avarokitei84のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

2008年06月

詩篇「春と修羅」になかなか手がつかない。

疑問がいろいろあるがどれも読み解くのが難しい。

何故この詩篇が冒頭に置かれなかったのか?

現在の位置に有るのは単に日付だけが理由なのか?

「まことのことば」は何時から無いのか?

「まことのことば」と法華経の関係は?

恋と「まことのことば」の関係は?

賢治の因果の法則は、どの経典・論あるいは、誰の論を採用しているのか?

科学の法則と因果の法則との接点は?

因果の法則からも科学の法則からも束縛されない如来を認識する手立てはあるのか?

狭い日本国内でさえ、宗派間や分派間で争いを続けていて一向にに治まる気配が無い。

どうしてなんだろう?

理由は恐らく簡単だろう。

お釈迦さまの教えを身につけていないのにそのセクトでは高い地位にある方々がひじをつっぱらかしているからだと憶測できる。

それが、違う神さまを信仰する宗教同士の争いとなったら大変なのは眼に見えている。

そしてそれが現実になっている。

何百年もそういう争いが続いている。

人間、如何に欲張りで頑固でわがままであるかが分かる。

僕のそういう部類の程度なんか可愛いものじゃないかな。

さて、そこで考えたのだが、欲の深い、本当の智慧の浅い人間(坊さん・法王・その他)じゃなくて、ご本尊の神さまにご集合いただいたらどうかなと。

お釈迦さま以外は、どの宗教の神さまもご健在で、まだお隠れになられておられないと思う。

お釈迦さまは会議に出席されても多分議論に加わらないと思うのでいらっしゃらなくても良いのではないか。

とにかく、円卓で神さま同士で忌憚のない本音を語り合ったら、案外、現在の面倒な宗教対立が一気に解消できるのではないか。

そんな期待をしました。

あなたは朝食で何をたべましたかな?

いつも通りのメニューでして、食パン・ダシ巻き卵・ニンジンとトマトとたまねぎのスープ・ヨーグルト・果物です。

五分類による栄養配分ですな?

はい。

お味は如何でしたか?

いつも美味しいですよ。

食欲があり、食べ物は美味しい?

それが生きている楽しみの一つじゃないでしょうか?

そうですね。

そういえば、お釈迦さまは食事の時美味しいと感じられなかったんですか?

感じたかもしれません。
何故断言しないかお分かりですね。
私自身は悟りの境地を体験していないからです。

では、あなたがおっしゃっておられることは全部適当な推量だということですか?

そう考えられてもかまいません。
私はそうとしか考えられないと思うことを述べているつもりですが。

ま、いいでしょう。
あなたを絶対的に信仰するためにお話しを伺っているのではないのですから。
最後は僕が自分で判断する他ないんですからね。

その通りです。
では、曖昧な返事の根拠はあるのかというと、経典の中に結構たくさん記述されているのです。
「味に耽溺するな」というような言い方で。

なるほど、あらゆるものを捨てたのですから、捨てた中には、食の楽しみも入っているのですね?
それに、あらゆる食べ物は、すべて他の生き物の体ですから、殺生につながりますものね。

そうです。
お釈迦さまは、感官を制御せよともおっしゃっておられます。
食の楽しみは、大部分は舌つまり味覚を通して得られるものです。
味覚も制御すべき感官の一つです。

やれやれ、それじゃ何の為に頑張って勉強して良い仕事を見つけ、お金を稼ぐのか、稼ぐ意味がなくなりますね。

あなたが言っておられるのはいわゆる世間の生き方であり、目的ですよ。
お釈迦さまはそういう世間での生き方になんの希望も見出せず、世間を捨てられたのです。

それは何度も聞きました。
友達と食事をしながら会話を楽しむこともしない、頑張ってお金を稼いで恋人や家族を喜ばせることもしない、努力して立身出世することも目指さないとすると、あと、どんな楽しみがあるのですか?
そうだ、悟りとか解脱とか涅槃の境地に至ることが楽しみなんですね?

あなたは自分が目指した目標を達成したことが何度もおありでしょう?

そりゃ僕だって幾つか経験しましたよ。
それが何か関係があるんでしょうか?

目標は達成できれば喜びであり、出来なければ落胆と苦しみや悲しみをもたらします。

その通りですね。

喜びも落胆・苦しみ・悲しみも、永続しませんね。

思い出の中にしまわれていますが、その時の状態がずっと続くと言うことはありませんでしたね、確かに。

また、新たな目標を見つけ出し、そこに向かって進むしかありませんね。

はい。

それが世間のあり方なのではないでしょうか?

と言いますと、お釈迦さまの場合は違うということですね。
違うということは、悟り・解脱・涅槃の境地に達したらずっとその状態だと言いたいのですか?
そんなぁ!

実は、正直に申し上げて、そのご質問には厳密にお答えできません。
くどいようですが、私は未だその境地を経験していないからです。

あ、いや、責めているんではないんですよ。

ただ、確かに言えることはあるんです。
お釈迦さまも直弟子たちも、衣食住という最低限の生きているためにやらなければならないことが終われば、大体瞑想をしておられたのではないかと思うのです。

なるほど、そうですよね。
世間の楽しみ一切を拒否されたのですから、実際、世間の人間だったらもう何もやること残っていませんものね。
なるほど、瞑想をしていたのか!

死の間際までお釈迦さまが瞑想をされていたと経典に記述されているものだから、お釈迦さまは一遍に悟られたのではなくて、生涯をかけて徐々にさとりを獲得されたとか、お釈迦さまも、瞑想を終えられ、普通に会話する状態に戻ると、感官の影響を受けざるを得なかったのじゃないかというような憶測が囁かれています。

僕なんかもそう思っていましたよ。

私も揺れていました。
しかし、やはり、お釈迦さまはスジャータが捧げた乳粥を食べられ、ネーランジャラー河畔の菩提樹下で悟りをひらかれたとき、解脱・涅槃の境地に達したのだと信じます。

一般には漠然とそう教えられていますね。

律にあるお釈迦さまの伝記によれば数週間に渡って、お釈迦さまは繰り返し繰り返し確認をされたようです。
それは、ご自分が確かに世間を離脱できたかどうかということだった思うのです。
世間に生きていたときお釈迦さまを縛っていたあらゆる束縛を離れることができたことを確認されたのだと思います。

ちょっと待ってください。
お釈迦さまは死んだわけではないんですよね。
悟りをひらいた後も生きておられたんでしょう?

そうですよ。

生きているということは体が世間にあるということではないんですか?

その通りです。

では、お釈迦さまは世間を離れていないんじゃないですか?

良い質問ですね。
あなたは、今、そう言っている時、お釈迦さまが古代インドのネーランジャラー河畔の菩提樹の下に居られるのを想像されていますよね。

勿論です。

あなたはお釈迦さまを外から一個の物体として見ておられます。
しかし、悟りをひらかれた時のお釈迦さまは、お釈迦さまの臨終の言葉とされる「自己」によってのみ、世間を見、ご自分を考えておられたのです。
その時、誰かがお釈迦さまの悟りの瞬間を見ていても、お釈迦さまは別にどこへも行かれていません。
お体は確かに菩提樹の下に見ることが出来たでしょう。

ふーん!
分からん。

私もそれ以上の説明はできません。
つまり、ほとんど分かっていないのです。

ということは、よく分からんのですが、お釈迦さまは悟りをひらかれた後は、僕たちの楽しみには一切興味をもたれることはなくなった。
ただ、瞑想を楽しまれたと、こういうことですね。

はい。
後は、私かあなたが悟りをひらいて経験する他ありませんね。

僕にとっては、倶舎論の宇宙観は、現在の宇宙論に引けを取らない位壮大な想像世界ですが、後世の大乗仏教各派はそれでも物足りないといって、さらに世界を付け足しました。

まず、日蓮の言うことを読んでみて下さい。

日蓮は、倶舎論を含む部派仏教を三蔵といっています。
三蔵とは、正しくは、部派ではなく、経典類を指します。
しかし、意味はほぼ同じです。三蔵=部派仏教なのです。

「三蔵とは阿含経の意ココロなり。此の経の意は六道より外を明かさず、但し、六道(地獄~天)の内の因果の道理を明かす。但し、正報は十界を明かすなり、地獄~天と声聞・縁覚・菩薩・仏なり。依報が六にてあれば六界と申すなり。この教の意ココロは六道より外を明かさざれば三界より外に浄土と申す生処ありと言わず、また、三世に仏は次第次第に出世すとは云えども横に十方に並べて仏有りとも云わず。」(「一代聖教大意」より)

