avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

2020年01月

市立図書館から、「死とは何か さて死んだのは誰なのか」と「私とは何か さて死んだのは誰なのか」の二冊。

2冊は、池田さんが、2007年にガンで亡くなった後、池田さんの業績を広める団体が、雑誌などに発表されていた記事を3冊の本に纏めた内の2冊。

つまり、池田さんが意図した編集ではないし、題名も御本人の意思ではないようです。

記事も短文がほとんど。


さて、Mさんが紹介してくれた「(たとえば)私は、子供を産もうと思ったことがない。」という引用は、「私とは何か…....」の方の最初の章の「わたくし、つまりNobody」の「1 自伝風哲学入門」の中のp29にある文章。


この一行の前後には、どんな文脈がつらなっているのか?

例えば、「死とは何か…‥」の方の、「なぜ生きるのがよくて死ぬのは悪いことなのか」(p139〜140)にこんな文があります。

『なぜ人が死を恐れるのかがわかりません。だって、死は観念のなかにしかないんですよ。死体は存在しても、「私の死」は存在しない。正確には、「考えられない」ということですが、詭弁でも何でもなく、論理的に考えれば必ずそういう結論が出る。・・・。そこが哲学的な体質とそうじゃない人の違いです。私にとって死は存在しない。ないものを恐れて一生を過ごすのは不健全です。・・・。むろん私だって体は痛くないほうがいいですけど。それだって自然現象じゃないですか。自分だけにあり得ないことではない。そのへんの気がつき方が普通の人より鍛えられているかもしれません。生老病死は当たり前の事象。お釈迦様は四苦八苦と言ったけど、苦しみと捉えたところにお釈迦様の弱点があったのではないかとさえ思う。苦しいと思うのは人間の側の価値。価値と事実は違います。・・・。生死の問題は存在論という哲学上の大問題であって・・・。』

引用の最後のあたりで舌が空転してしまったようですが、こういう文脈上に子供云々の文があるのですね。

余計な一言ですが、お釈迦様は事実を徹底的に煎じ尽くして、古典力学も相対論も量子論も存在しなかった2500年以上前に池田さんとほとんど同じ結論を得、生死の問題を一応解決していたということを強調しておきます。

なお、上記の引用(命題)の妥当性は、あくまで、池田さんが依って立つ前提に依存していると思う。


さて、まだ池田さんの文脈は良く見えていません。

更に引用を続けさせて頂きます。




まずお二人の歌を聞いてみましょう。

Young Ok Shin(ヤン・コックシン コロラトゥーラ・ソプラノ)





 한경미 Han Kyung-Mi  soprano




次に楽譜

新-아리랑(김동진 曲)







上の楽譜に歌詞も入っていますが、韓国語歌詞(ハングル表記)と発音を確認しやすいRomanized(ローマ字)表記が並記されている歌詞を使わせていただきます。

Jet Lyrics

http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=632460

홍혜경(Hong He Kyung) 신 아리랑 가사 ROMANIZED
 Hide Romanized Lyrics



 아리랑  아리랑  아라리요  아리랑  고개로  넘어간다
 アリラン  アリラン   アラリヨ   アリラン  ゴゲロ  ノモガンダ
 a-li-lang a-li-lang a-la-li-yo a-li-lang go-gae-lo neom-eo-gan-da-

싸리문  여잡고  기다리는가  기러긴  달밤을  줄져간다
 サリムン ヨジャッコ  ギダリヌンガ  ギロギン タルパムル ジュルジョガンダ 
ssa-li-mun yeo-jab-go gi-da-li-neun-ga gi-leo-gin dal-bam-eul jul-jyeo-gan-da-

모란꽃  필적에  정다웁게  만난 이
モランコ ピルチョゲ ジョンダウプゲ マンナンニ
mo-lan-kkot pil-jeok-e jeong-da-ub-ge man-nan i-

