月を追いかけるようにして、今朝の朝日が昇ってきました。
空は天頂だけが深い紺青です。
白み始めた月がその紺青の中ほどをゆっくりと過ぎて行きます。
公園は都会の小さなオアシスです。
それはそれは小さな公園でした。
このあたり一番の幹線道路がこの公園に突き当たって左右に分かれています。
昨日も黒塗りの立派な自動車を何台も連ねて、年配の人たちがやってきてぞろぞろ公園に入ってきました。
それからみんなはめいめいの立派なお腹をつき合わせてひそひそ話し合いました。
可哀想な若いお巡りさんだけが一人で車の見張り番でした。
そろそろ朝の通勤時間です。
普段は誰も公園に寄り道なんかしません。
でも今日はいつもと違います。
若い男の子たちの少し意地悪そうな声が飛び交っています。
大きな枝を広げた公園自慢の椎の木の下あたりです。
「なあ、何とか言えよ。黙っていねぇでさぁ。そのボールん中の金貸してくれって言ってんじゃん。」
高校生の服装をした男の子が六人で一人の若い男を取り囲むようにしていました。
若い男は椎の木の下に胡坐をかいて坐っていました。
穏やかに口を結んだままです。
「おい、おっさん、お前つんぼかよ。それとも俺たちが怖くてびびってんのかよぉ。へっ。」
他の男の子たちも鼻先で笑いました。
「何、痩せ我慢してんだよぉ。このぉ。それとも何か、俺たちを鹿都してるつもりかよ。上等じゃん。なぁ。」
そう言って仲間の顔を見ました。
「そうだ。上等じゃん。その金よこせって言ってんじゃねぇんだぜ。貸してくださいって、ちゃんとお願いしてんのによ、鹿都かよ。ほんと、上等だぜ。」
丁度その時、駅へと急ぐ中年のおじさんがその声にびっくりして公園の方を見たので、男の子と目が合ってしまいました。
「なにぃ見てんだよおっさん。なんか文句あんのかよぉ。」
男の子に大声で凄まれて中年のおじさんは慌てて目をそらしてさっさと歩き去りました。
「ったく。みろよ、てめえが鹿都きめこんでやがるから、人に怪しまれちゃったんじゃん。どうしてくれるんだよぉ。」
何とも妙な理屈です。
いくら嚇しても、口で言うだけでは効き目がないと踏んだ男の子たちは目配せをしてから、一人がぐいと一足詰め寄ります。
駅へ急ぐ人たちが後から後からとやって来ていました。
ほとんどの人は公園の出来事に気づきました。
またいつもの事かという風で、みんな公園を見もしないでどんどん駅へと急ぎました。
一羽の烏だけがずっと公園の出来事を見ていました。
詰め寄られても若い男の表情は変わりませんでした。
目は男の子たちよりもずっと先の方を見ています。
注意深くその目を覗き込んでみれば、黒目がほとんど動かなかったのに気づいたはずです。
しかし、男の子たちは脅しをかけるのに夢中ですから気づかなかったようです。
とうとう詰め寄った男の子がいらだたしげに若い男の肩を小突きました。
若い男はされるがままにしていました。
それまで黙ってこの様子を見ていたあの烏が
「かぁぁ~。」
と、一声鳴きました。
それで男の子たちはやっと決心がついたようです。
「あぁそうかい。そうですか。そういうことですね。」
と、訳の分からないセリフを並べました。
「なぁみんな、このおっさんはよぉ、良いですよって言ってんじゃん。そうだよなぁ、おっさん。」
耳元まで顔を近づけて若い男に言いました。
若い男の返事はありません。
眉一つしかめていません。
「そうですか。始っからそう言ってくれりゃ、何もびびらせたりしなかったんだぜ。おっさんよぉ。」
偉そうな口振りです。
他のみんなもニヤニヤしながら見ています。
一番背の小さな男の子がボールからお金を掴み取りました。
「おい、行こうぜ。じゃぁな、おっさん。確かに借りてやったぜ、あんたの金をよ。」
背の小さな子からお金を受け取ったリーダー格が言いました。
「たったこれだけかよぉ。手間取らせやがってさぁ。」
男の子たちはぶらぶらと駅の方へ歩いていきました。
椎の木の下では、若い男が相変わらず静に坐っています。
よく見ると、男の脇には小ぶりな楽器のケースが置いてありました。
駅へ向かう人の数が少なくなると、今度は駅の方からこのあたりの小さな会社に勤める人たちがやってきました。
都会ってのは人ばっかりですね。
ほんとに忙しいらしくてみんなせかせか歩いています。
いつの間にかあの烏が居なくなってました。
烏も朝ご飯を食べに行ったんでしょうか。
今度はお昼です。
太陽は完全に天頂まで上り詰めました。
後はもうどんどん落ちるばかりです。
太陽が居る間は、天頂の深い紺青は見ることが出来ません。
まわりの空はしらばっくれています。
早いものでもうすぐ夏休みです。
学校はどこも半ドンです。
え、半ドンって何ですかって?