三蔵とは、経・律・論のこと。三蔵法師の三蔵。経が教えの集成・律が戒律・論が倶舎論など経の分析論文。

阿含経はアーガマといい、現在最もお釈迦さまの教えに近いとされているもの。
テーラヴァーダが伝承したパーリ語のものと、中国から日本にも伝来した漢訳(漢字)のものと、断片類がある。

上の日蓮の文章はほぼこれまで見てきた倶舎論の記述に不足があると言っている。

何が不足なのか。

依報というのは、倶舎論で言うところの器世間のことで、従って、六道(地獄~天)の輪廻する場所のことである。

六道は、また三界とも言われる。
欲界・色界・無色界。
これは、六道を望ましくない生まれから六道で最高の生まれまでを、色欲を基準にして分類したもの。
無色界は、色欲どころかそのもととなる肉体さえも持たないとされる。

正報とは、因果の理法によって有情(生きとし生けるもの)が輪廻を繰り返す中で得る生存状態のこと。
要するに、地獄~天に生まれること。
倶舎論は、正報についても六界しか説明していない。

考え方によって違うだろうが、恐らく日蓮は、お釈迦さま以前にも独力でさとりを開いた者がいたと考えていただろう。

それが、仏であり、菩薩であり、縁覚(辟支仏ビャクシブツ)であった。

さらに、お釈迦さまの教えを頼りに弟子となって修行して悟りに近づく者も現われると、六道輪廻の繰り返しから離脱する者・声聞が登場する。

これも正しくは、声聞から仏は、因果の理法を離脱しているはずだから、正報とは言わないと思うのだが、細かいことはいいでしょう。

日蓮は言う。

部派仏教では、器世間は六道(しかない)としている。
しかし、声聞から仏までの四つの世間を離れた状態があるから、生存の状態に関しては部派仏教でも十界である。
ただ、部派仏教では、六道以外の生存場所(生まれ変わりの場所?)として、例えば、浄土などを考えていない(これが第一の不足)。

また、お釈迦さまがこの世に出現するまでの長い修行の歴史(幾多の仏に仕え、菩薩として修行してこの世でさとりを開き釈迦仏となった)のことは部派仏教でも説いているが、仏がお釈迦さまお一人ではなく、十方に仏が居られることは説いていない(これが第二の不足)。
三世は過去・現在・未来。

日蓮が不満だと言ったのは、僕たち日本人には馴染み深い「浄土」とか、「十方の仏」とか言う概念が、倶舎論には無いということなのです。

だから、小せぇと言うわけです。

だが、(正確な議論ではありませんが)、日蓮の言い分と、倶舎論の言い分は同じ俎板ではないような気がします。

倶舎論は、(恐らく)、六道・六界は有情が輪廻を繰り返す世間だと厳密に規定しているのに対して、日蓮は、輪廻の世界=世間と、声聞~仏のような、世間を離脱した境涯とを同一世界の延長上に考えているのではないかと思う。

アーガマにはしばしば、お釈迦さまが、さとりを開いたものは死後どうなるのかとの質問に対して、「世間の有情には憶測することも出来ない状態になることなので、ただ、ロウソクの火が消えるようなものだとしか良い様がない」というような答えをしたと記述している。

つまり、どこかに生まれるとも、生まれないとも答えていない。

そういう世間的な、六道輪廻的な思考では理解できない状態になるのだと言いたいらしい。

倶舎論はこういう記述に忠実に従っているのだろう。

輪廻を繰り返す有情とは全く異なる状態なのだから、それは記述の仕様がないと言うことだと思う。

何か、特別な世界を想定すれば、その世界についての形而上学的な詮索が生ずるだろうし、いろいろな想念が湧き出す。

それでは、世間とどこが違うのだと言いたいのだ。

一方、日蓮などの大乗仏教徒側は、こちらも譲れない教理を持っていて、どうしても十界を想定せざるを得ないらしい。

ややこしいですね。

イメージ 1

人間が居ても居なくても月はあるでしょうか?

答え:無い。

何を馬鹿なことをおっしゃる、と言いたいですね。

そうです。

人間が居ようと居まいと、それらしい原子や分子の集合は宇宙を移動しているでしょう。

仮に、ミクロの眼を持つ生き物が宇宙を飛び回っていて、たまたま太陽系に紛れ込んで、そして、月を見たとします。

この生き物は、原子どころかもっとはるかに小さなモノが見えてしまうために、月を構成する元素の集合というものを認識できない可能性もあるでしょう。

あるいは、その生き物の眼が、光り(つまり可視光)だけに反応するのでなく、あらゆる電磁波に反応できるのだったら、一体月はどういうモノに見えるんでしょう。

こういう訳で、僕たちが月と呼んでいるモノは、人間だけに月だと見えるモノなのです。

だから、そういう意味で、人間が居なければ月は無い(も同然な)のです。

逆に言うと、人間があると言えば在ることにもなり得ます。

古代インドの聖典、ヴェーダの作者たちは、言葉というモノが在ると考えたようです。
言葉の実在です。
実在する言葉は偉大な力を発揮すると考えました。

祈りの力の実在の信仰です。

こういうことに関しては、有り無しの立証は不可能ですから、在ると言えば有り、無いと言えば無いという厄介な事態となります。


これからいよいよ、眼に見えない(といっても、風輪も水輪も金輪も見えなかったはずなんですが)世界、六道輪廻の世界の解説です。

六道は、輪廻リンネ(生まれかわりを繰り返す原理)において、次に生まれかわりたくない順に、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅(修羅)・人・天の六つの境涯(界=世界)です。

特に、地獄・餓鬼・畜生は三悪趣(三悪道)と呼んで、絶対に避けたい生まれかわりだったようです。

このうち、誰にも見えるのは人の世界だけです。

宮沢賢治には、他の境涯も見えたかもしれないが、それは賢治しか知らないことなので何ともコメントできない。

人の界しか僕たちには見えないが、六道輪廻の世界は金輪に乗っている世界全部のことです。

つまり、スメール世界です。

中央にスメール山(須弥山or妙高山)。

その周りは海。その外側に方形の山の連なり。その外側はまた海。・・・。

桜部先生は、スメール山が四角錐だからか、そういう記述があるからか、スメール山の周りを囲む七重の山脈を四角く描いています。

この七重の山はどれも金キンの山だそうです。

うーん。
何でみんな金なんだ。

七重の山脈は、内側から
 .罐吋鵐瀬---32万km
◆.ぅ轡礇瀬---16万km
 キャジラカ---8万km
ぁ.愁瀬螢轡礇---4万km
ァ.▲轡奪僖灰鵐---2万km
Α.咼淵織---1万km
А.縫潺鵐瀬---5000m(0.5km)→正しくは、5千km。
です。( )内の数字は山の高さ。
*算数間違えました。ニミンダラ山は5000kmです。

