avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

2016年01月


Mさんとのコメントのやり取りで、「一切とは何か」ということに関する経典が問題となりました。

Mさんの引用は以下の通り。

「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。
それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
(サンユッタニカーヤ 33.1.3)



Mさんが引用してくれた経文を読んだのですが、ちょっと読み取れないので、春秋社版「相応部経典Ⅱ」の「第4集 六処についての集 第1篇 六処についての集成 第1部 第1の50節 第3章 すべての章」を参照するために、第3章の経文を全て引用させていただきます。*書き出しや繰り返し部分は省略(・・・で示す)。

***引用はじめ

第1節 すべて(Mさんの引用では「一切」と訳されていました。引用文中の赤字は訳者の註が有るという印です)

「比丘たちよ、わたしは「すべて」〔について〕、あなたたちに説こう。それを聞きなさい。「すべて」とは何であるか。眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法、比丘たちよ、それを「すべて」というのである
もし誰かが〔わたしが説く〕このような「すべて」を捨てて、他の「すべて」を説くというのならば、それは単なる〔根拠のない〕言葉に過ぎない。また〔彼は〕質問されたならばいい返せないであろう。それ以上に、困惑することになるであろう。どうしてか。比丘たちよ、それは、〔本来不可能であることを行おうとしている、つまり、彼の能力の範囲の〕領域にいるのではないからである」と。

 *訳者註:①それを「すべて」という・・・注釈書では「すべて」を四つに分けて説明している。つまり、すべてを含む「すべて」、感覚の領域としての「すべて」、身体的な「すべて」、部分的な「すべて」として、この節でいう「すべて」とは感覚的な領域としてのすべてをいうとする。②それは単なる・・・それら内と外との六つ領域(十二処)をこえては、「他の第一義的存在」があると認めることはできない、ということ。③質問されたなら・・・「他のすべてとは何であるか」と質問されたならば、「これである」とことばでもって表現することは不可能である、という意味。

第2節 捨てること(一)

「比丘たちよ、わたしは、すべてを捨てる(捨離)ための教えを、あなたたちに説こう。・・・。すべてを捨てるための教えとは何であるか。眼は捨てられるべきである。色は捨てられるべきである。眼の識別作用(眼識)は捨てられるべきである。眼〔と色と識別作用との〕接触(眼触)は捨てられるべきである。また、眼の接触によって生じるところの、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じること、それもまた、捨てられるべきである。・・・。比丘たちよ、実に、これがすべてを捨てるための教えである」。


第3節 捨てること(二)

「・・・。眼は自ら知り完全に知ることによって捨てられるべきである。・・・」

第4節 完全に知ること(一)

「比丘たちよ、すべてを自ら知ることなく、完全に知ること(遍知)なく、貪りを離れず、捨て去ることがないのなら、苦しみを滅ぼすことは不可能である。
・・・苦しみを滅ぼすことは不可能である〔というそのすべてとは〕何であるか。
眼を自ら知ることなく完全に知ることがなく、貪りを離れず、・・・不可能である。」

第5節 完全に知ること(二)

「比丘たちよ、すべてを自ら知ること(遍知)なく完全に知ることなく、貪りを離れず、捨て去ることがないのなら、苦しみを滅ぼすことは不可能である。
比丘たちよ、すべてを自ら知ることなく完全に知ることがなく、貪りを離れず、捨て去ることがないのなら、苦しみを滅ぼすことは不可能である〔というそのすべてとは〕何であるか。
眼と色、眼の識別作用(眼識)と眼の識別作用によって認識されるもの。・・・
。比丘たちよ、実に、これがすべて自ら知ることなく完全に知ることがなく、貪りを離れず、捨て去ることがないのなら、苦しみを滅ぼすことは不可能である〔というところのすべて〕である。
比丘たちよ、すべてを自ら知り完全に知り、貪りを離れ、捨て去るのなら、苦しみを滅ぼすことは可能である。
比丘たちよ、すべてを自ら知り完全に知り、貪りを離れ、捨て去るのなら、苦しみを滅ぼすことは可能である〔というそのすべてとは〕何であるか。
眼と色、眼の識別作用と眼の識別作用によって認識されるもの。・・・

比丘たちよ、実に、これが、すべてを自ら知り完全に知り、貪りを離れ、捨て去るのなら、苦しみを滅ぼすことは可能である〔というところのすべて〕である。

第6節 燃えている

「比丘たちよ、すべては燃えている。すべては燃えているとはどういうことか。眼は燃えている。色は燃えている。眼の識別作用(眼識)は燃えている。眼〔と色と識別作用と〕の接触(眼触)は燃えている。眼の接触によって生じるところの感受は、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じることであっても、それもまた燃えている。何によって燃えているのか。貪欲(貪)の火によって、嫌悪(瞋)の火によって、愚かさ(癡)の火によって燃えている。生まれ・老い・死・愁い・悲しみ・苦痛・憂い・悩みによって燃えている、とわたしは説くのである。・・・。
このように見て、比丘たちよ、教えを聞いたすぐれた弟子たちは、・・・、意を厭い離れ、法・意の識別作用・意と法と識別作用との接触を厭い離れ、意の接触によって生じるところの感受において、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じるものであろうとも、それもまた、厭い離れる。厭い離れて、貪りを離れる。貪りを離れることで解脱する。解脱したとき、「わたしは解脱した」と知ることになる。「生まれは尽き、貞潔行(梵行)は修せられ、なすべきことはなされた。さらにこの世の生存を受けることはない」と知るのである。

第7節 制圧された

「比丘たちよ、すべては制圧されている。制圧されているとは何であるか。眼は制圧されている。・・・。意は制圧されている。法は制圧されている。。意の識別作用(意識)は制圧されている。意と法と認識作用との接触(意触)は制圧されている。意の接触によって生じるところの感受は、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じることであっても、それもまた制圧されている。何によって制圧されているのか。生まれ・老い・死・愁い・悲しみ・苦痛・憂い・悩みによって制圧されているのである、とわたしは説くのである。このように見て、比丘たちよ、教えを聞いたすぐれた弟子たちは、眼を厭い離れ、・・・、意を厭い離れ、法・意の識別作用・意と識別作用との接触を厭い離れ、・・・、さらにこの世の生存を受けることはない」と知るのである。

第8節 誤った考えを根絶するに適した道

「・・・。意を〔自己である〕と考えず、意において〔自己があると〕考えず、意より〔自己があると〕考えず、意は「わたしのものである」と考えない。法を〔自己であると〕考えず、法において〔自己があると〕考えず、法より〔自己があると〕考えず、法は「わたしのものである」と考えない。意の識別作用(意識)を〔自己であると〕考えず、意の識別作用において〔自己があると〕考えず、意の識別作用から〔自己があると〕考えず、意の識別作用は「わたしのものである」と考えない。意〔と法と識別作用と〕の接触(意触)を〔自己であると〕考えず、
意〔と法と識別作用と〕の接触において〔自己があると〕考えず、意〔と法と識別作用と〕の接触から〔自己があると〕考えず、意〔と法と識別作用と〕の接触は「わたしのものである」と考えない。意の接触によって生じるところの感受、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じることであっても、また、それを〔自己であると〕と考えず、それにおいて〔自己があると〕と考えず、それから〔自己がある〕と考えず、それは「わたしのものである」と考えない。
すべてを〔自己であると〕考えず、すべてにおいて〔自己があると〕考えず、すべてから〔自己があると〕考えず、すべては「わたしのものである」と考えない。彼はこのように考えることがないので、世間の何ものにも執着しない。執着することがないので、恐れることがない。恐れることがないので、自ら安らぎに到達するのである。「生まれは尽き、貞潔行(梵行)は修せられ、なすべきことはなされた。さらにこの世に生存を受けることはない」と知るのであると。・・・。」


第9節 誤った考えを根絶するにふさわしい道(一)


「意を〔じこであると〕かんがえず、・・・、それから自己があると考えず、それは「わたしのものである」と考えない。

比丘たちよ、それを〔自己であると〕考え、それに〔自己があると〕考え、それから〔自己があると〕考え、それを「わたしのものである」と考えるところのそのものは、それとは(わたしたちが考えるのとは)異なったもの(ありよう)となる。異なったものになるものであるが(変化をさけられないものであるが)、世の人々は、それに執着し、まさに、おおいに喜んでいる。
比丘たちよ、〔五つの〕構成要素(蘊)、〔十八の〕要素(界)、〔十二の〕領域(処)において、それを〔自己であると〕考えず、・・・」


第10節 誤った考えを根絶するにふさわしい道(二)

・・・。
「・・・、眼は常住であるか、無常であるか」。
「尊い方よ、無常です」。
「では、無常であるものは苦しみであるか、あるいは楽しみであるか」。
・・・

***引用終わり

引用させていただいた相応部経典の記述は、よく読むと大変興味深い意味深な言い回しが有るように感じます。


第1節の次の部分。

何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです(Mさんの引用)。
 

どうしてか。比丘たちよ、それは、〔本来不可能であることを行おうとしている、つまり、彼の能力の範囲の〕領域にいるのではないからである」と(春秋社版)。

このような言い回しを読むと、釈尊は、次のようなことを言いたかったのではないか、と憶測してしまいます。

「比丘たちよ、お前たちがすべてを知ろうとしても限(キリ)がないのだよ。

お前たちが知ることが出来るのは、私が述べた「一切」に限られるのだから。

それ以上を知りたければ修行をして解脱しなさい。」

なんてね。

というのは、釈尊は別な経典の中で、

ある時には、土塊(ツチクレ)を指先につまんで示し、この指先の土と世界全体の土とどっちが多い、

とか、

ある時には、森の前で、森の木から落ちた枯葉をつまみ上げて示し、この指でつまんだ葉っぱと、森全体の葉っぱとどっちが多いか、

なんていう質問をして、

弟子たちが、地球全体とか森全体とか答えると、

私が知ったことは地球全体や森全体ほどあるが、それらは修行を完成するために必要ではない。

なんて説法をする。

普通これらの譬えは、単に、修行に必要な事柄を強調するために用いたたとえ話なのだと理解されるようだが、経典の記述を読めばイマイチ納得がいかない。

これらの記述の解釈は、いかようにも出来よう。

例えば、

1、




久しぶりに絵を見てきました。

油絵とか日本画ではなく、エッチングだろうと思って店主の婦人に聞きましたら、エッチングだと言いましたので間違いないようです。

日本人の作品とカタカナの外国人らしい作者の作品が展示してありました。

絵の号数はわからないのですが、長径が50~60cm位あったと思います。

エッチングは主として花などがテーマになっていました。

値段は5万円から20万円くらいのものが多かったと思います。

値段で絵を見るのは邪道でしょうが、買えたらなぁと思ったので確認したのです。

勿論、買えません。

人や動物がテーマだと、テーマの好き嫌いが先に立ってしまいます。

花や風景はそういう点では無難です。

明るい感じの絵が多かったように思います。

中でも青い陶磁器の瓶というより壺と言った方が良いような広口の大きなものに花を活けた絵がありました。

カタカナの作者の作品です。

その青い壺の微妙な色合いに一目ぼれしました。

20万円近い値だったので到底買えませんが、欲しいなぁと思いました。

妻も興味を示したようですが、欲しいとは言いませんでした。

その昔、美術館や工芸品展示館、あるいは、美術展を漁りに行っていた時期がありました。

私から見て、生きている絵にはなかなかお目にかかれませんでした。

絵も音楽も基礎(素養)がないので、玄人の見方はできません。

直感だけが頼りです。

感じたか感じなかったか、好きになったか興味がなかったか、の二択です。

ハット引き込まれるような作品にはあまりお目にかかっていません。

なんだか死んだものを見るような味気ない感じが多かった気がします。

そりゃぁお前の知性・感性が低級だからだ、ということは分かっているのですが、納得して好きになるものでもないでしょうし、直感に頼るのは悪いことではないと思います。

美術館巡りをして知った奇妙な真実があります。

わざわざ電車に乗って遠くの美術館に来て、高い入場料を払って絵を見るはずなのに、ほとんどの人が同じ絵の前に一分以上立っていないのです。

ベルトコンベヤーに乗っているみたいにどんどん歩いて行ってしまうのです。

よほど展示してある絵が粗末なものなのか、それとも、見に来た人の感性が低級なのか、恐らくその両方なのだろうという結論を下しました。

伊勢丹に来ていた客も少なかったが、その画廊に入る者はほとんどいなくて、立ち止まって見る人もほとんどいませんでした。

画廊は入場料を取っていません。

あんな美しいものを只で見られるのに見ようとしないのです。

買い物に来たので、買う気の無い物には関心を持たないのかもしれません。

風景や風景の主役、山や森や林や川、谷、木々や草、鳥などの生き物たちに囲まれていても、少しも心が豊かにならない人には、美しい絵なんて何の役にも立たないのかもしれません。