授業が午前中しかないってことですよ。
会社も当然お昼休みです。
手作りのお弁当や、コンビにのお弁当をもって、三々五々、公園に集まってきます。
この時だけはみんなのんびり歩いてきます。
公園自慢の椎の木の周りには幾つもベンチが置いてありますので、仲間同士一つのベンチに坐ってお弁当を拡げます。
お弁当の時ってほんと楽しいですよね。
若い女の子のグループが椎の木の下を見ながら囁きあってます。
「ほら、今日も居るわよ。あの男の人。何してんのかしら。」
「みてほら、昨日と同じあの変なマントつけて、昨日と同じ服着てるわよ。」
「嫌ねぇ。お風呂入ったのかしら?」
みんな尤もな疑問を出し合っています。
マントも服も洗いざらしのようです。
マントはすっかりすすけたオレンジ色です。
上下の服はやや黒ずんだ白色です。
お風呂に入ったかどうかは分かりません。
一人が楽器のケースに気づきました。
「ネェ、見てぇ。あれ、あの、脇にあるの楽器のケースじゃない?」
「そうみたい。でも変よ。」
「何が変なの。あの形って楽器のケースでしょ?」
「そうなんだけどぉ。あんな形の楽器ケースってあるかなぁ。」
「あの形って弦楽器でしょ。大きさが中途半端よね、確かに。」
「ねぇ、あの人さ、昨日おばあちゃん達からお金恵んでもらってたの知ってた?」
「ほんとぉ。知らなかったぁ。」
「私そん時急いでたからさぁ、よく聴けなかったんだけどぉ、確か、なんか楽器が鳴ってたわよ。」
「ほんとぉ。」
「うん。」
「ねぇ、私たちもお金恵んでやってさ、あの楽器どんな楽器なのか音聴いて見ない?」
「おもしろそう!賛成。」
「あたしも賛成!」
みんなが合意しました。
そこで今度は、誰が若い男に声を掛けるか相談です。
「じゃんけんで決めよう。」
一人が提案しました。
みんながすぐ同意しました。
じゃんけんですから、すぐ結果が出ました。
籤運の弱い女の子がみんなからお金を集めて若い男のところへ近づきます。
おそるおそる若い男に声を掛けました。
「あのぉ。すいません。お願いしても良いですかぁ。」
若い男は、初めて相手の顔を見ました。
表情は変わりません。
黙っています。
仕方なく代表の女の子は勝手に続けました。
何しろ女の子はパンドラの子孫ですから、好奇心が強いのです。
それに今はとにかく代表になってしまったので責任があります。
「あのう、それって、そのわきにあるのって、楽器ケースですよね。昨日友達がその楽器で演奏するの聴いたって言うんです。そのぉ、おばあちゃん達からお金を恵んでもらってから。」
いくら若いからといっても、このはしたなさは困ったものです。
しかし、若い男は表情も変えませんし、黙ったままです。
そこで調子に乗って代表は続けました。
「ここにみんなからお金を出してもらってます。このボールに入れれば良いんですか。」
そう言って、代表はみんなから集めたお金をボールに入れました。
「入れましたぁ。それじゃぁ、お願いしますぅ。」
とうとう代表は勝手に契約をしてしまいました。
空は天頂だけが深い紺青です。
白み始めた月がその紺青の中ほどをゆっくりと過ぎて行きます。
公園は都会の小さなオアシスです。
それはそれは小さな公園でした。
このあたり一番の幹線道路がこの公園に突き当たって左右に分かれています。
昨日も黒塗りの立派な自動車を何台も連ねて、年配の人たちがやってきてぞろぞろ公園に入ってきました。
それからみんなはめいめいの立派なお腹をつき合わせてひそひそ話し合いました。
可哀想な若いお巡りさんだけが一人で車の見張り番でした。
そろそろ朝の通勤時間です。
普段は誰も公園に寄り道なんかしません。
でも今日はいつもと違います。
若い男の子たちの少し意地悪そうな声が飛び交っています。
大きな枝を広げた公園自慢の椎の木の下あたりです。