それぞれの間に海があります。

それぞれの山脈の高さは、内側から順にスメールの半分、そのまた半分という割合で低くなっているとされます。

スメール山とニミンダラまでの七つの外輪山(前回で僕は内輪山と書いてしまいました)は、天の世界つまり、神々の棲む世界だそうです。

とにかく、スメール山の大きさが半端じゃないので、ニミンダラ山までの距離も相当なものでしょう。

ただし、桜部先生の計算がこの部分だけはちょっと混乱していて、はっきりしません。

とにかく、ニミンダラまでは神々の領域だということです。

ニミンダラの外側も海で、ニミンダラに近い海の中に東西南北に四つの大きな大地(大陸)があります。

四つの大陸は金輪に乗っているんでしょう。

南にジャンブー州、北にクル州、東にヴィデーハ州、西にゴーターニーヤ州。

形がそれぞれ、ジャ州が三角、クル州が四角、ゴーダー州が丸、ヴィデー州が半月形。

ジャンブー州の一辺は、16000km。
実際よりは4~5倍でしょうが、当時のインド人の感覚ではこのくらいかも。
移動手段は歩きですから。

スメール山の南が三角のジャンブー州と聞けば、ははん、スメールがヒマラヤで、ジャンブー州はインドだなと思いますね。

しかも、ジャンブー州(インド半島)と、ニミンダラの間が海だなんて。

かつて南からインド半島が大陸移動してきて今でもヒマラヤを押し続けている事を考えると、もしかして、インド人は大陸移動を知っていたのかななんて想像してしまう。

だが、実はこの推測は当たってないのです。

古代インド人は、ジャンブー州にヒマラヤに相当する山をちゃんと別に考えていました。

ジャンブー州の一番北に雪の山があると考えたようです。
恐らくこれがヒマラヤでしょう。

四つの大陸のある海のさらに外周(スメール山から見て)となっているのが、チャクラヴァーダ山(鉄囲山---名のごとく鉄の山)です。

チャクラヴァーダ山の高さは、ニミンダラの半分2500km。(ヒマラヤの約3倍→訂正約250倍)

恐らく、古代インド人の世界はここまでだったでしょう。

古代インド人は、チャクラヴァーダ山まで航海できると思ったでしょうか?
恐らく想像もしなかったと思います。

ジャンブー州の南端からは、少なく見ても、数十万kmはあったはずなんですから。

記述がはっきりしないんでいい加減な推測ですが、チャクラヴァーダ山の外周が金輪の外周なのかなって。

ところで、気になる記述があります。

ジャンブー州の空の色が青い理由に関する記述です。

理由は、スメールの南斜面がエメラルドだからなんだそうです。

だとすると、クル州の空は金色。
ヴィデーハ州は銀色。
ゴーダーニャー州の空は水晶色つまり透明となります。

そんな~。

地獄はジャンブー州の地下16万kmのところにあるそうです。
なにしろ、金輪からスメール付近の海面までの海の深さが64万kmなんですから。

地表(地上)が、餓鬼と畜生と人の棲む界(世界)です。

阿修羅は水の中に棲みます。

お分かりでしょうか。

倶舎論の著者は、六道の実在(といっても実体ではなく、現象)を信じていたのです。

人が現象であれなんであれ、ある(存在する)なら、全く同じ確かさで、他の五つの境涯のモノたちも同じ現象として存在したということです。

これが仏教の世界観で言う「世間セケン」です。
今の日本で使われる世間という語の意味とは、まったくと言って良いほど違う意味あいです。

世間セケンとは、因果の理法に従って六道輪廻が繰り返される世界です。
スメール世界全体のことなのです。
厳密に言えば、スメール世界は器世間と呼ばれ、そこにおいて有情(輪廻するモノたち)が存在し、輪廻を繰り返すところです。

僕たちにとっては、人間世界以外は有るとも無いとも考えられない世界ですが、古代インド人にとっては、確かに実在する世界(くどいようですが現象として)だったのでしょう。

おそらく、これが賢治の異世界観でもあったのでしょう。

賢治があれほどしつこく死後の妹トシの行方を追ったのも、この信念を覆されたくなかったからでしょう。

輪廻を信じている賢治にとっては、トシは死後どこかに生まれかわらなければならなかったのですから。

あれ、トシは法華経の力で仏になったのではと、以前の僕同様思う方は、考えてください。

もし、法華経がそんな保証をしているのなら、賢治がなんであんなに苦しまなければならなかったのかということを。

僕等の何倍も賢治は法華経の勉強をしていたはずです。

古代インド人はよほど宝石好きだったんですね。

経典にも宝石がたくさん出てきます。

だからでしょうか、賢治の宝石好きは。

スメール世界の大地は、なんと厚い金キンgoldの層(金輪コンリン)の上に乗っているんだそうです。

おまけに、金輪に聳え立つ超巨大な山、スメール山(須弥山シュミセン)は、やっぱり宝石なんだそうです。

スメール山は、変形四角錐で、その途中は絞られていて(砂時計のようなと形容)、テッペン付近は削り取られて平らになっているそうですが、その四面はそれぞれ銀・水晶・エメラルド・金なんだそうです。

あまり深く詮索しないほうがよさそうなんですが、例えば凄く気になるもの、エメラルドはスメール山の四分の一なのか、それとも表面だけなのかなんて。

各成分の境界はどういう仕方で接着しているんだなんていうことも聴かないほうが良い。


まず、風輪と古代インド人の住む大地との間はどうなっているのかをコピペします。

風輪が形成されると今度は、同じ原理でつまりサットヴァ・カルマンの働きで風輪の上に風ではなくて雲が凝縮し始めるらしい。

雲は次第に厚くなりやがて激しく雨を降らせる。

普通、今の人なら、降った雨は風輪全体に溜まると考える。

ところが、古代インド人はここでも独特の論理を展開する。

雨は、風輪の中心付近にだけ降り積もるというのだ。

この雨の積もった層が水輪スイリン。

その水輪の直径は、962万7600km。

風輪に較べればちっちゃいが、地球に較べれば途方も無い大きさです。

最終的な水の量は、厚さ(深さor高さ)896万km。

ちょっと待ってくれ、と言いたくなるでしょう。

何で水がそんなに高く降り溜まっても、周囲に溢れ出さないんだって。

これもサットヴァ・カルマンの原理なんだそうです。

そのサットヴァ・カルマンの風圧で、これだけの高さの水を支えているんだそうです。

古代インド人はニュートンの力学を知らなくて良かったですね。

もしかしたら、スメール世界には重力が働いていないのかもしれません。

でもそうだとすると今度は別な難問が生じる。
人はどうやって大地に立っていられるんだって。
聞きッ齧りの浅知恵で知ったかぶりするなって怒られますね。

サットヴァ・カルマンは業ゴウですから、業の力の強大なこと。

こうして水輪が完成します。

見たいですね。

超巨大な水の壁を。

ただ、どうなんでしょう、同じ直径の金輪が水輪の上部にあり、その金輪の上に高さ128万kmのスメール山が乗っている。

スメール山は、その高さの半分が金輪の上にある真水の海の中に沈んでいるそうです。

倶舎論の記述からすれば、インド人はスメール山の高さについては、海上の部分を考えていたようです。

つまり、スメール山の高さは、64万km。
頂上の方形の一辺は64万km。
だから、底辺はこれまたとてつもない大きさとなります。

問題は、太陽がスメール山の中腹(つまり、32万km上空あたり---あれれ、月までの大体の距離だ)を周回しているとインド人が考えたことです。

軌道の径は書いてないので分かりませんが、いくらなんでも金輪の直径よりも大きいことはないでしょう。(当たり前だが、全く重力を考えていない)

ですから、もしも、スメール世界を風輪・水輪(とその上部の金輪)とその上にあるスメール山や海(水輪とは別な水らしい)、大地、そして、日月だけに限定すれば、水輪の美しさは見ることが出来ないでしょう。

光りが届かないからです。

しかし、そこはそれ、古代インド人ですからどういう論理で反論してくるか分かりません。

楽しみです。

さて、水輪が完成すると、またまた、サットヴァ・カルマンの働きで、水輪の上層部に金(カネじゃなくてキン)の層が形成されてくるんだそうです。

どうして、水から金キンがと聞くよりも、はいそうですかと素直に聞いておいた方が良さそうです。

なぜって、現代だって、聞かれても答えられないことってたくさんあるんですから。

古代インド人をあざ笑うと、逆襲を受けて恥をかくことになります。

例えば、何で水素原子は、電子の値が1なんだって聞かれたらどうします?