ある映画の中で、ある女性がこんな美しいセリフを言いました。

「あの方がこの世に生きている、その同じ空の下で私も生きている。この美しい景色をあの方も見ている。その同じ景色を私も見ている。そう思うだけで、私には生きて行く力が湧いてくるのです。」

とても私にはこんな純粋性はありません、私はとても即物的です。

金銭までは落ちませんが、事物がないと落ち着かないのです。

それでも、あの絵は美しかった。

出来れば買って毎日見たいものだと思います。

もしかすると、買ったとたんに興味がなくなってしまうかもしれないのですが。


私のブログではいつものことですが、前回の記事だけでなく、これから続ける記事も恐らくこれまでの仏教の常識を無視するような展開になると思います。

これはあくまで私の探求であって、誰かのためとか、誰かに気兼ねするとかは考慮しませんから自由な発想でどんどん進んで行きます。

私はこれまでは、釈尊の解脱・涅槃というのは、その方法が経験(体験)を重んじることから現代科学の方法に通じるものがあると考えてきました。

基本的にはこの仮説は正しいと思いますが、細部を見ると、やはり現代人が釈尊の方法をそのまま取り入れるのは難しいと気づきました。

釈尊の方法、瞑想その他のやり方で自分を観察するという方法は、実際には、脳神経系で行われる訳ですから、前回見たような、五蘊(人の肉体と精神=自分の全て)は自分ではないというものの見方は通用しなくなります。

ましてや、経典で暗示されているような永遠不滅・恒常不変な何ものかだけが残るというような解脱・涅槃というものは現代人の目標とはならないでしょう。

一方、これまでの仏教研究があまり明らかにしてこなかった、私がおいおい明らかにする新たな解脱・涅槃の解釈(前回の記事の延長)が正しければ、大乗仏教と釈尊の教えとの連続性(ただし、大乗仏教を興した側から見た)を見ることが出来そうな気がします。

ともあれ、科学が常に新しい発見・新しい理論によって刷新され続けているように、仏教も変わらなければならないと思うのですが、仏教界にニュートンやアインシュタインのような超天才がなかなか現れません。

しかし、釈尊が喝破したように、あらゆるものは過ぎ去るもの、生じては滅するものですから、科学の遅い歩みでは、なかなか人を苦しみから救い出せません。

その窮状に気付き、いつの日か、仏教界にも超天才が再び現れるでしょう。

現状では、浅はかな学僧や真理が永遠だなどという無知に気づかない原理主義者たちが、到底あり得ない古代インド人たちだけに可能だった「解脱」→「涅槃」を体験したと錯覚し、強弁している。

何故古代インド人だけに可能だったのか?

古代ギリシアの哲人・自然科学者たちも神を否定しなかった、出来なかったということを考えてみればいい。

一方、釈尊の中(中道)の真意を理解できなくなった、原始仏教に続く部派仏教前後から、ヒンドゥー教や古代インド哲学との競合の中で、仏教以外の宗教・哲学との差別化を図るために、「非我」を「無我」と読み替える愚を犯してしまったため、部派仏教は自縛自縄に陥ってしまい、実践ではなく論理を追うようになってしまった。

釈尊が一度もattan(atman)やbrahmanに成れとか、成れるとか説いていないと思う。

そんな必要は無かったからだと思われる。

五蘊(人の存在)の断滅論を否定したことからも納得できる。


(続く)


MさんやDさんとのコメントのやり取りをしていて、もしかしたらトンデモナク重大な発見をしてしまったかもしれないと思いました。

一連のやり取りの最後の私のコメントです。

ここからは仮説になります。

釈尊も、命の短さ、儚さ、従って「苦」であるとしか考えようのない生存を嫌悪したのでしょう。
釈尊の人間観・世界観は、永遠不滅・恒常不変性と無常性の二つの状態が人間や世界の在り方だというものだった。
ところがいくら修行をしても「苦」は自分について回る。
つまり、「苦」の生存を脱却できない、解脱できない。
言い換えると、永遠不滅・恒常不変性を獲得できない。
[ avaro78 ]2016/1/19(火) 午前 9:32


いくら修行しても永遠不滅・恒常不変性というものを知ることができない。
だが、釈尊は、永遠不滅・恒常不変性を確信し続けた。
これを失えばもはや絶望しかない。
永遠不滅・恒常不変性を確認するのをやめて、体験可能な「苦」の根絶と取り組むことにした。
無常性の「苦」は、恒常不変性を持たない、つまり、生成変化し続けるものである。
ここに縁起の思想の手がかりが得られた。
老病死などの「苦」の生成変化を観察するという方法を思いついた。
削除
[ avaro78 ]2016/1/19(火) 午前 9:42

何を観察したか?
内部の生成変化と外部の生成変化を観察し続けた。
相応部経典の中に、墓地で死体の変化を観察する修行法が一部の修行僧に過激に作用し、自殺者が続発したため、アナパナ(安息念)瞑想法に切り替えたという経があります。
最終的に、縁起の法・四諦という修行法を完成した。
[ avaro78 ]2016/1/19(火) 午前 9:48」


これまでに読んだ本の中で、次のように解説したものにお目にかかったことはありません。

釈尊の人間観・世界観は、永遠不滅・恒常不変性と無常性の二つの状態が人間や世界の在り方だというものだった。

永遠不滅・恒常不変性というのは、古代インドの「実体」観だと思っています。

もっとはっきり言うと、釈尊は、attan(あるいは、atman)以外の、人々が知っている全てのものは無常性に縛られていると考えたと思われます。

それは例えば次のように言われています。

修行僧たちよ、〔人々は〕これら五つの執着となる存在の構成要素の味わいを味わいとして、患いを患いとして、また離脱を離脱としてありのままに知らないうちは、修行僧たちよ、神々を含み、マーラ(魔)を含み、ブラフマー神(梵天)を含む世界の、沙門・バラモンを含み、神々や人間を含む人々は決して離脱せず、束縛を離れず、自由ではなく、解放された心でいられなかった。」(「相応部経典第3巻(春秋社刊) 第3集存在の構成要素の集 第1篇存在の構成要素についての集成 第3章荷物 第7節味わい(三)」)

研究者によれば、ブラフマー神(梵天)というのは、attan(atman)と対になる実体としてのブラフマンではなく、人格神(神)であるとされます。

ある研究者は、「釈尊は自ら解脱してブラフマン(所謂実体としての)となったと考えていた」と考えられると述べています。

経典に登場するブラフマー神を含む神々もマーラ(魔)も、登場したり消えたりしますし、考えたり話したりします。

スッタニパータに登場するマーラは、釈尊に負けて意気消沈して消えてゆきます。

そして、釈尊を始め修行僧たちに目撃され、感知されています。

経典には、attan(atman)やブラフマンが目撃されたとか感知されたとかいう記述は無いと思います(全部読んでいない上に記憶違いもありうるので断言できない)。

便宜上私は「実体」という用語を使用していますが、釈尊はこの用語を使用しなかったのでないかと思います。

経典では、「我執」を戒めていますが、それは本来自己のものではないもの(例えば、五蘊の一々或いは総体)を自己だと錯誤して執着することを戒めているのであって、解脱を目指す自分(これも自己)に関してはその熱情を奨励しています。

例えば、「相応部経典第3巻(春秋社刊) 第3集存在の構成要素の集 第1篇存在の構成要素についての集成 第2章無常 第5節何であれ無常であるもの(二)」に次のように記述されています。

「修行僧たちよ、身体は苦しみである。何であれ苦しみであるものは非我である(自己ではない)。なんであれ非我であるものは、「これはわたしのものではない、わたしはこれではない、これはわたしの我(自己)ではない」と、このようにこれをありのままに正しい智慧によって見るべきである。 ・・・省略・・・〔修行僧たちよ、〕このように見て、〔教えを聞くすぐれた弟子は身体についても厭う、感受についても厭う、知覚についても厭う、自己形成力についても厭う、認識についても厭う、厭うと染まらない。染まらないので解脱する。解脱すると解脱したと知る。『生まれは尽きた。清らかな修行は完成した。なされるべきことはなされた〕。この状態のほかはない』と知るのである」。

このように、我執=五蘊のいちいちを自己だと思う誤った考えを捨てることが解脱に繋がると説かれます。

さらにもっと積極的に釈尊が奨励する正しい自己観を記述した経典があります。

「相応部経典第3巻(春秋社刊) 第3集存在の構成要素の集 第1篇存在の構成要素についての集成 第5章自分を島すること 第1節自分を島とすること」を読んでください。

私が必要と思う部分だけを引用させていただきました。

***引用はじめ

「修行僧たちよ、自分を島とし、自分を拠り所として、他を拠り所とせず、真理を島とし、真理を拠り所として、他を拠り所せずにいなさい。
修行僧たちよ、自分を島とし、自分を拠り所として、他を拠り所とせず、真理を島とし、真理を拠り所として、他を拠り所せず、愁い・悲しみ・憂い・悩みが何によって発生するのかを、根源的に観察するべきである。では、修行僧たちよ、愁い・悲しみ・憂い・悩みが何によって生じ、何によって発生するのか。
ここに、修行僧たちよ、〔教えを〕聞かない凡夫は聖者たちを見ず、聖者の教えを知らず、聖者の教えに導かれない。善人たちを見ず、善人の教えを知らず、善人の教えに導かれない。かれは身体を我(自己)であると見、我は身体を所有していると見、我のなかに身体を見、身体のなかに我を見る。その身体は変化し変異する。身体が変化し変異することにより、かれに愁い・悲しみ・憂い・悩みが生じる。・・・以下、五蘊の感受(受)、知覚(想)、自己形成力(行)、認識(識)について同じ説明が続くので、省略・・・
しかしながら、修行僧たちよ、身体は無常であり、変化し、消失し、消滅することを知り、過去の身体も現在のすべての身体も無常であり、苦しみであり、変化する性質のものであると、このようにこれをありのままに正しい智慧によって見る者には、愁い・悲しみ・憂い・悩みは捨てられる、それらが捨てられるので、かれは恐れない。恐れないので安らかに生きる。安らかに生きる修行僧は、〔確かに寂滅した者〕といわれる。
・・・以下、五蘊の感受(受)、知覚(想)、自己形成力(行)、認識(識)について同じ説明が続くので、省略・・・」

***引用終わり

「積極的に釈尊が奨励する正しい自己観」というのは、「自分を島とし、自分を拠り所として、他を拠り所とせず、真理を島とし、真理を拠り所として、他を拠り所せず、愁い・悲しみ・憂い・悩みが何によって発生するのかを、根源的に観察するべきである。」と記述されている部分に説明されているものです。

すなわち、自分(自己)と真理(釈尊の教え)だけを信じて努力する者(=自己)です。

このような自己とは何か?

