avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

2013年01月

この記事は、YAHOO!ブログのエディタに直書きしている。



前回S長老を批判する記事を書いた。

この人、そもそも、書き過ぎる。

書くのではなく、背中で示せば良いのに。

書き物はそのまま事実や真実ではない。

「背中」こそが事実であり、真実なのだ。


読み易い受け入れ易い言葉(文章)は、多くが次元が低い。

読み手に合わせて書いたからである。

一体このS長老、誰の為に、何の為に、こうも次々と本を買いては売っているのだろうか?


物書きの多くには、まず、書きたいという抑えがたい欲望があり、次に、収入や名声などがある。

宗教関係の物書きは、これにもう一つ重要な動機があって、「密かな意図」を書く文章に巧みに織り込む。

その宗教物書きの技量が高ければ高いほど、織り込まれたモノは読み手に気づかれない。

気づかれずにいつの間にか当初の目的を立派に果たしてしまう。


「洗脳(マインドコントロール)」である。


日本のマスコミ(テレビ/新聞等)がこのマインドコントロールを大々的に堂々とやっている。


俺みたいな露骨な文章は決して書かない。

読み手にすぐバレるからである。


紙背を透徹出来ない輩が、こういう密かな動機を織り込んだ文章を読んでも簡単には見抜けない。

読み手の心をくすぐる術に長けている書き手の文章は読めば読むほど心地よくなる。

麻薬効果である。

要するに知らないうちに中毒患者になり、その物書きに依存するようになるのだ。

冷静に良く考えれば惚れ込んだ文章の数々、実は、ほとんど何の役にも立たないものだらけなのだ。

そんなもの読むくらいなら、大変でも原典(パーリ仏典)を読む方がずっと役に立つ。




表題をもう一度よく見てほしい。

「一切の形成されたものは苦しみである」

この文言通りの言い方を釈尊が説法で述べたかどうかは不明。

だが、この様な内容のことを説いたことは事実だと想う。

「一切の形成されたものは無常であり、苦しみなのだ」という認識は、釈尊の教えの根幹なのである。

そのことを知識や概念として知るのではなく、骨身にしみて体感し、体得し、いわばこの三法印が血肉となっていなければならないのだ。

それは、S長老が耳に心地よくても涅槃にはほとんど役に立たない文章とは程遠いAnotherWorld(別な領域・日常)への転移を意味するのだ。

「一切の形成されたものは無常・苦」という領域に生きたままで、幸せも平和も有り得ない。

有り得ないから釈尊は解脱し、涅槃の領域にジャンプしたのだ(ジャンプしても肉体は無常・苦の領域にありつづける)。

「一切の形成されたものは無常・苦」という領域で得られるのは、「島唄」の歌詞ではないが、「ささやかな幸せ」であり、それはまた、「無常・苦」と背中合わせだから、「泡沫(うたかた)ぬ波の花」なのだ。


もう一つ重要なことを読み手は知らないままに、甘い言葉に聞き惚れている。

重要なこととは、解脱・涅槃を達成出来ない者は、いずれ、人生で積み上げた徳(善悪の行いの果)に応じて輪廻しなければならないというテーラヴァーダ(上座部)仏教の教義のことだ。

この世に生きていくということは、綺麗事だけで済まされない。

誰も善より悪を積み上げるだろう。

最悪地獄行きだって有り得るのだ。


もちろん俺はそんな教義アホらしくて聞く気にもならんが、S長老はこの教義を否定できないだろう。

俺みたいに自由にならなければな。

テーラヴァーダ仏教の宣教師という立場にしがみつき、NT協会の長老という地位にしがみついていては、輪廻を無視出来ない筈だ。

「輪廻なんてどうやって証明出来るんだ。」なぁんてほざいちゃったらテーラヴァーダ仏教教団では高い地位にはいられない。


釈尊(S長老は「仏陀=ブッダ」と表記)は決して既成のもの(思想/哲学/宗教など)を鵜呑みにしなかった。

だから、まったく新しい生き方を見つけることが出来、世に示すことが出来たのだ。

だが、そのことは同時に、釈尊の教えに盲従してはならないという教訓ともなるのだ。

パーリ経典(名目は釈尊の説法集)には、釈尊が輪廻(天・地獄・死後のあり方等)に触れている経文が結構ある。

しかし、いかな釈尊にも、錯覚でもなく思い込みでもない、本物の天や地獄、死後の有様は絶対に見聞出来なかったはずだ。

つまり、脳を含む肉体以外に、認識機能があるという確証を提示出来なければならないということだ。

釈尊は、自己の本体(実体)を決して否定しなかった。

それは釈尊がそのことを否定も肯定もどちらとも決定できなかったからだと思っている。

つまり、釈尊は、心などの精神現象を脳(肉体)の機能だなどと想像も出来なかった筈である。


輪廻を、いかなる説明法をもってするにしても、承認する為には、「脳」を中心とした肉体の機能・原理で説明出来なければ、脳以外の機能・原理(魂等)を承認しなければならなくなる。

言い換えれば、釈尊の教えが完全無欠ではないということだ。

どだいそんなもの人間には縁の無いものだと、実は、釈尊が証明しているのだと俺は考えている。



無常・苦のこの世に生きるなら、あまり欲をかかないことだ。
無常・苦は常にあなたの傍にピッタリ張り付いて離れてくれないのだから。
これは無常そのもの、つまり、あなたの思い通りにならないことなのだ。


どうしてもS長老が好きでどうしようもないというのなら、「ボク、長老の本、命なの」ってのを止めて、読んで気に入った文章があったら、あらゆる方法でその文章を検証すべきだろう。

ま、恋は盲目だから言うだけ野暮かもしれないが。

近所のスーパーへ行く途中の道端、あるお宅おブロック塀に安置された仏さま(?)。



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いわゆる野の仏の一つだろう。

仏像や石仏の知識が無いので、この石像のお名前は不明。

江戸時代頃のこのあたりの村人が安置した、慰霊のためかあるいは村人や旅人の安穏を祈念した石像であろう。

古人の思いに敬意をはらって合掌して通る。


お寺は大方が江戸時代の檀家制度の名残りで檀家(一応信徒)に支えられているので存続出きるが、神社はそういう制度無かったためかどんどん神域を切り取られて丸裸にされ荒れている。


だから、こんな風に民家の塀に石仏を安置するなんていうハカライ(石仏さんご免なさい)はとても良いと想う。

慈悲の心というのはこういうものなのかなぁなぁんて思った。



一事が万事である。

最近愛用しているティーポット?(正しい名前が分からない)


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ティーポットのすぐ後ろにあるのはトースター。

恐らく40年以上前の製品。

今でも立派に役立っている。

ティーポットの左にあるのは一枚42円の絵皿。

レタスがあるのはホームセンターの100~200円の白磁とHARDOFFで買った105円の白磁。

その左に半分写っているのは、HARDOFFで買った42円のティーカップ。

食卓・椅子セットは、数万円だして新品で買ったもの。

電子レンジ・冷蔵庫も新品で買った。

今となってはこの冷蔵庫が電気料金を釣り上げてしまう問題児(と言っては身勝手過ぎるか)。

テーブルクロス・背後の食器棚などは妻の領分。

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ストックとアストロメリア(百合水仙)ともう一つ?。

アストロメリアの名前が出てこず検索で調べた。

「可愛こチャンねぇ」とか言いながらニコニコして見ている。

「ペットを飼うか?」と水を向けても、「要らない」。

花瓶の丈と花と丈の釣り合いが微妙だが、いつもこの比で生けるから、これが彼女の黄金比なのだろう。



生けられる生花はなされるがまま。

けっして「嫌だ」とか「ふざけるな」なんて言わない。

スーパーの生花売り場のポットはこの花瓶よりも小さい。

水も少ないし、陽の光も射さない。

まるで釈尊の教えを忠実に実践している修行僧のようだ。

ダンマパダの生きたお手本を見たければ、スーパーの生花売り場に行ってみれば良い。

人間には、豊かな機能が備わったが為に楽しみや苦しみあるいは修行等というある意味厄介モノが付随している。

植物だって結構激しい生存競争をやっているが、人間ほど強欲だったり未練だったりということはない。


我が家の庭にはアホなご主人が植えた大きなメタセコイヤとか柘榴とか金木犀などの枝が太陽の光を独占しているがために、下生えとなった花木は苦労させられている。

特に、豊富な日光を必要とする「ひまわり」にとっては致命的なほど日光不足らしく、すくすくと成長できないでモヤシのような哀れな姿のまま秋になってしまう。

それでも「ひまわり」は、ご主人に恨み言を言わない。

モヤシのまま、花を咲かせずに枯れてしまう。

アホなご主人もやっと昨年気づいたらしい。

ある週刊誌の予測だから、2050年がその通りになるとは限らない。

予測には、思惑が大いに加味されているだろう。

まず、写真を見ていただこう。

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「ヒヨドリ」の休憩所もしくは寝ぐらである。
野鳥も賢いね。
家の裏手、周りは畑。

下の写真の手前は、多分、ブロッコリーの収穫後。
これが野沢菜なのかどうなのか、650円の双眼鏡で観察していたら、「ヒヨ」がブロッコリーの株の間から次々4羽も出てきたのだ。

雀にあげようとしてはじめた放生会(ほうしょうえ=輪廻した畜生への供養)に後から割り込んできて縄張り根性むき出しにしていたあの「ヒヨ」である。

「ヒヨドリ」という同定は覚束ない。

ムクドリ(尻羽=おっぽが短く、くちばしが黄色)ではない、オナガ(尻羽は長いが、全体が綺麗な青色)でもない、鳩ではない、それに、逃げるとき「ヒーヨ」と鳴く。
だから、「ヒヨドリ」だろうという程度の名付け。

当初は、図体が大きい分有利だったらしく、雀を追い払って独り占めしていたが、この数日は一緒にご飯やバンをつついている。

雀もなかなか強(したた)からしい。

今日は午前11時ごろに家を出て、うぅーキングがてら郵便局まで行ってきた。
往復40分弱。

ゆきにブロッコリー畑に出現した「ヒヨ」を見つけ、帰りに休憩所に集合する「ヒヨ」を見つけ写真に撮った。

650円の双眼鏡を出して、子細に「ヒヨ」を観察し、鳥種の同定をしようとして観察しているうちに、昨日診察を受けにいった通院先で読んだ記事を思い出した。


2050年、中国やインドがGDP世界上位を占めるなら、一体地球の資源はどうなっているのだろうか、と心配になった。

人口が一桁多い国々だ。

中国やインドだけでなく、後続が続々GDP競争に参入しているだろう。

今でもすでに資源は不足している。

だから、中国は北極海や尖閣に「唾」つけをやっている。

食料も原材料もエネルギー資源もみんな枯渇してくるだろう。


そうなったら、ダンマパダもへったくりもあったもんではない。

すさまじい生存競争が人間同士の間でも起こるだろう。

「ヒヨ」も「雀」も食料資源となるだろう。

それまでに、月基地は完成し、火星植民地も完成しているだろうか?

