avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

2012年12月

東京新聞電子版の本日の記事です。

とてもとても憂鬱なニュースです。

『首相、原発新設を容認 「福島第一とは違う」(2012年12月31日 朝刊、

*(avaro:朝刊の記事を全引用させていただきます。)

安倍晋三首相は三十日、TBS番組で今後の原発政策をめぐり「新たにつくっていく原発は、事故を起こした東京電力福島第一原発とは全然違う。国民的理解を得ながら新規につくっていくということになる」と、新規の原発建設を容認する姿勢を示した。
    2012年12月31日 00時44分の記事には、次の文言が加わっている。
   『「福島第1は津波を受けて電源を確保できなかったが、福島第2は対応
   した。その違いを冷静に見極める必要はある」と指摘した。』
 福島第一原発を二十九日に視察し、民主党政権が決めた二〇三〇年代の原発ゼロ目標について「希望の段階では直ちに政策になっていかない。責任ある政策を進める」と、転換する考えを重ねて示していた。今回の発言は、現在停止中の原発の再稼働にとどまらず、原発の新増設といったさらなる見直しを視野に入れたものとみられる。
連立与党の公明党は、衆院選で速やかな原発ゼロを目指すと訴え、新規着工に否定的な立場で、首相発言への反発も予想される。』

      ********       参考サイト       ********

原発事故責任者の1人と自覚が無い安倍首相(Blog vs.Media時評)



      ******** この線以下はavaroの意見です ********

晋三お坊ちゃまの「気の抜けたビール」のような顔を見ているだけで日本の近近近未来が心配になるが、こんなお言葉を聞くと俺も下痢っ腹になりそうだ。

つい先日か先先日、原子力規制委に「ぶっこわれた原発のぶっ壊れ方、原因を再調査せよ」とお命じになって、「全ての見直しはその結果を見てから」と言っていたような気がするのだが。

活断層調査も首相直々の福島原発視察もすべて原発再稼動のためであり、その上に、新増設の許可などと口走り始めたとは。

Shinzo Abe Primitive Oh Mistake君の頭の構造はどうなっているんだろう?

Mr.Shinzoの頭の中には、普通の人が持っている人類共通の脳味噌の代わりに「USAちゃんと官僚が埋め込んだ特製AI(人工知能)」がはめ込まれているのかなぁ!!

晋三ちゃんの眼には、常に見えない放射能が降り注ぎ、国土の至る所に使用済み核燃料が転がっている風景こそ『なんという美しい日本の国土なんだろう!』というふうに見えるのだろう。

まったく理解できん。

誰がこの始末をつけてくれるんだ。

投票者総数で見てもわずか20%余り、有権者総数からすれば、わずか10%あまりの得票数で、日本国・日本国民の永劫の未来を決定してしまうとは!!

これを暴政と言わず何と言うのか。


どうやらこの調子では、自民党政権も、民主党政権同様、原発立地周辺住民を見殺しにするつもりなんだろう。

『ちゃんと、はばら撒いたんだから、後はお前たち自己責任でやれ。
「新たにつくっていく原発は、事故を起こした東京電力福島第一原発とは全然違う」 って言っている自民党を信用しないで、ヨウ素剤が必要だと思うなら、そういうものは、自己責任で用意しとけ。いいか、はちゃんとばら撒いたんだからな。』なぁんて言っている感じがしないでもない。

生活が掛かるとは言え、「が必要だから、早く原発を再稼動しろ」という立地自治体もどっこいどっこいだなぁ。

ボスに逆らえない地方の方たちは、途方に暮れていることだろう。

いえいえ、案外、Mr.Shinzoの上記の発言を心中で皆手を叩いて喜んでいますよ、ってなことないよな。

とにかく、原発周囲80kmの住民にはヨウ素剤を配れ、責任政党よ。


東京新聞の記事の紹介です。

『オスプレイ調査費計上 自衛隊導入検討へ』

記事の一部を抜粋引用させていただきます。

『オスプレイ調査費計上 自衛隊導入検討へ

2012年12月30日 07時13分

防衛省は二十九日、在日米軍が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備した新型輸送機MV22オスプレイを購入し自衛隊に配備することを本格的に検討するため、二〇一三年度予算に調査・研究費を一千万円程度計上する方針を決めた。

 防衛省幹部によるとオスプレイ導入は民主党政権の時に外務省からの提案を受け、森本敏前防衛相が検討を指示した。自民、公明両党の連立政権も日米同盟強化の観点から引き継ぐことを決めた。

 オスプレイはヘリコプターと固定翼飛行機を融合させた垂直離着陸輸送機。製造コストは一機一億二千万ドル(約百億円)。〇五年から量産を開始。』

           ********************************


民主党は、当初、沖縄へのオスプレイ配備に慎重な姿勢をとっているかのようなポーズを国民特に沖縄の住民に対してアッピールしていたが、実際は、はじめから兎こう(USA)の指令を丸呑みしていたことがこれで判明。

そもそもオスプレイは、USAが自国の縄張りで起きた反USA騒動(USAの利益を損なう可能性のある事件)を鎮圧するために出来るだけ早く目的地に兵隊と物資を運ぶための輸送手段であり、目的地は、沖縄から相当離れた遠隔地のようだ。

wikipediaにも次の記述がある。
『本機の愛称であるオスプレイ(Osprey、オスプリー、オスプレィ)は猛禽類のタカの一種である「ミサゴ」のことである。従来の輸送ヘリコプターに比べ、高速かつ航続距離にアドバンテージがある。』
似たような内容のビデオ『空中給油するオスプレイ / 強襲揚陸艦ボノム・リシャール』

*ただし、次のような記事もあります。日本政府やwikipediaの記事を鵜呑みに出来ないような気がします。
『オスプレイはCH-46よりも性能が上か?(2012.7.28 「スパイク通信員の軍事評論」より)』
 
 また、オスプレイは、その開発費が膨大だったようで、これを回収するために日本が利用される可能性もある。

田中宇さんのホームページに、次の記述がある。

『オスプレイの開発費は総額560億ドルで、米タイム誌がまとめた「高価な米軍機トップ10」の第8位に入っている。(「在日米軍問題を再燃させるオスプレイ」』2012年6月20日・・・田中 宇さんのホームページ』