上の経典の引用中に、冒頭の「自分(自己とも訳される、原語は恐らくattan)を島とする」という記述と、「五蘊の一々を自己(我=attan)と見る」という記述があります。

また、「このようにこれをありのままに正しい智慧によって見る」「かれは恐れない。恐れないので安らかに生きる」という記述も注目すべきだと思います。

この経典も、自己(自分)を五蘊の一々だと見るな、と言っています。

五蘊に依存してはならないという風にも読めます。

五蘊ではなく、自分(自己)を頼れと言っているわけです。

仏教書では、普通、五蘊を人の全てだと解説しています。

シツコク読むと、「ありのままに正しい智慧によって見る」という場合の、智慧で見るのは、いったい誰(何)なのだと食い下がりたくなります。

同じように、恐れないで安らかに生きる(涅槃?)のは誰(何)なのだと言いたくなります。

それは、上に引用した経文によれば、少なくとも五蘊(人は身体・感受・知覚・自己形成力・認識=色・受・想・行・識の五つが集まったものだとされる)ではないということになります。

このようにこれをありのままに正しい智慧によって見る者には、愁い・悲しみ・憂い・悩みは捨てられる、それらが捨てられるので、かれは恐れない。恐れないので安らかに生きる。安らかに生きる修行僧」というのは、解脱した者と言って良いと思います。

身体は無常であり、変化し、消失し、消滅することを知り、過去の身体も現在のすべての身体も無常であり、苦しみであり、変化する性質のものである」と見ることが出来ない者は、苦しみ続ける。

つまり、無常である身体・感受・・・(人という存在、生存)と自分(自己)を同一視するから苦しみが生じるのだということです。

こう読めば、もはや、五蘊の一々あるいは総体としての人という無常性に属するものと、解脱した者という無常性の無い者(結論を急げば永遠不滅・恒常不変性に属するもの)という対比が浮かび上がってくるはずです。

本日はここまで。

 左端の方にクヌギが3~4本、あとはコナラ。
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 クヌギ(?)の枝
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1.200mの林  2.殿山団地  3.二ツ家交差点(新歩道橋が有る)  4.旧中山道  5.JR高崎線  6.県道33号線  7.県央道



植物の名前を同定する場合、草よりも木の方が難しい。

名前を知らない木は、どういう仲間に属するのか見当もつかないからだ。

それだけ、身近な森や林の木々の名前を知らないということでもある。

桶川・北本あたりは、クヌギ・コナラの小さな森や林が多い。

まだ、ガスや電気が熱源ではなかった戦前までは、このあたりでは、雑木林のクヌギやコナラが燃料とされていたようだ。

クヌギとコナラは、樹幹も枝ぶりも大変似ている。

同じ、ブナ科コナラ属なのだから。

違いもいろいろあるのだろうが、一番見分けやすいのは葉っぱであろう。

そして、所謂、ドングリの形が全く異なっている(下の写真、上がクヌギで、下がコナラ)。

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しかし、今は葉っぱを落としてしまっている。

ドングリもとっくに落ちてしまっている。

クヌギのドングリは丸っこく、コナラのドングリはよく見慣れている細長いドングリである。

そこで次に注目したのは枝の張り方である。

クヌギはやや側方に枝を伸ばし、コナラは枝先を上に向けるように見える。

樹木図鑑にも、落葉したクヌギ・コナラは、慣れた者なら、その枝ぶりを見ればすぐ区別がつくと書いてあった。

最終的な同定は、春先にどんなふうに芽吹くか、どんな花がどんなふうに付くか、で見極める他ない。


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 4:50頃
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 5:10頃
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菖蒲城趾あやめ園(下の久喜市ホームページ参照)から撮影
 http://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/kaikajoho/hanashobu/H27ayameen-kaika.html



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  中央の雪に覆われているのが浅間山。すぐ右手に尖った山が幾つか連なっているのは榛名山の山々だろうと思います。*画面が粗く感じたら、キーボードのCtrlキーと-(マイナス)キーを同時押しして画像を縮小して見て下さい。

国土地理院、マピオンと久喜市のホームページの地図をお借りしました。

国土地理院のウオッちずです。
 http://maps.gsi.go.jp/#10/36.294098/138.919373
イメージ 10
 地図中の斜めに引かれた赤い点線が菖蒲城跡から見た浅間山の方角と距離(右上)を示しています。


マピオンの地図です。
 http://www.mapion.co.jp/m2/36.06205861,139.66685180,16
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 1.菖蒲城跡あやめ園  2.県道12号線  3.久喜市菖蒲支所  4.撮影方向です(西北西方向に見えました。ただし、県道12号線が北東・南西向きなので、浅間山の見える方向は、県道とほぼ直角方向です)  

久喜市ホームページの地図です。
 http://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/kaikajoho/hanashobu/H27ayameen-kaika.html
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やっと浅間山の全貌を見ることができました。

下の写真は、少しでも浅間山の姿をくっきりとさせたいと思いGIMPを使ってみた結果です。


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庭に降り積もった雪です。

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10cm以上積もっている感じです。


直ぐに思い浮かんだのは、山々がみんな真っ白く雪化粧するだろうなという期待です。

明日の天気予報は晴れですから、朝、荒井橋に行ければ真っ白に輝く山々を見られるでしょうね。

わたしは、早い時間にはなかなか外出は出来ないので、白銀に輝く峰々を拝むことは難しいかな。


もう一つは、残雪と凍結の心配です。

荒川の河川敷にあるサイクリングコースに下りるには必ず坂を下りなければなりません。

凍結していると危なっかしい。

サイクリングコースも、残雪があれば自転車走行は危険です。

雪国の方々のご不便を身体で実感できます、ほんの少しですが。

仏心宗ホームページ
 http://bussin.jimdo.com/


【仏心宗】法話

 ◎『仏教の真髄』=【釈迦の悟り】を、一切の「修行」に依らず、唯、『言葉で説明するだけで、教える事が出来る』唯一の「仏教宗派」、【仏心宗】の、【法話】を紹介したサイト。

 *注:このサイトは下記記事から始まっています。
 「2013年10月05日  『座禅』と【悟り】(1)
    http://blog.livedoor.jp/mirokubussin/archives/249715.html
   




 *注2:下記記事が、このサイトが主張する「釈迦の悟り」の説明です。

2013年10月19日
【悟りの境地】
  http://blog.livedoor.jp/mirokubussin/archives/434260.html

◎ 【釈迦】が『悟った(気が付いた)』《我々総ての人間に生まれ乍らに備わっている【素晴らしい知恵=驚異の認識・判断能力=仏心】》の主な『特質』とは次の様な物だ。即ち、
 
① 総ての人間に、『生まれ乍らに』備わっている。
② 努力(修行)したからと言って『良く』も成らず、怠けたからと言って『悪く』も成らない。【常住不変】の物である。
③ 【五感】を通して、働く。
④ 【不生にして霊明】、【不生で一切が調う】。詰まり、《『考えなくても』【分かる】》、《『思わなくても』【総て出来る】》。〔『認識・判断』及び『対処・行動』の際に、『想念(考え・思い・・)』を一切必要としない(伴わない)。即ち、【無念・無想】・【無我・無心】である。〕  
⑤ その【認識・判断】は、決して『誤る(間違う)』事が無い。常に、必ず、『正しい』。
⑥ その【認識・判断】は、【全宇宙】の『有りと有らゆる条件』を考慮に入れた上での、【最良・最善のもの】である。
⑦ その【認識・判断】の通りに、『生きる(行動する・生活する)』ならば、何もかも総てが『上手く』行き(『成功』し)、《『本当の』且つ『完全な』【幸せ】》に成る。
⑧ これこそが、正(まさ)に、《真(本当)の【自分】》である。



注3:相当長い記事の始めの部分を読んだだけの感想です。

私の主張とは相いれないものがありますが、まわりっくどくて、いい加減な座禅や修行法の説明よりずっとまともな感じがします。

実際的な修行というか仏教的な生き方を目指す時、参考になる記事だと思います。


釈迦の悟りの説明なんですが、説明文だけから判断すると、ルアン・ポル・ティアン師の説明に似ていると感じました。

ただし、ティアン師は、こういう明確な説明はしていません。

暗示するだけでした。

恐らく言葉で説明できないと知ったのでしょう。


なお、私がこれまでに読んだパーリ仏典には、釈尊が「真の自己」とは「これこれである」という説明はしていなかったと思っています。

釈尊が仏典説いている「自己」に関する私の仮説は、真の自己とは、いかなる方法を以てしても知ることは出来ないものであり、又、真の自己とは、完全なものなので、知る必要など全くない完璧なものである、というようなものです。



地図と写真を見てほしい。

写真①
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 この歩道橋は、地図②上尾道路と県道12号線の交差点に設置されているもの。写真は、歩道橋の階段と自転車用の溝を示している。それほど急な階段(自転車用の溝)とは言えないかもしれないが、一度でも歩道橋の階段を、自転車を押し上げながら登った経験があれば、相当にキツイくて、出来ればやりたくない仕事だと分かっていただけるだろう。ましてや、乳母車はとても無理であろう。車椅子となると論外である。なぜ、自転車を押して歩道橋を上るのがキツイのか知っていますか?
これは坂道を登ると位置エネルギーが増大するためなんです。自分の身体の位置エネルギーの増大と自転車の位置エネルギーの増大という、言わば、自分だけでも大変なのに、その上に自転の増大する重さ(位置エネルギーの増大)にも対応すなければならない。これは相当なエネルギーで、このエネルギーに対抗する(つまり、坂を上る)ために消費する私のエネルギーは、登り切るとハアハア息切れしてしばらく頭がクラクラするほどなんでのである。

地図上で、位置を示しておく。地図は、国土地理院のウオッちずをお借りしました。

地図①
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1.川田谷の歩道橋(上尾道路と県道12号線の交差点)  2.二ツ家の歩道橋  3.桶川・北本I.C  4.高速道路・圏央道  5.上尾道路  6.県道12号線  7.旧中山道  8.高崎線  9.県道33号線  10.荒川

地図中のにきょうつうするのは、高速道路・圏央道との関係である。

特に、川田谷の歩道橋の方は、国道17号線のバイパス(新しく作られた「上尾道路」)が圏央道に接続する間近にある点で、この歩道橋の性格を特徴づけている。

川田谷・二ツ家ともに、右折レーンと右折信号が設置されている。

右折する交通量が多いと見込んでのことであろう。

特に、川田谷の場合は、圏央道への右折車が多いと予想される。

関係機関がどういう予測を基にして、どんな必然性を考慮したのか、また、関係地元との協議(あるいは、地元の方から歩道橋にしてほしいと要請した可能性もあるのかと推測)がどのように行われたのか、あるいは、歩道橋設置工事の利益を優先したのかなど不明な点が多いので、データを添えて、私の感想と意見だけを述べておく。

