avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

2019年06月

ヤフーブログから移転先のlivedoorブログへの移転はほぼ完了できたのですが、解決できない問題が残りました。


1.リダイレクト(移転先への自動転送)は有り難い機能なのだが、ジャンプ先は、個々の記事・読みたい記事のページへではなく、トップページとなっている。


2.livedoorブログに記事・画像がちゃんと移転しているかどうか確認したら、ヤフーブログの記事は削除するつもりでいたが、残念ながら、移転完了後はヤフーブログの記事・画像を削除することは出来ないそうだ。


何故ヤフーブログの記事を削除したいのかというと、検索エンジン(googleなど)の登録は一つのブログに制限しているらしいから。

つまり、ヤフーブログの記事が残っている間は、検索エンジンが移転先の記事を登録してくれていない可能性が高いということ。


ということで、リダイレクト(自動転送設定)は「しない」方が良いような気がします。(「□自動転送設定をしない」の□にチェックを入れて、リダイレクトをしないようにする)




記事の削除について、ヤフーにメールで要望したのですが、次のようなご返事が来て、記事の削除は出来ないようです。

Yahoo! JAPANカスタマーサービス***です。
いつもYahoo! JAPANをご利用くださいまして、ありがとうございます。

お問い合わせの「ブログの削除」についてご案内いたします。

このたびはYahoo!ブログの移行に関して、お客様にはお手数をおかけしております。

誠に恐れ入りますが、移行後のYahoo!ブログは編集ができなくなるため、
削除することもできません。

ご要望に添うことができず申し訳ございませんが、何卒ご理解くださいますよう
お願い申し上げます。

ブログの削除をご希望されていることについては、お客様の貴重なご意見として
担当部署に申し伝えます。

このたびのご案内は以上でございます。
そのほかご不明点などございましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。

これからもYahoo! JAPANをよろしくお願いいたします。

哲学は分かりにくい。

当たり前の話で、数千年の歴史を持つ最も起源の古い学問なのだから。

数学や物理学が難しいのと同じこと。

ただし、数学や物理学が難問を明快に解いてどんどん知識を累積しているのに対して、哲学は問いを重ねてばかりいる様な気がする。

哲学の語源は「愛知」だというが、めいめい勝手に「これが真実だ」と主張しているだけでは、一般人には無縁な学となりかねない。

しかし、本当は、数学者も物理学者も一般人も、頻繁に哲学をやっているはずなのだ。

例えば、物理学者が世界観を述べれば、土台は物理学でも、述べているのは哲学なはずなのだ。

宗教家が、現代に即した信仰について述べれば、それは宗教ではなく哲学なのだと思う。

宗教とは、宗祖の教えをそのまま実践する以外ありえないからだ。



ということで、実は哲学というのは、人なら誰にとっても必要なものであるはずなので、とにかく、面白いと感じたサイトにリンクを張らせていただきます。

カテゴリーを「現代」哲学リンク集と、頭に「現代」を付けたのは、プラトンとかアリストテレスや老子や荘子のような古代、中世、近世の哲学のお勉強ではなく、今私たちが生きている現代に適した哲学はどうなっているのかを知りたいから。

なお、玄人(哲学者や哲学オタク等)向けのサイトはパスします。

また、論理学も哲学の分類に含めます。

私の勝手な言い分ですが、「現代哲学」には呻吟して学ぶ必要がある「解」は存在していないと思います。

よって、正しいとか真実とか真理とかいうような「拠り所」を求めるのではなく、とにかく乱読するのが良いのかなと思います。

拠り所は自分で考えた方が良いでしょう。



このカテゴリーは見つけた順になります。


1.「心の哲学まとめWiki」

 現代哲学の一分野らしい「心の哲学」を読みやすく紹介してくれています。メビウスさんがまとめたサイトです。ツイッターは下記。

なお、直近に公開したメビウスさんの論文「心脳問題の解消」を無料で読めます。

 *この論文、読みかけなんですが、正直読みにくいです。現代哲学の知識がないので、議論の進め方、用語、文脈等々馴染みのないものばかりなので。


2.【上田啓太】哲学はすでに溺死していた?『現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組』を読む


3.「人間はどう生きれば良いのですか?」という問いに現代の哲学者は口ごもってしまう……大賀 祐樹


4.西洋哲学史と倫理学のキホン-現代思想(現代哲学)は近代までの哲学とは違う


5.大陸哲学と分析哲学、わたしの場合 Hidetaka Yakura


6.論理を知らないでは哲学はできないことについて 吉田夏彦『論理と哲学の世界』解説
    飯田 隆

7.科学哲学;コペンハーゲン解釈; 理系の西洋哲学史
   「70:カント:二律背反(アンチノミー) 第70話 ご冗談でしょう. カントさん」


8.Philosophy Guides
 *日本語のサイトです。

9.知の快楽     哲学の森に遊ぶ
  https://philosophy.hix05.com/Kant/kant113.antinomy.html


10.独今論者のカップ麺   実在論のダメなわけ 独我論のダメなわけ 「どくいまろんしゃのかっぷめん」自2009.11
  http://sets.cocolog-nifty.com/blog/000.html
 

荒川のサイクリングロードの大半は堤防上にあるので、これからの梅雨・真夏の季節は、雷とにわか雨に要注意です。

経験上、イワユル晴天の霹靂(落雷)はまず無いでしょう。

ですから、サイクリングに出かける時は、必ず、天気予報で、これから数時間後までの天候を確認しましょう。

記事を書いている今は、快晴ではありませんが、陽射しも多少あり、雨雲は見えません。

しかし、ほんのちょっと前までは激しい雷雨でした。

もし、不用意に荒川のサイクリングコースに出かけて走行中だったら、ずぶ濡れになっていたでしょう。

雷もまばらでしたが鳴っていました。

荒川の堤防下には民家が続いているので、雨宿りをお願いできないこともないでしょうが、納屋などがある農家は少ないのであまり歓迎されないでしょう。

去年と今年(昨日)、サイクリング途中で雷雨になり、昨年は1時間以上、昨日は30分程度雨宿りをしなければなりませんでした。

両方とも、橋の下での雨宿りでした。

去年は、開平橋(右岸河川敷)の下で、昨日は、圏央道の高架橋(左岸の自然堤防上)の下です。

河川敷の開閉橋の下は、橋から河川敷まで高さが10mぐらいあったので、雨を完全に避けることは出来ませんでした。

一方、左岸の自然堤防(川岸が河川敷より10m近く高い自然の地形で堤防の代わりもしている)上では、圏央道の高架橋の橋げたは低い(3~5m位)上に、片側2車線の幅があるので、ほとんど雨を被ることがありませんでした。

もし、堤防上のコースを走っている最中に雷雨となったら、ずぶ濡れになるだけでなく、落雷の危険も多少あるでしょう。

去年も昨日も、出かける前に天気予報(tenki.jp)で、雨雲の様子を見ていたので、降られるかもしれないと思いつつも出かけたのでした。

両日とも、実際の降り始めが予報よりかなり早かったため、当てが外れたわけです。

やはり、こういう予報がある日は、出かけるのを控える方が良いようです。

今日も行きたかったのですが、昨日懲りたので我慢したら案の定予報通りの時間に雷雨になりました。

昨日の場合、圏央道の橋げたの下の雨宿りを思いつかなかったらずぶ濡れで雷の中走る羽目になったでしょう。

私も若くはないので、慎重にしようと思います。


なお、昨年の場合は、100円ショップで買っておいた合羽(上着とズボン、計200円)を持っていってたので助かりました。

一回きりしか使えませんでしたが、小さく畳め、軽いので携行に便利です。

釈尊が成道し入滅するまでが厳密な意味での釈迦仏教(時代)だと言える。

しかし、アーナンダが入滅する頃までは釈尊の教えに忠実な直弟子たちの活動が続いていたようで、このころあたりまでを原始仏教或いは初期仏教の時代とする。


当カテゴリーでは、このような時代の仏教に関連した記事(CINIIなどの論文を含む)を掲載しているサイトを見つけ出し、アクセスしやすいようにリンクを張る。このページは、見つけた順のリンク集。

出来れば、テーマ別のリンク集も欲しい。



                  リンク一覧

1.原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究 中央学術研究所
 *資料に基づく学術的な研究で、記事は論文だと思って読めば良い。お堅い記述だが、その分信頼性は高いと思う。適当な釈尊伝では不満な方向き。

写真を見てください。

DSCN2919_resize
 右端の薄紫の花は「アカツメクサ(ムラサキツメクサ)で、問題にだした花のようなものとは、筒状のものから細い針金の先に白い飾りをつけたようなものです。この飾りは、雄しべなんだそうです。下から上に向かって順に咲いていくそうです。

DSCN2911_resize


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  この花のようなものはヘラオオバコの花です。このあたりは、ヘラオオバコの大群落で、土手の河川敷側の斜面は一面ヘラオオバコだらけです。


場所は、下の写真の荒川水管橋の直ぐ下流の左岸(上流から見て)で、鴻巣の体育館(コスモスアリーナふきあげ)のすぐ前です。写真の麦畑の手前あたりは、吹上コスモス畑のようです。
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江戸時代に渡来したそうですが、オオキンケイギクやアレチウリのように、在来植物に覆いかぶさるように繁茂しないようなので、駆除対象ではないようです。