USAが日本にオスプレイを売り込んでいる背景にこの膨大な開発費の回収という思惑が感じられる。

次に、オスプレイが事故を繰り返したのは事実なので、沖縄の基地周辺あるいは沖縄の訓練地域、その他の日本諸地域のUSAやりたい放題軍用機訓練地域での墜落の危険性や低空飛行訓練などの迷惑行為は心配の種だ。
 *試しに、キーワード「オスプレイ 協定違反」で検索してみてください。酷いもんです。USAやりたい放題駐留軍と日本政府は、「はいはい。兎ちゃん、好きなようにやっていいですよ」っていう秘密協定を結んでいるんじゃないかと思うほどです。

沖縄の人たちにとっては、オスプレイの押し付けだけでも耐え難いのに、傷口に塩を塗るような、今回の日本政府のオスプレイ導入計画は、沖縄の人たち、また、沖縄およびその他の日本諸地域のUSAやりたい放題基地に反対する人たちを泥靴で足蹴にするような行為に等しい。

晋三ちゃんは、露骨に日本をUSA&jp連合軍による軍事行動およびUSA&jp軍産複合体バックアップの意図を国民に押し付けようとしている。

(官僚・政治家などによる税金の無駄遣いを無くさず)社会保障費だけを削って、USA&jp軍産複合体に大金をつぎ込むつもりなのか?

最後の疑問。

仮に、日本のオスプレイ導入の目的が、尖閣・竹島などの領土問題にあるとすると、購入する自衛隊用のオスプレイをどこに配備するのか?

結局、尖閣については、沖縄に配備することになるのか?

そうすると、沖縄の人たちは踏んだり蹴ったりの屈辱を受けることになる。



              

佐高信さんの講演より。

『いま、日本を撃つ』

佐高さんは、講演の締めくくりに魯迅の言葉を引用しました。

ああ、その通りなんだな、と思いました。

一部抜粋引用。

◎ 先に明かりが見えないと行かないという人が沢山いるんですけど。 希望とか展望とか。でも、展望が、希望が見えないなら、行く先が暗くて厳しくて困難であるなら行くのは止(ヨ)すのか。(それなら)止したら良いじゃぁないか。(魯迅は)ピンとはねつけている。

◎ 行く先がたとえ暗くても、私たちは歩いて行かなければならないんですよ。

◎ 一人の人がアッと言う間に解決してくれるという気持ちを捨てる必要がある。一人の人間が一気に解決することは出来ないし、私たちがナンカカンカ目の前の問題と格闘しながら、自分たちで光とか灯火(トモシビ)みたいなものを作って行くしかないだろう、という感じがいたします。

◎ 魯迅という人が『元々、地表には道は無い。歩く人が多くなればそれが道になるのだ』と、言っています。

          ***********************************

日本未来の党のあっという間の解党という出来事にまたまたあっけにとられて、苦りきっていました。

ますます、民主主義への思いが強くなっていました。

しかし、一体誰を、どの党を信頼して行けばよいのか途方にくれていました。

第一次大戦後、ドイツは当時としては最も民主的な憲法を持った、民主主義の国になったそうです。

その民主主義の議会が、ナチスを選択し、ヒトラーを支持したのです。

一気に解決してくれそうだという甘い幻想を抱いたのが仇になったのでしょう。

民主主義っていうのは、魯迅を引き合いに出して佐高さんがお話された上記引用のようなものなんでしょう。

民主主義という神様もいないし、専制政治という悪魔も居ない。

私たちが自ら生み出すものなのだという感じがします。

行く手が暗くても、私たちは歩いて行くほかありません。
俺は歩かない、佇(タタズ)んでいると息巻いても、否応なしに進んでいるのです。


『福島被曝賠償を米兵から訴えられた東電とその衝撃』

総選挙のあまりに意外な結果に仰天して、一時は、やはり日本国民はホンマのアホで、日本は天然AnotherUniverseだったのかと落胆するやら白けるやらでブログを書く気にもならなかった。

阿修羅の記事も、総選挙以来まったく迫力がなく、こちらも気抜けしたのかなとがっかりしていたら、少しずつ気骨の士が投稿を始めて、これから時間を掛けて今回の第四十六回総選挙の総括をじっくりと眺める気になってきた。

 考えてもみたまえ !!

自民党時代はもとより、期待の星だった民主党時代になっても、一向に転換の兆しのなかった日本の民主政治は、原発事故を機に自民党時代の病根が一気に噴出し、福島をはじめとする東北・関東の住民は見殺しにされ、放射能を浴びせられ、あまつさえ、あらゆる不条理を押し付けられ、民主党は官僚の指図に唯々諾々のテイタラクであった。

日本が民主主義国家ではなく、国民主権は絵に描いた餅・官僚主権の隠れ蓑であったことが白日の下に明白となった。

 破損した福島原発からの放射性物質の空陸海への垂れ流し、不可解な利権構造による原発事故処理作業員の搾取・酷使、専門化不在の事故処理、放射能汚染瓦礫の全国拡散による利権特需・日本全国の住民の放射能被ばくの危険性、除染という利権特需とピンはね、住民特に乳幼児・婦女子に被ばくを強制、東日本大震災の復興予算の流用(縦割り官庁による予算分捕り合戦)などなど、官僚主権国家の国政の膿ウミが至る所に噴出したのが、原発事故後の日本の国政であった。

これだけ官僚・政治家の利権・保身優先の政治を臆面もなく行ってきた官僚たちが、自分たちの命運を左右する選挙に「奥の手を突っ込む」のを控えるとは到底考えられない。

仮に投票率を59.32%(総得票数約60,000,000)という公表された数字を仮定として置くと、総有権者数は
0.5932x=60,000,000人
X=101,146,325(一億百十四万六千)人
となる。