写真②
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写真③
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地図②上尾道路・県道12号線の交差点と歩道橋・歩道
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1.上尾道路・県道12号線の交差点(川田谷)の歩道橋  2.県道12号線  3.上尾道路


写真①②③並びに地図②を合わせてご覧いただくとお分かりのように、上尾道路・県道12号線の交差点(以後、川田谷の交差点と呼ぶ)には、横断歩道が二カ所しか設置されていない。

地図②で、道路を歩道橋が跨いでいない箇所だけである。

特に、乳母車・老人が苦労するだろうと思われるのは、と赤数字を書き込んだ側で、ここからは、歩道橋を使わずに道路を横断できず、横断歩道で他のどの側に渡ることも出来ない。

これはどう考えても不合理な処置である。

このような判断の根拠は、恐らく、将来上尾道路が全通した場合の交通量の増加を考量してのことだろうと思われるが、そうであるなら、市民の基本的な権利を侵害した、大げさかもしれないが、憲法違反とも言えそうな判断だと言いたい。

このような判断を覆す実例(つまり、道路や歩道橋・横断歩道の設置者が全く異なる判断をしている例)を示そう。

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 1.国道17号線と県道12号線の交差点(坂田交差点)  2.圏央道桶川加納IC  3.国道17号線  4.県道12号線

この場所は、現在の国道17号線と県道12号線の交差点(坂田の交差点)である。

直ぐ近くに桶川加納ICがあるという点でも、川田谷の交差点と酷似している。

この坂田の交差点には、通常通りの4カ所の横断歩道が設置されている(下の写真)。

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右手の横断歩道が県道12号線の横断歩道。写真奥に向かう道が国道17号線で、これを横切っているのが、国道17号線の横断歩道。国道17号線の坂田交差点は、右折車線が2車線ある。その分横断歩道も長くなる。

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白いキャンピングカーのような車が踏んでいる横断歩道が県道12号線の横断歩道。黄色い車が右折する先にあるのが、国道17号線の横断歩道。沢山信号待ちしている車があるのが国道17号で、向かって左の2列が右折車線。キャンピングカーと反対の方向に行けば圏央道の桶川坂田ICの入り口がある。県道12号線の右折車線は1車線。


ご覧のように斜めに交差しているためと、右折車線が有るためとで、横断歩道は普通のよりも長い。

それでも、きちんと4カ所横断歩道が設置されている。

また、学童用の歩道橋も設置されている。

この交差点は、通勤通学時間帯は、かなり横断歩道を利用する人が多い場所なので、歩道橋だけだったら、通勤通学者は往生しただろう。

もう一つ、比較的交通量が多く、更に、右折車線の信号点灯時間が長い例を、同じ県道12号線沿いの交差点で示そう。

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1.跨線橋を渡り終わった県道12号線と市道の交差点(角に民主党の事務所が有る)  2.県道12号線の跨線橋  3.市道  4.県道12号線

ここは、県道12号線が高崎線を跨ぐ跨線橋を渡り切ったところにある市道との交差点である。

ここも、県道・市道ともに、右折車線と右折信号がある。

特に、市道から跨線橋への右折車が多いので、この右折信号の時間は長い。

しかし、この交差点も、きちんと通常のように4カ所の横断歩道を設置している。

以上のようなデータから判断して、川田谷の交差点、二ツ家の交差点の両交差点に、横断歩道を設置しなかった理由は全く不明で、市民の権利を無視したものだと言える。

再調査をして、ぜひ横断歩道を設置してほしいと要望する。


地図③県道33号線と旧中山道の交差点と歩道橋・歩道
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1.旧中山道・県道33号線の交差点の歩道橋  2.旧中山道  3.県道33号線  4.高速道路・圏央道  5.高崎線

日没間近なため薄暗い写真です。

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真っ暗けに近い写真ですが、左上にちょっと見えているのが歩道橋で、写真右端が旧中山道です。見てお分かりのように、歩道橋の下には横断歩道がありません。何故、ここに横断歩道を作らなかったのか理由が分かりません。





これまでにも繰り返し述べてきたように、このシリーズ「早捲り読み」では、私の信仰とか信念とかを陳述しているのではなく、あくまで、「パーリ経典」に記述されている釈尊の教え(とされているもの)を古典の読解という立場で解釈しているものです。

私自身の信条や信念・信仰はどちらかと言えば、今は、科学の知見に軸足を置いたものです。

パーリ経典の記述に照らせば、一種の断滅論(私が意識していたあらゆる精神的なものが肉体の死にともなって全て消滅するという解釈)を信じていることになるでしょう。

勿論、パーリ経典の断滅論における消失するものとは、我(attan、atoman)でしょうから、私は我(attan、atman)を念頭に置いていないので、断滅論の近似になるでしょう。

これまで、文字通りの「早捲り読み」をしていて、場当たり的に経文を選び引用してきました。

幸い、春秋社版「相応部経典」全巻(第一巻は岩波文庫)を購入し手元に置いているので、少し、じっくりと経文に取り組んでみようと思い立ちました。

そこで、今、全巻の索引を作り始めたところです。

この準備だけで相当な時間を要するでしょうから、当座は今まで通りの「早捲り」になりますが、徐々に、全巻を参照しながら比較検討できるようにしたいと思います。

また、読解の対象は、「相応部経典」だけでなく、「スッタニパータ」「テーラ(テーリ)ガーター」「イティブッタカ」「ウダーナ」などにも広めたいと思います。


本日は、「テーラガーター」から引用させていただきます。

出典は、中村先生訳「仏弟子の告白(テーラガーター)」(岩波文庫版)です。

本題に入る前に長ーい前置きを。

先日、中村先生の「神々との対話(サンユッタ・ニカーヤⅠ)」(岩波文庫版)を読んでいて気になった用語があり、原語を調べようとして、中村先生の春秋社版「原始仏教の思想 上下」をめくっている内に、先生の原始仏教観を再確認しました。

いわゆる、後代の増広付加という解釈です。

たとえば、十二支縁起や四諦というのは、後代に整理され体系化された形態であるというような。

そこで、もう一度先生の論説を読み直してみると、釈尊の教えというのは、私が今理解しているようなものとは相当異なってしまうことになります。

先生による釈尊の教えというものは、一種の倫理主義のようなものになるのかなと感じます。

これに異を唱えた学者が、私が知る限りでは、宮本先生です。

宮本先生は、経典に記述されている経文は必ず釈尊の教説に関連しているし、釈尊の教えは倫理のようなものではなく、もっと、明確な意図を持ったものだと言う主張をしていると感じています。

はっきり言えば、「十二支縁起」「四諦」こそが釈尊の教えなのだという主張だと読みとりました。

そこで、ふと、思いついたのが、「テーラガーター」の詩句の内、釈尊の直弟子だと確認されている弟子たちの詩句を読めば、この辺の確認が出来るかもしれんということでした。

以前作成しておいた直弟子たちの詩句の番号を頼りに読み直しましたが、結果はパットしませんでした。

リストは以下の通りです。

サーリプッタ(981~1017)、モッガラーナ(1146~1157)、マハーカッサパ(1051~1090)、スプーティ(1)、プンナ(4、17)、カッチャーヤナ(494~501)、アヌルッダ(892~919)、ウパーリ(249~251)、ラーフラ(295~298)、アーナンダ(1018~1046)、マハーコッティカ(1006、1008)、レーヴァタ(645~658)、アンニャーコンダンニャ(673~688)、ナンダ(157~158)、チューラパンタカ(557~566)、ソーナ・コーリヴィーサ(632~643)、ソーナ・クティカンナ(365~369)、ヴァッカリ(350~354)、ラッタパーラ(769~793)、ヴァンギーサ(1209~1279)、大カッピナ(547~556)、ヴァッパ(61)、バッディヤ(842~865)、マハーナーナ(115)、ヤサ(117)、カッサパ兄弟のウル(1)・ナディー(340~344)・ガヤー(345~349)、モーガラージャ(207~208)

特に有力な直弟子たちの詩句には、どちらかと言えば、中村先生の言う倫理主義のような言葉が強いように感じます。

あるいは、有力な直弟子たちは、自分が達した境地を述べているという風にも読めます。

わずかに、次の弟子たちの詩句に、所謂体系化された後という教義が垣間見えます(該当する詩句の番号を示しました)。

モッガラーナ(1159・1160・1161・1177・1184・1186)、ソーナ・コーリヴィーサ(633・639・640・641)、ソーナ・クティカンナ(369)、ヴァッカリ(352)、ヴァンギーサ(1243・1244・1251・1255・1258・1259・1267・1275・1278)、大カッピナ(548)、ナディー(340~344)、ガヤー(349)

さて本題ですが、今日は、神通力について考えてみたいと思います。

テーラガーターに記述がある直弟子たちの詩句の中に、一方で神通力を広言するものと、他方で神通力を拒否するものがあります。

神通力を得たあるいは行使したと公言するのは、モッガラーナ(或いは大モッカガラーナ)、アヌルッダ、チューラパンタカで、拒否するのはサーリプッタです。

該当する部分だけを引用させていただきます。全て岩波文庫版中村元訳「仏弟子の告白(テーラガーター)」から引用させていただきます。

モッガラーナ:
1183 わたしは、幾万億の数の自己のすがたを、一瞬のうちに化作(ケサ)しよう。わたしは種々に身を変化(ヘンゲ)することに巧みで、神通に熟達している。
1192 修行僧の群れが見守っているときに、ブッダに促されて、鹿母講堂なる宮殿を足の拇指(オヤユビ)で震動させたところの、


アヌルッダ:
916 五つの支分をそなえた瞑想において心が静まり精神統一がなされたときに、わたくしは心の落ち着きを得ました。わたくしの天眼(透視力)は浄められました。
917 五つの支分をそなえた瞑想に住して、生きとし生ける者どもの生と死、往き来ること、このような状態、あのような状態で生存していることを、わたくしは知りました。


チューラパンタカ:
563 パンタカは、千度も(神通力によって)千度も自分のすがたをつくり出し、楽しいマンゴーの林のなかで坐していた。―〔供養するための〕時が告げられまで。
564 次いで、師は、時を告げる使者をわたしのところへ派遣された。時が告げられたときに、わたしは〔跳び上がって〕空中を通って〔師のもとに〕近づいた。


モッガラーナやアヌルッダの詩句の場合、複数の人物に関する言及があるため、その詩句が誰について述べているのか判断しかねるものがあります。

引用した詩句はそれぞれのことを述べているだろうと思います。

後世の記述では、モッガラーナは神通第一、アヌルッダは天眼第一と称されたようです。

モッガラーナはサーリプッタと共に思想家サンジャヤの弟子であったが、後に、釈尊の弟子になりました。

アヌルッダは、瞑想修行中に寝てしまったため、釈尊に厳しく教戒されて反省し、不眠の修行を続け遂に視力を失ったとされています。

ですから、アヌルッダはあるいは他の阿羅漢が見ないものを見ていた可能性はあるでしょう。

チューラパンタカは、記憶力が弱いため修行についていけなくて兄に教団を追い出されるところを釈尊に救われ、特別の修行法を授けられて修行しついに解脱涅槃を体得しました。