以前書いたヘラオオバコが出てくる記事です。

写真を見てください。

二条大麦の畑
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クローズアップ写真です。
DSCN2846_resize

さらにクローズアップしました。
DSCN2848_resize

   
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DSCN2852_resize


以前、六条大麦の畑を見つけて記事にしました。

記事の中に、六条大麦と小麦の写真がありますので、上の、二条大麦と比べてください。

小麦の実の付き方は不規則バラバラな感じですが、穂の長さは長い。

六条大麦と二条大麦は、実の付き方が規則的で整然としている。穂の長さは、小麦より短い感じ。



今は、麦秋。

麦刈りが行われています。

上の二条大麦の麦刈りもとっくに済みました。

場所は、圏央道北本・桶川インターチェンジ付近です。

10年近く更新しないでほったらかしにしていたホームページなので、アップロード・ダウンロードの仕方も忘れていたが、幸い、IDやパスワードを記録しておいてあったので、無事ダウンロード出来た。

定番のftpクライアントソフトということで、「窓の杜」から「FFFTP 64ビット版」をダウンロード・インストールして使った。

ノートには、geocities のID・パスワードが三つ残っていたが、どれが該当するのか分からず、順番に試してみた。

結局、そのうちの一つが該当して、無事geocitiesのサーバーに入ることが出来た。

FFFTPも使い方を忘れていたが、勘を頼りに入力し、接続・ダウンロードをクリックしたらファイルが入ったフォルダ一覧がダウンロードされた。

以下の画像がその手順。

①FFFTPのアイコンをクリックして起動すると「マスターパスワード入力」のウィンドウが表示される。
ffftpマスター・パスワード
  FFFTPをインストールした時に必ず設定しろと言われたパスワード。ノートにメモしておいたパスワードを入力。②のFFFTPトップ画面が表示される。


②FFFTPトップ画面とその前面のホスト一覧ウィンドウ
ffftp画面
  ホスト一覧とかいうサブ・ウインドウが前面にあるが、良く分からないので×をクリックして消す。

③トップ画面のメニューの「接続」をクリック、「接続」のプルダウンメニュー表示、クイック接続をクリック
ホスト名ユーザー名パスワード入力
  接続先ウィンドウが表示されるので、ホスト名(ftp.geocities.jp)、ユーザー名(ユーザーID)、パスワードを入力する。

④パスワードを入力したら、OKボタンをクリックする
ダウンロード完了
  geocitiesに保存しておいた全ファイルが入った全フォルダの一覧がダウンロード(取得)され、フォルダと単独のファイルの一覧が表示される(赤点線四角内)

⑤フォルダ内のファイルをダウンロードするため、フォルダを選択すると背景が青くなり、メニュー一覧の下のファイルダウンロードボタン(下向き矢印--赤点線内)が青くなる(上の画像)。面倒だが、ファイルは一つ一つダウンロードしなければならないようだ。フォルダをクリックしてそのフォルダ内のファイル一覧を表示させる(下の画像)。
フォルダ選択・ダウンロードボタンクリック



ファイル選択ダウンロードボタン押す
  一番上のフォルダ(aruhinogotama-moku...) 内のファイル一覧が表示される。ダウンロードしたいファイルを選択すると背景が青くなるので、メニューバー下の青くなったファイルダウンロードボタンをクリックするとFFFTPトップ画面脇のデスクトップ上にダウンロードされたファイルのアイコンが表示される(赤点線四角内)。これで、その選択したファイルのダウンロード完了。

⑥ダウンロードしたファイル(赤点線四角内)を開いてみる。
表示ファイル選択クリック
  赤点線四角内のファイルアイコンを選択し、青い背景になったアイコンをクリックする

⑦ファイルが表示される。表示されたのは、geocitiesのページ。
表示されたファイル


これで無事geocitiesのファイルはダウンロード出来たことが確認できた。

なお、このファイルは、geocitiesのページなので、ファイルの種類としては、htmあるいはhtml。ダウンロードできたファイルの種類は他に、jpg(jpeg)・gif・buk(バックアップファイル)があった。

例えば、jpgの場合、ファイル一覧には begging for food... jpgと表示され、これを選択してダウンロードボタンをクリックしてダウンロードすると小さなサムネイル画像がデスクトップに表示され(上の画像)、これをクリックするとそのjpg写真が載ったページ表示される(下の画像)。
jpgダウンロード結果



beggingfood

以上です。






他社ブログへの移行ツール、凄いですね。

20位の記事がいくつかの理由で移行できなかったが、2270個もの記事本文・画像・カテゴリーまでも移行してくれた。

感謝します。

なお、移行できなかった記事には、何種類かのマークがついているので分かり易い。

移行できなかった記事は、手作業で移行先(livedoorブログ)に移しました。

まだ厄介な問題が残っていてやらなければならない。

geocitiesの記事にリンクをやっていたものがかなりあるので、記事をダウンロードして、livedoorブログに移さなければならない。(2020年3月31日までに)

また、頂いたコメントをコピー保存するかどうか迷っている。


移行先(livedoorブログ)のカテゴリーには記事数が表示されているので、記事数だけは確認しやすい。

リダイレクトが実際どんな風に行われているのかはまだ確認していないが、個々の記事にジャンプしてくれていれば良いんだが。

科学お勉強-相対性理論
正確な文章は忘れましたが、ずっと以前、Mさんが表題のような疑問をブログに書いていました。

以来、脳みその中にこの問題が引っかかったままでした。

これまでに、何冊か関連する本を読んだのですが、物理と数学の知識に乏しいためと、著者の独りよがりで(どんな読者にも納得のいくものでない)尻切れトンボの説明に誤魔化されてしまい理解不能でした。

ところが最近、周辺の市立図書館に比べ、品ぞろえが充実している当市の図書館で、「光をとめられるか  アインシュタインが挑んだこと」(米谷民明著、岩波書店)という本を見つけました。

ずばり、表題の問題だけをテーマにした本のようです。

宗教問答のページ

それから、
<それに、相手のブログで、相手の意向を無視する、というのは、基本的なルール違反でしょうから、このテーマについては、これでやめます。また、やりすぎたようです。すいませんでした。>
についてなんですが。
mag**iokさんとは、私の意向なんか放っておいて、なんでも議論してきたのですから、ここで言うブログのルールは気にしなくて結構です。
気にしてほしいのは、私の意向よりも、議論のルールです。
自分の独自の基準を盾にしてその基準に合わないというような議論の進め方は困るのです。議論の対象である文章の分析ではなく、文章の書き手の人間分析(自我分析)を始められては、もう議論ではなくなるわけです。そこのところを理解して欲しい。

2010/5/30(日) 午前 11:29[ avarokitei ]

「失礼ですが、mag**iokさんに問い詰められたぐらいで動揺なんてしませんよ。安心してください。
議論を避ける場合も、中途でやめる場合も、動揺したり打撃を受けたからではなくて、議論にならないのでもう止めたほうが善いと判断しただけです。これも承知しておいてください。
私は議論をしているだけです。」

その言葉を、文言どおりに解釈していいのですね。

では、やりましょうよ。

2010/5/30(日) 午前 11:31[ mag**iok ]

「議論の対象である文章の分析ではなく、文章の書き手の人間分析(自我分析)を始められては、もう議論ではなくなるわけです。そこのところを理解して欲しい。」

なぜ、それが議論ではなくなるのか、そこを、もうちょっと詳しく説明していただけないでしょうか。

宗教に関する議論というのは、思想に関するものですから、その書き手の自我、というものを、対象にせざるを得ない、というのが、私の見解です。

悟っていない者にとって、思想とは、自我とイコール、というのが私の捉え方です。

2010/5/30(日) 午前 11:34[ mag**iok ]


それから、現存最古と言われるパーリ経典を現代に伝えてきた教団の僧侶の話を聞くことは、有意義だと思いますか。

その教団が、身分制度という、パーリ経典に反する制度を導入していたとして、その一点をもって、その教団のすべての教義を、参考にすべきではないと判断しなければならない、と考えますか。

2010/5/30(日) 午前 11:38[ mag**iok ]


その教団が、自分には到底信じられない輪廻のことを、真実であると説いている、という一点をもって、その教団のすべての教義を、参考にすべきではない、その僧侶の話しを聞く必要はない、と考えますか。

2010/5/30(日) 午後 0:01[ mag**iok ]


とりあえず、私の関心のある論点を整理してみました。

どれかひとつ、答えやすいものから、答えていただいて結構です。

2010/5/30(日) 午後 0:03[ mag**iok ]

コメント(1)


宗教問答 第一回 テーマ

<「議論の対象である文章の分析ではなく、文章の書き手の人間分析(自我分析)を始められては、もう議論ではなくなるわけです。そこのところを理解して欲しい。」なぜ、それが議論ではなくなるのか、そこを、もうちょっと詳しく説明していただけないでしょうか。宗教に関する議論というのは、思想に関するものですから、その書き手の自我、というものを、対象にせざるを得ない、というのが、私の見解です。>
一番目から行きましょう。
自分にもよく見えない、まして、他人には絶対見えない自我というものをどうやって識別し、どうやって議論の俎上に載せようというのでしょうか?
仏教は一般的に無我を主張しますから、この無我という我との区別やら大変な気がしますが、ご提案されたのですから、説明してください。
多分当分mag**iokさんの言う自我についての質問が続くと思います。

