河畔
俺は河原に突き出した岩棚でうとうとしていた。
かすかな悲鳴を聞いたような気がした。すぐに飛び起きた。下に怯えている人の気配がある。俺はあの少女が下の河原に来ていたのを思い出した。
俺は、岩棚から一気に4、5メートル下の砂の河原へ飛び降りた。やはりいた。少女が俺のほうを必死に見上げている。俺を呼ぼうとしたのだが、悲鳴もろくに出なかったらしい。
驚いたのは俺ではなくて、男達の方だった。少女に剣を突きつけて馬乗りになっている男とその様子を遠巻きに見ていた3、4人の男達である。ほんの束の間だったが、どいつもぽかんと口を開けて俺を見上げたまま突っ立っていた。
きらきらした服を着た貴族らしい馬乗り男を無造作に払い飛ばして、少女を左腕で抱え挙げた。少女は体中がどきどきしている。それでも楽器は離ず抱いていた。楽器を胸に抱いたまま両手で俺の首にしがみついた。それから泣き出した。
若い貴族の男はまだ荒い息を続けていた。周りにいた男達が喚いた。剣を抜くと四方から間を詰めてきた。貴族男はへなへなと後ろづさりした。いかにも腰抜けらしかった。
俺はこういう奴等が嫌いだった。弱いものにかさにかかって襲いかかる奴等だ。俺も腰の刀を抜いた。研いだばかりだから、本気で振り回せば、こいつ等の身体を縦割りにできるなと思った。だが、今は少女を抱えている。その目の前で人を縦割りにするのはさすがに気が進まなかった。今日は腕を叩き斬るだけにした。
一番目つきの悪いのが脇から斬ってかかった。それと同時に背中の奴が剣を突き立てて来た。背中の間合いがちょうどなので、振り向きざまにこの男の腕を斬った。師匠譲りの刀は今日は特に切れ味が良かった。背中の男の右腕がはるか向こうに飛んでいった。腕が飛んでいっても男はすぐには気づかないようだった。脇から来たのがひるんで一歩下がった。貴族男は腰を抜かして砂の上にへたり込んだ。腕を失った男の肩からは血が吹き出した。
貴族男が奇妙な声をあげた。男でも悲鳴をあげるのだ。はじめて怒りが体中に広がった。貴族男のところへ一っ飛びに跳んで、引きつった顔でひいひい言っている貴族男の腕を切り飛ばした。腕は剣を握ったまま飛んでいった。貴族男はのけぞってひっくり返った。身体全体が痙攣している。
少女は俺の胸に顔を埋めたまましっかり俺の首にしがみ付いたままでいる。その方がいいと思った。こんな有様なんか見るものではない。
男達は闘志を無くしたらしい。二人が貴族男を両脇から抱えて、もうひとりが腕無し男に肩をかしてよたよた逃げ始めた。斬られた腕まで気が回らなかったのか置き去りにしていった。俺は放っておいた。
「おい、もう大丈夫だぞ。」
そういってから、向こうに転がっている斬られた腕を見せたくないので、少女を抱きかかえたまま堤の上に上がった。
「大丈夫か。え?」
少女の顔を覗き込むとうれしそうに頷いた。まだ、涙目をしていた。
「よし、それじゃおろすぞ。」
少女がかぶりを振った。俺はやむをえないので、刀の血のりを自分の服で拭って鞘に収めた。
岩棚に俺は俺の胡弓と経文を置いたままだったので、少女を抱えたままゆっくりそっちへ歩いた。少女は、そっと顔を上げて俺を見ている。俺のでかい顔を見ても面白くもなんともないだろうにと思ったが、これも放っておいた。
俺は胡弓と経文を拾い上げて、経文を懐に入れ、つり紐を首に回して、胡弓を背中に背負った。
「このまま宿まで行ってもいいのか?」
俺は少女に訊いた。少女は今度は頷いた。
「よし、それじゃあ、宿に帰ろう。」
俺はよっこらしょと言って歩き始めた。
夜でも街は結構賑やかだった。酒楼も有るし、宿も飯屋も有るので人が行き来するのだ。通りを歩いていた奴等は珍しそうに俺たちをちらちらと見ていく。俺の風体が凄まじいので真っ向から俺たちを見つめる奴はいない。
俺は少女を抱えたまま宿の老人の部屋まで上がっていった。今日も老人は床に臥せっていた。