흰  국화  시들듯  시들어도  안오네
ヒン グックフワ シデルデ シデラド  アノネ 
huin guk-hwa si-deul-deut si-deul-eo-do an-o-ne-

서산엔  달도지고  홀로  안타까운데
ソッサネ  タイドウジコ  フッロ  アンタッカウンデ
seo-san-en dal-do-ji-go hol-lo an-ta-kka-un-de

가슴에  얽힌  정  풀어볼  길  없어라
カスメ  オイキン ジョン プロポイ  キロ プセナ
ga-seum-e eok-hin jeong pul-eo-bol gil eob-eo-la-

아리랑  아리랑  아라리요  아리랑  고개로  넘어간다
アリラン  アリラン   アラリヨ   アリラン  ゴゲロ  ノモカンダ
a-li-lang a-li-lang a-la-li-yo a-li-lang go-gae-lo neom-eo-gan-da-

초가집  삼간을  저  산밑에  짓고
チョガジ サンガニル チョ シャンニッテェ  チッコ
cho-ga-jib sam-gan-eul jeo san-mit-e jit-go-

흐르는  시내처럼  살아볼까나
フルヌン  シンネトラム   サラボルカナ
heu-leu-neun si-nae-cheo-leom sal-a-bol-kka-na-

아리랑  아리랑  아라리요  아리랑  고개로  넘어간다
アリラン  アリラン   アラリヨ   アリラン  ゴゲロ  ノモカンダ
a-li-lang a-li-lang a-la-li-yo a-li-lang go-gae-lo neom-eo-gan-da





上の歌詞に、ソプラノ歌手の歌(発音)と翻訳ソフトの発音を参考にして、韓国語のヨミガナ(カナ表記)をふってみます。


 〇 上の作業を実際にやってみた感想。

正直、頼りにしたい韓国語発音のカナ表記も歌詞の日本語訳も見つからないので、翻訳ソフトの発音と聞き取りが難しい韓国のソプラノ歌手の発音からカナ表記を書き起こすのは難しい。

カナ表記を書き起こしてみたが、明らかに歌手の発音とは違う。

*2020-2-1  一応歌詞前部に日本語カナを表記してみた。韓国のソプラノ歌手の歌(発音)を聞いたが、まあまあ何とか音写できたかなと思う。ぜひ、楽譜とハングル(韓国語の文字)を日本語表記を見ながら聴いてみてほしい。

韓国語(朝鮮語)の母音表記(ハングル文字)は、日本語のカナ(アイウエオ)ように一種類じゃないのだし、子音も、語頭と語中では発音がことなるものもあるため、大変聞き取りにくい。

書き起こしたカナ表記と歌手の発音をよく聞き比べて少しでも朝鮮語の発音に近くなるように繰り返し聞いて慣れる他ない。

歌詞の日本語訳は当分難しい。

翻訳ソフトが殆ど頼りにならない。

朝鮮の人達には申し訳ないが、前回のアリランの記事で、ウィキペディアが紹介している本調アリランを朝鮮語で歌えるようにしたいと書いたが、朝鮮民謡「アリラン」というのは、実に複雑な背景を持たされた歌なんだと今頃になって分かった。

気軽に、俺の風呂歌レパートリーにしたいなんて言えない重みのある国民歌なんだなーと、かなり重い気持ちになっている。

また「アリラン」には、無数と言って良いようなほどバリエーションが有るようだが、勝手を言って申し訳ないが、私は親しんで来たウィキペデアの「アリラン」とそのヴァリエーションと思われる「新アリラン」が良い。

朝鮮の人達の思いは理解できるつもりだが、私の好きな歌を選ぶのは許されと思う。

ここ数日、日に10回以上、youtubeで聴ける限り全員の韓国人ソプラノ「新アリラン」を聴いている。

発音も意味も半分以上分からないが、朝鮮語の何と美しいことかとウットリしつつ聴いている。

日本語に訳した歌詞が見つからないので、半分以上意味が分からないし、クラシックスタイルの曲にも関わらず、「アリラン」の来歴を読んでソプラノを聞いていると朝鮮の人達の想いが伝わってくるように感じる。