これらの事情が神通力の強調と関係がある可能性もありそうです。

しかし、神通力というものを、仮に、3人が体得したと確信したとしても、神通力は釈尊の教えの最終目標ではないことに変わりはない訳です。

また、神通力によって解脱・涅槃が達成されるということでもないと思います(このことについては経典で未確認)。

では、はっきりと神通力を否定しているサーリプッタの詩句を見てみましょう。

サーリプッタ:
996、997 わたしが聞いたことは、空しくはなかった。わたしは、束縛をのがれ、煩悩のけがれのない者となった。実に、わたしの誓願としたところのものは、過去世の生活を知る〔通力〕を得るためではなく、すぐれた透視〔力〕を得るためでもなく、他人の心を読みとる〔通力〕を得るためでもなく、死と生を知る〔通力〕を得るためでもなく、聴力を浄める〔通力〕を得るためでもなかった。
1017 怠ることなく、つとめ励めよ。これが、わたしの教えさとしである。さあ、わたしは、円(マド)かな安らぎに入ろう。わたしは、あらゆることがらについて解脱している。



勿論、サーリプッタだけが解脱・涅槃を達成した阿羅漢なのではなく、モッガラーナもアヌルッダもチューラパンタカも同様に解脱・涅槃を達成した阿羅漢なのだと自他ともに認めていたようです。

神通力があれば役に立つこともあるでしょうが、釈尊の教えの骨格は神通力を必要としないと考えられます。


キリスト教国のイギリス・ドイツもイスラム教国のサウディアラビア・トルコも出鱈目な指導者を戴く出鱈目な国家だ。

ドイツでは、中東やアフリカ諸国からの難民殺到の大混乱発生以来、立て続けに不審な事件が続発し、つい先日も、これら難民がやったとされる新春イブの乱痴気騒ぎとその混乱に乗じたレイプ(実際はお触り)事件が発生しパニックとヒステリーを巻き起こした。

この事件をきっかけに、たちどころに、ドイツの難民対策の変更へと発展した。

ナントもタイミングの良いこと。

薄汚い漫画誌シャルリ・エブド事件、パリ同時攻撃事件などなど、どれも不可思議続き。


世界支配の野望を実行しつつあるUSAの手下となり、あるいは、USAと手を組んで、それぞれの強欲な野望を果たさんとしている。

イスラム強国を二分するシーア派とスンニ派の争いを名目に、中東の王族たちは、自分たちの利権を維持し続けるために、本来なら同じイスラム教国同士で手を組み、USAやその手下EU(=NATO)と戦うべきところを、敵であるはずのUSAと手を組んでシーア派を分断・支配しようとたくらんでいる。

これに乗ったのが、かつてのトルコ帝国再興を目指しているとうわさされているトルコのエルドガン現大統領だ。

少数派のシーア派(の分派)のバシャール・アル・アサド大統領が支配するシリアを分割支配せんとして内戦を拡大させ中東を混乱に落とし込んだ。

これに対抗してアサド大統領を支えたのがシーア派の中心イランとシリアに地中海の基地を持つロシアだ。

どちらも、反USAということで共闘可能なのだ。

シリア情勢はあと一歩で、トルコやサウディアラビアの思うつぼとなるはずであったが、地中海の基地を死守せんとするロシアの介入で事態は急展開し、トルコやサウディアラビアの立場が危なくなってきた。

勿論、トルコやサウディアラビアが悪で、ロシアやイランが正義ということではない。

どっちもどっちなのだ。

同じ穴の貉同士が強欲のままに他国で破壊と殺戮を繰り返しているだけなのだ。

これまで、悪役として注目を一身に浴びて、中東でのUSAなどの悪業を国際衆目から反らす役割を担ってきたイスラム国の存在が霞むほどに、目下は、サウディアラビアとトルコの振る舞いが国際的な注目を浴びている。

トルコは、国境侵犯を名目にして、一応、USAを頭目とするイスラム国討伐連合軍の一員である(NATO加盟国なので)はずなのに、イスラム国爆撃ミッションを遂行中の非武装のロシア空軍機を不意打ちによって撃墜させた。

 *ロシア機が非武装という意味は、イスラム国には空軍機がないので、空中戦用の兵器(空対空ミサイル)を搭載していなかったということ。

トルコ大統領エルドガンは、一応選挙で選ばれたシリア大統領を、国民を虐殺した罪で追放させよと叫んでいるが、自分はトルコ国内では、トルコ国民の少数派クルド人を迫害し、虐殺している。

またエルドガンは、イラクに、イラク政府の許可なしに勝手にトルコ軍の戦車や兵隊を送り込んでいる。

一方、サウディアラビアは、他の湾岸諸国の王族たちと共謀してイスラム国に武器・兵隊・資金(給料)を送ってシリア分断を図っていることがEU(NATO)諸国の新聞にも報道される始末となり、イスラム国の資金源がトルコ・サウディアラビアなどのスンニ派国家であることが暴露された。

また、サウディアラビアもトルコと同じような国内問題を抱えていることが明らかになった。

サウディアラビア国内に相当数のシーア派の国民が居るらしいのだ。

その精神的指導者だったニムル・アル・ニムル師を、サウディアラビアは反乱を扇動した罪に問い、処刑してしまった。

サウディアラビアは未だに一部の処刑を公開していることで有名らしい。

 *ネット上で、これらの処刑ビデオを簡単に検索し見られる。ただし、心臓が弱い人や強迫観念にかられやすい人は見ない方が良い。実にコロコロ首が刎ねられているからだ。

ニムル師の処刑を公開したかどうかは不明だが、新聞には、イスラム国の処刑とサウディアラビアの処刑がともにbehead(刀やナイフで首を切り落とす)だということで、同じ穴の貉呼ばわりされた。

昨日のRTの記事には、サウディアラビアの爆撃でイエメンの病院が破壊されたと報じられた。

そのサウディアラビア主導のイエメン・シーア派爆撃に使われる兵器が「UK=ユナイテッド・キングダム=イギリス」製だというのだ。

反対派(ジェレミー・コービン労働党党首ら)の反対を押し切って、サウディアラビアへの武器輸出にゴー・サインを出したのも、ロシア介入で不利な情勢となったシリアへの空爆に踏み切ったのも現首相のキャメロンだ。

キャメロンを含むEU(NATO)首脳たちは、イスラム国を公然と支援する(イスラム国の原油密輸相手となり・イスラム国の傷病兵を自国の病院で治療するのを黙認などの無法を行っているとされる)トルコをかばってNATO軍を送り込むことまでしている。

そのトルコの基地を、ドイツなどがシリア空爆支援の基地として使用している。

キャメロンは、ニムル師処刑に際して沈黙したため、国内外からの批判を浴びた。

そして、本日のRTの記事である。

「Britain’s sale of arms to Saudi Arabia violates international law – lawyers(サウディアラビアへの武器販売を続けるブリトン(大英帝国=イギリス)は、国際法を破っている(違反している)―(告発した)弁護士たち)
Published time: 11 Jan, 2016 14:18
 https://www.rt.com/uk/328525-saudi-arms-international-law/



私としては、どちら側(ロシア・イランVSUSA・NATO・スンニ派諸国)も、強欲を自覚し、殺戮と破壊を止めてほしい。


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マピオンの地図をお借りしました。
 http://www.mapion.co.jp/m2/36.02677671,139.53022297,16
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 赤城山は、高崎方面(地図の上すなわち北方向)に見えますので、高崎寄りの跨線橋の歩道から撮りました。


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 赤城山。写真の中央やや右手、赤城山群の右斜面の下に、白い山らしきものが見えるような気がします。

肉眼でもなんとなく山らしく見えたのですが、山なら名前が知りたくなります。


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写真中央あたりに三つのドーム状の山が見えます。左から、男体山・大真名子山・女峰山となります。本日は、荒井橋からは日光白根山(奥白根)は確認できませんでした。


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写真一番左手に青いなだらかな山が見えます。そのすぐ右手に大きな浅間山がかすかに見えています。頂上は雲が掛かっているようです。雪が融けてしまったようなかんじです。




サイクリングコースに関係して、天神下公園の名前が良く出てきます。

夏の間は、池がほとんど見えなかったのですが、冬になり丈の高い草が枯れ、あるいは、刈り取られて、よく見えるようになっていました。

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猫の話は最後にして、改めて天神下公園を写真と地図で確認します。

マピオンの地図をお借りしました。
 http://www.mapion.co.jp/m2/36.02677671,139.53022297,16
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 1.天神下公園(運動広場らしい)  2.高台にある天神社  3.北本自然観察公園  4.桜堤通り  5.駐車場?  6.旧荒川の流れだった池(現状は釣り堀)  7.自然公園の水の放水路



もう一枚、国土地理院「ウオッちず」をお借りします。
 http://maps.gsi.go.jp/#17/36.009560/139.507388
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1.天神下公園(運動広場らしい)  2.高台にある天神社  3.北本自然観察公園  4.桜堤通り  5.駐車場?  6.旧荒川の流れだった池(現状は釣り堀)  7.自然公園の水の放水路  8.サイクリングコース


「天神下(テンジンシタと読んでいます)」という名称は、多分、高台にある天神社()に由来しているんじゃないでしょうか?

マピオンの地図では、池は二つに分かれているように見えますが、ウオッちずの形の方が現状に近いかなと思いました。

運動広場で時折遊んでいる・球技をやっていたらしい子供たちや親御さん・保護者を見たことがあります。

なお、駐車場には、トイレがあります。


さて、猫の話ですが、昨年の夏、サイクリングを始めたころ、天神下公園で一休みしたことがあります。

その時、トイレの裏あたり、駐車場の縁に小さな小屋らしきものが有るのに気づきました。

さらに、年取った感じの猫が数匹日陰で横になっているのを見ました。

別な時には、数人の人が猫たちに餌らしきものをやっているのを見ました。

どういう経緯があったのか聞いてみませんでしたが、猫たちはあまり物おじせずゆったりした感じでしたので可愛がられているんだなぁと思いました。

それが今日、トイレ休憩を兼ねて、猫たちの様子も見てみようかなと立ち寄ったのですが、猫の小屋がありません。

猫も居ません。

よく見ると看板が立っていました。

「猫に餌をやらないで下さい」というような意味のことが書いてありました。

ここの管理者は、北本市なのかあるいは駐車場の看板にあるように国土交通省なのか分かりませんが、どちらかが、何らかの意図で猫小屋を撤去し看板を立てたのかなと思った次第です。

野良犬は野犬狩りを行っているのを知っていましたが、野良猫も取り締まっているとは知りませんでした。

考えてみれば、野良犬も野良猫もその他の野生の生き物たちは本当に気の毒だなぁと思います。

朱鷺(トキ)のように希少性があり、学名も「トキ(朱鷺、鴇、Nipponia nippon)」(wikipediaより拝借しました)なんていう「日本」を代表するような塩梅だと、丁重に保護され、そうでないと邪魔者扱いされかねません。

ま、実際のところ、鳥ですと糞害・鳴き声がうるさいなど都市生活と相いれない事情もあります。

今日サイクリングに出かける途中で、かなり派手な服装の老婦人がいたわりいたわりしながら、老犬(腰が落ちていて歩くのも難儀そうでした)の散歩をさせているのを見ました。

私はペットを捨てた前科がある悪党ですので、これ以上あれこれ言いつのる権利はないのですが、わたしを含めて人間って勝手なもんですね。

マルチスタンダードは、政治家の専売特許ではないようです。

長広舌失礼しました。


ただの夕暮れの空の色です。

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当日は残念ながら、北の方向にある赤城山~日光の山々には雲が掛かっておりほとんど山容を見ることはできませんでした。