そりゃなによ、電子が一個(と昔風に数えて)な奴を水素って呼んだからよ、なんて答えても答えになりませんからね。

で、金輪の直径は水輪の上部の吹き溜まりですから、水輪と同じ直径。

金輪の厚さは、水輪の厚さの七分の二(256万km)。

太陽の直径が139万2000kmですから、ほんとに途方もない数字ですね。

それにしても、インド人は金キンが好きですね。

直径962万7600km、厚さ256万kmの金(の塊ですよ)。

ゴックンですね。

よく分からないところがあるんですが、この金輪の上にいわゆる大地があるのだそうです。

つまりです。
地球のようにですね、地殻の上に海があるんじゃなく、金輪の上にスメール山とその他の内輪山・大陸(四つの大地)と外輪山と海があるのです。
だから、海の底・海底はオール純金ってことです。

ちょっとぐらい削っても良いかなって考えたでしょうか。

ああ、繰り返し嘆息。

サットヴァ・カルマンの底力よ。

水輪の位置エネルギーを押し止め、とてつもない量の金板キンノイタを乗せ、さらにその上にスメール山他の山々・大地・海を乗せて平気な顔をしているサットヴァ・カルマンの業力のもの凄さ。

これなら、輪廻の大エネルギー源となり得ますね。

ところで、金輪際もうしません、なんていう言い方で使われる金輪際は、この金輪とその下の水輪との境界のことだそうです。
 *http://gogen-allguide.com/ko/konrinzai.html(語源由来辞典)

なんてことを言うんですか、お釈迦さまって慈悲そのものって感じの方なのに。

何か誤解されてますね。

は?
非平和主義者ってことは、好戦主義者だったってことでしょう?

それは大変な誤解です。

いや、誤解を招いたのはあなたですよ。
いきなり、お釈迦さまは平和主義者じゃないなんて言いだして。

あなたは「反」と「非」を混同されてます。
お釈迦さまは、平和主義という考え方とか主張とかムードとかに関係が無いお方だったらしいと言いたかったのです。
平和主義に反対されたとか、好戦主義者だったとかいうことではありません。

おっしゃることが飲み込めません。
何を言いたいのですか?

最初のお話のときに、お釈迦さまは一切を捨てたお方だと話しましたよね。

はい、何となく理解できました。
まあ、正直言えば、そんなことほんとに出来たのかな、それを一生貫けたのかななんて疑問は残ってますがね。
なにしろ仏様といわれるお方ですから、並の人間でなかったことは確かでしょうから、ありえない話しでもないかなっていう感じの納得ですね。

ややこしい納得ですね。
仏教の理解すなわちお釈迦さまの理解っていうのは、ほんとは、すごく難しいものだと思っています。
だから、なかなか納得できなくても仕方ないと思います。

そう言ってもらえると。

あなたは坊さんが平和とか世界平和とかという言葉を口にしているのを聞いて違和感を感じませんか?

全く感じません。
むしろ、お坊さん達が平和運動をもっと熱心にやってほしいと思うくらいです。

なるほど、そうですか。

何かおかしいですか?

いや、ほとんどの人はそう考えているだろうなと思ったのです。
平和とか戦乱というのは、自然現象でしょうか?

それはおかしな質問です。
平和も戦乱も人間社会の事柄ですから、人為的なものです。

人為的と自然現象はどう違いますか?

自然現象は、人間の関与に関わりなく進行する事柄で、人為的な現象は人間が引き起こす事柄でしょう?

あなたは人間を特別な存在だと思っておられますね?

おっしゃる意味が分かりません。

こういうことです。
今日私は、「いろいろな仏教の宇宙観・世界観」に人間を含めたあらゆる生き物が生きている場所すなわち現代で言う宇宙船地球号、お釈迦さまの時代の言葉では世間セケンっていわれていた場所について書きました。
あらゆる生き物ってのは、地獄の住人、餓鬼、畜生から天上の生き物つまり神さままでです。

それって三界六道のことでしょう?

そうです。
今生コンジョウで人間でも、次生ジショウは天の神かもしれないし、犬になるかもしれない。
人間は特別な存在じゃないんですよ。
六道の生き物、言い換えれば世間の生き物はみんな煩悩の持主で、六道の間をいろいろな生き物に生まれかわりながら何時までもさまよい続けるものなんです。

今時イマドキ、地獄だとか天だとか言われても。
神話的なお話しとしてなら聞く気がありますがね。

お釈迦さまのお話をしているわけですから、なにしろ2500年前のことですから、神話が混ざりこんでもしようが無いのです。

なんとなく、人間は特別じゃないってことは分かってきました。

ありがとう。
説明が下手ですね。
お釈迦さまはこういうとき巧みな譬タトエで一気に理解させていたようなんですが、どうも下手です。

つまり、人間も地獄も餓鬼も畜生も修羅も天もみんな六道を彷徨サマヨい輪廻を繰り返す迷える生き物だという点では同じだと言いたいんでしょう?

その通りです。

なるほど、みんな因縁によって生じ、因縁によって滅する無常のものだったんですね。

そうなんです。
六道を彷徨う生き物が住む場所を器世間キセケンって言うのですが、これ現在の地球のことです。
この地球でさえも因縁によって生じ、滅するものだというのです。
つまり、人間も自然そのものなんです。
自然の原理にしたがって彷徨っているだけなんです。

すると、おっしゃりたいのは、平和も戦乱も自然現象の一部だということですか?

はい。
現代の感覚ではすぐに納得できない論理ですがね。

分かりました。
あなたが今日おっしゃりたいことは、出世間シュッセケンのお話しでしょう?

実に今日のあなたは冴え渡っています。
全くその通りです。

お釈迦さまのさとりとか解脱というのは、先ほどの世間を離れることですよね。

そうなんです。
それを出世間シュッセケンといいますが、世間とはすなわち輪廻の生存そのものですから、お釈迦さまはその世間の生存を離脱するために修行をつまれ、さとりを開き、解脱したとご自分でおっしゃったわけです。

分かりましたよ。

はい?
何が分かりましたか?

お釈迦さまが非平和主義者だっておっしゃった訳がです。
平和主義者だとか、好戦主義者だとか言う事柄は世間の事柄なんですね?

はい、そうです。
自然の法則で、人間にしろ畜生にしろ、お互いに殺し合い食い合うわけです。
これはそういう性質をもっているからどうしようもないところがあるわけです。

うん、うん。
分かります。

ある絵描きが、ある娘に出会いました。
二人はすぐどちらともなく思いあうようになりました。
そのすぐ直前までは、お互いのことを全く何も知らない者同士だったのにですよ。
どうして急にそうなってしまうんでしょうね。
そうなると、お互いがほんとに特別な人になってしまい、命を投げ出しても守りたい人になってしまうのです。
不思議ですね。

どうしてそうなるのか、その秘密をお釈迦さまが発見されたんですよね。

そうなんです。
それがお釈迦さまの悟りなんですね。

そうやって迷いの生存である世間を完全に離脱された、これ別な言い方をすると彼岸ヒガンに渡られたって言うんでしょう?

はい。
世間を離脱され、彼岸に渡られたお釈迦さまは、もう世間の事柄に自らが関わることはしなくなったのは当然のことでしょう?

そうですよね。
世間の事柄は、国王や国民つまり世間の事柄ですね。

ですから、お釈迦さまの一族が攻められ存亡の危機になっても、あくまで食い止めようとはなさらなかったという伝承があるくらいなんですね。
経典にも、お釈迦さまは神通力を使って死人を生き返らせたというようなお話しが無いんです。
反対に、有名なキサー・ゴータミーのお話のように、死人を生き返らせようとしたり、家族の死を受け入れまいとすることが人間には不可能なことなんだということを分からせようとしたのです。

それじゃ、お釈迦さまはまったく神通力を持ってなかった?