今の技術じゃぁ、60億人の移住は不可能だ。

なにしろ、日本じゃぁ、少なくなるパイを巡って生存権にまで手を着け始めた始末だから。

移住は、福島原発事故の二の舞だろう。
パニックを考慮して密かに権力者たちと金持ちたちだけがロケットを独占し、気づいたら一般ピープルは置き去りってなことになるのが落ち。

こりゃぁ、もうちっと先の話かな。


どっちにしろ俺はとっくに死んでいる。

だが、孫たちは生きているはずだ。
あぁ、心配だなぁ。


毎日働いている方、アホらしい記事なのでそのつもりで。

写真(撮影日時時間つき)

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昨日の雀の影絵のビデオで疑問だった、影絵か実景かの疑問の答え。

写真の時間を見てもらえば分かるように、時間の推移ととも、カーテンに見えている柘榴の枝が次第に下の方に移動している。

したがって、柘榴の枝や雀は、影絵だった。
一番下の2013.1.30.10(10時頃)の写真には、影が、カーテンにも床にも投影されているのが分かる。

一方、9時29分の写真には、実景が写っている。
カーテン越しの青空や前の家の一部。
カーテンを開けている右の天窓からはガラスの向こうに青空が見える。


この疑問、つまらないようで考えようによっては、意外と深いものがある。

我々人間の知識の元となる情報は、かなりの部分を目(視覚)に依存しているという事実だ。


例えば、「真っ昼間の太陽の光」は何色か、と問われて即答出来るだろうか?

答えは、「白色光」、つまり、「白色」なのだ。

私は実際に見てみたのだから間違いない(お前の見方が本当に正しいのかという疑義はご尤も、だが、白色は正しいそうだ)。
見た後、しばらく、何を見ても「紫色がかって」見えて困ったし、網膜にダメージが無いか心配だった。

一方、太陽を直視しない限り、真っ昼間の空の色は雲が無ければ「青」。
波長の短い「青色」の電磁波が、大気中の諸種の物質と相互作用して散乱し、そのまま薄い大気層の下まで届くからだ。
空や空間が明るいのは、太陽光(可視光)があらゆるものと相互作用しあって、散乱反射して、あらゆるものの反射光をあらゆる方向に放射しているかららしい。

夕焼け空は「茜色」。
この時の太陽を直視しても、赤い色(オレンジ色)にしか見えない。
これは、真っ昼間の空が青い理由と同じだそうだ。
真っ昼間の太陽光(可視光)は、直視した部分だけは、散乱せずに紫から赤までの全可視光(電磁波)がそのまま地上まで射してきている。
ところが、夕方の厚い大気層を通過する太陽光(可視光)の大半は散乱してしまい、一番長い波長の「赤」が大量に観察者に見えるので夕日は赤く見えるらしい。

光速で、約8分の距離にある巨大な太陽。
直径は、地球の109倍の、1,392,400(百三十九万二千四百)kmというとてつもなく巨大さ。
地球に達する光(可視光)は、太陽の中心部で十数万年前に生じたエネルギーが光になり太陽表面から放射されているそうだ。

昨日のビデオや今日の写真の影絵を演出していたのは、こういう太陽光だったのだ。

また、こういう知識が得られなければ、今でも太陽は「お日様」という神のままだったのだろう。

雀が朝飯(?)を欲しがって行ったり来たりしている。

影絵をご覧あれ。



http://www.youtube.com/watch?v=JGpow0ibYHw&feature=youtu.be
 正確に言えば、このビデオの映像は「絵」なのか、それともコンパクトデジカメの高性能レンズがレースのカーテンを透過する光を捉えている映像なのか判然としない。
 撮影しながら見ていたのは影絵だったと思うが、このビデオの映像は透過光の映像ではないかと思う。


雀に朝ご飯をやり始めて10日前後。

気になっていることがあった。

野性の生き物は野性のままにという原則である。

もう一つが、糞害や鳥が運ぶウィルスや細菌による感染症の危険性である。

専門家によれば(下記参照)野鳥同士の感染症も注意する必要があるそうだ。

専門家の意見があったので下記にURLを引用。

「野生動物について考えてみましょう!」

 http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/zoo/juui/sc02_vet26.html


中には、餌付けをやったためにこんな目に会った人もいるようだ。

『すずめに餌あげちゃだめですよ』
http://occult2ch.blog.shinobi.jp/Entry/1516/



「慈悲」と「無慈悲」と「無関心」と「無知」。

どれも文字通り網の目のように様々な絡み合いがあるので単純な問題ではない。


餌やりは、冬場限定とし、暖かくなり餌が増え始めたら(どうやって判断するかこれから調べる)徐々に減らしていって雀の自立(今でも自立しているはずだが)を期待しようと思っている。


隣人や雀・ヒヨドリ(?)の立場で考えよう。


俺は雀を愛玩しなくてもそれほど困らない。



今日もちゃんと歩いた。

三日坊主どころか、一日坊主もやりかねないズボラなので、心で誰かが尻を叩きまくったようだ。

本日は結構歩きました。

まず、雑貨・衣料品も売っているスーパーに行き、それから、肉・魚を買うスーパーへ。

三角形を描くように歩いたことになる。


ここは関東平野のやや北寄りの田舎町。

私の家は街外れにあるが、隣の田舎町の家並に引き続くので、街外れという実感は無い。


この写真は昨日撮ったもの。

「ロウバイ」。

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あまり縮小しずぎたので、もう一枚追加。

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近寄って見ると清楚で華やかな花なんだが、チラホラと遠慮がちに花を着けるのであまり目立たない。

硬質な感じのする花びらとは裏腹に香りは結構強い。

ジンチョウゲの香りを薄めたような感じの匂いである。

このあたりでは、このお宅のロウバイが一番立派。

もう咲いたかなって心待ちにしている花だ。



次の写真をご覧あれ。

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つい先日の関東風ドカ雪の融け残りである。

何を言いたいかお分かりだろうか?

そう、この融けかかった雪に自分を見ている。


だから、ロウバイを待ち焦がれる。

このお宅の主は花好きで育てるのも上手なので四季楽しませてもらっている。

あヽ、今年も見ることが出来たなぁ、とややキツメの香りを一生懸命嗅ぐ。



次の写真。

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庭に降りるサンダル置きのブロックの周りの野草。

日溜まりになるからだろうか、もう春の準備をしている。

はこべ・おおいぬのふぐり・のみのふすま(右上の小さな白い花2~3房)。


みんな一生懸命生きてる。

なぁんてね。
あ~ぁ、ホント凡俗。

身体がどんどん老化していく。

何をしても、しなくても老化は進む。

疲れるから動くのが億劫になり、動かないから老化に拍車がかかる。


そこで、一大決心をしてウォーキングを始めた。


晴れた日でも、空っ風が強いとすごく寒い。

完全防寒で着膨れして軽やかに田舎町を歩く。


取り残された小さな畑(菜園)の隅に柚の樹がある。

桃・栗三年、柿八年、柚のばかやろ十三年...だったかな、亡くなった叔父に教わった。

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最近始めたことがもう一つある。

早寝、早起き。
*今日はこの記事をアップしたくて夜更かしになりそうな気配。

今日も目覚めたのは結構早い、そう、6時頃にはawakeだ。

だが、夜更かし朝寝坊の習慣はなかなか抜けない。

おまけに寒い。

結局起きて着替えて朝飯を作り終わったのは9時過ぎ。

かぁちゃん(妻のこと)がゆっくり飯を食っている間に、雀たちにも朝飯をやる。

雀が10羽前後、ヒヨドリ(?)が1~2羽、困ったのがカラスがやって来たこと。

生ごみ漁りにつなげたくないのでカラスにはご退場願いたい。

それから洗濯。

今日は2回やったので、干し終わると11時近い。


さてウォーキングに行くぞと思ってカーテン越しに空を見ると、つるつるの青天井。

シメタ、今日は富士山を拝めるぞ。

近所のスーパー屋上駐車場に向かった次第。

1500円で買ったコンパクトカメラのビデオをご覧あれ。



http://www.youtube.com/watch?v=BIzK5oIbZRY&feature=youtu.be

ツルツルの青天井ということは季節風の吹き出しということになり、冷たい風が強いこと寒いこと。

それでも、650円で買った双眼鏡(13倍~50倍)の13倍で富士山を堪能する。
50倍にすると視野が極端に狭くなり、ゴミのようなものが視界を遮るので、大体13~20倍位で見ている。

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これはデジカメの写真。

もしかしたら、光学ズームからデジタルズームに移っていたのかもしれない。

かなり倍率が高い。


道々考える。

なぜ坊さんなのに、本を売るのか?

無料HPも無料ブログもあるのに、どうして利用しないのか?

インターネットをやらない人のためなら、お布施を貯めて自費出版して、無料配布すれば良いじゃぁないか!!