よろしくお願いします。

脳-人間の精神の全ての源泉

少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人

ヒト族の交雑を裏付ける直接的な証拠が見つかり、ネイチャー誌で発表された

2018.08.24
       
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ネアンデルタール人女性の復元像。2008年に公開されたこの像は、古代のDNAの解析結果を利用して作成された最初の復元像だった。(PHOTOGRAPHY BY JOE MCNALLY, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
[画像のクリックで拡大表示]
「ありえない」――古遺伝学者のビビアン・スロン氏は、当初、骨のDNAの分析結果を信じられなかった。その骨は、ネアンデルタール人のDNAとデニソワ人のDNAを、ほぼ等量もっていたのだ。彼女は何かの間違いだろうと考えた。スロン氏は、ドイツにあるマックス・プランク進化人類学研究所の博士研究員だ。
 分析結果によると、約9万年前の骨片は、10代の少女のもので、母はネアンデルタール人、父はデニソワ人だということだった。科学者たちは、数種のヒト族がいた時代、交雑があったと考えている。古代や現代のヒトゲノムの中に、彼らの遺伝子を痕跡が見つかっているからだ。ただ、交雑によって生まれた子の存在が実際に確認されたのは今回が初めてだ。
 スロン氏は、骨片の別の部位からもサンプルを採集し、改めて分析したが、結果は変わらない。それでも疑念は払拭できない。最終的に6つのサンプルを分析してみたが、分析結果は変わらなかった。
 この発見は、2018年8月22日に科学誌「ネイチャー」に発表された。2種のヒト族の交雑によって生まれた子どもの初の決定的な証拠であり、古代のヒト族同士の関係の理解を進めるヒントだ。
 米ハーバード大学の遺伝学者デイビッド・ライク氏は、「ものすごい発見です」と言う。「交雑の第一世代の子など見つからないと思っていましたから」。同士は今回の研究には関与していない 。
 母がネアンデルタール人、父がデニソワ人である彼女は、どんな少女だったのだろう? 彼女の化石は、人類の歩みの研究に、今後どんな影響を与えるのだろうか?

デニソワ人はどんなヒト?

人類の系譜にデニソワ人が加わったのは2010年、つい最近のことだ。そのため、デニソワ人についてわかっていることは、まだ少ない。
 2010年、マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ氏が率いる国際チームが、シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟で発掘されたヒト族の小指の骨と親知らずの歯から、未知のヒト族のDNAが発見されたと発表した。新たに発見されたヒト族は、洞窟の名称にちなんでデニソワ人と名付けられた。(参考記事:「人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明」
【参考動画】ネアンデルタール人とは
ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の特徴と彼らが使った道具について学ぼう。彼らは私たちの進化の歴史に、どう関係しているのだろうか?(解説は英語です)

少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人

ヒト族の交雑を裏付ける直接的な証拠が見つかり、ネイチャー誌で発表された

2018.08.24
       
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 その後の研究により、デニソワ人がネアンデルタール人と近縁で、約39万年前に共通の祖先から分岐したことが明らかになった。彼らは、ネアンデルタール人が絶滅に向かいはじめた4万年前頃まで生きていたようだ。(参考記事:「【解説】世界最古の洞窟壁画、作者はネアンデルタール人?」
 では、デニソワ人は、どんなヒトだったのだろう。外見は? 何人ぐらいいたのか? 発見されたシベリアの洞窟のまわりだけに生息していたのか? 疑問をあげればキリがない。一番の問題はデニソワ人の化石が非常に少ないことだ。科学者がデニソワ人について知るためには、同じ洞窟から発見された4人のデニソワ人の3本の歯と1本の小指の骨という、ごくわずかな手がかりに頼るほかないのだ。

動物の骨に紛れて放置されていた少女の骨片

 今回の研究に使われた骨は、2012年にデニソワ洞窟で発見されたもの。分析の結果、約9万年前に13歳前後で死亡した少女の腕か脚の骨の破片であることがわかった。
 幅が5ミリ程度しかないこの骨片は、見た目からはヒト族のものとはわからない。実は、同じ洞窟で発見されたライオンやクマやハイエナなどの数千個の骨片と一緒に置かれ放置されていたものだった。
 数年後、英オックスフォード大学のサマンサ・ブラウン氏が、放置されていた数千個の骨片に含まれるコラーゲンペプチドを調査して、それぞれの骨がどの動物かを分類した。その過程で、今回調査されたヒト族の骨片が見つかったのだ。
 スロン氏は発見されたヒト族の骨片のミトコンドリアDNAを調べた。ミトコンドリアDNAの遺伝物質は母親からのみ受け継がれる。すでに、このときの分析結果は2016年に「ネイチャー」に発表され、この骨がネアンデルタール人を母にもつヒト族のものであることが確認されている。
「これだけでも大興奮の発見でした」とスロン氏は言う。「けれども核DNAを調べはじめると、興奮はさらに高まりました」。核DNAは母親と父親の両方から受け継がれるため、父系もたどることができる。「そのとき、この骨のDNAに少し変わったことがあることに気付いたのです」とスロン氏。
 まず、父系はデニソワ人の遺伝的特徴とはっきり一致した。ただ、この少女のゲノムは驚くほど多様性に富んでいた。そこで両親の遺伝的な近さを調べるため、ヘテロ接合性を調べた。両親が同種であればヘテロ接合性は小さく、ヒト族の別々の種ならヘテロ接合性は大きくなるのだ。

少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人

ヒト族の交雑を裏付ける直接的な証拠が見つかり、ネイチャー誌で発表された

2018.08.24
       
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シベリアのデニソワ洞窟は、ネアンデルタール人、デニソワ人、初期の現生人類の化石が見つかっている唯一の場所である。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
[画像のクリックで拡大表示]
 少女の骨は「ヘテロ接合性が大きかった」と、米カリフォルニア大学サンタクルーズ校のコンピューター生物学者リチャード・E・グリーン氏が言うように、交雑だとわかったのだ。同士は、今回の研究に携わっていない。
 古代、交雑していたのはデニソワ人とネアンデルタール人だけではないと考えられている。ネアンデルタール人は、おそらくアフリカを出た直後から現生人類と交雑をはじめている。今日、ほとんどのヨーロッパ人とアジア人のDNAの約2パーセントはネアンデルタール人に由来するものだ。同じように、デニソワ人の痕跡も残っていて、現代のメラネシア人のゲノムの4~6パーセントはデニソワ人から受け継いだものだ。(参考記事:「フローレス原人は現代の島民の祖先か? 最新研究」
 交雑したヒト族と私たちに直接的な類縁関係があるかどうかを特定するのは難しい。しかしライク氏は、デニソワ人の祖先をもつ人は全員、多かれ少なかれネアンデルタール人の祖先をもっていると言う。

ヒト族の交雑はよくあった?

 新たな研究は、ヒト族同士の交雑が以前考えられていたよりも一般的だった可能性を示唆している。というのも、これまでに塩基配列が決定されたヒト族はほんの一握りという状況で、今回交雑による第一世代の子が見つかったからだ。スロン氏は、この確率は「衝撃的」だと語っている。
 ただ、グリーン氏は、その原因はサンプリングの偏りのためではないかと指摘する。洞窟では骨が保存されやすいし、おそらく多様な集団が出くわすことも多かっただろう。「洞窟は更新世ユーラシアの婚活バーのような場所だったかもしれません」と氏は冗談っぽく続けた。(参考記事:「ネアンデルタール人は小集団で生活か」
 研究が進み、ほかにも交雑の痕跡がわかっている。少女のデニソワ人の父親にも、ネアンデルタール人の祖先がいた形跡がある。また、2015年には、ルーマニアの洞窟から、わずか4~6世代前にネアンデルタール人の祖先がいた人の顎の骨が発見されている。(参考記事:「4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明」
 今回の発見は、ヒト族どうしが自由に交雑する古代世界の様子を垣間見せてくれると、ライク氏は言う。「こうした発見があるたびに、人類に対する見方が大きく変わります。ワクワクしますね」
現在、デニソワ人について分かっていることは、発見された3本の歯と1本の小指の骨から導き出されたものだ。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
[画像のクリックで拡大表示]
文=Maya Wei-Haas/訳=三枝小夜子

脳-人間の精神の全ての源泉

人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明

“第3の人類”のDNA分析で。現生人類とネアンデルタール人と時期重なる

2015.11.19
       
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2010年にデニソワ洞窟の発掘現場で見つかった臼歯の化石は、新しいヒト科ヒト属(ホモ属)であるデニソワ人の存在を示す重要な遺伝的証拠となった。この臼歯は、5万年以上前の女性のもの。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
[画像のクリックで拡大表示]
 5年前の2010年に報告されたばかりの謎多き“第3の人類”デニソワ人。その歯の化石を分析したところ、彼らは現生人類やネアンデルタール人と数万年もの間共存していたことが、11月16日付けの科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences」の論文で明らかになった。
 我々ホモ・サピエンスの祖先が、かつて他のヒト科ヒト属(ホモ属)とユーラシア大陸を共有していたことを裏付ける研究結果である。約4万年前に姿を消したネアンデルタール人は、現生人類と数十万年もの間すぐそばで暮らしていたが、ある期間そこにはデニソワ人の姿もあったことになる。
 2010年、マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ氏率いる遺伝学者と人類学者の研究チームは、シベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で発見された指の骨が奇妙なDNA配列を示していると発表していた。(参考記事:「デニソワ人 知られざる祖先の物語 」
「大変興味深い場所です。全く異なる歴史を持った3種の人類が1カ所に共存していたことが分かっているのは、世界でもここだけです」と、ペーボ氏は語る。
 過去に行われた指の骨と歯の分析では、現生人類にデニソワ人の痕跡が残されていることが判明した。パプアニューギニアをはじめ太平洋の島々に住むメラネシア人のゲノムの5%に、デニソワ人が貢献しているという。(参考記事:「デニソワ人、現生人類と交雑の可能性」「チベット人の高地適応はデニソワ人由来」
デニソワ人発見のきっかけとなった骨の断片のレプリカ。進化遺伝学者スバンテ・ペーボ氏の小指に乗っている。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
[画像のクリックで拡大表示]

