朝鮮の人達には申し訳ないが、前回のアリランの記事で、ウィキペディアが紹介している本調アリランを朝鮮語で歌えるようにしたいと書いたが、朝鮮民謡「アリラン」というのは、実に複雑な背景を持たされた歌なんだと今頃になって分かった。

気軽に、俺の風呂歌レパートリーにしたいなんて言えない重みのある国民歌なんだなーと、かなり重い気持ちになっている。

また「アリラン」には、無数と言って良いようなほどバリエーションが有るようだが、勝手を言って申し訳ないが、私は親しんで来たウィキペデアの「アリラン」とそのヴァリエーションと思われる「新アリラン」が良い。

朝鮮の人達の思いは理解できるつもりだが、私の好きな歌を選ぶのは許されと思う。

ここ数日、日に10回以上、youtubeで聴ける限り全員の韓国人ソプラノ「新アリラン」を聴いている。

発音も意味も半分以上分からないが、朝鮮語の何と美しいことかとウットリしつつ聴いている。

日本語に訳した歌詞が見つからないので、半分以上意味が分からないし、クラシックスタイルの曲にも関わらず、「アリラン」の来歴を読んでソプラノを聞いていると朝鮮の人達の想いが伝わってくるように感じる。

(続く)