辻説法もどんどんやれば良い。

まぁいいか、どうせブツブツ言ったところで通じる相手でもなさそうだしな。


はい、お休みなさい。

今夜はここまで。

私も寝ます。

もう歯磨きは済んでます。

瞑想はさぼり。

この涅槃を目指して生きる(努力する)生き方を道に喩えて、涅槃に至る「道」を歩むと表現したようだ。

釈尊のこの様な生き方の根拠は、277~279の偈頌で示されている「事実」である。

普通この三つの「事実」は、漢訳で読んでいるはずである。

「諸行無常」「一切皆苦」「諸法無我」である。

この漢訳だけで、通常三法印と総称される三つの「事実」を理解していると、恐らく、原意を正しく理解できていないだろう。

『~と明らかな知慧をもって観ミるときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。』『~と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。 』

と表現されている通り、この三つの「事実」を正しく知って理解出来れば、「苦しみを無くして」「涅槃に至る」ことが出来ると、釈尊が繰り返し説いている。

「清める」というのは、比喩的な表現で、心の汚れ(三毒由来の)が無くなることを指している。

273、284の偈頌に示されている通り、心の汚れの内で、「最もシツコクて清めずらい」のが、情欲だとされている(もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている)。

さて、釈尊の悟りが一体何だったのかという疑問が未だに提起されるように、悟り・涅槃・解脱は分かりにくい。

だが(と、如何にも見てきた=体験したような大口を叩くと)、諸行・一切・諸法の解釈・理解如何によっては、かなり分かりやすいものなのだと愚考している。

昔の人たちは、洋の東西を問わず、天を一枚の板状のものと想像した時期があったそうだ(古代ギリシアの星座・中国の杞憂など)。
板のさらに上(奥)には大火が燃え盛っていて、その光が板の穴を通して見えるのが「星」だと思ったようだ。

この様な認識をしていた頃は、人間の認識能力そのものについては一切問題にせず、見えた通りのことがらが「事実」だと確信していたのである。

現代においては、人間の認識そのものも検証の対象になっている。

引用させていただいた両先生の和訳を見れば、諸行と一切が原文では、

『一切の形成されたもの)』
『諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)』

となっている。

形成される・形成作用は、原語ではサンカーラとなっているようだ。

これは人間の認識機能あるいは認識機構(仕組み)のことである。

私は、諸法も諸行・一切と同じ表現だというふうに読んでいる。

人間が認識している世界(感覚の対象となっているもの)の本当の姿・有様を、人間がありのままに正しく(そういう言い方が適当かどうかは棚上げにして)認識することは出来ない、というのが現代の大方の見方だと思う。

それは、人間の認識の基盤となっている感覚器官と脳が、動物や人間特有の特殊なものかもしれないからだ。

人間が見ている世界や宇宙は、人間の認識機能という制約のもとに脳の中で再構成されたものなのである。

現代的な認識についての知識と、釈尊当時のそれとは大分異なっていると考えた方が良いだろう。

だが、釈尊は、私の憶測では、現代の認識の仕組みと似たような考え方をしていた可能性が高いと思っている。

もしも、釈尊が、「苦しみ」と「認識(形成作用と同義語として考える)」を結びつけて考えなければ、仏教は成立せず発展もしなかったはずである。

また、そう考えなければ、釈尊の教え通りの「悟り」「涅槃」「解脱」は不可能だと思う。

例えば、「自己」という「実体」が実在していて永遠に六道を輪廻(生まれ変わりの繰り返し)しているのだとすると(実体=「恒常不変」、輪廻=「生まれ変わる」という矛盾は棚上げ)、釈尊が説く悟り・涅槃・解脱は不可能となる。

だが、人間が「知っている」ことは全て、人間的な制約=認識機能に依存しているのだから、「本当ではない(真実ではない・間違い・幻)」かもしれないのだ。

つまり、輪廻転生も自己が「生まれ」「病にかかり」「年老いて」「死ぬ」ということも、アートマンもブラフマンも全て形成作用のなせる技で、それら輪廻転生などの認識(知識)は本当のことではない(真実ではない・間違い・幻)なのだという考え方が可能となる。

釈尊は、これに似たアイディアを実践に移して、体験的に確認したのだと思っている。

人は、外見も能力も家柄も申し分なく生まれてきても、その天与の恩恵を永遠に維持できない。
傷つくこともある、年もとる、財産をなくす危険もあるなどなど。
そして、必ず死ぬ。

私は、形成作用(人間の認識機能)あるいは形成されたもの(認識結果=知識など)を「事実」と表現した。

形成作用で人間の脳(古代では心)に形成されたものは、一般の人にとっては事実そのものだからだ。
あなたは、自分の身体が幻だとは思わないだろう。

ところが、釈尊は実践を重ねて遂に、形成されたもの(サンカーラ)は、一般の人にとっては「真実」「事実」かもしれないが、釈尊の修行の結果体得した「智慧(明智)」で見れば、「真実」でも「事実」でもない、ということを確認したのである。

だが、さすがの釈尊も、実際に修行を行って「智慧(明智)」を体得して涅槃に至る「自己」が、一体何なのかは分からなかった。

もしも、脳を含めた身体(肉体)以外に、「自己」となる候補があるならば(例えば魂・アートマンなど)、それが真の「自己」だと言えるかもしれないが、天才釈尊もそれを確認することはできなかったはずである。

また、釈尊は、修行で体得した「智慧(明智)」によって、涅槃を体得できたし、「苦しみ」を全てなくすことが出来た(と確信した)ので、それで十分だったのだと思う。

理屈としては理解できるのだが、「生まれた」「病気になった」「年取った」「もうじき死ぬ」というような「「苦しみ」を全く無くすことが出来るというのは信じがたいことだ。

事実、私は今毎日、自分の老化の恐ろしさ・辛さ・嫌悪感を体験的に感じとっているし、「死ぬ」ことの恐怖を実感している。
逃れられないこととして実感できるので、恐ろしいのだ。

では、形成作用あるいは形成されたものが、人間特有の認識機能によってもたらされるものであり、真実でも事実でもないということを承認するとして、形成されたものは全て苦しみである、という命題をそのまま承認できるだろうか?


釈尊の教えは、実際には、そのまま継承されなかったと思われる。

もしも、釈尊の教えがそのまま弟子達・孫弟子達に受け継がれて入れば、サンガ(釈尊の修行団体=いわゆる教団)が分裂するはずがなかったと思うのだ。

もし、分裂せず、20以上の部派に分裂しなければ(部派仏教に変容しなければ)、大乗仏教も興らなかったかもしれないのだ。

部派仏教や大乗仏教を見ると、どうも、この点すなわち、形成作用で生じた形成されたもの(要するに人間の認識全て)は「苦しみ」であるという釈尊の命題を鵜呑みに出来なかったのだと思うのだ。



実は、この点が未だに私にとっても踏ん切りがつかない点なのだ。


職業坊さんは、構わずに「三法印」は真理だ、と宣うが、どうも信用できない。

本当に職業坊さんは、釈尊のAnotherUniverse(あるいは、AnotherWorld)を目指しているのだろうか?

眉唾だと思っている。

証拠は挙がっている。

口先だけで覚悟なんて見られないからだ。

反論したかったら、365日24時間いつも自分の生き様を公開したまえ。

これは、釈尊のサンガの決まりだったんだよ。

つまり、釈尊は実際そうしていたってこと。

誰でも何時でも目撃出来るようにしておきたまえ。


職業坊さんの代表格、NT協会のS長老が能天気なことを言っていますね。
「ブッダの教え一日一話: 今を生きる366の智慧」
文明を「めた糞」に貶しているが、その文明のお陰で貴僧が生き延びていられるのをご存知ないようだね。
あなたまさかこの寒空の下、どこかの山中の洞穴で奮えながら生きてないよね。
ちゃんと暖房してんでしょう。電灯も点けてんでしょう。みんな文明の賜物ですのよ。
「事実を認めてみんな死ぬという前提で生きれば日々美しく平和に暮らそうということになります。」
政治家の皆さんも、KK国のkさんも、兎ちゃん国のOさんもJ国のAさんも皆さんそうおっしゃっていますよ。
皆死ぬという前提なので、なりふり構わず金儲けに血道をあげるのです。
もっと、現実社会を見てください。
そして、う~んと勉強してから提案してね。政治経済社会産業その他諸々ですよ。仏典は古典だってこと忘れないでね。
クソの足しにもならん戯言止めてね。




またやってしまった、口舌の斧をふるう悪業。


 
   
*「ダンマパダ」の経文は、中村元訳「ブッダの真理の言葉」(岩波文庫)、正田大観訳「ダンマパダ」(下記URL)より引用させていただきました。
小部経典 翻訳 (原典と正田大観師による日本語訳)
http://tipitaka.cocolog-nifty.com/blog/




この第二十章を含めた、七章・十四章・二十六章の四つの章は、ダンマパダに引用されたその他の章の偈頌を要約したものだと考えられる。

恐らく、このダンマパダを編集した学僧の意図もそうだったであろう。

そういう意味で重要な章だと思うので全文引用させていただきました。

上記の四つの章以外の章の偈頌は、釈尊の教えのある側面を比喩を用いたりして分かりやすく説明したり、強調したりしている。

第二十章には、釈尊の教えの中核となる考え方(全体像)が示されている。

釈尊の生き方がどういうものだったのかがよく分かる。


***** 引用開始 *****

第二十章 道 (中村先生訳)

 
Dhp273  もろもろの道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは<四つの句>(=四諦タイ)がもっともすぐれている。もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。人々のうちでは<眼マナコある人>(=ブッダ)が最もすぐれている。
Dhp274  これこそ道である。(真理を)見るはたらきを清めるためには、この他に道は無い。汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。
Dhp275  汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。(棘トゲが肉に刺さったので)矢を抜いて癒イヤす方法を知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。
Dhp276  汝らは(みずから)つとめよ。もろもろの如来(=修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。
Dhp277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観ミるときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
Dhp278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
Dhp279 「一切の事物は我ワレならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
Dhp280 起きるべき時に起きないで、若くて力があるのに怠りなまけていて、意志も思考も薄弱で、怠惰でものうい人は、明らかな知慧によって道を見出すことがない。
Dhp281  ことばを慎ツツしみ、心を落ち着けて慎しみ、身に悪を為してはならない。これらの三つの行ないの路を浄くたもつならば、仙人(=仏)の説きたもうた道を克カち得るであろう。
Dhp282  実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。生じることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。
Dhp283  一つの樹をを伐キるのではなくて、(煩悩の)林を伐れ。危険は林から生じる。(煩悩の)林とその下生シタバえとを切って、林(=煩悩)から脱れた者となれ。修行僧らよ。
Dhp284  たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。──乳を吸う子牛が母牛を恋い慕うように。
Dhp285  自己の愛執を断ち切れ、──池の水の上に出て来た秋の蓮を手で断ち切るように。静かなやすらぎに至る道を養え。めでたく行きし人(=仏)は安らぎを説きたもうた。
Dhp286 「わたしは雨期にはここに住もう。冬と夏とにはここに住もう」と愚者はこのようにくよくよと慮オモンバカって、死が迫って来るのに気がつかない。
Dhp287 子どもや家畜のことに気を奪われて心がそれに執著している人を、死はさらって行く。──眠っている村を大洪水が押し流すように。
Dhp288 子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死に捉えられた者を、親族も救い得る能力がない。
Dhp289 心ある人はこの道理を知って、戒律をまもり、すみやかにニルヴァーナに至る道を清くせよ。 



20 道の章 (正田師訳)