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名前が分かっている(つもり)の山は富士山と浅間山ぐらいで、一番右手にある山群は榛名山ではないかと思っていますが確かではありません。

秩父山地の山々の名前は全く分かりません。

これから国土地理院の「ウオッちず」を頼りに一つずつ確認していく他ありません。

下の地図2枚を見れば分かるように、秩父山地の方向は日本の屋根というべき山岳地帯なので、写真に写っているのが秩父山地の山々だけとは限らないと考えた方が良いでしょう。

イメージ 2
 1.荒井橋のあたり  2.富士山  3.浅間山  4.武甲山  5.雲取山  6.両神山  7.甲武信ヶ岳  8.蓼科山  9.八ヶ岳  10.赤石山脈 などなど。


イメージ 3
 1.荒井橋のあたり  2.富士山  3.浅間山  4.八ヶ岳  5.南アルプス(赤石山脈)  6.中央アルプス(木曽山脈)  7.北アルプス(飛騨山脈)



下の写真は、2016.1.4(月)に、二ツ家新歩道橋から北の方向を撮った写真です。イメージ 1



下の写真は、上の写真を撮影したのとほとんど同じ角度で北の方向を撮った、1月9日(土)の写真です。左手前にちょっと写っているのが歩道橋の手すりです。
イメージ 2
 上の写真ではスモッグのような雲しか見えなかったあたりに、くっきりと日光の山並みが見えますね。写真中のが日光白根山(奥白根山) 
見えている山々()は、袈裟丸山(けさまるやま)1878m・皇海山(すかいさん)2144m・錫ヶ岳(すずヶたけ)2388m・日光白根山(奥白根)2577mであろうと思います。3のあたりに男体山・女峰山などが見える筈  ④歩道橋手すり  ⑤旧中山道  ⑥県道33号線
 *参考:赤城山や日光の山々がどのあたりにどのように見えるのかについては、当ブログの以下のページをご参照ください。
  「北本・高尾スポーツ広場あたりから見える日光・上州の山々  男体山や赤城山がはっきり見えます。」
  http://blogs.yahoo.co.jp/avaroikite/63476809.html



続いて、奥白根山と男体山・女峰山などが一枚に収まった写真(下)
イメージ 3
 1.日光白根山(奥白根山)  2.男体山  3.大真名子山  4.女峰山




次は、日光白根山(奥白根山)の望遠写真。日光白根山(奥白根山)だけが真っ白な雪化粧です。日光白根山の手前に低く連なっているのは恐らく足尾山地の山々だろうと思います。
イメージ 4



続いて、男体山・女峰山などの望遠。男体山・女峰山などには白いものが見えませんね。
イメージ 5


日光の山々の地図です。

国土地理院の「ウオッちず」をお借りしました。
 http://maps.gsi.go.jp/#12/36.703109/139.441566
イメージ 6
 1.袈裟丸山  2.皇海山  3.錫が岳  4.日光白根山(奥白根山)  5.男体山  6.大真名子山  7.女峰山


写真と地図を比べてみると何か違和感を感じますね。

それは、1~4の山々が南北に一直線に並んでいるのに、写真では、東西に連なるように写っていることです。

これは、写真も肉眼も、その位置が男体山のほぼ南にあるためです。

ですから、男体山・女峰山などはほぼ南方向から見て撮っていますが、1~4の山々は、やや南南東の方向から見る格好になっていることになります。

そのため、1~4の山々が横に並ぶように見えるのだと思います。


既成仏教が広めてきた「仏教的な観念」に問題があることを指摘しています。

今回は、輪廻と自己(自我)にまつわる解釈の問題点。

今回から、「相応部経典 第1集」からも引用します。

第1集は、中村先生訳「サンユッタ・ニカーヤ ⅠとⅡ」(岩波文庫版「神々との対話」及び「悪魔との対話」)です。

この記事では、第1集の他に、春秋社版「相応部経典(第3集) 第3巻」からも引用させていただきます。


*****引用はじめ

◎引用 1

〔神いわく、―〕
「何が人を生まれさせるのか? 人の何ものが走り回るのか? 何ものが輪廻(samsara)に堕しているのであるか? 以下略」
〔尊師いわく、―〕
「妄執(tanha)が人を生まれさせる。人の心(citta)が走り回る。生存するもの(satta)が、輪廻に堕している。」

 *「サンユッタ・ニカーヤⅠ 神々との対話 第Ⅰ篇第6章 老い 第5節 生まれさせるものを(一)」(岩波文庫版)より


引用 2

そのとき悪魔・悪しき者は、セーラー尼に・・・・詩を以て語りかけた。―
「だれがこの個体を作ったのですか? 個体の作者(つくりて)はどこにいるのですか? この個体はどこから生じ、この個体はどこで滅びるのですか?」と。
  ・・・略・・・
そこでセーラー尼は・・・詩を以て語りかけた。―
「この個体は自分の作ったものではない。この個体は他人の作ったものではない。
原因に依って生じ、原因が滅びたならば〔個体も〕滅びる。譬えば、或る種子が、田に播かれて、地味と湿潤との両者とに依って生えて成長するように、そのように〔五つの〕生存構成要素と、〔六つの〕認識領域は、原因に依って生じ、原因が滅びたならば滅びるのである。」

 *「サンユッタ・ニカーヤⅡ 悪魔との対話 第Ⅴ篇 第9節 セーラー尼」(岩波文庫版)より


引用 3

そのとき、〔世尊は修行僧たちにつぎのように〕いった。
「修行僧たちよ、いかなる沙門・バラモンであれ、種々に構想された自己にもとづいて見つつ〔自己を〕見るとき、かれらはみな五つの執着となる存在の構成要素、あるいは、それらの一つを見ているのである。
五つとは何か。
ここに、修行僧たちよ、〔教えを〕聞かない凡夫は聖者たちを見ず、〔・・・略…〕善人の教えに導かれない。かれは身体を我(自己)であると見、我は身体を所有していると見、我の中に身体を見、身体の中に我を見る。感受を〔我であると見・・・〕・・・以下、知覚・形成力・認識というように五蘊について同じ文言を続ける・・・認識の中に我を見る。このように、これが〔自己にもとづいて〕見るということであり、それは、わたしは存在するという〔思いこみ〕にいたるのである。
修行僧たちよ、わたしは存在するという〔思いこみ〕にいたったとき、眼という感官・耳という感官・鼻という感官・舌という感官・身体という感官の五つの感官が現れる。
修行僧たちよ、心があり、思考があり、無知という要素がある。修行僧たちよ、無知に触れて感受が生じ、それをそなえた〔教えを〕聞かない凡夫は、「私は存在する」とも考える。「わたしはこれである」とも考える。「わたしは存在するであろう」とも考える。「わたしは存在しないであろう」とも考える。「わたしは身体を所有するであろう」とも考える。「わたしは身体を所有しないであろう」とも考える。「わたしは知覚を所有するであろう」とも考える。「わたしは知覚を所有しないであろう」とも考える。「わたしは知覚があるのでもなく、ないのでもないであろう」とも考える。
修行僧たちよ、まさしくそこに五つの感官が確立するのである。しかし、そこで〔教えを〕聞くすぐれた弟子の無知は断たれ、知が生じる。かれは無知に染まらず、知が生じているので、「わたしは存在する」とも考えない。「わたしはこれである」とも考えない。・・・以下、「 」とも考えない、と続く・・・「わたしは知覚があるのでもなく、ないのでもないであろう」とも考えない」。

 *春秋社版「相応部経典第3巻」の「第3集 存在の構成要素の集 第1篇存在の構成要素についての集成 第1部 第5章 自分を島とすること 第5節 観察」より

*****引用終わり 

中村先生訳の「相応部経典 第1集」から引用した短い経文(特に、引用1)は、あまりに簡略過ぎてどのような教えなのか読み取りにくい。

常に釈尊がこんなぶっきらぼうな説教をしていたとは考えづらいので、このような短い経文は一度その内容を理解した弟子たちが記憶しやすいように簡略に暗記していたものなのでしょう。

しかし、相応部経典は、同じようなテーマの説法をいくつも集めてあるので、読み比べることで、このような短い経文の意味も読み取りやすくなる側面を持っています。

引用1~3に共通したテーマは、釈尊在世当時の古代インド人の常識が陥る危険性を指摘した釈尊の人間観です。

三つの経のキーワード、「生まれる」「輪廻する」「生存するもの」などは、現代人の常識的な概念とは全くと言っていいほど異なるものだと思います。

この三つの経典も、釈尊の教えの骨格ともいうべき、重要な考え方を示したものだと思います。

当時の古代インド人は、知識人も凡人も共に、自分と身体と理想の在り方である実体(我=アッタン或いはアートマン)とを一体視していたが、恒常で変化しない(老病死の無い)実体と変化し続けやがて死ぬ身体との乖離に苦しんでいました。

解脱や涅槃とは、この乖離を乗り越えることであったのだと言えそうです。

釈尊自身、この乖離を超克すべく、様々な方法を実践したようです。

結局、釈尊は、自分と身体と我(恒常な実体)とを一体視している限り解脱・涅槃は困難であると気づき、特に、自分と身体との一体視を打破することで、解脱・涅槃を実現できる方法を見つけたと確信したようです。

引用1の短い経文を理解しやすくするのが、引用3の経文です。

何が人を生まれさせるのか?

現代人にとってはアホな質問ですが、古代インド人にとっては命を掛ける程の重要な問だったようです。

釈尊の答えにある、「妄執」とは、次の経文の記述中の「原因」によって生じるものなのだと思います。

一番の原因は、(人が知っている)一切のものが「生じては滅する性質ものである」、ということを知らないこと(無知・無明)にあると説かれます。

このことを引用3の経文では、人が認識しているものは、「思いこんでいるだけなのだ」と言っているようです。

では、恒常で不変な我(attan、atman)も「思いこんでいるだけなのか」と古代インド人は釈尊に食い下がります。

これに対して釈尊は、「無記」というしゃれた対応をします。

質問者は、あくまで自己と実体との一体視に固執していますから、いくら説明しても納得しないのですから、無視するのが一番なわけです。

という言い方は不謹慎なので、言い換えます。

釈尊は繰り返し繰り返し、五蘊が無常なものであり、苦であり、変化する性質のものであることを確認させ、これらは、「わたしのものではない。わたしはこれではない。これはわたしの我ではない。」と確認させています。

つまり、五蘊と恒常不変な実体(我、attan、atman)とを切り離していたのです。

 *ついでに言うと、はっきりと記述されてはいませんが、自己(attan)も二つに分割されたのです。

相応部経典をパラパラ読みしていて、これまでのところ、釈尊が「恒常な実体(attan,atman)が有るとか無い」とか断定する経文には遭遇していません。

そもそも解脱とか涅槃をどうして目指したのでしょうか?

答えは始めから出ていたのです。

しつこい質問者がアホなのです。

釈尊にとっては、「解脱した」と確信できれば十分で、それ以上何を高望みするのだと言いたいところでしょう。

大事なことを忘れるところでした。

何故、釈尊は二度と輪廻しないのでしょうか?