長らく見つからなかった第3の存在

 だが、デニソワ人については、かつて存在していたという事実と、現代人に残したわずかな遺伝的痕跡以外にはまだほとんど何もわかっていない。彼らは一体何者だったのか? アルタイ山脈にどれくらいの期間住んでいたのか? 本当にこれほど巨大な歯を持っていたのか? それとも、たまたまこの歯の持ち主だけが変わっていたのだろうか?
 ありがたいことに2010年に、デニソワ洞窟でさらなる発見があった。洞窟のもっと奥まった場所で、2本目の臼歯である親知らずが見つかったのだ。その前から研究所の倉庫に保管されていた1本目の臼歯を分析したカナダ、トロント大学の人類学者べンセイ・ビオラ氏が2本目の分析も行った。1本目の歯を調べた時は、大きさや広がった歯根から、最初はホラアナグマの歯かと思ったという。
 しかしビオラ氏は、2本の歯が同じ種のもので、現生人類やネアンデルタール人のそれとは異なると結論付けた。これによって初めて、デニソワ人は大きな歯を持つ種であったことが強く示唆された。
 大きな歯を持ったデニソワ人とは、どのような外見をしていたのだろうか。親知らずの形は持ち主によってさまざまだが、「巨大な歯根を持った大きな歯には、巨大なあごが必要であることは間違いありません」と、ビオラ氏は言う。

DNAの謎

 最近の遺伝学の目覚ましい発展は、人類史の研究にも大きく貢献している。
 マックス・プランク進化人類学研究所のスザンナ・ソーヤー氏率いるチームは、化石の中で長期間良好な状態で保存されるミトコンドリアDNAを調べ、2本目の臼歯の分析と年代測定を行った。
シベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で発掘調査中に休憩を取る学生のゾーヤ・グドコバさん。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 デニソワ人のきれいなDNAを見つけ出すのは容易ではなかった。現生人類、現代および古代のバクテリア、それに洞窟をあさっていた古代のハイエナなどの混入物を特定し、排除しなければならないのだ。
 ようやく2本目のミトコンドリアDNAの解析が終わってみると、歯はやはりデニソワ人のものであることが確認された。また、新たなDNAによって、洞窟で見つかった3体分に共通する祖先のミトコンドリア・ゲノムを復元させることも可能となった。
 共通祖先のDNAのおかげで、ゲノムの突然変異率から年代を推定できるようになった。共通祖先の生きていた頃に近い時代に死んだデニソワ人は、もっと後の時代のデニソワ人よりも突然変異したゲノムの数が少ないはずである。ソーヤー氏は、2本目の歯の突然変異の数が、1本目の歯および小指の骨と比較すると半分しかなかったことを突きとめた。すなわち、こちらの方が古いことになる。
 この歯の持ち主であるデニソワ人は、もうひとつの歯と指の骨の持ち主たちよりも約6万年も前に生きていたことを示唆している。この簡単な人類の系譜が示すように、デニソワ人は単一の種として、少なくとも現生人類と同じくらいの期間この地域に断続的に存在していたということだ。

外見はまったく不明

 しかし、まだ研究すべきことは数多く残されている。
 第一に、デニソワ人の化石の断片が5万年以上前のものだということ以外は分かっていない。放射性炭素年代測定によって特定できる古さは、ここまでが限度なのだ。
 また、人類の系譜の枝分かれについても、最新の研究と2010年のそれには相容れない部分がある。2010年の研究は細胞に含まれる核DNAを分析したものだが、ミトコンドリアDNAを使用した今回の研究の結果、これまで考えられていたほどネアンデルタール人とデニソワ人は近縁ではないかもしれないことが示唆された。(参考記事:「40万年前のヒトDNA解読に成功」
2010年の研究によれば、ネアンデルタール人とデニソワ人は近縁種だった。DNAを比較した結果、現生人類は彼らからおよそ50万年前に枝分かれしたと考えられる。(CHIP CLARK, SMITHSONIAN INSTITUTION)
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 また、デニソワ人の外見や体の動き、行動も謎に包まれたままだ。「おかしな話ですが、遺伝学的見地からは彼らのことはよく分かっているのですけれど」と、英ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの人類学者マリア・マルティノン・トレス氏は言う。同氏は、この研究には関わっていない。
 けれども、今後アジア各地からデニソワ人の化石が出てくる可能性はある。初期人類ホモ・エレクトスまたは現生人類のものと誤って分類されて、博物館に保存されているかもしれないのだ。中でも、最近中国南部で発見された8万~12万年前のヒト属の歯は、人類拡散の歴史を書き換えるかと話題になったが、現代と古代の特徴を兼ね備えており、デニソワ人の歯にとてもよく似ている。(参考記事:「アジアでもデニソワ人と交雑の可能性」
 中国のヒトの歯を分析したマルティノン・トレス氏は言う。「本当にデニソワ人のものがあっても私は驚きません」
DVDの詳しい紹介はこちら
文=Michael Greshko/訳=ルーバー荒井ハンナ

脳-人間の精神の全ての源泉

アジアでもデニソワ人と交雑の可能性

2011.10.31
       
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デニソワ人の臼歯(上と正面から撮影)。デニソワ人の化石はこの歯を含め、2つしか見つかっていない。 

Image courtesy David Reich, Nature
 2010年、ヨーロッパの初期現生人類とネアンデルタール人の異種交配を示す研究が発表され、各界に衝撃が走った。さらに今回、東南アジア付近の現生人類もネアンデルタール人の姉妹グループである「デニソワ人」と交雑していた可能性が明らかになった。中国南部一帯に住む現代人の遺伝子構造の約1%はデニソワ人に由来するという。 デニソワ人は既に絶滅した化石人類の一種であり、大きな歯を持っていたとされるが、詳細の解明は進んでいない。まったく未知の人類と考えられていた時期もある。 

 最新の研究成果によると、現生人類とデニソワ人との異種交配で生まれた子孫が、現在もアジア本土に存在しているという。 

 2008年にロシア南部アルタイ山脈で見つかった約4万年前のデニソワ人の指骨から抽出したDNAが、この研究の基になっている。 

 2010年に「Nature」誌で発表された研究では、同じ化石のDNAを解析した結果、現在のパプアニューギニアをはじめ、南太平洋メラネシアの島々の住人とDNAの約4~6%が共通していることを突き止めた。 

 しかし、アジア本土でデニソワ人の遺伝子は見つかっていない。 

 研究に参加したスウェーデン、ウプサラ大学進化生物学センターのマティアス・ヤコブソン(Mattias Jakobsson)氏は、「対象範囲を広げて、旧人類の痕跡を調査した」と説明する。 

◆わずかな痕跡を求めて 

 ウプサラ大学の研究チームは、一塩基多型(SNP)という種類のデータを基に、DNA構成要素の遺伝的変化を測定した。SNPの遺伝子型データは数千人分が登録されているため、完全なゲノムを使用するよりもはるかに多くのデータを利用できる。 

 同チームは、各人種1500人分以上のSNPデータを用いて、デニソワ人とネアンデルタール人のゲノムと比較した。 

 ただし、この方法は現生人類がアフリカから世界に拡散した過程でのボトルネック効果(急激な人口減少による遺伝的多様性の減少)などの要因により偏りや誤差が出やすい。同チームでは人類拡散のさまざまなコンピューターモデルを用いてこの誤差を取り除いた。 

 ヤコブソン氏によると、アジア本土におけるデニソワ人の痕跡は、メラネシア人ほど色濃く残っていない。異種交配の経緯がメラネシアとアジア本土では違ったと仮定すると説明が付くという。 

 また、デニソワ人の遺伝情報を持たない現生人類が、異種交配よりも後で東南アジア本土に流入した可能性もあるという。 

 しかし、ドイツのテュービンゲン大学の古遺伝学者ヨハネス・クラウス氏は、今回の研究成果に異論を唱える。「その痕跡はごくわずかだ。1%では確かな証拠とはいえない」。 

◆現生人類の95%はアフリカ起源 

 クラウス氏のチームは、ウプサラ大学チームよりも早い10月7日付けの「American Journal of Human Genetics」誌で相反する説を発表している。「東南アジアの約50集団から270人を対象に調査を行ったが、ウプサラ大学チームが発表したような痕跡はまったく見当たらなかった」とクラウス氏は述べている。 

 アメリカ、ボストンにあるハーバード・メディカルスクールのデイビッド・ライヒ(David Reich)氏が率いたDNA解析でも、アジア本土の現生人類にデニソワ人の遺伝情報の痕跡はまったく見つからなかった。 