273. 諸々の道のなかでは、八つの支分ある〔聖なる道〕(八正道)が最勝である。諸々の真理のなかでは、四つの〔聖なる〕境処(四聖諦)が〔最勝である〕。諸々の法(教え)のなかでは、離貪〔の法〕が最勝である。しかして、二足の者(人間)たちのなかでは、眼(まなこ)ある者が〔最勝である〕。
274. これこそは、道である。見の清浄のための、他〔の道〕は存在しない。まさに、この〔道〕を、あなたたちは実践しなさい――悪魔〔の結縛〕を解き放つ、この〔道〕を。
275. まさに、この〔道〕を実践するあなたたちは、苦しみの終極を為すであろう。矢を抜き取ることを了知して、道は告げ知らされたのだ――わたしによって、あなたたちに。
276. まさに、あなたたちは、為すべきことを熱く〔為せ〕。如来たちは、〔道を〕告げ知らす者たちである。〔この道を〕実践する瞑想者たちは、悪魔の結縛から解脱するであろう。
277. 「諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)は、全てが常住ならざるものである(諸行無常)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。
278. 「諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)は、全てが苦しみである(一切皆苦)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。
279. 「諸々の法(事象)は、全てが自己ならざるものである(諸法無我)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。
280. 奮起する時に奮起せずにいる者、若く力があるのに怠け癖を具した者、思惟と意〔の働き〕が沈滞した怠惰なる者――怠け者は、知慧によって道を知ることがない。
281. 言葉(口)を守り、意(意)によって善く統御された者が、しかして、身体(身)によって善ならざることを為さないなら、これらの三つの行為の道を清め、聖賢によって知らされた道に達するであろう。
282. まさに、〔心の〕制止(瑜伽)あるがゆえに、英知は生まれる。〔心の〕制止なきがゆえに、英知の消滅がある。実体(有:存在)への〔道を〕、さらには、虚無(非有:無)への〔道を〕――この二種の道を〔あるがままに〕知って、英知が増え行くように、そのように、自己を、確たるものとするがよい。
283. 〔一本の〕木ではなく、林〔そのもの〕を断て。〔欲の〕林からは、恐怖が生まれる。比丘たちよ、林と〔その〕林叢(したばえ)とを、〔両者ともに〕断って、〔欲の〕林なき者たちと成れ。
284. まさに、女たちにたいする男の〔欲の〕林叢が、微塵ばかりでさえも、断たれずに〔残って〕いるかぎり、それだけで、彼は、まさしく、意が縛られた者となる――乳を飲む子牛が、母〔牛〕にたいするように。
285. 自己への愛執〔の思い〕を断て――秋の蓮を、手で〔断ち切る〕ように。善き至達者(ブッダ)によって説示された涅槃〔の境処〕を、寂静の道こそを、育てよ。  20.10 マハーダナ商人の事例
286. 「雨期のあいだ、〔わたしは〕ここで過ごすであろう。冬と夏には、ここで〔過ごすであろう〕」〔と〕、かくのごとく、愚者は熟慮するが、〔すぐ目の前の〕障り(危険)を覚らない。
287. 彼を、子供や家畜に夢中になり〔それらに〕執着の意ある人を、死魔は取って行く――眠りについた村を、大激流が〔流し去ってしまう〕ように。  20.12 パターチャーラーの事例
288. 子供たちは、〔わが身の〕救いのために存在するのではない。父親は、〔わが身の救いのために存在するのでは〕ない。眷属たちもまた、〔わが身の救いのために存在するのでは〕ない。死神に囚われた者の救い手は、親族たちのなかには存在しない。
289. この義(道理)たる所以(ゆえん)を知って、戒において〔自己が〕統御された賢者は、涅槃に至る道を、ごくすみやかに清めるであろう。

*****   



釈尊の生き方とは、「苦しみ無くす」ことだけに専念し、「苦しみを無くして」涅槃(ニルバーナ=安らぎ・平安の境地)を体得し安らぎ・平安の内に生きることであった。 ・・・→ 〈その2〉に続く


*「ダンマパダ」の経文は、中村元訳「ブッダの真理の言葉」(岩波文庫)、正田大観訳「ダンマパダ」(下記URL)より引用させていただきました。
小部経典 翻訳 (原典と正田大観師による日本語訳)
http://tipitaka.cocolog-nifty.com/blog/


*** Linux利用法 ***
今この記事を、ubuntustudioのエディターの一つであるKWriteで作成している。

geditの使用を止めたのは、DVDに保存してあったパーリ経典のテキストを読み出せないからである。

新しいエディター(今回はKWrite)のインストールは簡単で、Windowsの場合とほとんど変わらない。

Linuxのインストール方法には、何種類か(GUI・CUI・TUI)のやり方があるようだが、私はもっとも簡単なGUI(グラフィカルユーザインターフェ^ス)という、Windowsとほぼ同じやり方(画面の表示をマウスで選択するだけでインストール可能)でやっている。

難しい知識が必要で一字入力を間違えるとインストールできないインストール方法(CUIやTUI)とは異なり、グラフィカルユーザーインタフェース(GUI)によるインストールは大変わかりやすい。
***



さて、前回の末尾で私はアホな結論を述べ立てた。

「ということで、涅槃体得者=仏は、現世限定の現象であるということになる。」

これは、釈尊や竜樹から見れば、本当にアホな「戯論(あるいは、まったくの虚言)」だということになろう。

実質的に、「苦しみ」を解消する役に立たないからだ。

もしも、私が釈尊あるいは竜樹の時代に上記のように主張したのなら、私の結論は「戯論(あるいは、まったくの虚言)」で片付けられて当たり前だろう。

人間についての知識・理解が全くと言って良いほど違うからだ。

だが、今は時代が違う。

よく仏教者は、仏法は永遠の真理だとのたまう。

ほんの1世紀前までは、洋の東西を問わず、「永遠の真理」という言葉が幅を効かせていたようだが、人間についての知識が増え、命題の真偽の判定の仕方が向上するにつれ、この言葉の権威は低下していった。

おそらく「永遠の真理」などというものは見つからないだろう。

人間が知るのは、すべて人間が作り出したものだけだからだ。

仮に過去を忠実に記録したフィルムがあったとして、それを早回ししてみれば、数え切れないほどの「永遠の真理」が作られては消え、作られては消えるのを見ることができるだろう。

釈尊の教えとて、永遠不滅であるという保証は無い。

釈尊が人間について一切余すところなく知っていた訳ではないからだ。

釈尊が自ら「一切を知る者」と述べた時の、「一切」とは、「苦しみ」についての一切だったと解釈した方が勘違いを防げる。

正直、ネット上の仏教ブログのほとんどの記事は、「戯論(あるいは、まったくの虚言)」の類だと思っている。

そのことをダンマパダ第十九章の271,272の偈頌が述べている。


*****

271・272   わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。(中村先生訳)



271〔形だけの〕戒や掟のみで、あるいは、また、〔伝え聞きの〕多くの真理によって、あるいは、しかして、〔心の〕統一(定:三昧の境地)を得ることによって、あるいは、遠離した臥所によっても、〔確信の思いは得られ〕ない。
272「凡夫の慣れ親しむところにあらざる、離欲の安楽を、〔わたしは〕体得するのだ」〔と思っていても〕、比丘よ、煩悩の滅尽を得ずにいる者は、〔真の〕確信を体験した〔ことにはならない〕。(正田師訳)

*****


引用してから、「まずい。この 偈頌は難解だ」と気づいたが、ここは意地を張って論を進める。

中村先生の訳は、ある意味読みやすい。

すぐ前の偈頌までが並べ立てていた、要するに肝心要を何とかしないと、形は出来ても中身が伴わないから要注意と諭している第十九章の意図に沿ったものだと読めるからだ。

ところが正田師の訳では、いわゆる、肝心だと思われる釈尊の修行法と思われるものを十分に実践したとしても、まだまだ、十分ではないと読めるからだ。

「比丘よ、煩悩の滅尽を得ずにいる者は、〔真の〕確信を体験した〔ことにはならない〕」

この文言からすぐに連想するのが、「完璧」という言葉だ。

この文言を見ていて、なにやら、「倶舎論」に代表される部派仏教の徹底した分析哲学・一体誰がこんな修行法を完成できるのだと嘆息する他無い小難しい論理(的?な説明)を思い出した。

釈尊以外の人間には「仏」になれる能力はない、「阿羅漢」が関の山という論理だ。

門外漢の私には、これ以上とやかく述べる能力はないので、この偈頌は、第十九章の〆の言葉だということで誤魔化しておく。

「涅槃・悟り・解脱」というものは、

「修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。」

と警告される通りで、第十九章の偈頌が戒めているように、実践修行という体験を経て、心に三毒由来の妄執が生じなくなるまでは修行を怠らずに続ける必要があるのだろう。

無明を制する明智は、実践を通してのみ体得可能なのだと理解すべきかなと思っている。




しかし、考えてみれば、釈尊の修行法というのは、相当難しいものだと思われる。

それほど難しくなく、得られる涅槃の境地が納得できるものならば、ずっと釈尊当時の修行法が伝承され今でも行われているはずだからだ。

その難しい修行方を分かりやすくするつもりで始めたであろう部派仏教の分析哲学(論)は、ことを余計にややこしくしてしまったようだ。

そこで、紀元前後に大乗仏教が起こる。

とんでもなく複雑な理論(仏教理論・修行理論)を理解し、実践しなければ阿羅漢にすら達することが出来ないなんていうアホな話があるかいな、と憤慨する集団があったのだ。



私は、21世紀以降の人間が釈尊のような安らぎ・平安を感じつつ現代的な科学の時代を生きていくためには、パーリ経典や初期大乗仏教経典及び竜樹の研究を元にした生き方を確立出きると良いのではないかと思うようになってきた。

釈尊が実践した生き方は、21世紀においてはあまりにも現実離れしすぎていると思う。

もちろん、何度も表明しているように、人間どう生きようと、現在にしか生きられないのだし、どんな生き方をしたところで単なる自己満足なのだから、釈尊と全く同じ生き方をするのも結構だと思う。

また、既存の仏教各派(テーラヴァーダ仏教・大乗仏教の)の教義・在り方には私はついてゆけない。

各派とも釈尊が捨てた生き方をしているとしか思えないからだ。

カビの生えた古くさい生き方である。

伝統とか慣習とか義理人情に縛られたおよそ釈尊の教えとは程遠い生き方だと感じる。

そのまま1000年、2000年前に立ち戻っても十分に違和感のない生き方ではないだろうか?