それは分かりません。
ただ、私は神通力はどうでも良いような気がします。

じゃぁ、お釈迦さまのいらした頃は仏教教団は、全く世間すなわち社会の事柄には関わりを持たなかったってことですね。

はい。
そのことは例えば戒律によく現われています。
教団の修行者は修行に専念し、世間とのかかわりは衣食を頼ることだけだったのです。

お話を聞いていると、お釈迦さまのお話しと、今の日本の仏教とはずいぶんかけ離れていますね。

そうですねぇ。


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    確かに私たち現代の日本人は、宗教について「怪しい」と思うと同時にヒューマニズムを持っていて当然といった相反するイメージを抱いていますね。宗教の本質はヒューマニズムではなく、それはごく一面に過ぎない。ほとんどの日本人がこのことを誤解していると感じます。そして、宗教が広まっていくモチベーションはヒューマニズムでは決してなく、一種のロマンチシズムこそが最も大きな原動力ではないかと考えています。

    [ pori313 ]

    2008/6/18(水) 午後 3:45

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    私燃そう思っています。もし、ヒューマニズムで信仰するのであれば、戦争は出来ないはずですから。ロマンチシズムというご指摘同感です。私は本当の釈迦の弟子(現代でも在り得ると思う)は、ほとんどの既成の宗教団体からはみ出してしまうと思います。逆に言えば、大きな宗教団体に所属して飯を食っている坊さんは、かなり、妖しいと睨んでいます。勿論、自分を棚に挙げた身勝手な主張に過ぎませんが。トップページのお気に入り四人のお一人に加えさせていただきました。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/19(木) 午後 1:23

  • 顔アイコン

    マイクロソフトの日本誤変換のそれも相当古いversionなので、誤変換が多くて大変です。”私燃”は、「私も」です。もしかしたら、誤変換ではなくて、誤入力かもしれません。MSFEP、失礼しました。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/19(木) 午後 1:26

  • 顔アイコン

    またまた、誤変換です。”日本誤”は、「日本語」です。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/19(木) 午後 1:28

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地球は重力その他の力で球形をしています。

太陽系の天体も同様です。

ところが、古代インド人は中世ヨーロッパ人と同じように、階層構造を考えました。

コロンブスの大西洋横断の冒険の頃まで、ヨーロッパ人の多くは地球が平坦だと信じていたようです。

倶舎論では、スメール世界は幾つかの厚みを持った円盤が重なって出来ていると考えました。

つまり、球形の天体という発想はなかったようです。

僕たちは地球がどんな風にして出来上がったか知っています。

超新星の爆発などで発生した銀河に漂うガスが次第に集まって太陽が出来、そのまわりのガスが集まって惑星になったと教えられています。

同様に、倶舎論は説明します。

実は、すべてのスメール世界(虚空に浮かぶ天体)も、僕たちの知っている宇宙と同じように生成消滅を繰り返しているのだと言います。

その生成の説明はいささか奇妙です。

全宇宙(虚空)に現に存在する他のスメール世界の有情(サットヴァという)たちの作り出した「業ゴウ=カルマン(カルマ)」つまり、有情の業(サットヴァ・カルマン)が微風となってある場所に吹き集まり、それが濃くなるとスメール世界の生成が始まると説明します。

お分かりのように、因果の法則です。

スメール世界は、業を因として生成が始まるのです。

ちなみに、倶舎論の宇宙観では、創世記或はビッグバンという発想はありません。

そういう最初と言うのは、倶舎論を書いた学僧によれば、何の因果関係も無いのに生じることを想定することになり、説明がつかないからです。

聖書と違い、法華経にも「最初」の説明が無いと思います。
はるか昔と言うだけです。
最も聖書も宇宙の最初は説明していますが、創造神が何時現われたのかは説明していないと思いましたが。
同じですかね。

キリスト教では、ある人は、永久にその人のままらしい(天国に行くのは別な人じゃなく自分つまりある特定の人・個人です)。

ところが、仏教諸派は、釈迦以来輪廻を前提として考えますし、魂(自我・個人の本体or実体)を想定しませんので、ある人が永遠に存在するとは考えないと思います。

別な言い方をすれば、キリスト教では、個人に関して一方向にのみ時間が推移します。
仏教では、個人の時間よりも、輪廻という因果の相関の繰り返しを考えますから、繰り返しということから、循環(円環)型の時間観念を想定するのでしょうか。
循環(円環)は受け売りです。

さて、微風の集積はやがて、濃い、ものすごく濃い大気の塊となります。

どのくらい濃いかということを、倶舎論は大力士マハーナグナがいくら力いっぱい叩いてもびくともしない位だと説明しているそうです。
そうですと言うのは、手元の倶舎論・韻文の器世間の説明にはその記述が見つからないからです。
恐らく散文の部分にある説明でしょう。

この硬さの表現の仕方には興味があります。
どうしてかって、硬いことをいうのなら、岩のようとか、鉄のようとか言えば足りるわけでしょう。
それをわざわざ大力士の拳骨で表現するその発想に興味が湧くのです。
硬いといっても、風(空気or大気)だからでしょうかね。
  *訂正:種本を斜め読みして見落としました。申し訳ない。大力士は、拳骨ではなくヴァジュラとい
    う古代インドの武器で叩いたそうです。
     マハーナグナは、金剛力士かと思ったが、サンスクリット名が一致しません。分からない。
     なお、ヴァジュラについては、以下のサイトを参照。
          http://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/kongr.htm

それはさておき、びっくりするのはこれからです。

この大気の塊からなる円盤は実に巨大なのです。

この大気の円盤を風輪と呼んでいます。

風輪は、厚さが1280万km、周囲(円周でしょうか)が8×(10の59乗)kmだと、桜部先生は計算しておられます。

地球の周囲が約4万km、赤道直径12756kmだそうですから、スメール世界の最基部である風輪の巨大さが知れましょう。

月までの距離が約38万kmといわれますから、風輪の厚さだけ考えてもとてつもない大きさだと分かります。
周囲(円周)にいたっては、一光年が約10の13乗とされますから、数学拒否症の僕はもう考えるのを止めます。

「数学お宅の古代インド人の大風呂敷め!」と罵倒するほかありません。

それにしても、三千大千世界の有情たちの業(カルマ)のなんという深さよ!

学僧はこれが言いたかったのかな?

倶舎論は、有情の生きる輪廻の世界(古代インド人の考えた宇宙・世界)を簡単に説明しています。

古代インド人が考えた宇宙・世界は、虚空コクウと呼ぶ空間に浮かぶ、階層構造の世界(今風に言えば天体)です。

この世界(天体)をスメール(須弥山シュミセン)世界と呼んでおきます。

倶舎論は、虚空を実在するモノとしています。

ただし、倶舎論を書いた部派仏教の学僧(学者を兼ねた坊さん)のいう実在という概念は、必ずしも僕たちと同じでないので注意が必要です。

仮に倶舎論のいう虚空を宇宙と呼ぶと、宇宙(虚空)に浮かぶ古代インド人が生きていたスメール世界はたくさんある同じ構造のスメール世界の内の一つだとされます。

僕たちの知る太陽系や銀河系、宇宙にはいろいろな種類・形の天体がありますが、倶舎論で説く宇宙には、全く同じ造りのスメール世界がたくさんあったということです。

では、宇宙(虚空)には全部で幾つのスメール世界があるのでしょうか。

それは、三千大千世界といわれるように、まず、1つのスメール世界が1000集まったものを小千世界と呼び、小千世界が1000集まったものを中千世界と呼び、さらに、中千世界が1000集まったものを三千大千世界と呼ぶので、合計10億あるとしています。

今では、銀河(銀河宇宙---太陽系が属する天の川銀河もその一つ)の総数は、10億ではきかないでしょうから、大した数ではないかもしれませんが、当時の中国人には想像も出来なかったような膨大な数だったようです。

インド人は数が好きで(実際インド人は数学が得意)、そのスケールが大きいのも特徴らしい。

古代インド人が天文観測によってこの数に辿り着いたのではなさそうですから、想像したのでしょう。

このスケールの大きな想像力というのが古代インド人の特徴なのです。

倶舎論(阿毘達磨倶舎論アビダルマコーシャ)は、ヴァスバンドゥ(世親)という、4世紀から5世紀ごろのインドの学僧が書いた教義書。

悟り・解脱の仕組みを理論的に解明しようとしていた説一切有部の理論をまとめた本だとされる。

この4~5世紀というのは、釈迦が死んで(紀元前4~5世紀)からすでに、800年前後経っていた。

部派仏教を批判して興った大乗仏教は、すでに4~5世紀も前に成立していて、大乗仏教の教理をまとめたとされるナーガールジュナ(竜樹)の登場も2世紀以上前のことだった。