 ライヒ氏の研究では、オーストラリア人、フィリピン人、「ウォレス線」の東側にある島の住人まで対象を広げて、デニソワ人との関係性を調査した。ウォレス線は生物の分布境界線であり、この線を発見した進化理論家アルフレッド・ラッセル・ウォレスにちなんで名付けられた。ウォレス線より西の生物相は進化の起源がアジアにあり、東の生物相はオーストラリアにある。 

「このような研究では、“人類の遺伝的起源は定説よりも混在しており複雑”と結論付ける場合が多い」とクラウス氏は指摘する。 

「しかし、アフリカから拡散した人類の一部は原始人類との交雑があったが、遺伝的起源の割合は5%を超えることはない。つまり、95%は5万年前にアフリカを旅立った現生人類に由来する」。 

 ウプサラ大学チームの研究は、10月31日付けの「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌オンライン版に掲載されている。 

Image courtesy David Reich, Nature
文=James Owen

脳-人間の精神の全ての源泉

【動画】鮮やかに追跡!受精後の細胞分裂24時間

1つ1つの細胞を追う新技術で実現した驚異の記録、サイエンス誌

2018.05.10
       
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 人生とは、数々の選択の結果である。進学、就職、人間関係。1つ1つ順番に決定し、それが積み重なって現在の場所にいる。だとすれば、そこへ至るまでの道のりを地図のようにも表せるだろう。
 変化を重ねる細胞もまた、自らの運命を同じように決定している。
 米ハーバード大学医学大学院のシステム生物学准教授であるショーン・メガソン氏と、同大学院の2つの研究チームは、ゼブラフィッシュとカエルの受精卵を約24時間観察し、無数の細胞を1つ1つ追跡して、それらがなぜ、どうやって特殊化された組織に発達するのかを調べた。これら3つの研究は、4月27日付けの学術誌「サイエンス」に発表された。(参考記事:「【動画】生きた細胞内の高精細3D映像化に成功」
「発達する各段階で、異なる種類の細胞が作られていく過程は、子どもの成長に似ています。5歳児には、将来何にでもなれる可能性がありますよね」と、メガソン氏は説明する。同様に、地球上のほとんどの生物は、受精卵という1個の細胞から始まり、それが分裂してさまざまな器官に成長し、複雑な生物の体を形成する。(参考記事:「ヒトの精子のしっぽに謎のらせん構造、初の発見」
「ある細胞は、ある一連の決断を下して神経細胞になり、別の細胞は別の決断を下して筋肉になります」とメガソン氏。しかし、これらの細胞がどうやって決断を下しているのかは、まだ解明されていない。
カエルの胚の細胞分裂(Video: Enrique Amaya)

ばらばらだった研究

 ただし、多細胞生物は、進化の歴史のなかで見ればまだ若い。最初に地球上に出現したのはおよそ10億年前、大型の多細胞生物が増え始めたのは約6億年前である。多細胞生物の祖先である単細胞生物は、少なくとも35億年前には登場していた。多細胞生物がどのように生まれたはいまだに謎だが、ある時点で単細胞が分裂を始め、やがて複雑な生物へと成長した。(参考記事:「5.7億年前、生物たちはなぜ複雑になったのか」
「1日目は、ただ分裂を繰り返すだけです。1日の終わりには、丸い球のような細胞のかたまりになります」。メガソン氏は続ける。「けれども、翌朝再び見てみると、球は小さな魚に変わっています。目がついて、鼓動する心臓があります。筋肉もつき、尾を振ることができます」

議論のページ
キサーゴータミー説話の系譜
赤松孝章

http://www.takamatsu-u.ac.jp/library/06_gakunaisyupan/kiyo/no34/34_001-015_akamatsu.pdf

* 2のダンマパダの注釈書にある物語だけ引用しました。

2.ダンマパダの注釈書(Dhammapadat・t・hakatha)
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8 ) 浜田広介の「三寸の蝋燭」の源流となる説話は,西紀5世紀前半のブッダゴーサ(Buddhaghosa)の著作と伝えられる『ダンマパダ・アッタカター』(“Dhamma-padatthakata”,以下DPA)の中に説かれている。この文献は,『ダンマパダ』(『法句経』,“Dhammapada”,以下DP)の一々の詩について,関係ある因縁物語を集め,南方上座部の教義学の立場から注解したものである。そして,「キサーゴータミー説話」はDP第114偈の注釈のところで登場する。有名な説話であるにもかかわらず,その全文の和訳は現在のところ知られていない。そこで,まず,パーリ文の全文と合わせて,和文試訳を提示しておきたい。

