この歳になってもまだ「春と修羅」の序の詩が読めずぐずぐずしている。
買い込んでおいた解説書を読み返している。
「春と修羅 第二集」の序のようならそれほど苦労しないのだが。
解説書はめいめい勝手なことを言っていて、どうやらいまだに大方が認める読み方は出来ていないのではないかと思う。
もっとも、買いためた解説書を買ったのは20~30年以上前なのだから、最近の研究では解決しているかもしれないが。
ネット上の情報では、まだのようにも思える。
実は、もっと期待しているのは、序の解説を踏まえた詩集全体の解説なんだが、大抵、序の解説だけか、個々の詩編の解説で口を拭っている状態だ。
もし、「春と修羅」が純然たる詩集であるなら、これが唯一の読み方だなんていう解説はあり得ないだろう。
当然、上の様な期待をしている私は、「春と修羅」を心理学のデータだと考えたいのだ。