以下の引用は、
「片山廣子歌集「翡翠」抄――やぶちゃん琴線抄59首――」
からのものです。
片山廣子さんの名は、芥川龍之介の記事で知りました。
何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり
我が生命かへりみせらるもづもづと這ふ蟲見ればかへりみせらる
かさかさと野ねずみ渡る枯葉みち古りし欅ににほふ秋の日
わびしうも甘納豆をつまみつつ猫に物いふ夜の長きかな
小さなる稻荷の宮のうす月夜桐の花ふみてあそぶ野ねずみ
道づれに狐もいでよそばの花ほのかにしろき三日月のよひ
しろき花あかき花咲き蜥蜴など走りし庭の主人(あるじ)を憶ふ
曼珠沙華肩にかつぎて白狐たち黄なる夕日にささめきをどる
ああねずみ夜(よる)をいのちの汝が群の盜みて食めと思ふわがおもひ
五日月沈まむとする春の夜を森のふくろがひとりごといふ
菊の影大きく映る日の縁に猫がゆめみる人になりしゆめ
龜の子はのそりのそりとはうて行く氣味わるけれど我も行くかな
ふと戀し森の中なる墓こひし野際あかるく鳥とぶ夕べ
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一言に黑きひとみもをどりつる春かへり來よ我が老いぬ間に
わが指に小さく光る青き石見つつも遠きわたつみを戀ふ
わくらはのあくがれ心野を越えてわすれし路にふといでにけり
ゆめもなく寢ざめ寂しきあかつきを魔よしのび來て我に物いへ
月の夜や何とはなしに眺むればわがたましひの羽の音する
うすぐもるみそらの下に我立ちて風をきくかな枯木の風を
ほそぼそと朝の雨ふる銀のはり清くつめたくわがはだをさす
椿落つほこらの前の青ぐろき水のおもては物音もせず
あたらしき人をあらたに戀し得む若さにあらばうれしからまし
湯のたぎる火鉢に倚りて只一人風吹く空の青きに見入る
幽靈もほそき裾して歩みくや夜のうすもやに月あかりする
霧ふかしうぐひすむせぶ雜木原とつくに人に路とひにけり
月見草ひとり覺めたる高原の霧にまかれて迷ひぬるかな
雲の影遠野をはしるまひる時みねに立ちつつ我がいひしこと
其人のぬけたるのちの歴史こそ白紙の如く何もなきかな
柿の實の青きが落ちぬ夕雨にわが思ひさへ二つ三つ散る
青磁色の器のかけもふとまじる磯邊の砂のかわきゆく朝
わがのぞみ稻妻はしる遠空に見つと覺えて又やみになる
我が世にもつくづくあきぬ海賊の船など來たれ胸さわがしに
何を待つ今何を待つ山際のほのあかるみに笛遠く鳴る
青白き月のひかりに身を投げて舞はばや夜(よる)の落葉のをどり
よろこびかのぞみか我にふと來る翡翠の羽のかろきはばたき
ほかの世の我が聲きこゆ奇し鳥の我にあたへしゆめのさめぎは
いのらばや弱りはてぬる心もて今日のおもひに堪へん力を