[和文試訳]
13.キサーゴータミーの事
「百年を(生きるよりも)…」と,この法の教え(=DP第114偈)を,師(=仏陀)は祇園精舎において,キサーゴータミーに関係づけて説いた。
サーヴァッティー(という町)において,ひとりの長者の家で40億の財産が(突然)炭になってしまった。長者はそれを見て愁いを生じ,食事を拒み,床についてしまった。彼の友人のひとりが(長者の)家にやって来て,「友よ,なぜ悲しむのですか」とたずね,その出来事を聞き,「友よ,悲しむな。私はひとつの[271]方法を知っている。あなたはそれをしなさい」と言った。「私は何をするのですか,友よ」と(長者は)言った。
(友人は)「自分の店に敷物を敷き,あなたの炭を積み上げ,売るようなふりをして坐っていなさい。来る人来る人はこのように言うでしょう。『ほかの人たちは衣服や油,蜜,砂糖などを売っているのに,あなたは(なぜ)炭を売りながら坐っているのですか』と。
(そこで)あなたは言うべきです。『自分の持っているものを売らずに何をするのでしょうか』と。しかし,その人はこのように言うでしょう。『ほかの人たちは衣服や油,蜜,砂糖などを売っているのに,あなたは(なぜ)黄金を売りながら坐っているのですか』と。
あなたは言うべきです。『どこに黄金があるのですか』と。(来た人は)『これとこれと…』と言うので,(あなたは)『まずそれを取って下さい』と言って両手で受け取るべきです。するとそうして与えられたもの(=炭)はあなたの手の中で黄金になるでしょう。
さて,もしそれ(=来た人)が若い女性であるならばあなたの家の息子のところへ連れて行って(結婚させ),40億の財産を彼女に譲って,あなたは彼女からもらうお金を費やして(生活)すべきです。もし(来た人が)若い男性ならば,あなたの家の娘が適齢期となった時に彼を与えて(結婚させ),彼に40億の財産を譲って,あなたは彼からもらうお金を費やして(生活)すべきです」と(言った)。彼(=長者)は「よい方法だ」と(言った)。[272](そこで長者は)自分の店に炭を積み上げて,売るようなふりをして坐っていた。人々はこのように言った。「ほかの(人たち)は衣服や油,蜜,砂糖などを売っているのに,あなたは(なぜ)炭を売りながら坐っているのですか」と。(長者は)彼らに「自分の持っているものを売らずに何をするのでしょうか」と応えた。その時,ゴータミーという名前の若い女性が自分の用事で(長者の)店の戸口にやって来た。(彼女は)貧窮した家柄の娘で,疲れきった体から「キサーゴータミー」として知られていた。
-7-
(彼女は)長者を見てこのように言った。「ご主人,ほかの人たちは衣服や油,蜜,砂糖などを売っているのに,あなたは(なぜ)黄金を売りながら坐っているのですか」と。
(長者は)「娘さん,どこに黄金があるのですか」と(たずねた)。「あなたがそれ(=黄金)を取って坐っているのではないですか」と(彼女が言った)。「それではそれを取って下さい,娘さん」と(長者が言い),彼女が手にいっぱい取って彼(長者)の手の中に置くと,それが実に黄金となった。そこで長者は「娘さん,あなたの家はどちらですか」とたずね,「しかじかの名前です」と(彼女が)言った時,彼女が独身の状態であることを知って,(長者は)財産を用意して彼女を自分の息子のことろへ連れて行き(結婚させ),すべて(炭が)黄金となった40億の財産を受け取らせた。その後彼女は妊娠し,十月の真理通り子供を産んだ。(しかし)彼(=子供)は両足で歩くようになった頃,死んでしまった。彼女はそれまで死というものを見たことがなかったので,(人々が)その(子)を火葬にすべく連れ出そうとするのを拒み,「私は子供の薬を探してきます」と(言って),死んだ子の死体を腰にかかえて,「私の子供の薬を[273]知っている人はいませんか」と家から家をたずね歩いた。その時人々は「娘さん,あなたは正気を失っている。死んだ子供の薬をたずね歩いている」と言った。(それでも)彼女は「必ず私の子供の薬を知っている人を見つけ出します」と(言った)。それをひとりの賢者が見て,「この娘は初めて子供を産んだ。(しかし)これまで死というものを見たことがない。私は彼女の助けとなるべきだ」と思って,言った。「娘さん,私は薬を知らない。しかし,薬を知っている人を知っている」と。「誰が知っているのですか,ご主人」。「師が知っています,娘さん」。彼女は「行きます。ご主人,たずねてみます」と言って,師のところに近づいて礼拝して一方に立ってたずねた。「あなたは私の子供の薬を知っているとのことですが。尊師よ。」と。「そうです。知っています」。「(薬としては)何を得るべきですか」。「ひとつかみの白カラシの種を得るべきです」。「得ましょう。尊師よ。しかしどこの家で得るべきですか」。「息子でも娘でも,誰もいまだ死んだもののいない家です」。彼女は「わかりました。尊師よ」と師に礼拝して,死んだ子を腰にかかえて村の中へ入り,最初の家の戸口に立って,「この家に白カラシの種がありますか。[274]それが私の子供の薬だというのですが」と言って,(その家の人が)「あります」と言うと,
「それなら(私に)下さい」と(言った)。彼ら(家の人)が白からしの種を取って来て与えると,「この家で息子さんでも娘さんでも,いままでに死んだ人はいませんか,奥様たちよ」とたずねた。「何を言うのですか,娘さん。生きている人は実に少なく,死んだ
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人の方が多いのです」と言うと,「それなら(お返ししますから)白カラシの種を受け取って下さい。それは私の子供の薬ではありません」と応えた。こういう風に(それぞれの家で)最初からの(問答を)始めてたずね歩いた。けれども彼女は一軒の家でも白カラシの種を得ることができず,夕刻時に考えた。「ああ,重大なことに,私は『私の子供だけが死んだ』という思いをなしていた。しかし村全体において,実に,生きている人より死んだ人の方が多いのだ」と。このように考えた時,彼女の子供に対する愛執の弱き心は固きものになった。彼女は子供を森に捨てて,師のところに近づいて礼拝して一方に立っ
た。その時師は「あなたはひとつかみの白カラシの種を得ましたか」と言った。「得ませんでした。尊師よ。村全体において,実に,生きている人より死んだ人の方が多いのです」と。その時師は「あなたは『私の子供だけが死んだ』と思い込んだ。諸々の衆生の常住の法はこれだ。大洪水の如き死の大王は思いの尽きることないすべての衆生を[275]運び去り,苦界の海に投げ入れる」と言って,法を教示しながらこの偈(=DP第287偈)を述べた。
287.「子供や家畜に気を奪われて,心が執着している人を
死はさらって行く。眠れる村を大洪水が(流す)ように」と。
(師が)偈を説き終わった時,キサーゴータミーは預流果[=さとりに向かう流れに入った宗教的境地]に到達した。また,ほかの多くの人々も預流果などに到達した。さらに,彼女は師に出家を願い出た。師は比丘尼たちのところに(彼女を)送り,出家させた。彼女は(出家者が守るべき)戒律を授かり,「キサーゴータミー尼」として承認
された。彼女はある日,布薩[=仏教教団の定期集会。月に二回,半月ごとに同一地域の僧が集まって自己反省し,罪を告白懺悔する集まり]の屋舎で,(灯明係りの)当番が14)回ってきて,灯明に明かりをつけて坐っていた。灯明の炎が消えたり点いたりするのを見て,「かくの如し,かくの如し。これら衆生も,生じたり滅びたりする。涅槃に達したものだけは(生滅が)知られることがない」と(灯明を認識の)対象としてとらえた。師は香の(焚きこめられた)部屋に坐って,光明を放って彼女の面前に坐って次のように語った。「ゴータミーよ,かくの如くこれら衆生は灯明の炎の如く生じたり滅びたりする。涅槃に達したものだけは(生滅が)知られることがない。このように涅槃を見ないで百年生きるよりも,涅槃を見て瞬時を生きる方がよりすぐれている」と言って,結論づけて,法を教示しつつこの偈を述べた。
114.「不死の境地を見ないで百年生きるよりも
不死の境地を見て一日生きる方がよりすぐれている」と。
ここに言う「不死の境地」とは,死のない領域であり,「不死なる大涅槃」という意味である。その他(の語義解釈)は前出と同じ。
キサーゴータミーの教説が終って,無碍解[=なにものにも妨げられない理解と表現能力]によって阿羅漢[=小乗仏教における最高の階位。拝まれるべき人。尊敬されるべき人,の意]に住した。キサーゴータミーの事。
この説話は,次のように3部の話から構成される。
①長者の莫大な財産が突然炭となり,特別な人物によって黄金に変わる。
②子供を亡くした女性が子供を生き返らせる薬を探し求めるが,得られなかった。
③布薩日に灯明の炎を見て生滅の法を観察し,真理を体得する。
このうち,②の中心となる部分の物語だけが一般に広く知られており,浜田広介の童話にも影響を与えた。また,仏教教義をわかりやすく伝える効果があるためか,あるいは人々に深い感動を与えることができるためか,現在でも仏教の布教にもしばしば引用される。
それに対して前後の①と③の話はあまり伝わっていない。
さて,この物語の発端となる①の,財産のすべてが突然炭になったり,黄金に変わる,という比喩譚はいったい何を意味するのであろうか。思うに,諸行無常の現実を暗示しているのではないか。世間的幸福の絶頂にある者が一変して不幸のどん底に突き落とされるということは日常頻繁に起こっている。物語の中でも炭を黄金にかえたキサーゴータミーは,富豪の家の嫁となり一子をもうける。富と家庭と子供,一般的幸福を得たにもかかわらず,かけがえのない子(財産)が死んでしまう(炭になってしまう)。しかし,キサーゴータミーはこの悲しみの中から不死の境地,すなわち真理(黄金)を体得するのである。
そうした物語の展開を予感させる導入が①の比喩譚であろうと考えられる。また,物語の終り③の部分では,点滅する灯明に,生滅変化する現象世界をオーバーラップさせ,転変する現実に埋没するより不変の真理に目覚めることが大切である,という結論に導くための喩え話として説き出したものであろう。この①と③の部分は②の中心物語にとっての付随的,補助的なものとして位置づけられる。おそらく,①,②,③の話は,当時のインドにおいて別々に伝えられていた説話であろう。それらをブッダゴーサがDPの注釈書を著述するにあたり,まとめあげたものと思われる。
-10-
なお,同じくDPA vol.3(pp.432-433)のDP第287偈の注釈のところで「キサーゴータミー説話」が引かれるが,それは上記DPA vol.2(pp.270-275)のごく簡単な抄録である。

議論のページ
Therag557 わたしの進歩は遅かった。わたしは以前には軽蔑されていた。兄はわたしを追い出した。――「さあ、お前は家へ帰れ!」といって。
Therag558 こうして、追い出されて、わたしは僧園の通路の小屋に、がっかりして、静かにたっていた。――なお教えのあることを期待して。
Therag559 そこへ尊き師が来られて、わたしの頭を撫でて、わたしの手を執って、僧園のなかに連れて行かれた。
Therag560 慈しみの念をもって師はわたしに足拭きの布を与えられた。――「この浄らかな物をひらすらに専念して、気をつけていなさい」といって。
Therag561 わたしは師のことばを聞いて、教えを楽しみながら、最上の道理に到達するために、精神統一を実践した。
Therag562 わたしは過去世の状態を知った。見通す眼マナコ(天眼テンゲン)は浄められた。三つの明知は体得された。ブッダの教えはなしとげらた。
Therag563 パンタカは、千度も(神通力によって)千度も自分のすがたをつくり出し、楽しいマンゴーの林のなかで坐していた。――[供養するための]時が告げられるまで。
Therag564 次いで、師は、時を告げる使者をわたしのところへ派遣された。時が告げられたときに、わたしは[跳び上がって]空中を通って[師のもとに]近づいた。
Therag565 師の御足ミアシに敬礼して、わたしは一方の側カタワラに坐した。わたしが坐したのを知って、そこで師は[わたしの帰依を]受けた。
Therag566 全世界の布施(尊敬)を受ける人、もろもろの献供を受ける人、人間どもの福田(福を生ずる田)は、供物を受けたもうた。・・・チューラパンタカ長老