図:wikipediaから引用させていただいた選挙結果

イメージ 1


この総有権者数を基に選挙結果を見ると、自民党を支持したのは、一億百十四万六千人中の、たったの13.4%(小選挙区)・9.5%(比例代表)に過ぎない。

たったこれだけの支持率(投票率)で過半数を制する当選者数となるのである。

 しかし、この不合理性はきちんとした法律に基づいた選挙の結果なのでいかんともしがたいが、実は、たったの13.4%、9.5%にも疑問があると思われる。

以上は、各種サイトの記事を基に、avaroが計算した結果であるが、いくつかのサイトが今回第四十六回総選挙について次のような疑義を表明しておられる。

読めば読むほど、日本の選挙の投開票事務に不透明さが増してくる思いだ。

私は、今回棄権してしまった有権者の皆さんが、次回参議院通常選挙(来年夏)には、必ず投票所に足を運び、ご自分の意思を表明してほしいと思う。

同時に、今回の選挙を機に、投開票事務の公正を期するために、日本の選挙とくに投開票事務の透明性に関する議論・検証・立会いなどの民主化のための国民的な運動を期待したい。

特に、投票・投票箱(用紙)の移動保管・開票作業の立会いについては、活動する国民への行政(警察権力などの)からのさまざまな圧力が強まっているなかでもあり、政治監視のための国民参加の強力な組織の確立が必要であろう。

それでは、第四十六回総選挙の結果に対する疑義の検証を見ていこう。


①『不正選挙請負疑惑会社「ムサシ」は投票用紙や投票機器からスタッフ派遣に至るまですべて独占状態』

②『不正選挙 『未来』の1000万票が どこかに 消えた !?(遠い森 遠い聲)』

③『不正選挙 統計的にありえない得票率 2  (ひょう吉の疑問)』

④『選挙システムを独占しているムサシ社長、自民党に献金!』


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AnotherUniverseでない日本再生のために 本日は総選挙!! これからの日本を決める日です。 私は日本未来の党に投票して来ました。


前政権下では、日本の政治の出鱈目さが白日の下に明らかになりました。

マスコミが、偏向した報道を行っていることが明らかになりました。

権力がやろうとすれば、「何でも有り」という無法ぶりが明らかになりました。

今回の総選挙の開票についても奇妙な噂が出ています。

投票用紙の書き換えその他の操作が行われそうだ、という危機感です。

そんな馬鹿なことがこの日本では有り得ない、と一笑にふすことが出来なくなったのが前政権の教訓です。

開票を国民が投票用紙一枚一枚確認しながら進めるわけでないので、有り得ないと言えないのです。

残念至極。

そこで、ささやかな抵抗をしました。

投票所の鉛筆は、「B」でした。
消しゴムで消して書き換えやすい濃さです。

私は、思いっきり力を入れて候補者名・政党名を書きました。

消しゴムで消しても、後がはっきり残るようにするためです。

失敗したのは、鉛筆では不安だったので、係りの方のボールペンを借りて比例の党名を書いたことです。

何が失敗かというと、票の読み取りは器械でやるそうなので、鉛筆でないと読み取らない可能性があることに、後で気づいたことです。

皆さん、投票の際には、消しゴムで消せないように、力を入れて間違いなく候補者名・政党名を書きましょう。

出来れば、まずボールペンで書き、その上を丁寧に鉛筆でなぞりましょう。
なぞる時には、ボールペンの字からはみ出さないようにしましょう。
無効票にされては元も子もありませんから。

安心して農業が出来、漁業が出来、林業が出来る国土・海を持続させるために、原発をなくし、再生可能エネルギーの開発を目指す政党を選びましょう。
同一労働には同一賃金を。
弱者をいたわる優しさを。
巧みに戦争を煽って一儲けを企む悪党を見破りましょう。
現在の民主主義を守る憲法を存続させましょう。
若者が未来に希望を持てる政治経済の制度を整備する政党を選びましょう。

日本国民が良識ある選択をすることを心より祈念します。

では、「五蘊非我(無我)」=「空」とはどういうことか?

仏教の無我説の説明に、王の馬車の比喩がある。

「馬車」という実体は存在しない。

「馬車」は、車輪などの部品から構成されただけのものだ、という説明である。

これは論理的な説明ではなく、あくまで比喩として読むべきであろう。

車輪などの部品の集合体を人間が「馬車」と呼んでいるだけだということである。

現代風な考え方によっても、馬車という実体は存在しないと言えます。

人間が「馬車」と名づけた空間には、諸種の元素あるいは分子・原子の濃密な集合があるだけなのですから。

「五蘊非我(無我)」とは、これと同じ考え方だと思う。

「空」も同様です。

私たちが名づけをし、名づけたものを存在させているから、あらゆる「もの」が存在するのだという考え方です。

感覚器官が感受したことにも名づけをします。
甘い、美しい、心地よいなど。

釈尊は、この原理を「無明(無知)」のなせる業ワザと断じました。
その上で、「無明(無知)」の勝手な振る舞い、つまり、名づけを拒否(無視)できるように自分を訓練したのです。

この訓練の結果生じるものが「智恵(知恵)=明知」です。
文脈から分かるように、「智恵(智恵)=明知」というものは、特殊な機能・能力を指す概念です。
「智恵(知恵)=明知」は、外部や内部からの刺激に反応する無明(無知)の動きを敏感に察知し名づけをさせない働きをします。

その結果、感覚器官が感受しても、その感受した事柄に名づけをしませんから、感受した刺激はまもなく消滅します。

感受した当人は、感受したことだけを認知しますが、それでお終いです。
甘い・美しい・心地よいなどという感情・認識が生じないのです。

これが「空」です。

今のは外部からの感覚刺激でしたが、記憶などが起因となる内部からの刺激もあります。

これらの刺激が生じても、訓練が出来ていれば、「無明(無知)」の機構は、名づけをすることが出来ません。

刺激は間もなく消滅します。

やがて、生苦も病苦も老苦も死苦も生じなくなります。

なに阿呆なこと言ってるんだと憤慨というより呆れるかもしれませんが、そう思うなら反論してください。

注意すべきは、無我=実体が無いという論理は誤りだということです。

こんな論理は証明不可能で破綻しています。

「無我」とか「空」とか「五蘊非我(無我)」とかは、個々人が修行体験で体得し体験することであって、そういう個々人の体験・経験の中で「真」となることがらであって、議論の中だけでは「真」でも「偽」でもない、ただの言葉遊びに過ぎないものなのです。