アショカ王の時代もカニシカ王の時代も過ぎた頃のことだった。

説一切有部という部派は、大乗仏教が批判の的にした部派仏教だった。

大乗仏教が小乗といって貶したのは、この説一切有部のことだったといわれる。

ヴァスバンドゥ自身、後に、説一切有部から大乗仏教に鞍替えしてしまった。

倶舎論は、論の要約となる韻文(本頌ホンジュor偈頌ゲジュ)と、その説明である散文(長行チョウゴウ)の二部からなる。

僕の手元にあるのは、桜部先生解説の韻文のみです。

韻文は全部で約600偈とされますが、宇宙や世界そこに住む者たち(有情ウジョウ)の説明は、約100偈。

倶舎論の章(漢訳では品ホンという)でいうと、第三章すなわち分別世間品第三にあたる。

世間の語義は変遷があるようだが、ここでは、有情(六道に住む者たちの総称)が輪廻する空間(場所)と六道を入れる空間(場所)としておく。有情が輪廻する所を有情世間といい、六道を入れる所を器世間キセケンという。器は文字通りウツワであろう。

特に有情世間の受け取り方は、入れ物が有ってそこに有情が出入りすると考えるよりは、有情の寄り集まり(つまり集合)を有情世間と考えたほうが良い。有情が居なければ、有情世間は存在しない。そういう意味では、有情社会と言っても良いくらいだろう。

倶舎論が説く宇宙・世界というのは、上の器世間のことです。

上の説明で分かるとおり、倶舎論が問題としているのは有情であって、宇宙・世界に関しても、有情がどこに居るのかと示しただけであり、宇宙・世界の構造を論理的に考察しようなどとはしていないようです。

分別世間品の「分別フンベツ」とは、分析考察することを意味しますが、分析の対象は、あくまで有情中心だということです。

説一切有部が目指したのは、その輪廻の世界から有情を離脱させること、すなわち、悟り・解脱の方法の解明でした。

そこで倶舎論は、この悟り・解脱に関する理論の書ということができます。

賢治の詩や童話に描かれる宇宙観・世界観とはどういうものなのかを考えるのもこのブログの目的です。

賢治の世界観・宇宙観は、僕には、まだ明確ではありません。

しかし、詩や童話などから断片的に分かる世界・宇宙は、僕たちが思い描く世界・宇宙にかなり近いものに思える。

すなわち、太陽系があり、それが天の川銀河に含まれる(?)らしい、勿論、地球は球形です。

賢治がビッグバン宇宙を知っていたかどうかは分かりません(知らなかった可能性高い)。

僕の宇宙観・世界観と違う点は、賢治の宇宙・世界が、異世界(異次元?)と隣り合わせになっているらしいということです。

では、賢治の宇宙観・世界観に影響を与えたはずの、法華経を含む仏教諸派の宇宙観・世界観とはどういうものなのか?

その仏教宇宙観・世界観と賢治のそれとはどういう関係になるのか?

このテーマはこういう事柄を探って行きたい。


仏教宇宙観・世界観といっても、仏教は多くの派に分かれており、その教義は同じではない。

同様に、その宇宙観・世界観も同じではない。

例えば、賢治が実在すると信じていたらしい地獄、餓鬼、天、菩薩、仏といった世界(空間)を、部派仏教ではその一部しか記述していない。

部派仏教が認めたのは、六道(地獄・餓鬼・畜生・(修羅)・人・天)までで、十界(六道+声聞・縁覚・菩薩・仏)を認めたのは、大乗仏教諸派になってかららしい。

これから見ていくのは、釈迦滅後に戒律や教えの解釈をめぐって釈迦の教団(サンガ)が分裂してできた部派(分派)の一つ、説一切有部セツイッサイウブという「部派」の世界観です。

普通「倶舎論」と呼ばれている説一切有部の教義をまとめた本に載っている世界観です。

したがって、この宇宙観・世界観には仏の世界に関する記述はありません。

参考までに、倶舎論の世界観(宇宙観)を紹介しているサイトの内、検索の上位にヒットしたサイトをリンクしておきます。


参考書:
 須弥山と極楽―仏教の宇宙観 (講談社現代新書) 定方 晟著 (講談社)

アジアの宇宙観 (美と宗教のコスモス)岩田 慶治・杉浦 康平著(講談社)

参考サイト:

 雲外の峰 須弥山と極楽(たくせんさんのブログ)
  http://takusen2.seesaa.net/article/37543407.html
 仏教における宇宙観 (岩手大学 宮 本 裕先生のサイト)
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/uchukan.htm

 仏教(密教)の宇宙観「須弥山とは」(高野山真言宗誓願寺檀家のサイト)
  http://www1.plala.or.jp/eiji/index.htm

 仏教の宇宙観(くにさんのブログ:田中 邦一さん?)
  http://spatial-k.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a68d.html

須弥山(PIICATS FAMILYさんのサイト)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/shumisen.htm

お釈迦さまって、そうだったんですか?
ほんとに、したいことも、なりたいものもなかったんですか?

そうらしいですよ。
日課を見てみれば分かります。
朝目覚めると顔を洗う、歯をみがく。
おしっことうんこをする。
掃除をする。

え!
やっぱり、家に住んでいたんですか?
それと、お釈迦さまって仏様なんでしょう。
仏様も大小便したんですか?

当然です。
悟っても生き物ということには変わりはありません。
人間の体の仕組みを変える修行なんかしていませんよ。
それから、家には住んでいません。
寝たのは木の下とか洞穴、或は、野天です。
昨夜寝た場所を掃除するんです。

仏様なのに掃除までしたんですか?
なんていう資料に、ア、いや、経典に書いてあるんですか?

はい。
言い忘れてました。
私がお話ししているお釈迦さまに関することは全部仏教学の学者先生の研究を参考にしています。

学問的に立証されているってことですか?

立証できると思います?

たぶん、無理でしょうね。

学者先生も難しいと考えているようです。
なにしろ2500年も昔のことでしょう。
わずか100年そこそこしか経っていないのに、賢治の解釈が100以上もあるくらいですからね。
それでも、最も古い経典の言語も苦労して解読されて、少しずつ確からしいことが分かってきています。

そういう学問的な姿勢って信頼できますね。
日本の昔の学者坊さんは、日本に伝わった経典全部お釈迦さまが説いた教えだって信じていたんだそうですね。
とても可笑しいや。

続けて良いですか?

お願いします。

身の回りのことを済ませると、托鉢に出かけられます。

仏様が托鉢にですか?

お釈迦さまは悟られた後も生きてられたのですよ。
食べなければやっぱり死にます。

お釈迦さまファンがいたんでしょうね?

そうですね。
お釈迦さまの教えが次第に人々に理解されるようになると。
それでも、一箇所に長い間留まらなかったのですから、いつもファンがいたとは限らなかったようですね。

ファンはご馳走を用意していたんでしょうね?

そういうこともあったようです。
しかし、いつもお釈迦さまは腹八分目だったようです。

一日一食で?

そうだったようです。

インドって大体が暑いところでしょう。
携帯クーラーなんてなかったですよね。
腐らないですか、お鉢に入れてもらった食べ物?

必要な量を入れてもらうと、大体すぐに食べられたようです。

ごたまぜの食べ物を?

そうです。
お釈迦さまは美味しいとかまずいとか思わなくなっておられたようです。

それは生理的にですか、それとも、意思的にですか?

おそらく両方だったでしょう。

食べたらお鉢をご自分で洗う?

そうしたでしょう。

朝ごはんって言っても、郊外から街中まで歩いていって、托鉢をしたんでしょうから、食べたのはお昼近くですね?

まあ、大体そんなとこだったでしょう。

食べ終わると何をされたんですか?

よほどお疲れでなければ、静かな場所に行かれて瞑想されたようです。
遠離を楽しんだと書かれています。
あなたは食後何をしたいですか?

朝はすぐに会社に行くし、昼はちょっと休憩すると午後の仕事ですから、夕食後のことを言います。
テレビとか、インターネットとか、読書・音楽とか、友達とマージャンとか。

お子さんとも遊びますね?

そうですね。

そういう楽しみがお釈迦さまの場合は遠離です。
一人瞑想に入り、楽しむのです。

ははあ!
いつも遠離とか瞑想だけで飽きないですかね?

そのために修行され悟られたのです。
お弟子の迦葉様もいつも一人岩山に登り、山の上で瞑想を楽しんだといわれます。
私はきっと本当に楽しかったのだと思っています。

それが悟りなんですか?
なんか凄い超能力みたいなものを身につけたんじゃないんですか?