(続く)

行きつけの古本・古ゲームソフト店に病休を取れない医者の養生法という本があった。

確かにいつ行っても先生は元気に対応しておられる。

買おうかと思ったが手持ちのお金が足りず買わなかった。

パラパラめくりの記事の中に風邪かなと思ったらスイミングスクールに行って10分位軽く泳ぐというのがあった。

えー、と思ったが、理由を読んで納得した。

風邪のウィルスは、喉の辺りの細胞に侵入するそうだが、繁殖適温は取り憑かれた人間の細胞と同じ位。

活性上限温度は人細胞より低いらしい。

水泳は、適度な運動で体温を上げるので、ウィルスを不活性化する効果があるという。

水泳は全身の運動になるので良いと言う。

ここからは、私の勝手な推量。

私の場合は、サイクリングである。

そして、風呂歌です。

ご近所には迷惑をかけるが風呂歌を大きな声でやると気管系の調子が何となく良いような気がしていた。

サイクリングは、全身運動。

風呂歌は、気管系の運動。

ウオーキングが良いのも同じ理由かもしれない。

理由は、皆さんご存知ですね。

生き物に生得的な、生存欲・繁殖欲を理解するのが難しい事、それらの欲を抑えることが難しい事が最大の理由。

どちらの欲望もあらゆる生き物が背負わされているもの。

生命という原理に根ざしたものなので生きている限り生き物を内部からつき動かすもの。

太陽が、光り輝くのと同じようなこと。

特に人間は、高い知能を獲得しそれを拡張し続けているため、それら根源的な欲望の発露は複雑。

また、社会生活に依存するため、余計に複雑な問題が発生する。

現生人類の祖先の一人とされるアフリカのルーシー一族の頃は、一種の血縁一族の少集団で暮らしていたようだが、文明開化が始まる頃には、国家の原型が出来、血縁の秩序から階級社会の秩序に移行し現在に至っている。

多くの生き物たちが、同じ種類の仲間が生き抜く為に色んなやり方で協調している。

その協調の基盤が秩序。

戦闘組織では、無秩序は危険なので特に厳しい。

秩序は、多くの場合、集団の安全を最優先する。

現存のいかなる国家も、国民全員を守れる程強力ではない。

食料や武器を完備する事は不可能。

お題目は標榜してるが、事実上は、弱肉強食状態のまま。

アフリカ大陸の多くの地域が、西欧の植民地
状態から開放されたと思ったら、今度は、同じ民族に専制支配されている。

その背後には、資金と技術を持つ西欧諸国がヒルのように吸い付いている。

そういう吸血のお余りが西欧諸国の繁栄を支えている。

そもそも現代文明は、こういう構造に支えられて繁栄を続けられたのだ。

現在我々が享受している文明・文化は、弱肉強食の賜物なのだ。

人間の欲望には頂点が無い。

現生人類が誕生した時の総人口は一体何人だったろう。

数百人、数千人、数万人、数十万人まで位だろうか。

今や70億人。

もう、アフリカを出てユーラシア、オセアニア、南北アメリカへと新天地を求めた祖先のように旅する先が無くなっている。

立錐の余地が無いほど地表は分割所有されてしまった。

一方、国家の秩序は、一応の安定を保っているが、個々の欲望を充足させるのは不可能なため、階級社会の上から下まで犯罪が横行している。

国家間の秩序も全く同じムジナ。

自由平等博愛公平正義民族自立平和共存などなどお題目は幾らでも並んでいるが、戦国武将宜しく衣の下は鎧で固めますます強力な兵器の装備に専念している。

日本の過去の戦争責任を攻め立てながら、中国は、周辺民族の主権を奪い人権を踏みにじりジワジワとユーラシア、オセアニア、アフリカへと覇権の拡大をなりふり構わず強行している。

おとなり韓国も同様で、最悪の強権独裁国家北朝鮮と共謀し核兵器保有大国にのし上がろうとしている。

韓国の経済と北朝鮮の核兵器が合体すれば、これまでのように中国の属国地位から脱し、中国と一緒に日本分割の饗宴に預かれるかもしれない。

一体、平和共存ナンテいう夢を脳天気に称えていて大丈夫なのか?