「なあ、何とか言えよ。黙っていねぇでさぁ。そのボールん中の金貸してくれって言ってんじゃん。」
高校生の服装をした男の子が六人で一人の若い男を取り囲むようにしていました。
若い男は椎の木の下に胡坐をかいて坐っていました。
穏やかに口を結んだままです。
「おい、おっさん、お前つんぼかよ。それとも俺たちが怖くてびびってんのかよぉ。へっ。」
他の男の子たちも鼻先で笑いました。
「何、痩せ我慢してんだよぉ。このぉ。それとも何か、俺たちを鹿都してるつもりかよ。上等じゃん。なぁ。」
そう言って仲間の顔を見ました。
「そうだ。上等じゃん。その金よこせって言ってんじゃねぇんだぜ。貸してくださいって、ちゃんとお願いしてんのによ、鹿都かよ。ほんと、上等だぜ。」
丁度その時、駅へと急ぐ中年のおじさんがその声にびっくりして公園の方を見たので、男の子と目が合ってしまいました。
「なにぃ見てんだよおっさん。なんか文句あんのかよぉ。」
男の子に大声で凄まれて中年のおじさんは慌てて目をそらしてさっさと歩き去りました。
「ったく。みろよ、てめえが鹿都きめこんでやがるから、人に怪しまれちゃったんじゃん。どうしてくれるんだよぉ。」
何とも妙な理屈です。
いくら嚇しても、口で言うだけでは効き目がないと踏んだ男の子たちは目配せをしてから、一人がぐいと一足詰め寄ります。
駅へ急ぐ人たちが後から後からとやって来ていました。
ほとんどの人は公園の出来事に気づきました。
またいつもの事かという風で、みんな公園を見もしないでどんどん駅へと急ぎました。
一羽の烏だけがずっと公園の出来事を見ていました。
詰め寄られても若い男の表情は変わりませんでした。
目は男の子たちよりもずっと先の方を見ています。
注意深くその目を覗き込んでみれば、黒目がほとんど動かなかったのに気づいたはずです。
しかし、男の子たちは脅しをかけるのに夢中ですから気づかなかったようです。
とうとう詰め寄った男の子がいらだたしげに若い男の肩を小突きました。
若い男はされるがままにしていました。
それまで黙ってこの様子を見ていたあの烏が
「かぁぁ~。」
と、一声鳴きました。
それで男の子たちはやっと決心がついたようです。
「あぁそうかい。そうですか。そういうことですね。」
と、訳の分からないセリフを並べました。
「なぁみんな、このおっさんはよぉ、良いですよって言ってんじゃん。そうだよなぁ、おっさん。」
耳元まで顔を近づけて若い男に言いました。
若い男の返事はありません。
眉一つしかめていません。
「そうですか。始っからそう言ってくれりゃ、何もびびらせたりしなかったんだぜ。おっさんよぉ。」
偉そうな口振りです。
他のみんなもニヤニヤしながら見ています。
一番背の小さな男の子がボールからお金を掴み取りました。
「おい、行こうぜ。じゃぁな、おっさん。確かに借りてやったぜ、あんたの金をよ。」
背の小さな子からお金を受け取ったリーダー格が言いました。
「たったこれだけかよぉ。手間取らせやがってさぁ。」
男の子たちはぶらぶらと駅の方へ歩いていきました。
椎の木の下では、若い男が相変わらず静に坐っています。
よく見ると、男の脇には小ぶりな楽器のケースが置いてありました。
駅へ向かう人の数が少なくなると、今度は駅の方からこのあたりの小さな会社に勤める人たちがやってきました。
都会ってのは人ばっかりですね。
ほんとに忙しいらしくてみんなせかせか歩いています。
いつの間にかあの烏が居なくなってました。
烏も朝ご飯を食べに行ったんでしょうか。
今度はお昼です。
太陽は完全に天頂まで上り詰めました。
後はもうどんどん落ちるばかりです。
太陽が居る間は、天頂の深い紺青は見ることが出来ません。
まわりの空はしらばっくれています。
早いものでもうすぐ夏休みです。
学校はどこも半ドンです。
え、半ドンって何ですかって?