引用した3っつの経文にチャンと答えがあります。

生まれ、存在、生存などの思いこみを原因から除去しているからです。

まさしく根っこを断たれたターラ樹です。

ただし、この解釈が通用しない経文が幾つかあります。

釈尊や弟子が、今風に言えば現実的ではない変なものを見たと断言します。

そして、その変なものの正体を輪廻(もしくは再生)に絡めて説明するものです。

これらに関しては、後日記事にします。

この他にも難しい課題が幾つも残っています。

私自身は、まだ、一切が生じては滅するということを如実にありのままに見て知っていません。

そういう意味では、この記事もこれまでの記事もこれからの記事も全て口移しの物まねのようなものに過ぎないとも言えそうです。


ミクロ世界観とは、簡単に言えば、原子・分子の知識をフルに働かせて得られる世界観ということです。

つまり、原子や分子から世界を見ようとする学問の分野の知識が不可欠ということになります。

正確に知ろうとすると、必ず、数式が登場します。

私は当然のごとく数式を避けますから、活用できる知識は一般的な解説書・初歩の知識ということになります。


釈尊の時代と決定的に違う人間観とは、この原子・分子の知識を基にした生物学や医学が描き出した人間観ということだと思います。

釈尊は、自己(我--attan、atman)について明確な定義をせずに、解脱・涅槃の効用を説きましたが、ほぼ今日では、自己(我--釈尊当時の通念だったattan・atman)に関しては、自己(私という意識)=身体(脳の機能の一つ)ということになっています。

釈尊当時曖昧だった、自己(我--attan、atman)という通念は人間理解の分野から外されています。

従って、パーリ経典の記述にあるような、

無常でありしたがって苦である色(身体)について、「これはわたしのものではない。これはわたしではない。これはわたしの自己ではない。」と説いた釈尊の人間観は現代では受け入れられないでしょう。
 *この説明は、読み方次第で現代にも十分通用する人間観として理解可能です。しかし、そのためには、釈尊の教えの骨格(ポイント)を把握しなければなりません。


と、言うだけでは、一歩も前進していないのです。


生理学の教科書(といっても1000ページ以上あるのでほとんど読んでいない)を読んでいて、人間は細胞の集まりであり、細胞は一刻も休むことなく物質の交換を行っているという記述を読みます。

ふつうこれを動的な平衡と呼んでいると思います。

よく考えればこれはそれほど難しい事柄ではないはずです。

私たちは、毎日飯を食って、翌日糞や小便をしています。

これは明らかに「すでに身体に取り込んだ物質」が使用済みになったので、「新しい物質」が必要になったんだな、と理解できます。

内蔵と呼ばれる器官(これも全て細胞で出来ている)の役割は、この動的な平衡すなわち使用済みになったものを排出し新しい物質の補充をするための器官なわけです。

肺で取り込まれた酸素や胃で消化され小腸で吸収された栄養物質は、共に血流に乗って全身の細胞(文字通り全身の細胞です)にはこばれる訳です。

言うまでもなく皆さんは、どういう仕組みで新しい酸素や栄養物質が全身の細胞に運ばれるかちゃんと説明できますよね。

実は私は、この部分を読んでいて本当に初歩的な疑問が湧いてきたのです。

教科書には次のように記述されています。

太い動脈から身体各部の中程度の動脈へ、さらに、細い血管へ、最後に毛細血管が全身隅々にまで新鮮な酸素や栄養物質を送り届けるのだ、と。

私の素朴な疑問というのは、毛細血管のところで出てきたものです。

うっかりして刃物で指などを切ったとします。

浅い傷なら、毛細血管が切断されただけですからちょっと出血しただけなので、消毒してキズバンを張っておけば大丈夫です。

毛細血管も当然のことながら(私は生理学の教科書で初めて知ったのですが)細胞で出来ています。

つまり、いくつもの細胞がつながりあって血管を作っているのです。

切り傷は、この細胞を壊したわけです。

刃物で破壊された細胞の部分を一時的に補充して(何がどうやってというのは忘れました)やがて、新しい細胞がその部分を補うでしょう。

つまり、例え毛細血管といえども血管が切れて出血が続くのは異常事態なのです。

心臓のポンプ作用で送り出された新鮮な酸素・栄養物質を含んだ血液は、太い動脈から順に細い血管に枝分かれし最後に毛細血管まで運ばれそこで酸素や栄養物質が細胞に届けられ、老廃物が血管に取り込まれ肺や腎臓などの処理器官に送られます。

疑問というのは、この毛細血管から細胞にどうやって酸素・新栄養物質が送り込まれるのか? ということなのです。

一個一個の細胞の中にまで毛細血管は入り込んでいません。

そんな構造になっていたら厄介なことが起こるでしょう。

細胞の基本的な構造は同じなようです。

決して毛細血管は細胞壁を突き抜けていたりしていません。

分厚い生理学教科書を何冊も借りてきて、この疑問の答えを探しました。

人間の身体は、確か70%は水でした。

ただし、水道の蛇口から出てくるような状態の水ではなく、ゲルとかゾルのようないろいろなものを溶かし込んだ水です。

身体の中の水は、大きく3っつに分類されているようです。

細胞内の水(液)、細胞の外あるいは間にある水(液)、血液のような循環している水(液)。

要するに、身体の中の水は、この3っつの間を循環していると言ってもいいのでしょう。

毛細血管の血液中の新鮮な酸素・栄養物質は、一度細胞周辺の細胞外(間)液に放出され、細胞がこれを取り込むというやり方をとっているようです。

生理学の教科書では、これを拡散と呼んでいました。

血管から血液と一緒に酸素・栄養物質が放出されているのではない証拠に、眼の網膜の毛細血管が切れたら(眼底出血)、網膜が損傷され最悪では失明するという一事で了解されます。

酸素は勿論分子です。

栄養物質は糖の分子です。

血管は、動脈から静脈へと接続しており、途中で切れてはいないようです。

脳も細胞の一種である、神経細胞(ニューロン)で構成されています。

脳は、身体全体が消費するエネルギーの20%を独占的に使っているそうです。

当然、脳にも血管網が張り廻られされ、常に新鮮な酸素や糖が送り届けれれているわけです。

そこでは、まさしく、原子・分子単位の物質の交換・出入りがあり、常に、動きがあります。

細胞から何かものが出ていけば、細胞内には不足が生じ、細胞外には余分が生じるわけです。

つまり、アンバランスな状態が発生するわけです。

しかし、このままアンバランスが続けば異常事態となりかねませんから、やがて、反対の動きがおこり、バランスします。

例えば、今取り組んでいる網膜の働きを細胞単位、あるいは、分子の単位で見るという学習で学んだことで、網膜の最も重要な細胞である「視細胞」の働きの説明に出てくる、レチナールという分子の化学変化があります。

この場合は、何かが出て行って不足するというのではありませんが、化学変化が起こって、レチナール分子が変化してしまうと、眼の働きが瞬間的にでしょうが停止してしまうのです。

そこですぐに反対の反応が起こり、元の状態に戻す仕組みなっているのです。

まず、レチナール分子の画像をご覧ください(画像は、BLUE BACKS「光と色彩の科学」斎藤勝裕著 講談社)よりお借りしました。

イメージ 1


このレチナール分子は、オールトランス-レチナールと呼ばれる分子だそうです。

このオールトランス-レチナール分子には、同じ化学式だが、構造が異なる異性体の11-シス-レチナール分子というのがあるそうで、光が当たる前の普段のレチナール分子はこの11-シス-レチナール分子なんだそうです。

この異性体という二つの分子の違いとその働き方を示す図がこれです。

イメージ 2

レチナール 11-シス型と表示された11-シス-レチナールは、普段は曲がっていて、光が当たるとそこが真っすぐになる。

これだけの変化が視細胞の最重要な働きなんだそうです。

ニンジンなどに含まれるカロテンが体内の酸化酵素によって切断されて、ビタミンAとなります。

このビタミンAがもう一度酸化酵素で酸化されて、レチナールとなります。

そこで、眼の周りには、ビタミンAを酸化するための酸化酵素が沢山あるそうです。

ビタミンAから酸化されて出来たオールトランス-レチナールは、今度は、網膜のさらに奥の色素上皮細胞にある異性化酵素というものによって11-シス-レチナールになるそうです。

つまり、カロテンなどのビタミンAの補給源を十分にとっていれば、視力の基になるレチナールが必要なだけ化学反応によって生成され、光が当たるとオールトランス-レチナールに変化し、すぐに、異性化酵素によって11-シス-レチナールに化学変化するという繰り返しが起こっているようです。

しかも、面白い点は、この巧妙な仕組みの極め付けというべきは、11-シス-レチナールからオールトランス-レチナールへの変化を物理的な変化として感知するのがロドプシン(オプシン)というタンパク質で、これがレチナール分子を抱え込んでいるような形なため、レチナールの形が変わると当然オプシンの形も変わり、これが引き金になって視細胞の細胞壁にあるナトリウムイオンを取り入れるタンパク質が活動を停止することで、視覚情報というものが発生するのだそうです。

過分極という電気的な反応です。

これが、視神経の情報伝達の開始となります。

仏典に記述されている眼と色と眼識という三つの要素の接触という説明とは全く異なる説明です。

この違いは、単なる表現上の違いではありません。

現象の理解の仕方の根本が異なっているのです。

パーリ仏典の記述では、まだ、自己(我--attan、atmanという実体)が介在できる隙がありますが、上の説明には、実体という概念は必要なくなっています。

勿論反論は出来ます。

視覚の原理どころか世界の存在そのものに関する完璧な理解がまだまだなわけですから、科学の手法以外の探求法が存在可能なわけです。

また、そもそも釈尊が目指したのは、視覚の原理の理解ではなかった訳ですから、釈尊の教え全体あるいは骨格が否定されたわけでもないのです。

釈尊の教えを伝えていると考えられているパーリ経典の記述の中に、学ぶ必要のない知識や理念が混じっているということなのだということです。


昨晩から今朝早朝にかけて、画像の修正や加工をやりましたが、アプリはスムーズに動作し、以前あったような突然アプリの表示が終了するようなトラブルは全くありません。

搭載メモリが4GBなので、処理量が大きくなるとサスガに処理速度は多少遅くなりますが、32bit当時のような長い時間待たされるということは全くありません。

イラつく間も無く処理は終了します。

例えば、画像ソフト「GIMP-2.8」で作成した画像をGIMPに保存するのではなく、jpgやpngで保存する時には、「名前を付けてエクスポート」を指定しますが、大きい画像ファイル(例えば、ベニバナで撮った富士山のパノラマ写真は約5MB)をエクスポートする場合は、数秒掛かりました。

この程度の時間ならほとんどイラつく間も無く処理が終了した、という感じでフラストはありません。

やはり、64bitの余裕、つまり、同じ4GBのメモリを搭載していても、32bitでは3GBしか使えないのに、64bitであれば1GBの余裕があるということでしょう。

ただし、今利用しているアプリのほとんどがフリーソフトで、32bit対応版らしいので、目の玉が飛び出るほどの高速処理ではないようです。

4GBのメモリでほとんどイラつくことなく、結構大きな画像を次々と処理しても、息切れせずに動作してくれるのは有り難いです。

 *私が保持する必要メモリに関する知識は貧弱なので、必ず、64bit、32bitの違いや効果的なメモリ量(GB)に関する情報を確認されてから行動してください。

 この記事作成で参考にしたサイト:
  「道すがら講堂」第10回 windowsの32bit/64bitの違い
    http://michisugara.jp/archives/2010/lectures_10.html

 その他


うらうらと  明けて3日の 陽気かな  (俳)


馬鹿陽気  無明の果てへの 三里塚  (川)



