「原子の内部の発見」の続きを中断して、ちょっとページを戻して、ぜひ読んでほしい節を挿入します。

「自然は玉ねぎのような階層でできている」

メンデレーエフの周期表は、物質科学における近代化の始まりを画するものだった。それがどういうことかを理解するためには、自然は玉ねぎのような構造になっているということを理解する必要がある。次々と小さな距離のスケールで自然を見ていくと、それまでにない現象や構造を持った新たな層が現れる。距離のスケールが小さくなるということは、エネルギーのスケールがおおきくなるということだ(「ひと粒あたりのエネルギー」がおおきくなる。これについてはすぐ後に、注意深く定義する)。自然はどこまでもまったく同じ物理の基本法則に支配されているが、自然の中でわれわれが目にする「複雑さの構造」は、玉ねぎのように層状になっていてそれぞれの層ごとに、起こる現象が異なるらしいのだ。それぞれの層は、それを調べるために必要なエネルギーによって特徴づけられる。
 しかし、「それを調べるために必要なエネルギー」とは、いったいどういう意味だろう。ここでそれをきちんと説明しておこう。すこし専門的になるが、素粒子(avaro-構造を持たない、つまり、もっと小さな粒子で構成されていないと思われている基本粒子---クオーク・電子・光子など)や原子のエネルギーの話をするときには、電子ボルトというエネルギーの単位を使う(electron Voltを略して、eVと書く)。化学反応に関与するエネルギーは、原子一個につき、0.1から10eV程度である。原子が原子(あるいは既存の分子)と化学結合するときには、0.1から10eVほどのエネルギーが解放されるということだ。そのエネルギーは、二個の原子を化学的に結合させる力によって生み出され、一般には、光や運動エネルギーとして放出される。
 放出されたエネルギーは、熱(原子の集団的なランダム運動)に変換されることが多く、炎から出る光として目に見えたり、爆竹がはじける音として耳に聞こえたりする。化学エネルギーが解放されると、目に見える現象になることが多い。なぜなら、可視光の光子は、一個あたり2から3eV程度のエネルギーを持つからだ。つまるところ、われわれの視覚系に入って外界を見させて光は、眼球と脳で起こるさまざまな化学反応によって処理されている。われわれが光を認知するためのプロセスは、まさに化学反応のエネルギー・スケール(数電子ボルト程度)で起こっているのである。
 分子を調べるために0.1から10eV程度のエネルギー源を使うと、しばしば化学反応を引き起こすことになる。たとえば、メタン(CH₄)と酸素(O₂)を混ぜたガスの中でマッチを擦れば、たちまち化学反応が起こって炎が上がり、二酸化炭素(CO₂)と水(H₂O)が生じる。マッチは自ら燃焼することで(たいていは酸素がリンと結合する)、光子を生じさせると同時に、分子に運動エネルギーを与える(そのエネルギーは、原子一個につき1eV程度である)。そうして運動エネルギーを与えられた粒子が、メタンや酸素に衝突して、玉突きのようにそれらを衝突させて化学反応を引き起こし、その反応からまた光子が放出される。それが連鎖反応となって、次々とエネルギーが放出されれば、ドカーン!という音とともに、激しい爆発が起こるというわけだ。
 このとき起こる物理現象は、化学反応で起こる電子や原子の運動と、それら粒子間の相互作用であるそれらはすべて、化学反応という層のなかの出来事であって自然という玉ねぎの、他の層でおこることとはほぼ切り離されている。たとえば、日常目にする化学現象を調べる際は、陽子や中性子の振る舞いを考慮する必要はない(陽子や中性子は、原子核を構成する粒子で、原子よりもはるかに小さな距離のスケールに存在している)。原子核物理学は、エネルギーのスケールがまったくことなる層を扱い、その層では、エネルギーは百万電子ボルト(MeV)という単位で測られる。それに対し、化学の層で起こる現象のエネルギー・スケールは、だいたい0.1から10eVである。
 化学現象を調べる際は、太陽の周りの軌道上をゆったりと進む、地球の運動を考慮する必要はない。化学にとって重要なのは、原子相互の相対運動や、原子の内部で電子が行う運動である。熱の現象(原子たちのランダム運動や衝突など)のエネルギー・スケールは、典型的なところで、室温で原子一個あたり0.1eV程度だ。温度が上がるにつれて熱運動のエネルギーは大きくなり、起こる化学反応も変わりはじめる(「煮炊き」をするときにおこる変化がそれだ)。一方、地球が太陽の周囲をめぐる軌道運動では、地球上の原子がそろって動くだけなので、そのせいで原子が大きなエネルギーで衝突することはない。もちろん、小惑星が地球と衝突すれば、地球の原子に小惑星の原子が衝突して莫大なエネルギーが生じ、深刻な化学現象が起こるはずだ。それどころか、核物理学(!)の現象さえ起るだろう。
 メンデレーエフの周期表は、さまざまな化学現象をみごとに説明し、あらゆる化学反応を理解するための基礎となったが、二〇世紀の初めになると、原子は実は素粒子ではなく、さらに小さくて、より基本的なものから構成されていることが明らかになった。そのあたりを理解するためには、原子の内部を見ていかなければならない。原子の内部を探るための道具は、できれば原子よりもサイズの小さいものがよい。調べたいものよりも道具のほうが大きいのでは、小さなものを切り分けたり歯科手術をするために、棍棒や戦闘用の斧を振り回すようなものだからだ。 