ただし、釈尊自身が訓練(修行)を積めば涅槃体験は可能だといっておられるように、「五蘊非我」「空」を獲得可能な真理と仮定することは間違いではないでしょう。

私はこの論理が、初期大乗仏教の唯一の根拠だと思っています。

さて、先の記述で、ヴァーチャル世界と銀河世界との違いを指摘しました。

通俗的な無我観は、ヴァーチャル世界だけを想起させます。

それに対して、銀河世界は、本当はどういうものなのか確定は出来ないが、そこに何かが有ることは事実だと思うほか無いのです。

福島原発事故で放射能が放出されたのは事実です。
放射能が本当はどういうものなのかについては棚上げにします。

放射能が特に子供たちを苦しませるのは事実です。

涅槃の智恵から見れば、子供も子供の苦しみも妄想に過ぎないと言えるのでしょうが、「妄想に過ぎない」というものの見方は涅槃の智恵を体得したお方だけに「真」なのであって、放射能の障害で苦しむ子供にとっては、その「妄想に過ぎない」という考えは、「真」でも「偽」でもありません。
その子供にはなんの意味も無い考え方なのです。

迷信を信じる者が、子供の病気を治すと称して、祈祷やお払いをするようなものなのです。

涅槃の智恵を体得しても、肉体の異変「癌」を治すことは出来ません。

「癌」は、生物学的化学的な現象なのです。

ですから、肉体の治療をする医者に診てもらうほか無いのです。

何よりの証拠は、釈尊が老衰と食あたりで死亡したらしいという経典の記述です。

原発も戦争も所得格差も政治が関わって生じたことがらです。

涅槃の智恵で撃退できるのは「苦」です。

しかし、肉体の「飢渇」は、この智恵だけではどうしようもないのです。

その証拠は、釈尊が毎日托鉢を続けたという経典の記述です。

このように、人間は誰であろうとも肉体の生存という難問と対峙しなくてはならないのです。

釈尊はこの難問を解決していません。
ある意味では、この問題を避けたと言えるかもしれません。

お坊さん。あなたが、日本や世界の子供たち女性たちの幸せを願うのであれば、「心の病=無明の暴走」だけでなく、「肉体の病=政治経済の暴走」にも真剣に眼を向け、行動する必要があるのです。

今の日本は、太平洋戦争終結までの、非民主的な国家ではありません。
その気があれば、肉体の病=政治経済の暴走を正すことが可能なのです。

大変にお粗末な演説でしたが、以上が「根拠」です。

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前日のavaroの「仏教と政治」という記事を読んでくれた仏教関係者のほとんどは、また阿呆avaroのハッタリが始まったと鼻先で笑ったことでしょう。

「空」と政治がどんな関わりがあるのか到底理解できん、と呆れたことでしょう。


私avaroの理解するところでは、「anatta(非我もしくは無我)」という概念と「空」という概念は、まったく同じことを別な視点から、別な表現で説明しているものだということになります。

釈尊がネーランジャラー(尼連禅河)河畔の菩提樹の下で悟りを開いた時、直接的に見て知った(一種の直感知・洞察)、まったく新しい境地が涅槃の境地だと理解しています。

これは、現代科学が次々と人間や世界・宇宙についての新しい知見を得つつあるのと同じ出来事でした。

新しいものの見方を体得した瞬間です。

その時釈尊が了解した事柄の一つが、五蘊(人間の肉体と感受と認識・記憶など、人間の全ての要素)の一々のいずれもアッタン(アートマン)ではないという古代インド人にとっても現代人にとっても「奇妙な」知見です。

それまでの古代インド人たちの多くは、恒常性(永遠性)を持たない肉体に対して複雑な思いを持っていました。

簡単に言えば、死んで腐ってしまう人間の肉体の性質に恐怖と嫌悪を抱きながら、しかも、その忌むべき肉体(美しい?女性の肢体など)に惹かれてしまう矛盾を感じ取っていたからです。

そこでいつの頃からか、古代インド人は、理想の人間いわゆる人間を理想化した永遠性(恒常性)を持つアッタン(アートマン)というものを創造したのです。

アートマンはブラフマンとも呼ばれました。

古代インド人の多くは、人生の終盤期には、このアートマン(ブラフマン)の追求に専念し、永遠性を体得することを理想としたそうです。

もちろん、アッタン(アートマン)もブラフマンも、その存在を確認していたわけではありません。
存在していてほしい、存在するはずだというような一種の信仰だったのです。

釈尊は出家して7年間そういう当時の理想を実現すべく瞑想やら苦行やらを実践したようですが、どうしても納得できる体験を得られませんでした。

釈尊が修行中のいつごろに「五蘊非我(無我)」の着想を得たのか分かりませんが、「五蘊非我」すなわち「空」という知見の体得とそれによって得られた信じがたい平安の境地の体験(涅槃体験)をネーランジャラー河畔での成道の時に体験し体得したのは確実なことなんでしょう。

釈尊は、古代インド人が忌み嫌った死ぬべきもの(定め)・無常性(非永遠性・非恒常性)を「苦」という概念で端的に表現し、それまでの、永遠性(恒常性)を持つアートマンやブラフマンの追求ではなく、「苦」からの開放・「苦」に支配されない境地の獲得に切り替えたのです。

幾ら努力しても、アートマン(ブラフマン)はその存在を確認することは出来ません。
そのような実体を追い求めるのではなく、自己を徹底的に観察し、「苦」の起源を自己の中に見出したのです。

「苦」すなわち「生まれることの苦しみ」「病におかされることの苦しみ」「老いることの苦しみ」「死ぬことの苦しみ」というものが、実は、自分(自己)の中で生産されていたということを体験的に知り納得したのです。