釈尊の教えをほとんど理解できていないと感じている。

竹薮の中に建てた寝殿での明け暮れにのほほんとしているようなものだ。


がいこつの唄 岡林信康

以下のavaroのつぶやきは、岡林さんの意図とは無関係です。

この歌は、プロテストソングという分類のようですが、立派な世界観です。
国家や権力(宗教も含めた)が一般人に強制したり・洗脳したりするコトがすべて骸骨の揶揄どうりであるわけです。
釈尊の教えの現代版と言っても良いでしょう。
靖国問題の世論調査が行われたそうですが、たわけた報道機関だと言えましょう。
時流に乗って権力に媚びるなどもっての外。
象徴天皇・靖国などは、一つの考え方であり、政治的な一種のイデオロギーに過ぎません。
仏教者は、釈尊の慈悲の真意を知る必要があります。


                  http://www.youtube.com/watch?v=-ffrIDEGqTY

*「ダンマパダ」の経文は、中村元訳「ブッダの真理の言葉」(岩波文庫)、正田大観訳「ダンマパダ」(下記URL)より引用させていただきました。
小部経典 翻訳 (原典と正田大観師による日本語訳)
http://tipitaka.cocolog-nifty.com/blog/



ダンマパダの読みは完全に停滞している。

言い訳がましくなるが、AnotherUniverseの記事作成と並行してダンマパダの記事を書こうとすると、なんとない違和感を感じてしまう。

ダンマパダの世界も、AnotherUniverseとは別な意味での異空間であると感じてしまうのだ。

第十八章(垢の章)は、冒頭のこの偈頌で始まる。


*****

235 汝はいまや枯葉のようなものである。閻魔王の従卒もまた汝に近づいた。汝はいま死出の門路に立っている。しかし汝には旅の資糧カテさえも存在しない。(中村先生訳)



235 今や、〔あなたは〕枯葉のようなものとして存している。しかして、夜魔(閻魔)の使者たちもまた、あなたを待っている。しかして、〔あなたは〕旅路の門に立っている。しかして、あなたには、〔旅の〕路銀さえも見い出されない。(正田師訳)

*****


パーリ経典に一歩踏み込めば、そこには、約2500年前の釈尊在世当時の古代インドの世界が広がっているのだから、21世紀の我々からすれば、そこが一種のAnotherUniverseであるのは当然である。

今、日本人の何パーセントが、自己の死を「死出の『旅路』」というイメージで捉えているだろうか?

「死出の旅路」という観念そのものが死語化していないだろうか?

余程個性豊で知性に溢れ創造性がある人ならば、世間の通念には左右されず、その人独自の観念世界(言葉の世界)を構築し維持できるだろうが、普通の人たちは、世間との交流で言語世界が成立しているようだから、世間あるいは、同世代の世界で「死出の旅路」という観念(概念・言語)が死語となっていれば、そんな観念を知らないということも十分ありうる。


本来釈尊の教えは、正真正銘の出家専用の教えであったと思われる。

ここまで、私が主張してきた解釈である。

だから、釈尊在世当時も例えば国王などは、他の宗教に帰依するのと同じように釈尊の教え(敢えて宗教という)を受け入れていたらしい。

釈尊の教えを完全に受け入れようとすれば、到底王国の経営などできる筈がないからである。

現在日本を含めた世界中の国々の政治家たちがどんな行動を取っているかを考えるだけでこのことは明らかだろう。

釈尊の教えを、政治用語でイデオロギーと呼べば、そのイデオロギーを徹底的に貫徹しようとすれば、多くの階層の人たちとの軋轢を生じ、政権は短命で終わるだろう。

当時も今も、釈尊の教えと王国(国家)の経営のどちらが優先するのかといえば、もちろん、王国の経営である。

また、釈尊もそういう国王の態度を非難したりはしなかっただろう。

ヴィナヤ(律)の解説書において、世間との関わり方に関して比丘たちに、釈尊が世間の法(国王が制定した法)に従うように指示していることにもこのことはよく表れている。

釈尊は、世間全体を変えようというような意図は持っていなかったと思う。

このことは、現在のインドを含めた世界の国々の現状を見れば納得できるだろう。

本質的には、釈尊時代とほとんど変わっていないからだ。

釈尊の教えは、正真正銘、出家のための教えなのだ。


次に、この章の重要な偈頌を読んでみよう。


*****

255 まさしく、虚空に、足跡は存在せず、外に、沙門は存在しない。諸々の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)は、常恒のものとして存在しない。覚者たちに、〔心の〕動揺は存在しない。(正田師訳)



255   虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、<道の人>ではない。造り出された現象が常住であることは有り得ない。真理をさとった人々(ブッダ)は、動揺することがない。(中村世先生訳)

*****


作り出された現象=有為(無常であり苦しみであるもの)は常住ではない、と説いている。

これは、第十八章のすぐ後の、第二十章に次の有名な偈頌が登場するが、この偈頌に対応するものである。

この言葉を体得できれば、その人はニッバーナ(涅槃)を体得しているはずである。

*****


277「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観ミるときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
278「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
279「一切の事物は我ワレならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(中村先生訳)   



277「諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)は、全てが常住ならざるものである(諸行無常)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。
278「諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)は、全てが苦しみである(一切皆苦)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。
279「諸々の法(事象)は、全てが自己ならざるものである(諸法無我)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。(正田師訳)

*****

形成されたもの=現象世界とは、一般的な人間の認識のことを指しているのである。

したがって、この現象は一人一人の人間の頭の中にしか存在しないものである。

人間の感覚の対象となる外部世界(が実在するかどうかは棚上げ)が、その認識どおりかどうかはこの偈頌の教えの考察対象外である。

さて、引用した偈頌、235・255・277~278を一緒に考えると、どうやら釈尊は、精神(心)と肉体(身体)とを区別していたと想像できそうである。

だから、涅槃体得=輪廻からの解脱だと理解したのだろう。

現在、多くの人が考えているように、肉体(脳を含む)が心と切っても切れない関係にあると考えると、釈尊のこの判断は間違いとなる。

そもそも、解脱などということが想定外のことがらとなるのだ。

精神(心)は、肉体(身体)と一体なのであるから、解脱などというコトはあり得ない話となるのである。

仮に、輪廻を比喩的に実在すると想定するなら、DNAによる生命の存続がそれに相当することになろう。

日本風に言えば、「親の因果が子に祟り(報い)」ということになる。

これからの日本では、これが深刻な社会問題となる。

いわゆる、ワーキング・プア問題である。

ワーキングプアの子は、富裕層に比べ種々のハンディキャップを背負ってしまう。

なかなか貧困から抜け出せない、という社会問題である。

残酷な言い方をするなら、この様な意味での輪廻を断ちきるには、悟り・涅槃ではなく、己れの子孫を残さなければ良いだけの話となる(生涯異性と交わらなければ良いのだ)。

あまり仏教専門家は取り上げないが、釈尊が実子を含めて近親者の出家を促した背景にはこのような考え方(現代と同じではないにしても)が、釈尊にあったのかもしれないと思っている。

恐らく、ニッバーナ(涅槃)の体得というのはあり得るのだろう。

ただし、そのニッバーナ(涅槃)というのは、脳の機能外の現象ではなく、あくまで、脳の高次の機能としての高度な形成作用だと理解した方が良いと思う。

仏教専門家と仏教愛好家は、アホかいなと笑うだろうが恐らく私のこの推察は正鵠を得(射)ているものと自負している。

実際のところ、愛好家にとってはどっちでも良い事なのだ。

それが愛好家の愛好家たる所以なのだから。

ということで、涅槃体得者=仏は、現世限定の現象であるということになる。

イメージ 1

 東京新聞記事中の表の画像



http://www.youtube.com/watch?v=A26Ht4aEILE&feature=player_detailpage

日本人って本当に優しい民族なんだろうか ?




本日も「東京新聞 TOKYO Web の全文引用をさせていただきます。まことに厚かましいのですが画像も引用させていただきます。



        ***** 引用開始 *****


『福島の作業員 線量知らずに除染 被ばく量も通知なし(2013年1月18日 07時04分)』
  http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013011890070435.html

 東京電力福島第一原発事故に伴う国直轄の除染事業で、受注した業者の一部が、作業員らに現場の放射線量や被ばく線量をきちんと伝えていない実態が、本紙の作業員らへの取材で分かった。除染作業は被ばくの危険を伴うため、適切な安全管理が不可欠だが、現場の実情は、国の規則に違反しているだけでなく、作業員の健康への影響が懸念される。 
 国の規則では、業者は作業員を雇い入れる時に、放射線の人体への影響などの講習や健康診断を受けさせるよう義務づけている。作業前には、現場の空間線量や土に含まれる放射性セシウムなどの濃度を測り、作業員に伝える。作業員の被ばく線量も測り、本人に速やかに知らせなければならない。
 ところが、本紙が福島県田村市や楢葉町、葛尾村で除染に当たる作業員たちに取材すると、除染講習は受けていたものの、現場の線量などを適切に知らされていた人はほとんどいなかった。
 被ばく線量についても、数値が表示される線量計(APD)を持っているのは現場の責任者だけのケースがほとんど。作業員らは、専用の読み取り機がないと数値が分からない線量計(ガラスバッチ)しか持っていなかった。
 このこと自体は規則に違反しないが、作業員らは現場責任者のAPDの数値を自分の被ばく線量として日報に記載。作業員に正確な被ばく線量が伝えられることはほとんどなく、日報の数値が何を意味するかも、作業員には十分認識させていなかった。
 作業員が職を離れる際には、業者は本人の被ばく線量の記録を文書で交付しなければならないが、年末に離職した作業員たちには何の通知もなかった。
 除染事業には、国から危険手当が出ているが、宿舎代や食事代といった名目で天引きされ、作業員の賃金が大きく目減りする不透明な給与支払いの横行が判明。新たにずさんな安全管理の実態が明らかになったことについて、所管する福島労働局の担当者は「違反の情報があれば、規則に沿って対応する」とコメントしている。(東京新聞)

                  **********



       ***** 以下は、avaroの意見です *****


この記事は、末尾に(東京新聞)とあるので、通信社の配信記事ではなく、東京新聞の記者が書いたものと思われます。

『新たにずさんな安全管理の実態が明らかになったことについて、所管する福島労働局の担当者は「違反の情報があれば、規則に沿って対応する」とコメントしている。』

この記事に文句あり。

東京新聞の記者に文句を言いたいのではなく、この記事の場合ならば、明らかに雇用者(会社など)側に違法性があるにもかかわらず、監督官庁のこのゆるーい発言が繰り替えされ、違法行為が繰り替えされる状況にはこのような現状を放置している国家や自治体の怠慢があるはずで、その怠慢に文句を言いたい。

これだけの内容の違法行為は、明らかに犯罪であろう。

しかし、ネットで、刑法や犯罪、刑法の対象などを検索しても、すぐには「この記事のような違法行為が刑法のどの条文に該当する」のか分からない。

恐らく、日本の現行法には、こういう類の違法行為を刑事罰の対象とする明確な規定がないのであろう。

もしも、明確な規定があるなら、

所管する福島労働局の担当者は、「違反の情報があれば、(事実を確認し)法にしたがって処罰します」とコメントする筈だからです。

命に関わることですから、犯罪の分類上は、「凶悪犯」とされるでしょう。

このような多人数を命の危険に晒したのですから、「死刑」もありうるでしょう。

そういう状況になれば、こんな非道な犯罪を報道する新聞記事を二度と読むことはないでしょう。

そもそも法治国家であるなら、違法行為が放置され、すべての違法行為を個人が弁護士を雇って処理するというのはおかしな話で、当然、違法行為を放置していた国家や地方自治体の責任も厳しく追求されるはずです。

つまり、政治家も官僚も厳しい刑罰を逃れられないということです。

現行法では、政治家や官僚・大企業家などの権力者を規制する(違法行為を明確に規定し処罰を既定する)法律がほとんどないのではないか。

だから、日本の現状は、国家や地方自治体あるいは大企業が率先して違法行為をぬけぬけと行って、処罰どころか道義的な厳しい批判すらも受けない状況にあるのでしょう。

こうして事態は、無限遡及が始まったように見えてきて、日本が論理的にも破綻しているコトが明らかとなります。

釈尊は、「苦しみ」は、その根源を断たなければ決して解決しないということを身をもって示しました。

日本の一見秩序があるようで、実は、無秩序・無法状態にある現状を冷静に根気強く分析し、法体系を作り替えなければ、いつまでも、三毒中毒ボス猿集団による非道の横行は止むことがないでしょう。


あヽ、それとも、欧米日本がかつて行っていた非道な植民地主義と本質は同じ、この記事に限らずあらゆる産業に共通する非道な現状の産業形態以外に日本人が生きていく道はないのでしょうか?