反対です。
そういうものになりたいと言う一切の思いを捨て去ったのです。
欲しいという欲望を捨て去ったのです。

う-ん!
でも、生きてましたよね。
生きようとしたんじゃないんですか?

そうですね。
生きてました。
しかし、それはもう欲望ではなかったと思いますよ。

じゃあ、もしかして、僕等のやりたいと思うようなことは一切やらなかった?

そういうことです。

それって、生きてても意味無いんじゃないんですか?

では、あなたにとって生きてる意味ってどういうことですか?

そりゃいろんなことを成し遂げることですよ。
うまいものも食べたい、美人の彼女も欲しい、親孝行もしたい。
出世もしたい、金持ちにもなりたい。

お釈迦さまは、そういうものを一切捨てることとそれでも後悔しないで生きる道を選んだのでしょうね。

そういわれても、それじゃ、なんにも人生の意味って無いような気がするんですよ。
お釈迦さまって瞑想の他に何をしてたんですか?

瞑想だけですよ。

うむー、理解しがたい。
で何時ごろ寝たんですか。

その前にインドは暑い国ですから汗をかくし、埃でよごれますから遠離から目覚めると水浴びをしたそうです。
その後昼間には、説法もしたそうです。
寝るのは夜中になってからでしょうね。
あまり長い時間寝なかったようです。

ますます分からん。
時間が空くと瞑想なんですね。
瞑想しかやることが無いんなら、さっさと寝てしまえばいいのにと思うけどね。

そうですね。
私もかつてはそう思ってましたよ。
でもね。
長い時間何の為に寝るんでしょうかね?

そりゃ、疲れを取るためですよ。
ははあ、お釈迦さまは労働をしていないから疲れなかったとか?

ま、そういうこともあったかもしれませんね。
でも、そういう理由ではなかったようですよ。
ゆっくり寝たいというのも一つの欲望ですよ。

そう言えば、賢治もあまり寝なかったようですね。
詩を書いたり、推敲したり、それから、夜の散策に野山を歩いたりとかして。

そう聞いています。

ということは、賢治はお釈迦さまのようにさとりを開いていたとか?

どうでしょうか。
お釈迦さまは詩とか童話の創作や音楽を聞くこともしなかったし、友達との会話も楽しもうとしなかったといわれますからね。
そういう意味では沈黙の人だったのですよ。

ますます分からなくなってきました。


  • 顔アイコン

    私の分からないところは、悟りを得た人が、瞑想を楽しむ、ということです。

    悟ったあとでも、楽しみのために何かをするということが、ありえるのだろうか、ということです。

    それで。私としては、瞑想中は、完全に悟りの中にいるが、瞑想から覚めると、それは、俗世に舞い戻ってしまっているのではないか、悟りからちょっと後退しているのではないか、と考えています。

    だから、その間は、苦しみを感じることもあるんじゃないだろうか、煩悩が生まれることがあるんじゃないだろうか、と思っています。

    といっても、悟りを開いた人ですから、煩悩への対処は、凡夫たる我々とは比べようもないほど、素早く、かつ、的確だったのだろうと思いますけどね。

    といっても、これはあくまで、凡夫の浅知恵ですから、悟りは、そんなものじゃない、ということになるのでしょうね。

    ところで、賢治が、夜中に歩き回ったのは、性欲を抑えるためだった、という話を読んだ記憶があります。涙ぐましいですよね。人柄がよく現れている気がします。

    [ mag**iok ]

    2008/6/12(木) 午前 5:29

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    和井恵と言うネームの方のブログで、三明智は漏尽智・宿明智・死生智だというのは間違いだといってます。
    http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/b2ffc0bc5e70bc5d21392bf2c4a368fe
    テーラガータやテーリガータで三明智獲得を目指していたことが分かってましたが、私も疑問でした。和井さんの言う三明智は納得ですね。三明智の第一は漏尽智だと思いますが、その明智はどの程度生理現象までもコントロールできたのかが問題ですね。なにしろ、こういう微妙な事柄になると、経典のどの文言を信頼して考えれば良いのかと言う最も基本的なことが確実じゃないんですよね。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/12(木) 午前 11:43

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    今朝アップしてからずっとそのことを考えています。例えば、人の目の前で空を飛ぶことは絶対に出来ないですよね。これは物理法則に従う肉体(物体)の運動ですから。ところが、マウドガリヤーヤナ(モッケンレン尊者)が、瞬時に天に居るブラフマンの前に行くことは可能ですよね。これは物理的な運動ではないからです。苦しみも種類分けできます。そのうち、過去や未来を思い煩うようなのは、精神的な苦しみです。下痢でお腹が痛いのは生理的感覚的肉体的な苦しみです。前者は綺麗さっぱりなくすことは可能なんでしょうね。後者は、精神鍛錬で和らげることは出来ても、失くすことは不可能のような気がします。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/12(木) 午前 11:43

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    眼から光が入ってくるのを(物理現象)辞めさせることは出来ないでしょう(眼をつぶるとかの問題ではなく)。また、そんな必要も無いとゴータマは考えていたような気がします。人間は、物理・化学現象である自分と宇宙を感覚器官を通して感覚しました。この段階では、いわゆるクオリアかそれより以前のカオス的な情報でしょう。これを脳が処理して、意識できる情報に変換したのでしょう。概念化とか分節化なんていうじゃないですか、こういう脳の働きのことを。不安感なんてのはどっちなんでしょうね。とにかく、ゴータマがコントロールできたのは、この処理の段階からの精神作用だけだと思います。カオスやクオリアはコントロールできなかったと思うのです。もし、ヴィパッサナの究極で、カオスやクオリアの認識(ごく広い意味での知る・意識する)が可能だとするなら、それはそれで結構なことでしょうが、あまり興味は無いですね。よけいな問題を作り出しただけになりそうだからです。こういう類のものが、禅のサトリのような気がしています。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/12(木) 午前 11:44

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    川上 雪担師とのやり取り読みました。宝鏡三昧も少し読みました。この方、文章のスタイルが澤木興道ぶりで、ゴータマぶりではないので読みにくいですね。私より二つしか年上じゃないのに。確かに、老師はなにかを達観しているようにも感じられます。老師が最も自信を持っているのは、不動と確信している心の持ち様じゃないのでしょうか。比喩的にいえばクオリアです。一種の鍛錬の成果なんじゃないでしょうか。それで本人が納得ならばそれでも良いのかなって感じです。もしかしたら、ゴータマもカッサパもそんなものだったのかもしれませんね。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/12(木) 午後 0:57

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    感覚器官が得た情報に、脳が、体が反応することによって起こる、痛み、苦しみ、を、自我が相手にしなければ、それは苦しみではない、という解釈がひとつできますよね。

    禅宗において、放っておいて、手を付けない、というのがそれだと思っています。

    ヨーガでは、肉体の痛みを、自我が相手にしない、ということを実現するために、あえて、痛みを起こしそうな姿勢で瞑想したりするようです。バンザイして、片足を上げたまま、長時間瞑想する、逆立ちしたまま瞑想する、というようなものです。
    苦行をやる意義のひとつに、それもあるような気がします。

    他方、感覚器官の情報そのものを、自我が全く相手にすることがなければ、そこには、肉体的な痛みも、苦しみも発生しない、と言えそうな気がします。

    最終的には、古代インドの修行者は、そういうところを狙っていたのではないか、という気がします。

    釈迦の悟りは、どのタイプなのか。

    [ mag**iok ]

    2008/6/13(金) 午前 11:23

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    肉体の痛み、苦しみの発生を抑えるタイプに限りなく近かった、肉体の痛み、苦しみは起きるけれども、それを自我が相手にしない、精神的な苦しみにはしない、というタイプではなかった、というふうに思っています。

    でも、釈迦は、完全には、肉体の痛み、苦しみを滅することは出来なかった。それは仏伝にも現れていると思っています。

    また、自我を滅して、自我とは無関係となった感覚器官の働きと、それに対する体の反応だけは残す、ということであるのかもしれない。それなら、肉体的な痛み、苦しみも当然そこにはない。痛み、苦しみを感じる自我がないのだから、という解釈もできそうです。