     *****ここまでが、今回の引用部分です*****



     ***ここからは、avaroの独り言です***

最近やっと、化学の目で日常の現象を考えるようになりました。


私たち夫婦は、毎朝欠かさず、妻の母及び夫婦のご先祖(亡くなった両親とその先達)の冥福のために手製仏壇の中の阿弥陀仏(浄土三部経)に、亡き両親・ご先祖の冥福を頼んでいます。

阿呆な私を慈しんでくれた両親・祖父母に何の報恩もしなかったアホナ自分のせめてもの報恩のために。

水・お茶・ご飯・おかず時には果物・菓子などを供え、蝋燭に火を灯し、お線香に火を付け香炉に立て、「阿弥陀様、みんなをよろしくお願いします」と念じます。

これはアホナ自分を戒め、両親・祖父母に詫びる行為です。


そんな時、時々、ライターの火を蝋燭の芯に移し点火する時、まさに、引用した文中の化学反応を思うのです。

蝋燭の炎は燃焼という化学反応で、その炎の熱は、いわば余ったエネルギーが放出された結果のものらしいし、ほんのり明るい蝋燭の炎が発する光は、ライターの炎や燃焼を始めた蝋燭の炎からの熱エネルギーを得てより高い軌道にジャンプした電子が、安定した軌道に戻る際に放出するものらしい。

肉眼では全く識別できない激しい原子・分子の活動(化学反応)が、蝋燭の炎の周辺で起こっているようなのだと。

うっかり蝋燭の炎や火のついたお線香に触ったり近づいたりすると熱いのは、蝋燭やお線香を構成する物質(分子や原子)及びその周辺の空中の分子や原子が、ライターの炎や燃焼を続ける蝋燭の炎のエネルギーによって、激しく振動を始めているため、今度は、自分の皮膚を構成する分子や原子がその振動エネルギーを受け取り、激しく振動を始めるため。

熱いという感覚は、目の場合と同じで、目の視神経に相当する皮膚の感覚器(を構成する分子原子)が熱エネルギー受け取って振動し、すぐにその振動を神経信号(電気信号化学信号)に変えて脳に伝達することで起こるようです。

電気信号も化学信号も化学反応(電子・光子の活動)の層の中の出来事なんだろうと思います(引用文参照)。

熱自体というものは存在せず、熱とは、物質(蝋燭・私の肉体)や空気を構成する分子・原子の振動(運動)であり、これら分子や原子が希薄な宇宙空間(いわゆる真空)では、熱というものが存在しないようだ。
 *ただし、宇宙空間の真空というのは、何も「無い」ところではなく、宇宙空間も地球の大気中も、エネルギー(粒子や波動という形で伝わる)が生成消滅する「場」というもので満たされているらしい。太陽からのエネルギーはこの「場」の振動の連続という形で地球に伝わるようだ。お馴染みの光(電磁波)も同様であるようだ。

太陽からは、様々な粒子がエネルギーを運んで来て地球に降り注ぎ、地球に存在する分子・原子などの粒子にそのエネルギーを移して(与えて)いるのであって、太陽の「熱自体」というものが伝わってくるのではないようだ。