サンユッタニカーヤ(中村元訳・岩波文庫)には奇妙な断片が混じっている。
「インダカ」もその一つ。
インダカというヤッカ(神)が釈尊に質問する。
ヤッカは、生命と身体(肉体)は違うと考えているらしい。
そこで、生命と身体の出会いはどのようにして起こるのか? と釈尊に尋ねる。
中村先生の注釈にもとずいてこのやり取りを解釈すると、ヤッカの問いに対して釈尊は、当時の古代インドの医学の知識を以って答えていることなる。
すなわち、受胎・発生・成長という過程である。
わずか1ページに収まる程度のやり取りであるから、詳しいことはさっぱり分からない。
つまり、釈尊が、ヤッカの問いに正面から返答したのか、それとも、やんわりと答えをはぐらかしたのかが分からないのである。
言い換えれば、釈尊がヤッカの問いにある二元論(生命原理と肉体原理)を肯定したのか、肯定も否定もしなかったのか、否定したのか、という問題がある。
私は肯定も否定もしなかったと解釈している。
当時の古代インド人には、いかに優れた資質があろうとも、到底この問題に納得のいく答えを出す条件はなかったからだ。
私は、釈尊の修行法は、体験的な了解が基本にあると考えている。
実際に体験して納得できるということである。
身体(肉体)という体験可能なものについては言及できるし、解脱・涅槃のような物質的ではないが、体験可能なものについても言及できる。
しかし、生命(原理)のようなものとなると、釈尊の能力の限界を超えていたはずである。
(続く)