つまり、「苦」は、ほかならぬ自分自身が作り出したものだったということです。
*このことを因・果の関係で示したものが、十二支縁起(十二因縁)です。

分かりやすく言えば、人間が苦しいと感じ思っている「苦」というものは、人間が勝手に作り上げた想像上のものだということを直感的に洞察したということです。

「え、なになに、『死』も人間の想像に過ぎないだって? そんな馬鹿な。」と思うでしょう。

だが、釈尊が悟ったことはそういうことなのです。

「唯識」なんていうのは、こういう考え方をある方向に突き詰めていった思想だと思いますよ。
現代的には、この思想にも欠陥があると感じてますが。

釈尊は、そういう「苦」の源泉すなわち「苦」を生産する大元(現代的に言えば、機能)を「無明(無知)」という概念で表現しました。

「苦」自体が生成消滅する実体の無いものだということを釈尊は知ったのです。

例えてみれば、「無明(無知)」は、ヴァーチャル世界を生み出し支配する「メインコンピュータ(マザーコンピュータ)」のようなものです。

コンピュータが創造した世界がヴァーチャル世界です。
コンピュータの機能に依存して、コンピュータが生み出した世界なのです。

「苦」に怯えるとは、こういうことだったのだと釈尊は説いたのです。

宇宙望遠鏡などが撮影した美しくも妖しい遠方の銀河や星間物質の靄モヤなどの写真をご覧になったことがあるでしょう。

写真に写されたそれらの銀河や星間物質の靄が、写真どおりの色形イロカタチでないということをご存知でしょう。

それらの写真の多くは、コンピュータグラフィックスで人工的な色付けをされたものが多いのです。

これも一種のヴァーチャルでしょう。

では、銀河や星間物質の靄の本当の姿とはどういうものなのでしょう?
それは、今のところ人間には知ることは出来ないでしょう。

ヴァーチャルには文字通り本当というものがありません。

一方、銀河の写真には、観察の対象である銀河が本当はどういうものだか分からないが、一つの知見(表現=色形を与えたもの)としてはこういう写真のようになる、という「仮定」があるのです。
ヴァーチャルとの違いは、人間が見ると銀河や靄に見える所に確かに何かが有るということです。

「苦」についても、この考え方が当てはまるのです。

人間(や世界・宇宙)が本当はどういうものだか分からないが、人間はいつの間にか己の心身=自己(自分そのもの)だと信じ込むようになっていた(こういう思い込みをする自己を自我と呼ぶ)。

その結果、「苦」に取り付かれ、苦しむことになったのだと釈尊は知ったのです。

「苦」とは、無明(無知)というメインコンピュータが生み出した一種のヴァーチャル世界なのだと釈尊は知ったのです。

少なくとも、「苦」に取り付かれて苦しむのは馬鹿げたことなのだということを釈尊はネーランジャラー河畔の瞑想で体得したのです。

釈尊は、ネーランジャラー河畔の菩提樹のあたりで、ある期間、ご自分の悟りを再確認したり、楽しんだりしたようです。

釈尊が成し遂げたことは、「苦」の生成消滅の有様を直接見て知ったことと、そのような「苦」の生成消滅の構造を理解し説明し、さらに、「苦」からの開放の方法、「苦」を滅する(止滅する)方法を教えたということです。

とは言え、釈尊というお方は、はるか2500以上昔の人ですから、「無明(無知)」と呼んだものを釈尊が本当はどう理解していたのか良く分かりません。

しかし、「体験的に体得される(つまり訓練することで獲得可能な)」涅槃もしくは悟りというものを釈尊が指導したということから、釈尊が神秘主義つまりアートマン(ブラフマン)のような超自然的神秘的な何者かの力を想定していなかったと理解して良いと思っています。

「無明(無知)」もアートマンのような絶対的な原理ではなく一つの仮定と考えれば良いのだということです。

釈尊がご自分の悟り体験・涅槃体験を確信していたと私が信じる根拠は、成道直後の慎重な再確認とその後の40年に及ぶ布教期間、この確信が揺るがなかったという経典の記述です(かなり不安要素の多い根拠ですが)。
 (②に続く)

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AnotherUniverseでない日本再生のために 仏教と政治・・・仏教徒(信者)は無論のこと、坊さんも政治について主張をすべき。



政教分離という憲法の規定がある(以下のURLのwikipediaの記事参照)。

これは、国家が特定の宗教と国政を結びつける行為を禁止したものです。
現行憲法下で起きた代表的な政教分離問題は、首相の靖国参拝や英霊の合祀問題など。

したがって、坊さんが国政に関する自分の主張を述べることはなんら問題が無いと思う。

ここまでは日本の法との関係について。

私がかねてから考えていたのは、仏教の根本的な問題つまり宗教的な問題提起です。

人々にとって仏教はどういう役割を果たせるのかという問題提起です。

普通、仏教は魂や心の問題について人々の悩みや不安に答えるものと考えられています。
未だ誰にも説明できない、なぜ人は生まれてきて、なぜ人は死ななければならないのかという難問に答えることです。

だが、釈尊の研究を続けているうちに、釈尊の教えや釈尊の生き方に関して、釈尊在世当時の時代的な制約(国王の専制政治・厳しい身分制度・科学の未発達・迷信の横行など)を考慮に入れずに、経典の記述や伝承を鵜呑みにして、そのまま現代に当てはめてしまっていることに非常な違和感を持ったのです。

分かりやすく言うと、心ある宗教家は皆、太平洋戦争終結・現行憲法施行までの日本では、この世の極楽を目指す活動は事実上不可能に近いくらい難しかったので、あの世に希望を繋ぎとめ苦土(娑婆)の辛い生存に耐えられるように配慮していたのです。

どんな偉い修行者・坊さんでも、あの世や仏国土・阿弥陀仏などの諸仏を肉眼で確認できた人は一人も居ません。

居るはずが無いのです。

釈尊が、はっきりとそんなモノ見えるはずが無いと明言しているし、大乗仏教中興の祖、竜樹(ナーガールジュナ)も明言しています。

「空」なのです。

肉眼で見たとしたら、それは錯覚なのです。
どうやら、本当に見えることがあるようです。
ただし、錯覚ですから、物質的な視覚的対象は存在しません。

空想の産物を信仰の対象にするのですから、かなり無理があります。

科学が解き明かしつつある人間や世界・宇宙に関する知見との乖離がどんどん顕著になっていることです。

また、これまでの仏教では、福島原発事故による放射能の恐怖などに対してはまったく無力です。

では、仏教はずっとこのまま、迷信と紛らわしい信仰だけしかやれることが無いのでしょうか?

仏教は、現世の問題にかかわることが出来ないのでしょうか?