37
賢者は、諸々の畏怖すべき状況について、まさしく、畏怖するであろう。熱情ある、賢明なる比丘は、知慧によって観察して--
 このように、熱情ある住者として、〔心が〕浮つかない寂静の生活者として、心の寂止に専念する者は、苦しみの滅尽を得るであろう。
38
〔誰も〕成し遂げられないことを成し遂げる、如来にして覚者(ブッダ)--彼に、二つの思考が生起する。第一は、「〔心の〕平安についての思考」と言示されたもので、第二は、「それ(第一の思考)にもとづく遠離〔ついての思考〕」と明示されたものである。
 〔世の〕闇を除去し彼岸に達した偉大なる聖賢、得るべきもの(涅槃の境地)を得た自在者にして煩悩(漏)なき彼を--一切を超渡し渇愛を滅尽した解脱者、最後の肉身[からだ]を保つ、まさに、牟尼である彼を--「高慢〔の思い〕を捨てた者」「〔生と〕老の彼岸に達した者」と〔わたしは〕説く。
 また、山の頂きの巌に立つ者が、遍く、人々を見るように、その喩えのように、一切に眼[まなこ]ある、思慮深き者は、法(真理)によって作られた〔知慧の〕高楼に登って、憂いを離れた者となり、憂いに沈む人々を、生と老に征服された者を、〔気づきの眼で〕観察する。
39
如来にして覚者(ブッダ)たる、一切の生類にたいし慈しみ〔の思い〕ある者の、[多様なる]教相の言葉を見よ。しかして、二つの法(教え)が明示された。
 まず、悪しき〔行為〕という一つ〔の法〕を見よ。そしてまた、そこにおいて、離染せよ。それゆえに、〔あなたたちは〕心が離染した者たちとなり、苦しみの終極[おわり]を為すであろう。
40
この世において、そして、他〔世〕において、これらの悪しき境遇(悪趣)は、何であれ、一切が無明を根元とする、欲求と貪欲の積み重ねである。
 また、悪を求め、恥知らずで(無慚)、礼を欠く者と成るがゆえに、それゆえに、〔彼は〕悪を生み、それによって、〔彼は〕苦境(地獄)に行く。
 それゆえに、欲〔の思い〕と貪欲と無明とを離染させ(消滅させ)、明知を生起させる比丘は、一切の悪しき境遇(悪趣)を捨て去るであろう。
41
見よ--知慧の衰退によって、名前と形態(名色:現象世界)のうちに〔思いが〕固着した、天〔界〕を含む〔この〕世の者を。「これは、真理である」と〔迷いのままに〕思いなす。
 まさに、知慧は、世における最勝のもの。これは、〔真の〕洞察へと至るものであり、さらには、生と生存(迷いの輪廻)の完全なる滅尽を正しく覚知する。
 正覚者にして気づきある者たち、知慧を有し最後の肉体を保つ者たち--天〔の神々〕や人間たちは、彼らを羨む。
42
また、もし、彼らに、恥〔を知る思い〕(慚)と〔良心の〕咎め(愧)が、一切時において、見出されないなら、〔道を〕外れ、楽しみを〔生の〕根元とする彼らは、生と死(迷いの輪廻)に赴く者たちである。
 しかしながら、彼らに、恥〔を知る思い〕(慚)と〔良心の〕咎め(愧)が、常に正しく現起したなら、彼らは、梵行(禁欲清浄行)が育ち実った者たちとして、さらなる〔迷いの〕生存が滅尽した者たちとして、〔世に〕存在している。
43
「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「生み出されたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの(有為)」として〔存在し〕、常恒ではなく、老と死によって形成されたもの--病の巣となり、壊れ崩れるものであり、食を導きとして生起するもの(身体)--〔真の〕喜びを得るには、それでは不十分である。
 〔しかしながら〕それ(身体)からの出離は、思考の範囲を超えた、常恒なるものとして、〔世に〕存在している。〔すなわち〕「生ぜられたもの」でなく、「生み出されたもの」でなく、憂いなく、〔世俗の〕塵を離れた境地として、〔世に存在している〕。苦しみの諸法(もの・こと)の止滅、形成作用(行:生の輪廻を施設し造作する働き)の寂止は、安楽である。
44
〔一切に〕依存なき、そのような、眼ある者(ブッダ)によって明らかにされた、これら、二つの涅槃界がある。まさに、一つの界は、この〔世における〕、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)にかなうもので、〔迷いの〕生存へと導くもの(煩悩)の消滅という、〔生存の〕依り所(身体)が有るもの(有余依)である。また、〔いま一つの界は〕未来のもので、そこ(未来)において、〔迷いの〕生存が全て消滅するという、〔生存の〕依り所(身体)が無いもの(無余依)である。
 このことを了知して、〔すなわち〕「形成されたもの(有為)」でない境地を〔了知して〕、心が解き放たれ、〔迷いの〕生存へと導くもの(煩悩)が消滅した者たち--彼ら、法(真理)の真髄に到達した者たちは、滅尽〔の境地〕に喜びある者であり、そのような者として、彼らは、一切の〔迷いの〕生存を捨て去った。
45
寂静心の賢明なる者たち、そして、気づきある瞑想者たち--諸々の欲望〔の対象〕にたいし期待〔の思い〕なき者たちは、法(もの・こと)を正しく観る。
 怠らないこと(不放逸)に喜びある寂静者たちは、怠ること(放逸)に恐怖を見る者たちであり、〔境涯の〕衰退は起こりえず、まさしく、涅槃の現前にある。
46
学びの完成者、法(真理)を捨棄することなき者、最上の知慧ある者、生の滅尽と終極を見る者、最後の肉身[からだ]を保つ、まさに、牟尼である彼を--「高慢〔の思い〕を捨てた者」「〔生と〕老の彼岸に達した者」と〔わたしは〕説く。
 それゆえに、常に、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)に喜びあり、〔心が〕定められ、生の滅尽と終極を見る、熱情ある者たちとして、比丘たちよ、軍団を有する悪魔を征服して、生と死の彼岸に達した者と成れ。
47
〔眠らずに〕起きている者たちは、これを聞け。眠りについたその者たちは、目覚めよ。〔眠らずに〕起きていた者は、眠りについた者たちよりも勝っている。〔眠らずに〕起きている者に、恐怖は存在しない。
 〔眠らずに〕起きている者、および、気づきと正知の者、〔心が〕定められ〔心に〕喜びある者、そして、〔心が〕清らかな者--彼は、〔正しい〕時に、法(もの・こと)を正しく考察する者--彼は、真実に専一なる者、〔世の〕闇を打破するであろう。
 それゆえに、まさに、〔眠ることなく〕起きていることに慣れ親しむように。瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を得る、賢明で熱情ある比丘は、生と老の束縛を断って、まさしく、この〔世において〕、無上の正覚(最高の悟りの境地)を体得するであろう。
48
真実ならざることを説く者は、地獄へと近づき行く。あるいはまた、為しておきながら「〔わたしは〕為してない」〔と〕言う者も、〔地獄へと近づき行く〕。また、彼らは、死してのち、両者ともに、下劣な行為(劣業)の人間として、他所(来世)において、等しきものと成る。
 黄褐色〔の衣〕(袈裟)を首にまといながら、自制なく、悪しき法(性質)の者たちが、多くいる。彼ら、悪しき者たちは、悪しき行為(悪業)によって、地獄に再生するであろう。
 自制なく、戒に劣る者が、もし、国土において〔行乞の〕食を受けるなら、熱せられた、火炎の如き鉄の玉を食べたほうが、より勝[まさ]っている。
49
有らせられたもの(実:実体的存在として認識される現象世界)を「有らせられたものである(作られたものである・無常である・無我である)」と見て、しかして、有らせられたものの超越(現象世界からの解脱)を〔成就する〕者たち--〔迷いの〕生存(有)にたいする渇愛〔の思い〕が完全に滅尽した者たちは、有るところのまま(如実:あるがまま)において、解脱する。
 もし、彼が、有らせられたもの(現象世界)を知り尽くし、種々なる生存(輪廻的あり方)において、渇愛〔の思い〕を離れた者であるなら、〔そのような〕比丘は、有らせられたものが有ることを離れる(非有:現象世界が実体としてのあり方を離れる)がゆえに、さらなる〔迷いの〕生存には帰り来ない(輪廻的あり方を超越する)。
50
貪り(貪)と怒り(瞋)と迷い(痴)--自己より生起した諸々のものが、悪しき心の人を損なう--果を有する竹が、〔自らを滅ぼす〕ように。
51
形態[かたち]ある界(色界)を知り尽くして、諸々の形態なきもの(無色)のうちに止[とど]まることなく、止滅〔の境地〕において解脱する者たち--彼らは、死を捨て去る人たちである。
 身体によって、不死なる界を、依存なき〔境地〕を、体得して、煩悩なき正等覚者(ブッダ)は、依存〔の思い〕の放棄を実証して、憂いなき〔境地〕を、〔世俗の〕塵を離れた境地を、説示する。
52
〔心が〕定められた正知の者、気づきある覚者(ブッダ)の弟子は、諸々の感受作用〔によって感受されたもの〕(受:苦楽の知覚)と、諸々の感受作用〔によって感受されたもの〕の生起とを、〔あるがままに〕覚知する。
 もし、そこにおいて、〔それらをあるがままに覚知することで〕それらが消滅するなら、諸々の感受作用〔によって感受されたもの〕(受:苦楽の知覚)が滅尽するがゆえに、比丘は、滅尽に至る道をも〔覚知し〕、欲なき者となり、完全なる涅槃に到達した者となる。
53
〔世俗の〕楽しみを「苦しみである」と見た者、苦しみを「〔毒〕矢である」と見た者、苦でなく楽でないものとして存しているものを、それを「無常である」と見た者--
 まさに、彼は、そこにおいて、解脱するがゆえに、正しく見る比丘である。まさに、彼は、〔あるがままの〕証知を完成した寂静なる者、束縛を超え行く牟尼(沈黙の聖者)である。

