地上デジタル放送移行を前にしてチューナーやアンテナを設置すべきかどうか迷っている。
政府が7月にアナログ放送廃止を決断しても直ぐにチューナーやアンテナを購入するのを控えるだろう。
最大の理由は、NHKはもとより民放のコンテンツがまともに視聴する気になれないほど低級だからである。
政府が7月にアナログ放送廃止を決断しても直ぐにチューナーやアンテナを購入するのを控えるだろう。
最大の理由は、NHKはもとより民放のコンテンツがまともに視聴する気になれないほど低級だからである。
そういいながら、日々のフラストレーション解消と何もやる気がしなくなった時のペット代わりに視聴している。
だから、この低俗なペットなんか無ければ無いで問題はない。
やるべきことに精を出せばいいだけのことである。
だから、この低俗なペットなんか無ければ無いで問題はない。
やるべきことに精を出せばいいだけのことである。
最も最低なコンテンツが報道番組つまりニュースである。
かつてNHKの啓蒙番組を熱心に視聴した私だが、ある時、そういう啓蒙番組の内容の軽薄さに気づき、それ以来視聴するのを止めた。
文字通り知識の切り売りであり穴埋め番組なのである。
今はNHKの番組を全く視聴していない。
NHKの体質も理念も嫌いだからである。
かつてNHKの啓蒙番組を熱心に視聴した私だが、ある時、そういう啓蒙番組の内容の軽薄さに気づき、それ以来視聴するのを止めた。
文字通り知識の切り売りであり穴埋め番組なのである。
今はNHKの番組を全く視聴していない。
NHKの体質も理念も嫌いだからである。
だから最低な報道番組(ニュース)というのは、民放の話しである。
何が最低なのか?
ニュースを見続けても、何も分からないからである。
政治経済のニュースは断片的でカメラの後ろや隣りが全く見えないのである。
しかも、追跡取材して報道するという基本すらも守っていない。
それなのに、どんどん縮小されている肝心のニュースの時間に、久美ちゃんと桃ちゃんとかいう正真正銘のオバサンと何とかいうオジサン報道記者の三角関係を根掘り葉掘り実に熱心に取材し、しかも、報道の基本姿勢である追跡取材をキチンと実践している。
うんざりしてチャンネルを切り替え、かなりしてからもう終わったろうとチャンネルを戻すと、まだやっているという体たらく。
まさに低俗瓦版である。
キャスターのとなりには、こういう低俗なニュースから高度な経済政治のニュースまで幅広く解説できるコメンテーターなる人物が鎮座している。
神の如くにバッタバッタと見事に斬り捨てる。
神は完全無欠だから責任どうのこうのと非難される恐れが無い。
ところがこの神様、カンカラ缶だなどと軽口を叩くカンカラカンなのである。
何が最低なのか?
ニュースを見続けても、何も分からないからである。
政治経済のニュースは断片的でカメラの後ろや隣りが全く見えないのである。
しかも、追跡取材して報道するという基本すらも守っていない。
それなのに、どんどん縮小されている肝心のニュースの時間に、久美ちゃんと桃ちゃんとかいう正真正銘のオバサンと何とかいうオジサン報道記者の三角関係を根掘り葉掘り実に熱心に取材し、しかも、報道の基本姿勢である追跡取材をキチンと実践している。
うんざりしてチャンネルを切り替え、かなりしてからもう終わったろうとチャンネルを戻すと、まだやっているという体たらく。
まさに低俗瓦版である。
キャスターのとなりには、こういう低俗なニュースから高度な経済政治のニュースまで幅広く解説できるコメンテーターなる人物が鎮座している。
神の如くにバッタバッタと見事に斬り捨てる。
神は完全無欠だから責任どうのこうのと非難される恐れが無い。
ところがこの神様、カンカラ缶だなどと軽口を叩くカンカラカンなのである。
どうしてこうなってしまったのか?
これが日本の現状だからである。
いくらなんでも、民放全局の経営陣がもともとこれほど低級・低俗だとは思えない。
また、現場のスタッフが骨の髄まで腐っているとも思えない。
NHKのような収入源を持たない民放には、その弱点を突いた圧力がかかっていると判断すべきだろう。
つまり、我々はお仕着せを押し付けられているのである。
一方、視聴者もまた低俗であり従順なのである。
これが日本の現状だからである。
いくらなんでも、民放全局の経営陣がもともとこれほど低級・低俗だとは思えない。
また、現場のスタッフが骨の髄まで腐っているとも思えない。
NHKのような収入源を持たない民放には、その弱点を突いた圧力がかかっていると判断すべきだろう。
つまり、我々はお仕着せを押し付けられているのである。
一方、視聴者もまた低俗であり従順なのである。
こういうTVにとにもかくにも満足し、地上デジタル放送への切り替え準備を進めている日本国民の宗教観の底も奥行きも見え見えである。
かつて私もスペイン・カタルニアに今も建造が進行中のサグラダ・ファミリアに興味を持ったことがある。
ゴシック様式の尖塔や高い天井の教会建築が嫌いだったが、印象の柔らかいサグラダ・ファミリアには好感が持てた。
だが、よく考えれば、これも低俗な宗教心の表れであることに変わりは無いと気づき関心が薄れた。
人は何故完全無欠恒常不変な神にばかり眼を向けるのか?
神は愛と慈悲の眼差しを「全ての」「人間」に向けている筈なのだ。
何故それを信じられないのか?
いくら尖塔を高くしても絶対に神には近づけない。
神はそんな愚かな行為を人間に求めていない。
どうして神の慈愛の視線の先を見ないのか?
尖塔が無いと信仰は揺らぐとでも言うのだろうか?
神の代行業者を気取る人たちのごてごてした高価な衣服を見よ!
神はそんな彼らなんか見ていないと思う。
「愛」が神から発したものなら、神は最も弱いものを見ているはずだ。
恐らくそのことに初めて気づいたのがイエスなのだろう。
私は神が嫌いだが、そういうイエスなら尊敬する。
ゴシック様式の尖塔や高い天井の教会建築が嫌いだったが、印象の柔らかいサグラダ・ファミリアには好感が持てた。
だが、よく考えれば、これも低俗な宗教心の表れであることに変わりは無いと気づき関心が薄れた。
人は何故完全無欠恒常不変な神にばかり眼を向けるのか?
神は愛と慈悲の眼差しを「全ての」「人間」に向けている筈なのだ。
何故それを信じられないのか?
いくら尖塔を高くしても絶対に神には近づけない。
神はそんな愚かな行為を人間に求めていない。
どうして神の慈愛の視線の先を見ないのか?
尖塔が無いと信仰は揺らぐとでも言うのだろうか?
神の代行業者を気取る人たちのごてごてした高価な衣服を見よ!
神はそんな彼らなんか見ていないと思う。
「愛」が神から発したものなら、神は最も弱いものを見ているはずだ。
恐らくそのことに初めて気づいたのがイエスなのだろう。
私は神が嫌いだが、そういうイエスなら尊敬する。
これからの本当の宗教の精神は次の詩のようなものだと思う。
〔雨ニモマケズ〕
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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