老人は、俺の腕の中に孫娘がいるので驚いたような顔をした。
「爺さん、具合はどうだ。何、心配することはない。娘はなんともない。ほれ、この通り。」
そう言って、少女を下ろした。
少女は少し顔をあからめながら軽くお辞儀をした。それから老人の傍に行った。小さな声でさっきのことを話しているようだった。老人が俺のほうを見た。少女は老人の枕元に据えられていた膳を確かめてから、飯をもう一度温めなおしてもらいに下へ降りていった。
少女が下に降りていったのを確かめてから小声で話した。
「老人、お前の娘は、どうやら貴族屋敷の馬鹿息子に目をつけられたらしいぞ。これから俺が掛け合いに行くつもりだがそれでいいかな。」
「今夜は孫娘を助けてくれたようだな。なんともかたじけない。だが、貴族屋敷にはたくさん兵がいるということだ。お前さん一人で出かけるのは無茶というものだ。そこまでしてもらうわけにもいかん。」
「老人、俺はさっき馬鹿息子の片腕切った。もう俺もお前等の仲間になってしまったわ。今頃奴の親父が役人やら腕利きやらを集めているだろうさ。だから、どうせ火の粉は払わにゃならん。ま、こうなったらここには何時までもいられんだろうから、話をつけたら出て行かねばならんな。」
老人は自分達に降りかかった災難の大きさを思いしばらく声にならなかった。ようやくにして呟くように言った。
「いまさら、わしがどうこう言える立場ではない。お前さんにすべて任せるより他はない。まことにすまない。武運がお前さんを守られんことをただ祈る。」
老人がそろそろと起き上がってゆっくり頭を下げた。
「おっと、老人。無理をしちゃいかん。寝ていろ、寝ていろ。大事な身体だ。娘のために長生きしたいんだろう。余計な気を使うな。」
そう言った時、少女が膳をもって上がってきた。
「それじゃあ、俺は帰る。なあに、もう心配はいらん。爺さんをしっかり見てやれよ。」
少女にそう言って、俺は自分の胸をぽんと叩いてからぎしぎしと階段を降りていった。
俺は河原に突き出した岩棚でうとうとしていた。
かすかな悲鳴を聞いたような気がした。すぐに飛び起きた。下に怯えている人の気配がある。俺はあの少女が下の河原に来ていたのを思い出した。
俺は、岩棚から一気に4、5メートル下の砂の河原へ飛び降りた。やはりいた。少女が俺のほうを必死に見上げている。俺を呼ぼうとしたのだが、悲鳴もろくに出なかったらしい。
驚いたのは俺ではなくて、男達の方だった。少女に剣を突きつけて馬乗りになっている男とその様子を遠巻きに見ていた3、4人の男達である。ほんの束の間だったが、どいつもぽかんと口を開けて俺を見上げたまま突っ立っていた。
きらきらした服を着た貴族らしい馬乗り男を無造作に払い飛ばして、少女を左腕で抱え挙げた。少女は体中がどきどきしている。それでも楽器は離ず抱いていた。楽器を胸に抱いたまま両手で俺の首にしがみついた。それから泣き出した。
若い貴族の男はまだ荒い息を続けていた。周りにいた男達が喚いた。剣を抜くと四方から間を詰めてきた。貴族男はへなへなと後ろづさりした。いかにも腰抜けらしかった。
俺はこういう奴等が嫌いだった。弱いものにかさにかかって襲いかかる奴等だ。俺も腰の刀を抜いた。研いだばかりだから、本気で振り回せば、こいつ等の身体を縦割りにできるなと思った。だが、今は少女を抱えている。その目の前で人を縦割りにするのはさすがに気が進まなかった。今日は腕を叩き斬るだけにした。
一番目つきの悪いのが脇から斬ってかかった。それと同時に背中の奴が剣を突き立てて来た。背中の間合いがちょうどなので、振り向きざまにこの男の腕を斬った。師匠譲りの刀は今日は特に切れ味が良かった。背中の男の右腕がはるか向こうに飛んでいった。腕が飛んでいっても男はすぐには気づかないようだった。脇から来たのがひるんで一歩下がった。貴族男は腰を抜かして砂の上にへたり込んだ。腕を失った男の肩からは血が吹き出した。