法は、いくら作り替えても、肝心の人が変わろうとしなければ、網の目を潜ろうとする違法行為は後を断たないでしょう。


たとえそうであっても、法治国家は法を正しく整備する義務があります。

東京新聞の記事です。
全文引用させていただきます。



          ***** 引用開始 *****


『米兵、自殺が戦死者上回る 昨年過去最悪に(2013年1月16日 10時52分)』


 【ワシントン共同】15日付の米紙ワシントン・ポストは、昨年自殺した現役米兵が349人と過去最多を記録し、アフガニスタンでの昨年の戦死者(229人)を上回ったと報じた。

 国防総省は2001年から自殺者の集計を開始。06年から増え始め、09年に310人となった後に減少したが、昨年再び急増した。

 イラクとアフガンに派遣された兵士が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんで自殺するケースが多発。米軍は多数の専門家を雇用し、兵士の精神衛生問題を研究するなど対策を進めている。


                *****


       ***** 以下は、avaroの意見です *****


兵隊サンも気の毒にねぇ。

これじゃぁ、早く成長させて太らせて出荷しようとして、ホルモン剤・抗生物質をジャカスカ注射されてるUSA産の牛・豚・鶏なんかと同じじゃぁねぇのかい !!?

鉄砲の玉はどこから飛んでくるか分かったもんじゃぁないので、それこそ、緊張の連続なんで、心身が擦り切れてしまうのも止むを得ないのです。

所詮兵隊サンなんて、金儲けの道具に過ぎないのです。


右翼の方は怒るかもしれませんが、よく考えてください。

大東亜聖戦が惨敗で終了してはや68年ですよ、ああそれなのに、歴代内閣は兎さチャンに尻尾振りっぱなしですよ。

どんなキックバックがあるんでしょうね。

兎さチャンのウルセェ戦闘機やヘリが日本中を我が物顔に飛び回っていますよ。

地方の住民は、毎日、首を縮めて小さくなっているそうですよ。

それなのに、自衛隊はオスプレイ買いたいなぁんて言ってる始末です。

日本は、まただんだん、大東亜聖戦前の状況に近づきつつあるんじゃありませんか?

英霊の故郷が、まず、貧しくなって、おまけに放射能で汚染までされて、挙句の果てが除染という名目の税金泥棒のダシに利用される始末。

英霊は泣いていますよ。

その声が聞こえないんですか?

信じられない。


そもそもの問題は別なところにあるのです。

それは。。。

『兎さちゃん自体が、もうすでに、戦争→大儲け→酒池肉林→不景気→戦争→大儲け→酒池肉林→不景気・・・という重症の薬物中毒患者なのであります。』

ということです。

この構図は、すなわち、日本の利権集団のエゴイズムの構図そのものでもあります。

一昨日の*島市長さんのように、放射能の捨て場なんて結構あるもんですよ、なんて言っちゃって、全部住民に無理やり押し付けてるんでからね。

なにしろ、選挙が命なもんで、莫大な選挙資金の出資者には頭が上がらないですよ。

たとえ、日本中が放射能まみれになっても、日本中が史上最悪の危険物(原発と使用済核燃料)だらけになっても、『選挙資金だしてくれる支持者のためなら、えーんやこぉらせっと』なんですね。

困ったもんです。


こういう世界中の麻薬患者を隔離して徹底的に治療しましょう。

隔離施設はどこが良いでしょうかね?

全国紙もローカル紙も一斉に報じた「佐藤雄平知事、大腸憩室出血で県立医大病院に入院」というニュース。


河北新報(KoLnet=KahokuOnlineNetwork)
『福島知事が大腸憩室出血で入院』
  http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/20130115t61020.htm

福島民報
『知事、大腸憩室出血と診断 7~10日程度入院』
  http://www.minpo.jp/news/detail/201301156034

産経ニュース
『福島県知事が入院 大腸から出血し治療』
  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130114/lcl13011422030000-n1.htm



      ***** 以下は、avaroの意見です *****



福島民報によれば、昨年9月にも「急性胃腸炎で2日間、公務を取りやめている」とのこと。

なにしろ、福島県庁のまわりは高濃度放射能汚染地帯なので、その影響も心配だ。

公表された胃腸の疾患と高濃度放射能汚染との直接的な因果関係の議論はともかく、住民のためにも、ご自身のためにも、高濃度汚染地域で生活し続ける無理な政策を転換されては如何だろう。

かのミスター100ミリシーベルト先生・山下福島医大副学長が今年度限りで福島医大を去るという噂があるくらいなのだから。

ちなみに、大腸憩室関連の出血は、場合によっては命取りになるとネットの記事に書いてあった。

知事は「13日に福島市の知事公舎で『体がふらつく』と訴え」たそうだから、相当な出血があったのかも。

★★★今日の風向き(放射能雲=プリュームは何処へ行く)★★★
◎地震速報
  http://twitter.com/earthquake_jp
◎原発情報
  http://twitter.com/genpatsu_info
〇劼匹發鮗蕕蹐SAVE CHILD サイト(拡散シミュレーション動画)
  http://savechild.net/sample-page/yosoku
TBS風の予想(全国)
  http://www.tbs.co.jp/weather/forecast/rainwind/wind/
J‥臑莪豸業周辺の風向きマップ(Google Mapsタイリング版)
  http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/weather/gpv/wind/
Intellicast--WINDSFORECAST in Japan
  http://www.intellicast.com/Global/Wind/Forecast.aspx?region=chjap
ゥ張ぅ奪拭twitter--福島第一原発周辺の風向き情報
  http://twitter.com/wind_f1
Ε張ぅ奪拭twitter--東海アマ(原発情報全般)
  http://twitter.com/tokaiama
 
★★★本日の記事:



《《 放射能被ばくを拡大する政治を正常にしよう 》》

A.日本の歪んだ政治を直視しよう!! みんなの鋭い目・耳

 ∥宍 ちかちゃん(福島県双葉郡川内村村議会議員,一期最終年)
  http://blogs.yahoo.co.jp/chikako_5155/folder/544.html
◆ゞ?蠅鮖呂瓩訖佑里燭瓩 ー 福島県郡山市の空手先生奮闘記
  http://ameblo.jp/4493/entry-11069632951.html
 ぼちぼちいこか。。。
  http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/
ぁ‘鄙蠻六 大山こういちのブログ
  http://mak55.exblog.jp/
ァ,發Δ垢伊棉?強くなる
  http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-634.html
Α_山博(仙台赤十字病院呼吸器内科)
  http://hirookay.blog.fc2.com/
А∥杭蝓ゝ @magosaki_ukeru
  http://twitter.com/magosaki_ukeru
─\韻龍皺漾〆峠佝はどこから? : 東日本大震災
  http://kobajun.chips.jp/
   ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、
   CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本
   選んで翻訳・掲載しています。
 東海アマブログ
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-44.html 
  
《《 1.福島第一原発を監視出来るサイト 》》

A. 福島第一原発事故現場を映像で確認したい
   
  Youtube-TBS/JNNの第一原発LIVE映像
    http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/youtube_live/ 
 ◆‥貪鼎里佞いちライブカメラ
   *マイクロソフト・インターネット・エクスプローラー
     http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/
   *Mozilla Firefox
     http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/ 

《《 2.リアルタイム放射線量情報を見たい 》》

A. 公的機関のリアルタイム情報
  * a、bは10分間の平均値(10分間隔)、cは一時間間隔

 a. 放射線テレメータ・インターネット表示局(日立市から鉾田市の複数個所)
    http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html
 b. 日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター
    http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/Oantai_j/html/map_10m.html
 c. 埼玉県における空間放射線量測定結果:測定場所 4階建て屋上にモニタリングポスト(地上18m) 1時間間隔。土・日はお休み
    http://www.pref.saitama.lg.jp/page/housyasenryou.html#1

B. 企業などのリアルタイム情報

 a. ヤフー全国版放射情報(現在、11地点)
    http://radiation.yahoo.co.jp/ 

C. Ustreamなどを使って個人がガイガーカウンター測定値を放送

 a. 宮城県の放射線量(μSv/h) for PC & スマートフォン
  http://www.ustream.tv/channel/角田市の放射線量-μsv-h
 b. ガイガーカウンター@仙台駅付近
  http://www.ustream.tv/channel/ガイガーカウンター-仙台駅付近
 c. ガイガーカウンター仙台(Sendai,JAPAN)
  http://www.ustream.tv/channel/仙台ガイガーカウンター
 d. 放射線測定@福島県飯舘村
  http://www.ustream.tv/channel/gmモニタ
 e. 島県立医科大学敷地内の外気放射線量リアルタイム計測値
  http://www.fmu.ac.jp/home/lib/radiation/
 f. 福島市 放射線測定
  http://livestream.4kcomputer.net/channel/福島市-放射線測定値
 g. 茨城県水戸市の放射線量
  http://www.ustream.tv/channel/線量
 h. ガイガーカウンター 埼玉県 久喜
  http://www.ustream.tv/channel/ガイガーカウンター-埼玉県-久喜