昨晩は、深夜2時ごろまでパズルに熱中したため、今朝は11時頃まで寝ていました。

起きてきて驚いたのは、エアコンもファンヒーターも付けずに女房殿が金太郎の世話をしていたことです。

寒がりで暑がりなはずなのに、と気づいてみれば、確かにピリピリするほどの寒さではありません。

朝食の支度を急がないと、朝の薬を飲ませそこなうので、急ぎ精米機で玄米を研ぎ、お粥鍋をセットし、やかんをコンロにかけました。

仏壇から昨日のお供えセットを下げてきて、新しい水・お茶・炊き上がった白粥・お惣菜をお盆にセットして、二人で仏壇にお供えし燈明を点し、お線香をあげました。

それから、白粥と買っておいたお惣菜にイタリアン・パセリを添えて朝食を摂りました。

この後は、洗濯をして干すまでが、365日毎日欠かせない朝のルーチンです。


これを今年も毎日欠かさず繰り返すのです。


ニュースによれば、相変わらず世界の権力者たちは己の無明に気付かず、あるいは、気付いてもどうしようもなく、奪い合い・殺し合いを続けるつもりのようです。

本当に何とかしなければならないのは、世界温暖化対策ではなく、世界の状況を左右できる権力と知力を持った各国の政策を動かしている財界・政界・官界などのトップ集団の無明(貪瞋痴)への気づきとその対策なのです。

恐らく、陸・海の地殻に眠っている有用資源の量のおおよそは見積もり済みでしょう。

世界人口の大半は、この資源の恩恵に与れていない貧しい人たちです。

今、世界各地で続いている激しい代理戦争は、ほんの少数の金持ちのための戦争だと考えて間違いありません。

限られた資源を独占しようとする金持ちたちの野望、世界を完全に支配下に置き、世界の民を巧妙に統治・統制しようと言う覇権確立の準備段階なのです。

お正月三が日ぐらいは贅沢をさせようと、凍っているタラバ蟹を買ってきました。

解凍法を聞いたら、3時間位常温で放置すれば解凍できると聞いたのですが、あまりおいしいものではありませんでした。

それでも、いつもの値段の倍以上の値段のついた食品の中には確かにおいしいものもありました。

私のような貧乏人が買い物をするスーパーには、普段は、こういうおいしいものは並んでいません。

毎日、こんな食材を買っていたら家計が破たんするからです。

お惣菜も同様です。

2回続けて食べたら当分食べたくなくなるようなお惣菜が、正月用となると、値段も倍だが、味も倍になっていました。

これで気づきますよね。

庶民は、普段は、いわばカスを食べているのかもしれないのです。

袋菓子のような、いわゆる、ジャンクフードはこの象徴でしょう。

金持ちは、上澄みのような特上を食べているのでしょう。

おやつも手作りのものです。

味も良ければ、農薬・放射能などの危険も少ないものでしょう。

悪名高いモンサントの農薬で育てた遺伝子組み換え食品なんて絶対に食べていないでしょう。

だが、今は、まだ、多少は庶民にも選択の余地があります。

しかし、世界制覇の争いに決着がつき、いずれかの勢力が世界を支配できる体制が整うと、事実上の独裁が開始され、「1948」の世界が現実となるのです。

日本なら、マイナンバーですべてが管理され、自由なのは空気を吸う権利ぐらいになるでしょう。

気づいた時は後の祭りです。

ナントか、写真と3D画像の対応が出来たようです。

興味のある方は、データを比べて、写真の中のどの山が3D画像や地図のどの山と対応するのか考えてみては如何。

私は、左から、大山・丹沢主脈・大室山と加入道山・鳥井立と赤鞍ケ岳・富士山という風にみました。
 *参考サイト:
   wikipedia「丹沢山地」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E6%B2%A2%E5%B1%B1%E5%9C%B0


イメージ 1


イメージ 5
 1.大山  2.丹沢主脈  3.大室山(左)と加入道山(右)  4.鳥井立と赤鞍ケ岳  5.富士山の斜面


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4
国土地理院「ウオッちず」
  http://maps.gsi.go.jp/#12/35.499531/139.036789


荒川河川敷のサイクリングコースでも、障害物なしに富士山の眺望を楽しめる場所というのはなかなか見つかりません。

下の地図には、誰でも入れる3っつの場所を示してあります。

「マピオン」の地図をお借りしました。
 http://www.mapion.co.jp/m2/36.00579932,139.54258249,16
イメージ 1
 1.二ツ家交差点新歩道橋  2.マメトラショッピングパーク(スーパー)  3.圏央道(半地下)  4.県道33号線  5.ベニバナウォーク桶川(スーパー)  6.桶川サンアリーナ(市立運動施設)

誰でも入れる富士山眺望場所は、

1.二ツ家交差点新歩道橋
2.マメトラショッピングパーク(スーパー)
5.ベニバナウォーク桶川(スーパー)

の3ヵ所です。

この3っつの内、障害物がほとんどなく、眺望が最も広い場所は、

5.ベニバナウォーク桶川(スーパー)

の屋上(5階)駐車場です。


イメージ 2
 *広角レンズ。



イメージ 3
 *望遠レンズ。手前の大きな屋根は、上の地図中の運動施設、桶川サンアリーナです。富士山は、関東山地の上に突き出ている部分だけでも、軽く2700m以上あるようです。見えている部分の一番下の部分の幅(左下と右下の間の長さ)も10km以上あるようです。



パノラマ画像です。
イメージ 4

 *パノラマ画像は、かなり重なりやズレがありますが、大体こんな眺望なんだという風に見て下さい。


参考までに、ベニバナウォークと富士山の間にある大きな山を知るために、下の国土地理院「ウオッちず」をお借りして表示します。
イメージ 5



国土地理院「ウオッちず」の3D画像をいじってみると、二ツ家の新歩道橋から見る富士山にピッタリ当てはまる角度が見つかります(下の3D画像)。

イメージ 1


これと下の写真を比べて下さい。

イメージ 2

角度がピッタリだと思いませんか?

富士山の左斜面の途中に棚状の段がありますね、これが3Dのものと同じに見えます。

これを国土地理院の「ウオッちず」で見ると、次のようになります。

イメージ 3
 1.二ツ家新歩道橋から見る富士山はこの方向  2.斜面の途中にある段(宝永山)  3.南の方向

従って、最初の3D画像は、1.の方向から見たものとなります。

また、上の地図をよく見てみると、二ツ家新歩道橋から見る富士山は、少なくとも4合目か5合目あたりから上が見えていることになりそうです。





                ***

*単純な勘違いがありました。お詫びして訂正します。

下記の記事中の赤城山の記述は、私の勘違いによる誤認で、二ツ家交差点新歩道橋からは赤城山は見えません



まず、2016年1月元旦の富士山を見て下さい。

イメージ 2
   13:28:31

昼過ぎになると、富士山のデータ(イメージ情報=反射した可視光)が、天上から降り注ぐ太陽光の干渉を受けるのでしょうか、どうしても霞みかちになるような気がします。

電磁波のスピードは、毎秒30万kmですから、富士山ら二ツ家の新歩道橋まではわずか100kmなんですから、それこそアッと言う間にデータは届く筈なんですが、天上からの無数の電磁波も同じスピードで降り注いできています。

無理やりコントラストを高めようとすると粒子が粗くなるので、修正とリサイズとトリミングを組み合わせてやっとこの程度です。

今日は結構富士山を見る人たちが居ました。

結構、歩道橋からの眺めは知れ渡っていたのですね。

元旦の富士山ですから、縁起も良いですしね。



次の写真は、富士山と北東に幾重にも重なって連なる関東山地の山々を一望できるようにしたパノラマです。
不出来な屏風のようになりましたが、こんな景色が見えるのだと思ってもらえればいいでしょう。
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旧中山道と県道33号線(半地下に圏央道)の二ツ家の交差点に出来た新歩道橋の場所は以下の地図を参考にしてください。

国土地理院「ウオッちず」をお借りしました。
 http://maps.gsi.go.jp/#18/36.012675/139.550255
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1.旧中山道・県道33号線の交差点に新設された歩道橋 2.旧中山道 3.県道33号線(吉見方面へ) 4.県道33号線(菖蒲方面) 5.圏央道 6.JR高崎線 7.県道33号線(合流)


本日一回目の撮影で新歩道橋に上がった時は、太陽が富士山の上近くにあったため、眩しいのであっちこっち見ている内に、北の方向に意外な山を見つけました。

今日初めて気づきました。

日光の男体山や奥白根山、さらに、赤城山まで見えるではありませんか。

富士山とはほぼ反対の方向に見えます。

ご覧ください。

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 1.男体山  2.大真名子山  3.女峰山  4.この方向に日光奥白根山が見える


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 1.男体山  2.日光奥白根山  3.この方向に赤城山が見える


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 1.これらを赤城山の山々としましたが、私の勘違いでして、これらの山々は、日光白根山(奥白根山)に続く日光の山々です(下の写真を参考にしてください。下の写真は、2016.1.9(土)撮影)。  2.この方向に奥白根山・男体山が見える

*参考:赤城山や日光の山々がどのあたりにどのように見えるのかについては、当ブログの以下のページをご参照ください。
  「北本・高尾スポーツ広場あたりから見える日光・上州の山々  男体山や赤城山がはっきり見えます。」
  http://blogs.yahoo.co.jp/avaroikite/63476809.html


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 1.1月1日の写真で、1.赤城山の山々と誤認した山々  2.日光白根山(奥白根山) 3.この方向に男体山など  ④歩道橋の手すり  ⑤旧中山道  ⑥県道33号線



これから季節風が強くなると、北関東のこれらの山々は雪が降り続くでしょう。

つまり、雪雲が掛るわけですから、見えない日が多くなるかもしれません。
  




windows 10 のデスクトップの不調は、全く起こらなくなりました。

すでに子報告しましたように、デスクトップの不調が突然解消して、快調・快適に動作しはじめた矢先、つい先日フリーズが発生しました。

心配したのは、せっかく調子よくなったデスクトップの動作がまた元に戻ってしまうのではないかということでしたが、その心配は杞憂だったようです。

その後全く問題は発生していません。

ブログ用の写真の加工やリサイズなどでいくつもの写真を開いたり閉じたりしていますが、ほんのちょっと表示が遅くなる程度以外問題は起こりません。

撮ってきた写真を、デジカメからパソコンへコピーする時も不安なく操作できます。

次の心配は、今年7月ごろにやってくる無料アップグレード期間終了後のマイクロソフト社の対応です。

期間終了後も引き続き修正プログラムの配布などのサービスを続けてほしいなあと思います。

いろいろな事情で、このパソコンを使い続ける予定なので、出来るだけ早くメモリの増設をしたいなと思っています。



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ちょっと水槽が汚れていますが、今朝綺麗にしました。

金太郎は、以前一度紹介しました我が家の居候です。

金魚ですので、雄か雌か判別できないのですが、勝手に金太郎と呼んでいます。

水槽にお仲間がいないせいか、金太郎の定席はこの場所です。

ここから、私たち夫婦が見えるのです。

いやもとい、見ているのかなぁと思っているのです。

金太郎、ご飯を沢山貰うので、大きくなること大きくなること、横幅40cmの水槽の半分以上の体長になってしまいました。

口先からしっぽの先までだと30cmぐらいあるのかなぁと思っています。

お座りというのは、ワンちゃんに「お座り」というのとはちょっと違います。

敷いてある砂利の上にちょこんと乗って座っているような姿勢でじっとしているのをお座りのようだと思っているのです。

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