で共生も交流も交歓も可能な人と自然の関係なのだと思う。

心象は映画のような一時没入できる別世界ではなく、日々の生存のすべてであり、自分そのものでなければならないのだと思う。

自然と他人を踏み潰してでも自分の利益・悦楽を追求しつつ、気まぐれに文学に親しみ、テニスを楽しみ...などという段階にいては本当の幸せは実現できないと主張しているようだ。

童話論などとても無理なので、賢治が想定した読者の目線でどう読めるのかというような高等な作業は出来ないから、大人目線で無理矢理解釈した次第である。

お二人目は、イギリスの数学者でありながら、脳や意識について発言をされているロジャー・ペンローズさんと佐藤文隆さんの対談の一節です。URLは下記。
 http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic025/html/100.html

<引用開始>
佐藤――一通常,量子力学の研究をしている人は,意識の問題など考えていませんね.この組み合わせは大いに珍しいものでしょう.要するに,ペンローズさんの考えでは,突然,脳が出現したということになるのでしょうか.これはちょっと奇妙に思えるのですが…….

ペンローズ――突然? いや,そんなふうには考えていません.外界の自然に存在するさまざまな事物を利用するというかたちで,脳はゆっくりと時間をかけて進化してきたわけです.突然のプロセスだとはまったく思っていません.さらに,意識(consciousness)というものは「オン/オフ」的なものだとも思っていません.脳はゆるやかな時間をかけて進化してきたものであり,選択的な優位性をもっている.こうした質の理解能力をもつ生物,こうした知覚力(awareness)を必要とする生物は,十分に発達したこの種の質の意識をもっていない生物に対して,優位な位置にあります.いずれにしても,突然のプロセスだとは思いません.非常に長い時間をかけて進化してきたものであり,この原初的な側面は,現在の動物界のはるか下方にいる他の動物たちに現われているにちがいないと思っています.要するに,それほど人間に特異な性質だとは思っていないわけです.

佐藤――人間だけの特質ではないとしても,いずれにしても,意識のメカニクスは,外界とのインタラクションを介して創られたというふうに考えておられるわけですか?

ペンローズ――それは間違いなく重要な点ですね.でも,私はそれが決定的なことだとは思っていない.外界とのインタラクションが意識の本質的な部分だと考える人もいますが,私にとっては必ずしもそうである必要はない.例えば数学では,おそろしいほどの内的な思考を展開します.これは外部世界とは,ほとんどと言っていいほど関係がありません.完全に内的に進行することが無数にあって,それは意識ときわめて密接に関わりあっている.もちろん,最初にアイディアを得るとき,外部世界からピックアップしてきたり,外部世界とのアナロジーを用いたりということはありますが,それでも,外界とのインタラクションが本質的なものだとは思いませんね.

佐藤――種の内的観察でしょうか? あるプロセスは内的なものであって,しかし,意識そのものはこの系の外部にあるわけではない,と?

ペンローズ――明確な線を引くことはできませんが,でも,私は意識を外部のものとは考えません.奇妙なことですが,われわれの脳で組織されるかたちとは,外部世界に依存する,ある潜在力(potential)を利用することだという意味においては,意識は外部世界に存在している,潜在的に外部に存在している,と言うことができます.その意味で私は,意識が完全に内的な存在であるとも思いません.実際,そうではないわけですから.しかし,意識のかなりの部分が外部にあると考えているわけでもない.このテーブルがそれほどの潜在力をもっているとは思わないが,しかし,潜在的にこれは自然のうちに存在している.世界が機能する,そのあり方で,潜在的に存在している.いかなるかたちであれ,この潜在力を利用できる存在は,そうでない存在に対して上位に立つということです.

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

佐藤――どうして,このような意識のかたちが人間には生じたのでしょう?

ペンローズ――先ほどの「突然」の問題に立ち戻ったようですね.これは,突発的に現われ出るようなものなのかどうか? 繰り返しておけば,私はこれが人間に特異な性質だとは思っていません.動物界をどこまで下ればいいものかはわかりませんが,例えば,犬を飼っている場合,何らかの意識と呼べるものが存在していないと考えるのは難しいでしょう? 動物にも意識や心があるということに,私はほとんど疑いを抱いていません.猿には間違いなくある.私が実際に見聞したところからすると,象にもある.しかし,動物界の階梯をはるか下方にまで下った場合,果たして意識と呼べるものはあるのかどうか.魚に十分な意識があるのかどうか,私には何とも言えない.ないわけがないとも思えない.でもまあ,あるとしてもごくちっぽけな意識でしょうね.ここには量的な側面があります.多分,魚にはごく少しの意識しかない.それでも,その魚の振る舞い方にとっては大きな意味をもっている,というふうに思います.動物たちが,自分を取り巻く外部世界で何が起こっているかを少しでも理解しているとすれば,まったく理解していない場合と比べて,より効果的な振る舞いをするでしょう.