3. 毎日チェックしたい原発関係ブログ

  ‐出裕章(京大助教)非公式まとめ --京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏による情報--
    http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/06/16/tv-asahi-jun16/
 ◆仝胸厠六駑曽霾鷦(CNIC)
    http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=216
  Peace Phylosophy Centre
http://peacephilosophy.blogspot.com/
 ぁWINEPブログ
    http://moribin.blog114.fc2.com/blog-date-201106.html
 ァ^店?觜諭訴??靴弔弔△詁鐱椶鮃佑┐襦
    http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/7ce1a90ac6b70ea0a000e4c2a499fd5f
 Α 摠そね紜 > 原発・フッ素12 > 原発 劣化ウラン フッ素13
   
    http://www.asyura2.com/11/genpatu19/index.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu20/index.html
 АEX-SKF-JP がんばれ日本!負けるな日本! 政府をあてにするな
    http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/07/blog-post.html
 ─, 坊 の 棲 み か・・・き坊の近況
    HOME
   http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/index.htm
    き坊の近況
   http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo1107.htm#saisin
  福島・第一原子力発電所事故と放射線による被害・・・原発と放射能について考える…
    http://blogs.yahoo.co.jp/albellt919/folder/419667.html
  勝川俊雄 公式サイト・・・長いものには、巻かれません
    http://katukawa.com/
  本当の放射線量|放射能・ホットスポット(地図、関東、東京都)
    http://kaisyosite.blog135.fc2.com/blog-category-92.html
  机の上の空 大沼安史の個人新聞
    http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/08/i-7608.html
  Fukushima Diary(英文・日本文混在)
    http://fukushima-diary.com/
  放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ  「福島第一原発を考えます」
福島第一原発事故について考え続け、放射能防御プロジェクトを進めます。
    http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/26ea73eff5b8b8d698d21dc57d1b10ba
  ざまあみやがれい!
    http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65759532.html
     ビデオ・ラジオの書き起しを精力的にやってくださってます。
 亜,發Δ垢伊棉?強くなる
    http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-634.html
 院~畧醉概夫の火山ブログ
    http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-392.html
(早川教授のコメント)私は火山の地質学が専門です。そのなかでも、噴火によって火山から吐き出される火山灰の分布に強い関心をもっています。福島第一原発から放出された放射能の分布は、火山灰に関する私の専門知識を応用してうまく理解することができます。


ずっと前から心に引っかかっているコトがあった。

人生には、到達点なんてあるんだろうかってこと。

きっかけは、東京オリンピックのマラソンで3位になった円谷さん(自衛隊)の自殺だった。

自殺の理由は雑誌か何かで読んだ程度のことしか知らない。

とにかく真面目な性格の人だったらしい。

自殺などせずに、銅賞であっても堂々たるものなのだから、これを引っさげて人生を上手く生きてゆくことが出来ただろうにと思ったが、性格上しがらみを振りきれず難しかったのだろう。

私たちは、過去を記憶し、未来に期待しつつ、ホンのつかの間の現在という空間を生きつづけている。

表彰台で、銅メダルを首に掛けてもらった瞬間は、すぐに過去の記憶となってしまう。

銅メダル表彰の栄光は、つかの間の現在という時空の出来事であって、それはどんどん薄れゆく過去の記憶としてのみ保存されるだけである。

つい最近、念願が叶い、パソコンCORE2DUOに二台目のハードディスク(SATA=サタ、シリアル-エイティーエイ)を取り付けることができたので、youtubeの音楽ビデオをよく視聴している。

この2台目には、linuxのubuntustudioをインストールしたかったのだ。

パソコンを使う上では、WindowsVistaで十二分なのだが、一度ubuntustudioの音を聞いてしまったので、どうしてもCORE2DUOでもこれで聴いてみたいと思っていたのだ。

不死鳥CeleronでWindowsとubuntuの共存に失敗していたので、二つのOSを独立させるべく2台目のハードディスクを探していてhardoff(ハードオフ)さんで安く購入でき(HD=1500円、シリアルATAケーブル=300円)、無事二つのOSを独立にインストール出来た。

今は、ubuntustudioを使っていて、この記事もgeditで入力している。

そして、暇があれば、お風呂で唸る歌の候補を探している。

そこでカルメンマキさんの唄に出会った。

たまたま、手元にある古い歌集「みんなでハモろう フォーク・ソングを*コーラスで(*の意味が分からずにそのまま入力)」に載っている『坊や大きくならないで(ザ・マイケルズ)』を聴いてみたいとyoutubeで探して見つけたのがカルメンマキさんが唄う「坊や大きくならないで」だった。
http://www.youtube.com/watch?v=A26Ht4aEILE

この歌は、いわゆる反戦歌なのだろう。

Abe総理が聴いたら多分「どうしてこんな歌唄うのかね。これ作った人はどこの国の人なんだろうかね」なんて言うだろうね。

この歌のページのyoutubeビデオ一覧にあるカルメンマキの歌をいくつか聴いて気に入り、どんどんyoutubeのページをめくって行って、「山羊にひかれて」に出会ったのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=m5qKsDi_okw

たまたま、カルメンマキさんのこの唄をアップした人が、ジャケットの写真らしいカルメンマキさんの写真を載せていたので、この顔のイメージに引きずられて聴いてしまった。

だから、詞の中の「大草原」を寺山さんがどこから拾ってきたのか知りたくなりネットを探した。

寺山さんのことはほとんど知らない。

宮沢賢治の評論集に寺山修司という名前があったので、その後新聞で寺山さんの名前を見つけ、実験的な演劇をやっていて事件になったなんていう記事を読んでいた程度だった。

ネット上の短い寺山評をいくつか読んだ。

その中の一つが、偶然にこの「山羊にひかれて」を取り上げていて、酷評していた。

凡庸だというのだ。

「山羊にひかれて」が気に入っていたので、ちょっとギクッとした。

私が「ふん、お前も凡庸だなぁ」と言われたように感じてしまったのだ。

おまけに、マキさんがこの唄を歌うのを嫌がっていたという裏話まで書いてあった。

一方、カルメンマキさんにも興味が湧き、ネットを探した。

驚いたことに、「山羊にひかれて」を唄った頃、マキさんと寺山さんには接点があったらしいのだ。

高校生のマキさんが、寺山さんの劇を見て共感し、寺山さんの劇団に加入したそうなのだ。

また、マキさんは、この唄を唄った後、かなり早い時期に全く異なるジャンルの唄の世界に飛びこんで行ったらしいことも分かった。

その頃の歌をyoutubeで聴いてみても、まるで別人のような感じである。

声もだいぶカスレ気味になったようにも感じた(これは多分に錯覚的なものだと思う)。

凡庸な人間の耳なんていい加減なものだと思う。

こうやって新しいデータ(音も含めた)を得ることで、最初に聴いた「山羊にひかれて」の印象が大きく変わった。

聴き直して気づいたのが、マキさんの歌声の特異さである。

すでに、「山羊にひかれて」の唄もかすれ気味の(というより、大人っぽい)声だったのだ。

まさか、マキさんにこの唄を歌わせたとされる寺山修司が、マキさんのこの唄い方を計算に入れていたとは思えないが、実に、寺山さんの歌詞とマキさんの唄い方がマッチしていると思う。

試しに一度、

「(午前1時のスケッチ) 」
http://www.youtube.com/watch?v=kAWxsuJUSsk
「午前一時のスケッチ」
http://www.youtube.com/watch?v=Mz4LBoKBA2k
「時には母のない子のように-カルメンマキ」
http://www.youtube.com/watch?v=Wc432vA-LXk

などを聴いてから、もう一度上に引用した10代のカルメンマキが歌う「山羊にひかれて」を聴いてもらいたい。

ここまで来ると、大草原の詮索はあまり意味がなくなってくる。

「山羊にひかれて」の詞は一見すると平易な歌詞のように感じるだろう。

単語の一つ一つは平易だが、つなぎあわされた詞全体の意味を直ぐに理解できるだろうか?


***** 「山羊にひかれて」 *****


山羊にひかれて行きたいの  遥かな国まで行きたいの  幸せそれとも不幸せ

山の向こうに何がある  愛した人も別れた人も  大草原に吹く風まかせ



山羊にひかれて行きたいの  思い出だけを道連れに  幸せそれとも不幸せ

それを尋ねて旅を行く 


*****


人は誰もホンの短い「現在」という時空を、こんな思いで生きつづけるものなのだろう。

「思い出」といういろいろな過去の出来事の記憶と、「山の向こう」という未来の夢に生きつづけるのだろう。

この歌詞を凡庸だと貶す人は、自分のコトも他人のコトもあまり知ろうとしない人なんだろう。

寺山さんの評価は私の能力外だが、感想ぐらいは言える。

伝統や既成の観念に落ち着けず、自分で何かを求めるならば、旅をすることになるのだろう。

その旅の何割かは生きてゆくためのパフォーマンスだったとしても、それ以上の真実があったはずだ。



カルメンマキさんは現在もお元気で活動されているらしい。


寺山修司さんは、ずっとまえに、少年時代から引きずってきた病のために47才で亡くなっている。








東京新聞の記事です。

「『甲状腺4・6ミリシーベルト 浪江町民の被ばく、弘前大』(2013年1月12日 00時00分)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013011101002024.html

東京電力福島第1原発事故後、福島県浪江町の一部町民が受けた放射性ヨウ素131による甲状腺の内部被ばく量は、推定で最大4・6ミリシーベルトだったことが11日、弘前大被ばく医療総合研究所(青森県弘前市)の床次真司教授のグループの研究で分かった。

国際原子力機関が甲状腺被ばくを防ぐため安定ヨウ素剤を飲む目安としているのは50ミリシーベルトで、床次教授は「大幅に低い数字」と話している。(共同)」



***** この記事に関する参考サイト *****



○ 『福島県民62人の甲状腺被ばく調査 床次眞司・弘前大教授ら ― その詳細と疑問』
http://togetter.com/li/338805


○ 『弘前大・床次真司教授による福島県住民の放射性ヨウ素内部被曝調査の結果が変わった』
http://togetter.com/li/337629


○ 『飯舘村と川俣町の住民15人の外部被ばく・内部被ばく調査 鎌田七男・広島大名誉教授ら』
http://togetter.com/li/300220


○ 『木下黄太さん、なんで元記事の「(等価線量)」を除いてツイートしてるの?(「愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)」より)
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20120429/touka


○ 『文部科学省は"アルファ線スペクトロメーター"の一式を購入、彼らは何を計測し、何を公表しないのだろうか(阿修羅記事)』
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/470.html




***** avaroの意見 *****


今日の共同通信発の記事だけを読むと、

「なぁんだ、そうだったのか !! いや、やっと安心できたぞ !!」

ってな感想になるでしょう。

だが、するどい感覚を持っている人ならば、

「いや待てよ。何で今頃こんな調査結果を発表したんだ。福島第一原発の事故が起こったのは、つまり、住民の皆さんが放射性物質を浴びて吸い込んだり飲み込んだりしてしまったのは、今から1年10ヶ月も前のことだぞ。何だか怪しげな記事だな ??」