貴族男が奇妙な声をあげた。男でも悲鳴をあげるのだ。はじめて怒りが体中に広がった。貴族男のところへ一っ飛びに跳んで、引きつった顔でひいひい言っている貴族男の腕を切り飛ばした。腕は剣を握ったまま飛んでいった。貴族男はのけぞってひっくり返った。身体全体が痙攣している。
少女は俺の胸に顔を埋めたまましっかり俺の首にしがみ付いたままでいる。その方がいいと思った。こんな有様なんか見るものではない。
男達は闘志を無くしたらしい。二人が貴族男を両脇から抱えて、もうひとりが腕無し男に肩をかしてよたよた逃げ始めた。斬られた腕まで気が回らなかったのか置き去りにしていった。俺は放っておいた。
「おい、もう大丈夫だぞ。」
そういってから、向こうに転がっている斬られた腕を見せたくないので、少女を抱きかかえたまま堤の上に上がった。
「大丈夫か。え?」
少女の顔を覗き込むとうれしそうに頷いた。まだ、涙目をしていた。
「よし、それじゃおろすぞ。」
少女がかぶりを振った。俺はやむをえないので、刀の血のりを自分の服で拭って鞘に収めた。
岩棚に俺は俺の胡弓と経文を置いたままだったので、少女を抱えたままゆっくりそっちへ歩いた。少女は、そっと顔を上げて俺を見ている。俺のでかい顔を見ても面白くもなんともないだろうにと思ったが、これも放っておいた。
俺は胡弓と経文を拾い上げて、経文を懐に入れ、つり紐を首に回して、胡弓を背中に背負った。
「このまま宿まで行ってもいいのか?」
俺は少女に訊いた。少女は今度は頷いた。
「よし、それじゃあ、宿に帰ろう。」
俺はよっこらしょと言って歩き始めた。
夜でも街は結構賑やかだった。酒楼も有るし、宿も飯屋も有るので人が行き来するのだ。通りを歩いていた奴等は珍しそうに俺たちをちらちらと見ていく。俺の風体が凄まじいので真っ向から俺たちを見つめる奴はいない。
俺は少女を抱えたまま宿の老人の部屋まで上がっていった。今日も老人は床に臥せっていた。
老人は、俺の腕の中に孫娘がいるので驚いたような顔をした。
「爺さん、具合はどうだ。何、心配することはない。娘はなんともない。ほれ、この通り。」
そう言って、少女を下ろした。
少女は少し顔をあからめながら軽くお辞儀をした。それから老人の傍に行った。小さな声でさっきのことを話しているようだった。老人が俺のほうを見た。少女は老人の枕元に据えられていた膳を確かめてから、飯をもう一度温めなおしてもらいに下へ降りていった。
少女が下に降りていったのを確かめてから小声で話した。
「老人、お前の娘は、どうやら貴族屋敷の馬鹿息子に目をつけられたらしいぞ。これから俺が掛け合いに行くつもりだがそれでいいかな。」
「今夜は孫娘を助けてくれたようだな。なんともかたじけない。だが、貴族屋敷にはたくさん兵がいるということだ。お前さん一人で出かけるのは無茶というものだ。そこまでしてもらうわけにもいかん。」
「老人、俺はさっき馬鹿息子の片腕切った。もう俺もお前等の仲間になってしまったわ。今頃奴の親父が役人やら腕利きやらを集めているだろうさ。だから、どうせ火の粉は払わにゃならん。ま、こうなったらここには何時までもいられんだろうから、話をつけたら出て行かねばならんな。」
老人は自分達に降りかかった災難の大きさを思いしばらく声にならなかった。ようやくにして呟くように言った。
「いまさら、わしがどうこう言える立場ではない。お前さんにすべて任せるより他はない。まことにすまない。武運がお前さんを守られんことをただ祈る。」
老人がそろそろと起き上がってゆっくり頭を下げた。
「おっと、老人。無理をしちゃいかん。寝ていろ、寝ていろ。大事な身体だ。娘のために長生きしたいんだろう。余計な気を使うな。」
そう言った時、少女が膳をもって上がってきた。
「それじゃあ、俺は帰る。なあに、もう心配はいらん。爺さんをしっかり見てやれよ。」
少女にそう言って、俺は自分の胸をぽんと叩いてからぎしぎしと階段を降りていった。