 「さらにアーナンダよ、比丘は『なにもない境地』の観念に心を向けるのではなく、『観念があるのでも観念がないのでもない境地』の観念に心をむけるのではなく、『特徴を超えた精神集中』(無想三昧)ただひとつに心を向ける。かれの心は『特徴を超えた精神集中』に跳びこみ、満足し、落ち着き、集中する。かれは『<なにもない境地>の観念に起因するような煩いはここにはなく、<観念があるのでも観念がないのでもない境地>の観念に起因するような煩いはここにはなく、ただ次の煩いだけがある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と知る。[108]かれは『ここに観念としてあるものは<なにもない境地>の観念については空である』と知り、『ここに観念としてあるものは<観念があるのでも観念がないのでもない境地>の観念については空である』と知り、『ただ、次の<空でない状態>がある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と[知る]。このように、XにないものについてXは空であると理解し、一方、Xに残っている、あり続けているものを『これがある』と知る。このようにしても、アーナンダよ、かれには『空である状態』が現実に、紛れもなく、完璧なかたちで生起する。
さらに、アーナンダよ、比丘は『なにもない境地』の観念に心を向けるのではなく、『観念があるのでも観念がないのでもない境地』の観念に心を向けるのではなく、『特徴を超えた精神集中』ただひとつに心を向ける。かれの心は『特徴を超えた精神集中』に跳びこみ、満足し、落ち着き、集中する。かれは『この<特徴を超えた精神集中>は形成物であり、考え出されたものである。なんであれ形成され、考え出されたものは、無常であり、消滅する定めにある』と知る。かれがこのように知り、このように理解していると、感覚的欲望という煩悩から心が解脱する。生存欲という煩悩からも心が解脱する。無知という煩悩からも心が解脱する。解脱したときに、解脱したという智がおこる。『[さらなる]誕生は滅ぼし尽くした。禁欲修行は全うした。なすべきことは果たした。[煩悩のない](5)この状態にいたるために、これ以上[すべきこと]はない』と知る。
かれは『感覚的欲望という煩悩に起因するような煩いはここにはない。生存欲という煩悩に起因するような煩いはここにはない。無知という煩悩に起因するような煩いはここにはない。ただ次の煩いだけがある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と知る。かれは『ここに観念としてあるものは感覚的欲望という煩悩については空である』と知り、『ここに観念としてあるものは生存欲という煩悩については空である』と知り、『ここに観念としてあるものは無知という煩悩については空である。ただ次の<空でない状態>がある。すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである』と[知る]。このように、XにないものについてXは空であると理解し、一方、Xに残っているもの、現にあるものを『これがある』と知る。このようにしても、アーナンダよ、かれには『空である状態』が現実に、[109]紛れもなく、完璧なかたちで生起する。

[完璧にして最高無上なる「空である状態」]

 「アーナンダよ、誰であれ過去の沙門やバラモンで、完璧にして最高無上なる『空である状態』に達していた者はみな、まさにこの完璧にして最高無上なる『空なる状態』に達していたのである。
アーナンダよ、誰であれ未来の沙門やバラモンで、完璧にして最高無上なる『空である状態』に達するであろう者はみな、まさにこの完璧にして最高無上なる『空である状態』に達するのである。
アーナンダよ、誰であれ、今現在の沙門やバラモンで、完璧にして最高無上なる『空である状態』に達している者はみな、まさにこの完璧にして最高無上なる『空なる状態』に達しているのである。
それゆえ、アーナンダよ、『完璧にして最高無上なる<空である状態>に達しよう』と、アーナンダよ、このように汝らは努力するがよい」
世尊はこういわれた。アーナンダ尊者は感激して世尊のことばを讃えた。

「神は脳がつくった EVOLVING BRAINS, EMERGING GODS」(寺町朋子訳 ダイヤモンド社 2018年刊 本体価格 2000円)

著者は、E.Fuller Torrey(E.フラー・トリー)。マギル大学で医学博士号を、スタンフォード大学で人類学の修士号をとり、さらにスタンフォード大学で精神医学のトレーニングを受け、統合失調症と双極性障害の専門研究機関のスタンレー医学研究所の研究部副部長を務める。

冒頭の一部を引用します(p004~005)。

引用開始

進化理論

 神々がどこから来たのかについて、本書では、人間の脳からだと主張する。神々がいつやって来たのかについては、脳が五つの特定の認知発達を遂げた後だと主張する。そのような発達は、人間が神々を思い描けるようになるために必要だった。
 まず、ホミニンはホモ・ハビリスとして、およそ200万年前、脳の著しい大型化や知能全般の大幅な向上を経た(第1章)。次にホモ・エレクトスとして、およそ180万年前以降、自分を認識できる能力を身につけた(第2章)。それから、古代型ホモ・サピエンスとして、およそ20万年前以降、他者の考えを認識できる能力を手に入れた。これは一般に、心の理論を持った、と言われれる(第3章)。そして、ホミニンは初期ホモ・サピエンスとして、およそ10万年前以降、自分自身の考えについてじっくり考える内省能力を発達させた。こうしてホミニンは、他社が何を考えているのかについて考えることができるようになっただけでなく、自分が他者からどう思われているかについて考えたり、そのような考えに対する自分の反応について考えたりすることができるようになった(第4章)。
 そしてついに、私たちは現代ホモ・サピエンスとして、およそ4万年前以降、一般に自伝的記憶と言われる能力をものにした。自伝的記憶とは、自分を過去だけでなく将来にも投影する能力だ。こうして私たちは、将来を予測して将来の計画をよりうまく立てられるようになった。それにホミニンの歴史で初めて、死は自分という存在の終わりなのだということがよくわかるようになった。そして初めて、死に代わるものを思い描けるようになり、亡くなった祖先たちがまだ生きているかもしれない場所について想像できるようになったのだ(第5章)。」

引用終了



「神」というのは、未だ多くの人たちにとっては、人間を超えた超自然の存在であり続けている。

それらの人たちにとっては、神は人間を含めた世界(自然)を支配するものとされる。

つまり、人間の存在感以上に、独立した存在であり、確かに実在するものなのだと信じられている。

しかし、引用した部分だけを見ても分かるように、著者は、「神」が人間から独立した実在とは見なしていない。

簡単に言えば、この世に人間が出現する以前から「神」が居た、という考え方に組しない。

人間の脳が発達しなければ、「神」は出現しない(或いは、出現できない)という観点に立っている。

こういう考え方は、私にとっては、現代の知識を踏まえれば至極当然なものと思える。

むしろ、生き物は進化してきたという考え方を踏まえずに、精神や心が存在するのは当たり前だという考え方では、何時まで経っても議論百出で、結論なんて絶対に出せないと思える。

この考え方によれば、心は脳に依存するのだから、脳という生命の一部の研究を踏まえない心の解明は砂上の楼閣となることになる。

まして、心だけが実在するという一元論は論外となる。

1. 移転のお知らせをヤフーブログに残す場合

 移転手続きの申し込みをする前に、移転のお知らせ記事をヤフーブログにアップロードしておく。

 移転作業に入ると、新しい記事を書くことが出来なくなると思った方が良い。移転が完了したら新しい記事は書けなくなる。

 もっとも、移転作業申し込みの時に、「リダイレクト」をすることにしておけば、誰かがヤフーブログにアクセスした時点で、移転先のURLにジャンプしてくれる。つまり、自動的に新しい移転先のブログにアクセスしてくれるということ。

2. ただし、この「リダイレクト」を許可すると、移転完了後、ヤフーブログを開くのが面倒になる。

 移転完了後、全ての記事が移転できたかどうか確認することが出来なくなる可能性があるということ。

 下図が移転予約の入力内容。

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  転送予約の内容(リダイレクト)

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5番目がリダイレクトをするか、しないかの意思表示欄。

リダイレクトは便利なサービスだと思うが、移転完了後、全部希望通りに移転できたかどうかの確認を優先するなら、「□ 自動転送をしない」の□にチェックを入れて、リダイレクトをしないようにしておいた方が良い。


* 5番の「□ 自動転送をしない」の□にチェックを入れなければ、自動転送(リダイレクト)を希望することになり、ヤフーブログのトップページにアクセスすると、自動的に移転先のブログにジャンプして、移転先ブログ(私の場合なら、livedoorブログが開くことになる。


3. リダイレクトをするようにしてしまって、移転完了後、自分のヤフーブログを見たいときはどうするか?

 ヤフーの移転に関する記事(下図)によれば、次のようになっている。

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転送後ログイン


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「ログインすれば」と書いてあるが、自分のブログを開こうとしてアクセスするとリダイレクトされてしまうので、どうすれば「ログイン」できるのか?

 いろいろやってみたが、次の方法でうまく行くと思う。

 必ず、移転予約を始める前にやっておくこと。

 その方法とは、「マイページ」をブックマークに入れておくこと。

 マイページとは、

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マイページ

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上図は、私のヤフーブログのトップページ。

赤点線内が「マイページ」のボタンで、これをクリックすれば「マイページ(下図)」が開く。

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マイページ 画像


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このページをブックマークしておいて、見たいときにアクセスすると、ログインの画面になるのでログインすれば良い。

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ログイン画面


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 ログインすると、無事マイページが開くと思うので、ページ内の「マイブログ」ボタン(赤点線内)をクリックすれば、記事を読める。


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マイブログボタン


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移行予約の画面で、

 自分のブログタイトル
 移行先
 ライブドアブログのURL
 移行用コード

を入力し、移行予約ボタンをクリックしたら、「認証失敗」というメッセージが出た。

移行用コードの入力に間違いがあったのかと思い、何回かやり直したが駄目。

閃いたのが、

 移行用コードの欄をクリックして入力しようとすると、セキュリティソフトの「安全です」というようなメッセージが表示されたこと。

つまり、セキュリティソフトが移行予約の作業を邪魔している可能性があると推測したわけ。

セキュリティソフトが働かないようにすれば、移行予約申し込みのための、ヤフーとのやり取りがスムーズに行くのではないかと。

そこで、セキュリティソフトを終了してやり直したところ無事予約完了。

予約完了後、直ちに、セキュリティソフトを再起動して監視作業を続けるようにした。

移行手続きを始めました。

以下のURLの「livedoorブログ」へ移行します。


よろしくお願いします。

これから移行作業を始めます。



































以上。

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