授業が午前中しかないってことですよ。
会社も当然お昼休みです。
手作りのお弁当や、コンビにのお弁当をもって、三々五々、公園に集まってきます。
この時だけはみんなのんびり歩いてきます。
公園自慢の椎の木の周りには幾つもベンチが置いてありますので、仲間同士一つのベンチに坐ってお弁当を拡げます。
お弁当の時ってほんと楽しいですよね。
若い女の子のグループが椎の木の下を見ながら囁きあってます。
「ほら、今日も居るわよ。あの男の人。何してんのかしら。」
「みてほら、昨日と同じあの変なマントつけて、昨日と同じ服着てるわよ。」
「嫌ねぇ。お風呂入ったのかしら?」
みんな尤もな疑問を出し合っています。
マントも服も洗いざらしのようです。
マントはすっかりすすけたオレンジ色です。
上下の服はやや黒ずんだ白色です。
お風呂に入ったかどうかは分かりません。
一人が楽器のケースに気づきました。
「ネェ、見てぇ。あれ、あの、脇にあるの楽器のケースじゃない?」
「そうみたい。でも変よ。」
「何が変なの。あの形って楽器のケースでしょ?」
「そうなんだけどぉ。あんな形の楽器ケースってあるかなぁ。」
「あの形って弦楽器でしょ。大きさが中途半端よね、確かに。」
「ねぇ、あの人さ、昨日おばあちゃん達からお金恵んでもらってたの知ってた?」
「ほんとぉ。知らなかったぁ。」
「私そん時急いでたからさぁ、よく聴けなかったんだけどぉ、確か、なんか楽器が鳴ってたわよ。」
「ほんとぉ。」
「うん。」
「ねぇ、私たちもお金恵んでやってさ、あの楽器どんな楽器なのか音聴いて見ない?」
「おもしろそう!賛成。」
「あたしも賛成!」
みんなが合意しました。
そこで今度は、誰が若い男に声を掛けるか相談です。
「じゃんけんで決めよう。」
一人が提案しました。
みんながすぐ同意しました。
じゃんけんですから、すぐ結果が出ました。
籤運の弱い女の子がみんなからお金を集めて若い男のところへ近づきます。
おそるおそる若い男に声を掛けました。
「あのぉ。すいません。お願いしても良いですかぁ。」
若い男は、初めて相手の顔を見ました。
表情は変わりません。
黙っています。
仕方なく代表の女の子は勝手に続けました。
何しろ女の子はパンドラの子孫ですから、好奇心が強いのです。
それに今はとにかく代表になってしまったので責任があります。
「あのう、それって、そのわきにあるのって、楽器ケースですよね。昨日友達がその楽器で演奏するの聴いたって言うんです。そのぉ、おばあちゃん達からお金を恵んでもらってから。」
いくら若いからといっても、このはしたなさは困ったものです。
しかし、若い男は表情も変えませんし、黙ったままです。
そこで調子に乗って代表は続けました。
「ここにみんなからお金を出してもらってます。このボールに入れれば良いんですか。」
そう言って、代表はみんなから集めたお金をボールに入れました。
「入れましたぁ。それじゃぁ、お願いしますぅ。」
とうとう代表は勝手に契約をしてしまいました。