って直感するでしょうね。

まして、参考サイトで紹介したツイッターのまとめ記事を読めば、尚更こういう疑問が強くなるでしょう。


政権が変わって、今や、アベ政権は虎視眈々と原発再稼働を宣言する機会を狙っている感じです。

今日の記事は、そういう政権のご意向にぴったり合致しているなぁという思いがします。

記事の数字が本当に正しいのかどうか、この数字だけで、こんな評価をして良いのかどうかという重要な問題をさておいても、次の部分は大変問題の多い内容だと思う。

『国際原子力機関が甲状腺被ばくを防ぐため安定ヨウ素剤を飲む目安としているのは50ミリシーベルトで、床次教授は「大幅に低い数字」と話している。』

この記事の数字(福島県浪江町の一部町民が受けた甲状腺の内部被ばく量最大4・6ミリシーベルト。それに対し国際原子力機関が甲状腺被ばくを防ぐため安定ヨウ素剤を飲む目安としているのは50ミリシーベルト)だけを見れば、本当に「大幅に低い数字」であります。

だが、2012年3月の記事では「最大87ミリシーベルト」、2012年7月の記事でも「最大33ミリシーベルト」と報道されていて、その記事に教授は反論や異議を唱えていないらしいことから、今日の共同通信発の記事は、疑問点の多い、また、危険な香りのする国民洗脳のための報道の予感がする。

この記事がアベ政権による原発再稼働の地ならしの一つでなければ良いと切に思う。


素人の蛇足意見です。

事故から1年10ヶ月も経ってから発表する調査研究結果ではないということです。

仮に、被ばく線量に関する教授の推計がほぼ正しかったとしても、この記事にあるような推論は論外だと思う。

まるで、住民にヨウ素剤を配布しておく必要は無いというふうにも読めるからです。

そうではなくて、今回の福島第一原発事故から学ぶべきことは、事故が起こったときに、直ちにヨウ素剤を飲める体制を整備しておく必要があるということです。

ヨウ素剤は『住民が保管管理する必要がある』ということが今回の福島第一原発事故ではっきりしたと思う。

そしてもっと深刻で重要なのは、事故が起こったときに、ヨウ素剤を飲むべきか否かの判断基準を『事前に』住民に周知徹底しておくべきだということです。

日本の原発事故発生の危険性は、地震や津波という大災害に起因すると予測すべきで、そのような大災害が発生すると、国や地方自治体の指揮・命令系統が混乱途絶する可能性が大だからであり、図らずも、今回の福島第一原発事故でこの危惧が現実化したではありませんか。


全原発周辺自治体の住民の皆さんには、今現在、上記のような対策は完了しているのでしょうか ?


『がいこつの唄』    作詞/作曲  岡林信康


   http://www.youtube.com/watch?v=-ffrIDEGqTY


もう一曲ぜひどうぞ!

『くそくらえ節』     作詞/作曲  岡林信康





この歌、誰に聴かせましょうかって。

どうせ聴きゃぁしないだろうけど、死んでもお金と権力に「命」の皆さんよ、ぜひ聴いてちょ、なぁんてね。

『山谷ブルース』   作詞/作曲  岡林信康





憲法や人権を云々するなら、一番大変な立場にいる人を考えないと。






東京新聞(TOKYO Web)の記事を引用させていただきます。

『除染下請け 天引き横行 業者支払い日給1000円(2013年1月11日 07時05分』

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013011190070424.html



***** 以下はavaroの意見です *****


上記引用の記事で疑惑を指摘されている業者は、国の除染事業の元請けではない。下請け業者という謂わば大日本三毒(貪トン・瞋ジン・癡チ)ボス猿集団の最下位グループであろう。
貪・瞋・癡は仏教用語。wikipediaの記事参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%92

いつも叩かれるのはこの最下位グループである。

想像に過ぎないが、国から除染事業を請け負った元請け業者(噂では、放射能汚染の元凶である東電の関連会社とかゼネコン大手の名前が挙がっている)が居るのだ。

これら元請けが、大日本三毒ボス猿集団ピラミッドの上位に君臨して、税金に吸い付き美味い汁を吸いつづけているのだと推理している。

この元請けが、善意のボランティア(つまり天引き無し=無料奉仕)で除染という仕事を下請けに斡旋しているとは想像し難く、当然、国が支払う総費用の相当額を天引きして、残ったお金を下請けに払っているに違いないと想像する。

元請けは、実際の危険な放射性物質の除去(つまり、除染)という仕事を一切していないのに、想像に余りある莫大なお金をむしり取っていると推理してしまう状況が今の日本にはびこっている。

いやいや、待って欲しい。

その前に、肝心の税金を使う元締めである、国の官僚、もとい、官庁がこの種の問題行動をやっている可能性が頻繁に報道されている状況を再確認しておくべきだ。

東日本大災害の復興事業にからむ、復興予算の奪い合い・流用という地獄絵図である。

まるで、地獄で腐った食い物を奪い合う餓鬼の争いそのものというオゾマシイ光景である。

日本国の官僚という本来名誉ある地位にあり、日本の将来を背負うはずの全小中高生の尊敬の的となって良い筈の官僚諸君が、なんと、復興事業の法律を作成する段階で、流用を可能ならしめる仕掛けを仕込んでおいたというのだから、開いた口がふさがらない。

このように、税金に吸い付く蛭猿集団=三毒ボス猿集団は、そのピラミッドの上から下まで地獄のドブ泥のように腐敗しているのだと想像せざるを得ない。

民主党があきれた利権集団だったから、福島第一原発事故後の対応が酷かったのかと思いきや、案の定、自民党政権に変わっても、全くこの三毒ボス猿集団の悪行はアラタマラナイ。

そこで、またまた、想像してしまう。

政治家という日本の運命を決める権力の一翼を担っているはずの名誉あり、責任ある立場の集団も、実は、三毒ボス猿集団の一員なのではないか、と。

キックバック、キックバック、キックバック........なぁんて言っちゃって。

話を戻して、記事の下請け業者について考えてみよう。

記事を素直に読むと、下請け業者の雇用及び給与支払いのやり方に幾つもの問題が指摘できそうだ。

まず、雇用契約だが、書類を作っていない業者がいるらしい。

次に、書類に雇用条件を明記していない業者がいるらしい。

作業員の宿舎の費用に関する正しい情報が記載されていないらしい。

国は除染事業を行うに当たって、元請け業者に丸投げしてしまっているため、除染作業員に応募する人たちが情報を知らされていないらしい。
*avaroの悲しい推察:応募する人たちが例え知っていたとしても、下請けボス猿に口答えできない状況あると推察。

きちんと雇用契約書を書くと、作業員に支払われる報酬は、国から支給された危険手当て10000円と下請けが支払う給与6000円となる。

さて、ここで疑問。

下請け業者は、この6000円をどうやって工面したのか?

もちろん、元請けの例えば大手ゼネコンが、国から受け取った除染費用(税金)の一部を天引きした残りを、下請け業者に渡したお金である。

下衆な勘ぐりをしてしまうのだが、下請け業者は、作業員一人当たり6000円しか元請け業者から貰っていないのだろうか?

なんと時給750円(8時間労働)である。

おそらくそんな筈は無いといういうのが下衆の勘ぐりである。

一人あたり6000円を大きく上回るお金を元請けから貰っているのだろう、と勘ぐる。

つまり作業員一人当たりの給与を減らせば、下請けの儲けは増えるはずなのだ。

おそらく、この段階で一度儲けているのだろうと勘ぐる。

次に、宿舎の費用を偽って二重取りのような詐欺行為で二度目の儲けを手にすると勘ぐる。

この記事の事例の場合だと、この様にして、何と危険な放射性物質除去の過酷労働の給与を事実上時給125円にしているのである。

当然、幾つもの違法行為があると思われる。

ところが、これがAnotherUniverse日本の闇なのだ。

そもそも、法治国家の法治国家たる所以は、法が正しく執行されているかどうかを監視する機構が充実していることなのだが、日本は故意にこれをないがしろにしている。

記事に曰く、
『管轄する福島労働局の担当者は、こうした実態をある程度は把握し、改善指導もしているというが、田村市の現場以外でも同様の不透明な給料問題が起きていた。』

いつもいつも苦々しく読んでいる決まり文句である。

何度この問題が指摘されても国は改善しようとしない。

はっきり言おう。

日本には、法治国家を完備するための費用がある。

つまり、法が正しく執行されていることを監視する要員を増やせばいいのだ。

しかし、その費用は、この記事が伝えているように、世界に冠たる日本三毒ボス猿集団が、蛭のように(蛭さん、ご免ね)税金に吸い付き吸い付くしているため、税金が本来の役割を果たせないで苦悶しているのだ。

蛭に吸われた税金よ成仏せよ!!

つまりこれが日本の大問題なのだ。

はっきり言えば、日本は世界に冠たる無法国家なのであると思わざるを得ない状況なのだ。

T国、K国と並ぶ、アジア三大無法国家の一員なのである。

T国やK国とちょっと違う点は、国民が三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の地位に甘んじて居れば一先ず安全は確保されるという点である。

だが、眼と耳と口とを大きく開けて、良く見て、良く聞いて、(良く考えて、)きちんと発言しさらに行動を始めると、*安要員が動きだし、日本の闇が覆い被さってくるということははっきりしている。

一見法治国家のように見えて、実際は、巧みに専制政治が行われている可能性が大なのだ。

専制政治とは、無法国家の別名である。

ああ、三毒ボス猿支配、三猿カス国民の日の本の国よ。

① 第46回衆議院議員総選挙投票の厳格な検証不可欠 (植草一秀の『知られざる真実』)

 *avaro:コメントも読んでください。

② 2012.12.21 リチャード・コシミズ大阪講演会



    ****  以下はavaroの意見  ****

難しい問題なので、事実を掘り起こして証拠を積み上げる必要がある。

それにしても、選挙の神様といわれる小沢さんがこの問題について沈黙しているのは不気味だ。

もしも、今回の選挙の投開票に大掛かりな不正があったとするなら、次回の非常に重要な参議院議員通常選挙も同じように不正が起こりうる。
そうなったら、日本は本当にお終いになる。

阿修羅の記事が引用しているブログの記事中に、選挙中に福島で自民党が約束したビラの写真がある。
 「ウィンザー通信」


    


    


   すでにMr.Abe脱原発の約束反故にしようとしている。

   民主党は大嘘つきだったが、自民党も大嘘つきの危険性がある。

   しっかり見張りましょう。

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