かほどに、人間の欲望は御し難いのだ。

少しずつ朝鮮語(韓国語)が発音出来るようになってきたので、臨津江と並行して、朝鮮民謡「アリラン」の原語歌詞を覚えようと思います。


この歌も風呂歌定番なので。


wikipediaの記事から、歌詞をお借りします。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3#%E6%9C%AC%E8%AA%BF%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3


本調アリランの楽譜と韓国語歌詞及び日本語訳のうち、歌詞と日本語訳をお借りします。楽譜はWikipediaでご覧ください。

また、youtubeビデオには、いろいろなアリランがあり、Wikipediaの楽譜や私の歌っている日本語歌詞のアリランに一番近く、歌詞も聞き取りやすい次のビデオをお借りします。

「中国朝鲜族folk song 阿里郎Arirang」



https://www.youtube.com/watch?v=8vmxqTg825I


上の動画のアリランは、歌詞(発音)の一部がWikipediaの歌詞と一部異なっているように聞こえる。

それに対して、次の動画の歌詞(発音)は、Wikipediaの歌詞と一致しているように聞こえる。

「Arirang (아리랑) North Korean Version 北朝鮮版アリラン」



https://www.youtube.com/watch?v=XXQgyvLzKPs

この動画を見つけて分かったことは、Wikipediaの本調アリランは、北朝鮮版のアリランということになりそう。





   아리랑 (아 ア、리 リ、라 ラ o ン)


1番  

  아리랑   아리랑  아라리요
  アリラン アリラン アラリヨ
  アリラン アリラン アラリよ

  아리랑고개로   넘어간다
  アリランゴゲェロ ノモガンダ
  アリラン峠を越えて行く

  나를   버리고   가시는   님은
  ナルル ポリゴ  カシヌン  ニムン
  私を捨てて行かれる方は

  십리도   못   가서   발병난다
  シンリド モツ  カソ  パルビョンナンダ 
  十里も行けずに足が痛む

  *韓国語の発音の日本語カナ表記は、youtubeビデオの歌やGoogle翻訳などの翻訳ソフトによって私が聞き取って表記したもので、実際の発音通りではありません。



2番

  아리랑   아리랑   아라리요
  アリラン アリラン  アラリヨ
  アリラン アリラン アラリよ

  아리랑   고개로   넘어간다
  アリラン ゴゲロ  ノモカンダ
  アリラン峠を越えて行く

  청천(靑天)    하늘엔   별도   많고
  チョンチャニ  ハネルンニ ピョイト マンコ 
  青い空には小さな星も多く、

  우리네   가슴엔   꿈도   많다
  ウリネエ  カスメン  クムド マンタ 
  我々の胸には夢も多い。

 * 二番の日本語カナ表記は歌と合わない。歌詞が違うのか、日本語カナ表記が間違いなのか。 さらに検索して見つかった、上掲の「Arirang (아리랑) North Korean Version 北朝鮮版アリラン」動画の歌詞は完全にWikipediaの歌詞と一致しているようで、私がふった日本語カナと歌手の歌う発音がほぼ一致していると思う。韓国と北朝鮮の関係は微妙だから、Wikipediaの歌詞をそのまま「アリラン」の歌詞として良いのかどうか気になる。キーワードを朝鮮語で「아리랑」と入力して検索して出てきた「アリラン」は、特に、2番の歌詞(発音)がWikipediaの歌詞と微妙に違うのは、もしかすると北朝鮮版と違う歌詞なのかもしれない。さらに検索してみよう。