私は、そんなことはないと考えているのです。

太平洋戦争で日本は敗れ、結果的に現行の理想にかなり近い憲法が施行され、民主政治に一歩踏み出しました。

それまでは、例えば、江戸時代は武力によって、明治大正昭和時代(太平洋戦争終結まで)も事実上武力によって、国民の現世極楽実現への活動(つまり国民の自由な政治活動)は弾圧されてきました。

上意下達あるいは見ざる聞かざる言わざる(三猿)などというように、国民は政府の言うとおりにして居ればいいのだという政治風土でした。

だが、現行憲法は、そういう戦前までの国民の政治意識に変革を求めてきました。

政治の権利は、国民にあるのだという国民主権、地方の国民(いわゆる住民)に身近な政治は直接住民がかかわるべきだという住民参加の政治を求めているのです。

仏教の信徒はむろん坊さんも国民・住民の一人です。
だから、総選挙で投票に行けるのです。

投票というのは、立派な政治行為です。

仏教徒(信徒)も坊さんも、政治に参加してこの世の極楽を建設する政治活動をすべきなのです。

誰も確認していない、有るか無いか分からない空想の世界に憧れるだけでなく、現実のこの世で極楽を求めることも可能なのです。

それが現行憲法のすばらしいところなのです。

釈尊も竜樹も、人や世界や宇宙は、本来は「空」である、と断じました。

良いじゃないですか「空」で。

アレコレ想い、悩ましい現実は、心眼を以って見ればすべて「空」なのです。

執着するのが馬鹿らしいのです。

その「空」観を土台にした再生可能な永続性のある現実生活を、現実生活の基礎を政治の力で実現しようではありませんか!!

仏教徒(信徒)の皆さん、坊さんの皆さん、仏教に新しい風を吹き込み、霊界だけでなく、現実世界(娑婆)の極楽化にも邁進しようではありませんか!!

放射能の心配の無い「本当に美しい日本再建」に立ち上がりましょう。

仏教も政治に参画しましょう。


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AnotherUniverseでない日本再生のために な、なんと党名省略「未来の党」は無効のデマ元は朝日記事だった(2012年12月4日朝刊)。あいた口が塞がらない。


この記事は、阿修羅の以下の記事の転載です。

『な、なんと党名省略「未来の党」は無効のデマ元は朝日記事だった(2012年12月4日朝刊)。あいた口が塞がらない。』


転載記事の要点はこうだ。

まず、問題の朝日の記事の一部がこれ。
『日本未来の党、日本維新の会、日本共産党、新党日本。「日本」がつく政党が四つもあるが、衆院選の比例代表への投票では、党名の書き方に注意が必要だ。
 未来は衆院解散後に結党したが、略称の届け出は解散後にはできない。維新の略称は「維新」、共産は「共産」だ。新党日本は「日本」を略称として中央選挙管…』

下線のある斜体文字部分が問題の部分です。
「日本未来の党」に投票する時に、略称は認められない、というのが朝日の記事の要点。

この記事の問題の部分は、私も直接電子版で確認しました。

この朝日の記事に疑問を抱いた転載元の筆者が、選挙管理委員会に問い合わせたり、選挙管理委員会のホームページで確認した結果が以下の報告記事です。

『関連ツイート
@28SOBA
https://twitter.com/28SOBA/status/276974880958857217
【重要】投票時の党名関係情報、総務省の中央選挙管理会が電話集中でつながらず、都の選挙管理委員会通し総務省のHPの該当頁を案内してもらい確認す。正式名称「日本未来の党」略称「未来の党」でOK。略称無効情報は悪質なデマ。あとで案内頁など主権者は私たち国民BBSにアップ予定。
2012年12月7日 - 18:02』

確認したページの画像です(この画像は東京の場合)。


私も埼玉県選挙管理委員会のHPで確かに確認しました。

投票の際は、きちんと選挙管理委員会に届けた党名を丁寧に書きましょう。

あなたの一票を大切にしましょう。

どの政党名にも略称にもヨミガナがふってありますが、党名をかな(カナ)で書いても有効なのかどうか選管に確認してみます。

電力会社など大企業や金持ち政党からがっぽりと広告費を貰っているからなのか良く分からないのですが、転載記事が指摘しているように、選挙違反すれすれ、あるいは、一線を越えた特定政党への誘導、アッピール。あるいは、それら特定政党の対抗政党への悪意ある?中傷記事、あるいは、無視(対抗政党に関する記事を書かない)、あるいは、数字のマジックを駆使した不可解な世論調査結果の大々的なキャンペーンなど、眼に余る偏向記事・放映がはびこっています。

あるべきマスコミの公平公正な報道姿勢が完全に崩れております。

国民の皆さん、これらマスコミの偏った洗脳・誘導を見抜きましょう。


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AnotherUniverseでない日本再生のために 国会は政党どうしの駆け引きの場です。議員個人ではなく、必ず、所属する政党について良く調べて投票しましょう。


中日新聞の記事を再掲載します。非常に重要な指摘だと思います。
 下記URLよりお借りしました。



政治家は、大人の中の大人でなければならないはずです。

大人は、子供に嘘をついてはいけないと教えます。
間違ったことをしてしまったら、反省しなければいけないと教えます。

では、大人はどうなんでしょう ?

大人は嘘をついても良いのでしょうか ?
大人は、間違ったことをしてしまった時、きちんと反省しなくて良いのでしょうか ?
そして、重大な間違いをしたならば、きちんとその責任を取る必要があるのではないでしょうか ?

偉い人は、大事な仕事をしているのだから、反省をしたり、責任を取っている暇は無い、と居直って良いのでしょうか ?

福島第一原発の事故から、すでに1年半も経っているのに、当時の責任ある政党の党首や担当者、官僚、東京電力の経営者などのうち、自ら真剣に反省して取るべき責任を取った人が居るでしょうか ?