このように,意識は,動物たちにとっては選択的に有利に働き,そうして発達してきた.でも,潜在的には常にあったに違いない.でなければ,使うこともできないわけですからね.要するに,これも自然選択に見られるのと同じような一つのプロセスだったと言えるでしよう.ある時点で,何ものかが他とは異質の優位性を獲得し,それが一定の構造を発達させることを可能にした場合,今度はそれを別のことに対して使うことができるということを発見する.これはもう意識そのものと同じようなものだと言っていいと思いますね.まあ,単細胞生物には意識はないだろうけれど(笑),それでも発達させることのできる構造はある.そして,これは純然たる推論ですが,彼らは量子のコヒーレンス(Coherence)を利用できるようになるかもしれない.これは,たとえ意識がなくても,彼らにとって大いに価値あるものとなるはずです.まあ,このあたりの考えはすべて想像の域を出ませんけれどね.
<引用終了>

人は一般的に物質的な物より精神的な物を重んじる傾向がある。
自分が単なる物質に過ぎないなんて絶対に認めたくないからだろう。
いわゆる神秘主義が蔓延る所以である。

賢治は神秘主義の側に半分以上踏み込んでしまっていた。
そのことを念頭におかずに賢治の童話を読んでいくのは、今回の私の意図から逸脱する結果となると思っている。

神秘主義は、物質的な脳の活動を買いかぶった結果である。
精神的な事柄は、物質的な脳の活動で生じた錯覚に過ぎない。
しかし、お釈迦様などごく少数の人たち以外、精神的な事柄を錯覚としてしまっては生きていけない。
これも現実であり、決して、おかしくはない。
ただ、混同してはいけないのである。

このことを、どうしても確認しておきたいかった。
そこで、童話を検討する前置きが長くなっている。

「② ドラマと現実の違い その4」で、お二人の方の考え方を引用させていただき、私の説明の穴を埋めていただこうと思う。

お一人目は、すでに一度引用させていただいた、恐らく物理学者だろうと思われる時々無斎さんの論考である。URLは下記。
 http://musai.blog.ocn.ne.jp/kagakusuru/

「第三部 死はなぜあるのか?」 の最初の節、「13 存在はなぜ存在するのか?」の一節である。

<引用開始>
脊椎動物が数億年かけて進化した結果、哺乳動物の脳は体外の物質現象や体内の神経活動に起因する神経信号を感知して、ものごとの存在感を感じ取れるようになった。人類を含む哺乳動物の脳においては(拙稿の推測では、たぶん大脳基底部で)ものごとを識別する神経活動が起こり、それらを存在するものごととして記憶できるようになる。人類の場合は、さらに仲間の人間が感じる存在感を互いに共感し、動作や発声や表情などの運動を共鳴できるようになった。人類は、だれもが同じように感じられるその存在感の錯覚を共有してうまく利用し、信頼感を持って安定してそれらを使いこなせるような言語体系を開発し、その上に能率のよい社会を作った。

人類の言語の原型が作られたのは十数万年以上前と推定される。言語は、存在感の共有を固定する働きを持っているため、人々の間で世界の物事は安定して存在できるようになった。その働きで、言語は人類の生存適性を飛躍的に高め、人類の棲息地は地球全体に拡大した。

そこまではうまくいったが、その後、言語による存在感の固定は破綻する。最近数千年くらい前から、文明が作られ、哲学や科学というものが作られて、存在感と言語体系の矛盾を見つけてしまったことによる。

自然が行き当たりばったりに進化した結果としてできあがった脳の仕組みは、どうしても全体としての整合に欠ける。数百万年かけて、原始人類の脳が進化して存在感覚を共有化する神経機構を獲得してくるとき、後の時代で人間が哲学や科学のような論理的なものを始めることは問題にされるはずがない。つまり、人間の脳は、まじめに哲学されると矛盾が見えてしまうように進化してしまった。特に、存在感という感覚がそれであり、それにもとづいて作られた言語体系がそれです。人間は物質世界に存在感を感じ取ってその共感を共有し、それの上に言語を作り、さらにその上に科学を作る。同時に人の心にも存在感を感じ取ってその共感を共有し、それの上に言語を作り、さらに心の理論を発展させる。科学と心は別々の理論を作っていき、統合することができません。哲学者や科学者たちは、その矛盾を心身二元論の神秘と感じてしまう。

  ・・・・・・・・・・・・・・

このように(仲間の人間集団の運動と共鳴している)私の神経系で感じられることで現れるしかないこの世界の中には、感じている私はありません。ここは重要なところです。

まず無意識に私の脳が身体の回りの物質の存在感を感じている。私の脳は、目で見えたり手で触れたりして感じられる物質の一部分として自分の身体の存在感を感じる。たとえば、自分の手足などが目で見えますね。それは、一番近くにある。つまり、視覚や聴覚などで感知する空間の原点にある。それでも私の脳が感じている私のその身体の中にそれらを感じている私がいる必要はありません。この世界にあるように見える私のこの人体が、その脳が、この世界を感じている私だと思い込むのは錯覚です。この世界にあるように見える私の人体は、他人の目に見える物質であり、他人の人体をモデルにして作られた私という脳内の錯覚です。この世界を感じている仕組みが、この世界の中に存在しているこの私らしい人体でなくてはならない、と思い込むことは錯覚です。

これは、知覚できるものをすべて物質世界に投影しようとする無意識の脳機構の働きです。音を感じると音源を特定する。かゆみを感じると皮膚のどこかを特定する。そのように無意識の神経機構が知覚を物質世界に投影します。知覚を引き起こす原因を物質世界の中に特定しようとする働きが、脳にはある。ものごとを感じている自分を知覚すると、脳は物質世界に置かれている自分の人体にそれを投影する。それは、他人に憑依したときに使う投影の仕方を自分自身にも使うからです。そうして作った錯覚の世界の上で人と会話することで、うまく話ができる。この錯覚の世界が現実感を持つのは、人との相互干渉、たとえば会話などが予想通りうまくできるという以外には根拠がない。しかし私たち人間は、なかなかこの錯覚が錯覚であることに気づかない。気づかないように人間の脳の仕組みができているからです。
<引用終了>

↑このページのトップヘ