3番

  아리랑 아리랑 아라리요

  アリラン アリラン アラリよ

  아리랑 고개로 넘어간다

  アリラン峠を越えて行く

  저기 저 산(山)이 백두산(白頭山)이라지
  
  あそこのあの山が白頭山(朝鮮民族の霊峰)なんだね、

  동지(冬至) 섣달에도 꽃만 핀다

  冬至師走でも花ばかり咲く。







 **韓国語で아리랑を検索したら次のyoutubeビデオがヒットしました。
「민족의노래 아리랑 ~ 아리랑 노래 모음(民族の歌アリラン〜アリランの歌のコレクション) Vol 103」

https://www.youtube.com/watch?v=uCrluX4aSek

この動画の9分5秒あたりから始まるソプラノのアリランがありました。ソプラノの後に続くのが本来の民謡アリランのようです。そのソプラノ、画面の表示は、次のようになっています。

    신아리랑(新アリラン)
    소프라노 (ソプラノ) 강혜정(カン・ヘジョン)

カン・ヘジョンというのは歌手だろうと思い、検索すると案の定でした。

次に、新アリランが気になったので、同じように韓国語で検索したら、数人の歌手の動画がありました。

民謡のアリランも大好きですが、今日見つけたこの「新アリラン」も素敵です。

出来れば、この「新アリラン」も風呂歌に加えたいが、youtubeビデオで楽譜(歌詞付)も見つけたのですが、歌詞の日本語訳があれば良いのですが。

時間を掛けてやってみましょう。

ハングルの入力も、「ハングル キーボード」や「Hungl Pad」を使わせてもらってとても便利です。




(続く)

Gyao無料を視聴してます。

その中の戦争物の感想です。

映画やテレビドラマですから、細部は史実に忠実ではないでしょう。

中国の歴史物は、戦争物が多い。

そういう戦争や主な人物は実在です。

つまり、戦争そのものは実際にあったようです。

中国は、アジアでは最も早くから文明が始まり開けた上に、国土が広大であったため、戦争も多かったようです。

最も、中国だけが特に好戦的だった訳でなく、未開地でも文明開化地でも、兎に角、戦争を繰り返したようです。

日本だって、大和朝廷誕生以前も以後も、沢山戦争した記録がのこっています。

ヤマトタケルノミコトの戦いから関ヶ原の合戦、果ては戊辰戦争・函館戦争まで同じ民族同士が殺し合いをしてました。

何の為にこうも戦争を続けたのでしょうか?

映画は、答えの一つを示してくれてます。

映画は、仕組み上必ず主人公とかヒーローを立てます。

視聴者は、普通、映画の製作者や監督の誘導で、主人公やヒーロー側に感情移入します。

敵役はやること為す事全て悪に見え、同じ事をやっても主人公・ヒーローは喝采されます。

例えば、日本は、朝鮮や中国の人たちからすれば、敵役でしょう。

両国の教科書では、文字通り、悪役に仕立てられてるようです。

両国の製作者・監督は、それぞれの政府です。

つまり、両国の子供たちは、絶対悪の日本という映画を毎日観ているのです。

これからどうなるかは予測出来ませんが、映画を見て育った両国の人達と戦争はしたくないですね。

戦争がどうして起こるのか、どうしてやめられないのか、これは、簡単そうで難しい問題です。

戦争映画の話に戻れば、主人公・ヒーローの側から見れば、戦うことは正義なのですから厄介なのです。

もう一つ厄介なのは、戦争はある時から始まるんじゃなくて、ずーっと戦争状態なのだということです。

映画は、色々な制約があり、始まりがあって終わりがあります。

でも、チョット考えれば、それは、製作者や監督の都合なんだと分かります。

戦争は、生命誕生の時始まり、生命体が存続する限り、終わりは多分無いのだろうと思います。

URLまで変更するのは大変そうなので、名乗りとブログ名だけ変更します。

avaro82。

avarokitei82のblog。

私事です。




















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