責任を取らされた(?)清水元社長は、とても反省していたとは思えません。
証人喚問での発言で、肝心なことは「記憶にない」と誤魔化していました。
止めさせられたといっても、退職金は莫大だし、その後、東電関連企業に再就職しています。

政治家にいたっては、誰一人責任を取っていません。
本当は、当時の政治家全員、今回の総選挙を辞退してほしかったです。

原発事故に責任ある政党といえば、自民党です。

現総裁の安部さんは、口では反省していると言っていますが、詳細な報告書一つ国民に示していません。
原発依存を続けると言いつつも、そもそも福島原発事故の詳細な報告もなしに、安全な再稼動が可能なのかどうかも詳細に述べていません。

各政党の支持者は、同時に、その政党と利益共同体なのです。
組織票というのは、そういう見返りを期待する支持者のことです。

投票しても、直接的に見返り(利益が見込めること)が期待できない一般庶民の皆さん、新聞やテレビの洗脳や誘導に乗せられないようにしてください。

組織票=その政党との利益共同体の方たちは、原発再稼動で儲かるのです。
インフレ誘導で儲かるのです。
憲法改正によって軍事産業が盛んになれば儲かるのです。
増税で儲かるのです。
社会保障を切り捨てても、彼らは儲かるのです。
TPPが批准されても儲かるのです。

残念ですが、これらの人たちは、本気で日本の将来を心配していないようです。
利益ただ一筋。
儲けただ一筋。
とても怖い人たちです。

一方、庶民の皆さんは、どれ一つとっても、皆さんの負担が増え(増税など)、人権は制限され、所得格差がますます拡大するだけなのです。

憲法や法律が変わってからでは間に合いません。

後悔先に立たず、なのです。

どうか慎重な考慮をお願いします。

ふざけた漫画を描いていますが、私は真剣です。
よろしくお願いします。



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AnotherUniverseでない日本再生のために こんな政治家  不要です。 絶対に投票してはいけません。


国民は、法の下に平等という権利を保障されています。

もしも、この法(憲法・法律・規則・条令など)が無視されたり・改正されてしまうと、国民は下の漫画のような事実上の「国家という名の専制政治権力」の奴隷とされてしまいます。

今でさえ、民主主義や基本的人権(平等などの最低限の権利)などが制約されていたり、無視されたりしているのです。

今回の総選挙では、現行憲法・法体制を変更して(憲法・法律などを改正して)、権力者に都合の良いような憲法・法律を作ろうとする動きを、国民が承認するか、承認しないかの重要な選択が迫られているのです。

下の漫画のような歴史を逆行するような、非民主的・反平和主義てきな大総統が出現しないように十分注意しましょう。



  血走った眼で、血刀を突き出し、国民を戦(イクサ)にかりたてる戦魔(イクサマ)
イメージ 1
*この画像はavaroの創作で、著作権は放棄してます。よろしければコピーして拡散してください。

転載可に設定してあります。


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AnotherUniverseでない日本再生のために こんな政治家は不要です。 絶対に投票してはいけません。


妖怪-国政選挙魔  見かけは実直そうなので騙されないようにしましょう!!

この画像は正真正銘、avaroの創作です。著作権放棄してますので、よろしければ、幾らでもコピーして拡散してください。よろしくお願いします。
もう、嘘つき政治家はコリゴリです。こんな妖怪モドキの政治家が、二度と国会に来ないようにしたいのです。転載可に設定してます。
イメージ 1

顔の長さは、長いのも居れば、丸いのも四角いのもいろいろ居ります。

めんどくさいので描きませんでしたが、この妖怪には必ず背後霊がついています。

心を澄ましてじぃっと見れば必ずその背後霊が見えます。
この背後霊の別名は、操り人形師です。
あくどい霊ですので、必ず見抜きましょう。


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AnotherUniverseでない日本再生のためにーー今回の総選挙で選びたい政党 「ささやかな幸せは うたかたの波の花・このまま永遠に夕凪を」の実現に努力してくれる政党


表題の「 」内は、「島唄」(宮沢 和史 作詞・作曲)の歌詞の一部です。

最近、新垣勉さんが歌う「島唄」に惚れ込みいろいろ調べました。

下記に紹介したお三人の「島唄」のうちの、最初の「島唄 本当の意味(裏歌詞付)」を見て、なるほどそうなのか、と納得しています。

でいごの花というのは、
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%94%E3%81%AE%E8%8A%B1&hl=ja&client=opera&hs=ZfI&tbo=d&channel=suggest&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=uhHDUP-rMM2gige49oCIBg&ved=0CAcQ_AUoAA&biw=670&bih=406

宮沢さんがどんなイキサツで、でいごを戦争の象徴にしたのか不明ですが、画像からみるだけだと、確かに真紅の花が咲き乱れ、風に揺れると、凄惨な砲撃や地上戦の惨状を連想できるかもしれません。

宮沢さんの願いは、表題に抜書きしたように、ささやかでも良い、平和な生活の幸せが、夕凪のように静かに続いてほしいということでしょう。

かつてアジア各国や中国・朝鮮の人たちのように、他国の武力によって蹂躙され主権も人権も踏みにじられるのは避けたい。

しかし、ことさらに武力に頼り戦争を煽り、裏で兵器産業が儲けるという構図も絶対に避けたい。
今のUSAがやっていることです。

比較的安定しているヨーロッパと違い、今や東アジアはかつてのバルカン半島のような状況になっています。
中国・朝鮮・日本の利害が複雑に絡み合い、そこに飢えたハイエナのようなUSAの金融資本家どもが割り込んできて、しきりに戦争を煽り、大儲けを企んでいます。

