数年前から、風呂に入って、大きな声で(自分的には、オペラ風発声法で)歌を歌うのを楽しんでいる。
レパートリーは、十指に満たない。

歌っているうちに、経文を西洋音楽風に歌ったらどうなるって考えて、「般若心経」を適当な曲をつけて歌った。

歌っていて考えた。

般若心経って、ある点で、最も釈尊の教えに近く、ある点で、もっとも異なっているっていうことだ。

正直に言えば、私は、経文を暗記するのが嫌いなのだ。

よって、短い経文の代表である、「般若心経」もうろ覚え。

風呂を出て、改めてまた、読み直した。

実は、以前、「般若心経」新解釈という記事を書いている。

読み直すと分かりずらい。

で、再考「般若心経」新解釈の執筆となった次第。

今回は、岩波文庫版「般若心経・金剛般若経」(中村元・紀野一義訳注)と春秋社版「般若心経とは何かーブッダから大乗へ」(宮本啓一著)を踏まえてavaroの考えを披露したい。

両書とも、漢訳のほかに、サンスクリットテキストとその和訳を載せている。

般若心経には、「小本系」と「大本系」ということなる系統のテキストがあるようだ。

この2系統の違いを、宮本先生は次のように述べている。

「『般若心経』には、それに相当するサンスクリット語の写本が現存しています。ただし、それには、『如是我聞一時仏在・・・』で始まり、短いながらも普通の仏教経典の形式を踏んでいる大本と、その形式を踏まず、ほぼ本体だけでできているきわめて簡潔な小本とがあります」(宮本本:p140)

日本で一番流布しているのは、小本系の唐三蔵法師玄奘訳の「般若波羅蜜多心経」。

この記事で参照するのは、漢訳は、玄奘訳「般若波羅蜜多心経」でこれは両書とも全く同じ。
一方、サンスクリットのテキストは字面だけ比較すると、中村先生のと宮本先生のとでは、ほ~んのちょっと違うみたいだが、ほとんど同じということにしてその和訳を比べながら考える。

暗記の練習のつもりで、玄奘の漢訳と中村先生及び宮本先生のサンスクリット・テキストからの和訳を載せる。

まず、玄奘の漢訳から。

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観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。
是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。