現行憲法は、庶民を守る憲法です。

難しい舵取りですが、ハイエナUSAを上手くアシライ、なんとか戦争への道に踏み込まないようにしてくれる政党を選びましょう。



島唄 本当の意味(裏歌詞付)
http://www.youtube.com/watch?v=DKB41krUnVU

夏川りみ Rimi Natsukawa 島唄
http://www.youtube.com/watch?v=8foQlu_yW70

島唄 .新垣 勉
http://www.youtube.com/watch?v=uEcHPvV6o2c


USAだけでなく日本にも、平時でも、地獄の獄卒のような血も涙も無い人間が居ます。

福島原発で事故が起こったとき、庶民を救える立場に居りながら、重要な情報を故意に隠蔽した人たちです。

他の方法があることを知っていながら、平気で放射性物質を大気や海に垂れ流し続ける決定をした人たちです。

これからどれだけの子供たちが放射能の被害で苦しむことになるのでしょう。

まして、戦争になれば、人を殺すことが最高の手柄となるのです。

このような冷血な人たちがウンカの如くにわき出して、自国民だろうが他国民だろうが、殺しまくるのです。

そのウンカの一人は、あなたやわたし、そして、あなたや私の子供たちかもしれないのです。

戦争は、人を変えるようです。
優しかった人を、殺人鬼にしてしまうのです。

ただ、避けがたい戦争もあります。
一方的に侵略戦争を仕掛けられた時です。

私も、侵略者がやってきたら、武器を取って戦います。
侵略者を追い出すためには人殺しをしなければなりません。

だから、故意に戦争を起こすのはいけません。

まして、国民を奴隷的な立場にオトシメテ、徴兵するのは絶対に許せない。

戦う時は、国民自らの意思で戦うのです。

これまでのほとんどの戦争は、一部の金持ちの都合で始まっています。

困ったことに、おろかな一般国民が扇動されたり、誘導されたのも事実のようですが。



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AnotherUniverse日本ーーUSAの属国にして官僚主権の国の奇っ怪な政治現状 マニフェストは二枚舌の表、裏の本当の舌を見よ! 例えば、自民党の怖ろしい憲法草案など。

 2012.12.5(水) 本日の記事は、総選挙についてです。


たった一つの頼りになるはずの日本未来の党の立候補予定者名簿提出のごたごたと共に21世紀の日本の方向を決める可能性のある総選挙の公示日が暮れた。

私のようなボンクラにとっては唐突な年内の総選挙(民主主義が勝つか、全体主義が復活するかの決戦)の火ぶたがきって落とされた。

私には未だに小沢一郎という人が分からない。
もちろん、日本未来の党の党首、嘉田さんという人についてもほとんど知らない。

だが、世界には今大きな流れがあることはなんとなく分かってきた。

欧米の先進国を動かしているのはUSAのオバマ大統領でもなくドイツの女性首相でもフランスのオランド大統領でもないということだ。
アメリカに敗れてその支配下に組み込まれた日本の野田首相なんかは本当の操り人形に過ぎない。

どこの国の大統領も首相も、この流れに逆らえない。

巨大金融資本が寡頭支配する市場経済主義という流れである。
グローバル化とは彼らの利益のためにある。
グローバル化とは、二枚舌の表の用語なので聞こえは良いが、裏の舌で喋る本来の意味は、奴隷化(enslavement)なのである。

冗談ではなく、彼らは本気で世界を支配しようとしているのである。
欧米はすでに支配下にある。
アイスランドの反抗はよく理解できていないが。

自民党の憲法改正案は、そういう流れに乗ろうとして作られたものである。

太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗れた日本は、欧米諸国や東アジア諸国から未だに自主独立を認知されていない。

日本が本気で自主独立国家を目指そうとするなら、欧米・東アジア諸国は、日本をイラン並みに扱うだろう。
欧米のオバマやオランド、メルケルあるいはキャメロンがイラン嫌いなのではなく、裏の寡頭支配層が嫌うのである。

現在の日本の右翼政党は、彼らとの戦争は望んでいない。
戦争しようにもイランのような孤立状態になれば戦うことすらできない。
つまり、本当の意味の自主独立を目指そうという気概なんて持ち合わせていない。
彼らの支配下に正式に組み込まれて甘い汁を吸おうとしているのだ。

残念ながら日本人が大好きな性善説は単なる理想や願望に過ぎない。

人間は、他の野生動物とまったく同じで、生き延びようとする本能のままに生きている。

人類がつくり上げて来た人間らしさという尊い理念は、本能の前では儚い願いに過ぎなくなる。
釈尊の理念も木っ端微塵に踏み砕かれる。

民主党政権が行っている(今現在も惨劇は継続中の)原発事故対応が、このことをよく示してくれている。

 今回の総選挙の争点は、脱(卒)原発・嫌TPP・消費税増税廃止は表の話で、本当の政治の話は、世界の裏の流れにどう乗るのかという選択の仕方なのである。

右翼政党は、金融資本・軍産複合体(古いかなぁ)などの支配下に丸ごと入り、日本国民をグローバル化・市場経済至上主義に放り込み、奴隷化することを目指している。

対する、少数派の日本未来や社民・共産などが、国民奴隷化を阻もうとする勢力と考えている。
私は、私はこの勢力に賭けてみようと思っている。

ただし、市場経済は今や世界の流れの一つであり、この流れから外れることは出来ないだろうから、社民や共産のような経済政策が曖昧な政党には今のところ政治を任せられない。

これらの政党とは、協調しつつという路線が良いだろう。

小沢一郎がどういう人たちから巨額の資金を集めているのか分からないから不安なのだが、今のところ、国民目線を唱えつつ、現実的な政治を運営できそうなグループは、他にないだろう。

私の選挙区には、共産しか該当する政党が無いので、小選挙区ではそこに投票することにする。
比例に期待しよう。

民主主義万歳!!
国民主権万歳!!
基本的人権万歳!!
良識万歳!!
思いやり万歳!!
三民(民主・民族・民生)主義万歳!!

選挙の参考資料(時事ドットコムより引用)
『日本の清潔度、17位に下がる=最悪は北朝鮮-世界汚職番付

【ベルリン時事】世界各国の汚職や腐敗を監視するNGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」(本部ベルリン)は5日、2012年の「汚職番付」を発表した。日本は17位で昨年の14位から番付を下げた。最も腐敗している最下位は北朝鮮とソマリア、アフガニスタンの3カ国だった。
番付では176カ国・地域の公的部門の腐敗を調べ、「清潔度」を指数(最高100)で示した。日本の指数は英国と並び74、北朝鮮は8だった。
同組織は最下位の3カ国について、「責任のある指導者と効果的な公的機関を欠いており、腐敗にはるかに強い姿勢で対応する必要がある」と指摘した。
最も清潔と評価された1位はデンマークとフィンランド、ニュージーランドの3カ国で指数は90。米国は73で19位、中国は39で80位だった。(2012/12/05-16:14)』

総選挙の結果次第で、この指数は大きく変化しそうです。

民主主義のために頑張りましょう!!!


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