    とはいえ、自我がなくて、感覚期間の働きとそれに対する体の反応だけで、人は、正常な社会生活が営めるのか、という疑問が湧きます。

    自我が、肉体的な、痛み、苦しみを相手にしない、ということは、つまり、自我は痛み、苦しみを感じない、ということではないか、とも考えられます。

    肉体的な痛み、苦しみを感じたけど、それを意識して自我が相手にしない、というのは、まだ修行の半ばである、というふうに解釈することも出来そうです。

    [ mag**iok ]

    2008/6/13(金) 午前 11:27

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    なんだか、訳が分からなくなってきましたね。

    結局、そこに確たる回答は得られない。

    そこに行ってみるしかない、ということになりそうな気がします。

    [ mag**iok ]

    2008/6/13(金) 午前 11:28

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    これについてのご返信は、当ブログの本文で書きたいと思います。お釈迦さまってどういう人?No3のテーマにします。でも、おっしゃるとおりやってみて、到ってみなければ本当のところは分からないですよね。しかも、その到ったところさえ、ゴータマと同じかどうかの確証も無いような気がしてますし。とにかく、前進しましょう。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/13(金) 午後 1:24

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    こんにちは。ネットの検索をしていて偶然ここを見つけました。
    私のブログ(和井恵)を紹介してくださって有り難うございます。

    これからも、よろしくお願いしますね♪

    [ wai-kei777 ]

    2009/12/30(水) 午後 8:57

  • 顔アイコン

    ヨッシー様、こちらこそ、よろしくお願いします。

    [ avarokitei ]

    2009/12/30(水) 午後 9:33

童話「銀河鉄道の夜」、最後の段。(以下引用)

サウザンクロス(駅)近くになって、青年教師が、

「もうぢきサウザンクロスです。おりる支度をして下さい。」と言った。

(小さな)男の子が「僕も少し汽車に乗ってるんだよ。」と言って駄々を捏ねる。女の子も別れが辛いように見える。その様子にこらえ兼ねてジョバンニが引き止めようとして言う。(ここから神様問答が始まる)

「僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ。」
「だけどあたしたちもうこゝで降りなけぁいけないのよ。こゝ天上へ行くとこなんだから。」
女の子がさびしそうに云いました。
「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといゝとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑いながら云いました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「本当の神さまはもちろんたった一人です。」
「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうの神さまです。」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」
青年はつゝましく両手を組みました。

これが神さま問答です。
この後、青年と姉弟は他のキリスト教徒たちとともに汽車を降り、十字架の前まで行って、そこでみんながひざまづいているのをジョバンニは確かに見ました。

ところがカンパネルラが降りる段になると状況が違ってきます。

「あ、あすこせきたんぶくろだよ。そらの孔だよ。」
カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。
ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしていまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずたゞ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
「あゝきっと行くよ。あゝあすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」
カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
ジョバンニがそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねぇ。」
ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えず・・・。


ウオルターズ女史の文章を読むまで理解できていなかったこと。

第一に、神さま問答で賢治が何を伝えようとしているのかほとんど理解できていなかった。
第二に、カムパネルラに見える野原や彼の母の姿を、どうしてジョバンニは見ることが出来なかったのか。
第三に、青年や姉弟等キリスト教徒は、ちゃんとした「駅(サウザンクロス)」で降りて、十字架の前に膝をついたのをジョバンニは見ていたのに、カムパネルラについては、駅でもないところで消えるように(降りて)いなくなってしまったことで、賢治はどういう意味を読み取らせようとしていたのか。

第一。賢治は、浄土真宗の浄土信仰とキリスト教の天国(天上)思想の類似に深い関心を持って研究したが、最終的にキリスト教の天国思想と仏教(法華経)の「空」思想との折り合いがつかず、キリスト教との融合を諦めた。問答の最後にジョバンニが、「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうの神さまです。」と言う時の、「たったひとりのほんとうの神さま」は、法華経第十六如来寿量品の久遠の釈迦仏だろう。

第二。どうしてジョバンニは見ることが出来なかったのか。賢治が妹トシの行方や、トシとの通信が出来なかったことを受けている。科学の方法を応用して大乗仏教の世界(欲界・色界・無色界=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天(神々)など)の実在を証明しようとしていたが果たせなかった。この課題を次世代のジョバンニに託した。

第三。第一、第二とも関わるが、賢治がこの部分の推敲を完了していたと仮定して考えると、
 ゞ?了彖曚亡陲鼎。賢治は、読者が、人や浄土が形を持って(物理的物質的に)実在すると考えていると想定して、法華経など大乗仏教の「空」の思想に気づかせようとした。「カムパネルラの形は見えず」と、「形(仏教用語で色シキ=物質としての肉体)」といっていることに注意すべきだろう。「空」観とは、春と修羅序にもあるように、大乗仏教では、存在するものは実体ではない(「無我」)、すべてが因果関係で生じた現象(見えてはいるがその背後に実体は無い)なのだという思想。
大乗仏教の「空」観とキリスト教の「有ウ=身心の実在」観を対比させて、「空」観を強調しているのではないか。バーバラ・ウオルターズ女史の文章を読めば、キリスト教が実体としての身心(肉体と魂)が天国で実在する(仏教では「有」と言う)と考えていることがよく分かる。
http://www.geocities.jp/avarokitei/blog/tengoku-dokoniaru.html参照。
だから、サウザンクロスで汽車を降りたキリスト教徒の姿形は見えた。しかし、大乗仏教(法華経もふくめて)では、無我といって実体はないと主張しているから、形としてはっきりと見える駅も浄土(野原)も地獄(まっくらな深い穴)もない。因果関係によってカムパネルラとして肉体が見えていた現象は、その現象を成立させていた因果関係が尽きて、現象も消滅したと考えられる。このことを「カムパネルラの形が見えなくなった」と表現している。ただし、賢治がどんな仏教世界観を持っていたのか、作品から実証しなければはっきりしたことは言えない。推理に過ぎない。

賢治が「空」観に立っていたとすると、証明しようとしていた仏教世界(三界など)の在り方は精神的なものとなる。

アメリカのジャーナリスト、バーバラ・ウオルターズという人の文章を読んだ感想です。

ウオルターズの文章は以下のURLをクリックして下さい。

http://abcnews.go.com/International/Beliefs/story?id=1374010

宗教間の対立というと、歴史上有名なのがキリスト教徒がイスラム信徒ムスリムに対抗して遠征軍を起こした十字軍と呼ばれる戦争です。

十字軍とはキリスト教軍のことですから、この歴史事件の名はキリスト教徒側の視点の命名ですね。
正しくは、「西暦11世紀末から約2世紀に及ぶイスラム・キリスト教間の戦争」と言うべきでしょう。
いやこれでもまだ、キリスト教徒の視点に偏っています。
イスラム諸国は正式にはイスラムの暦年(ヒジュラ歴)で数えているはずですから。
ヒジュラ歴元年は、預言者ムハンマドの聖遷の年(ユリュース歴622年)だそうですから、イスラムのヒジュラ歴年で言えば、ヒジュラ歴4世紀末から約2世紀間となるのでしょうか。
イスラムの方々は、世紀も使わないかもしれません。

十字軍は聖戦だといわれるが、実態はそれこそなんでもありの凄惨・非道・破壊・略奪の応酬だったようです。

現在も進行中のユダヤ教徒とムスリム(イスラム信徒)の闘いそのままです。
そして、ホンの少し前まで凄惨を究めた旧ユーゴスラビアの民族・宗教紛争そのままです。

ほとんどの皆さんは、日本にはこういう争いは無い、少なくとも今は無いとお思いでしょう。

しかし、どうもそうではなさそうなんですよ。

アメリカあたりを本拠地とする、ユダヤ・キリスト連合的な宗教シンジケートがありそうなんです。

そこが日本にも相当侵入しているらしい。
多額の資金が流れ込んでいるらしい。

現在こういう資金と絡んだ隠れキリシタンはどのくらいいるんでしょうか。

ここからは仮定の話しです。
こういうシンジケートが言われるような侵略をしているとしたらの話しです。

太平洋戦争に負けて、アメリカ合衆国に屈服してから日本には、アメリカ文化とキリスト教文化がなだれ込んできました。

巧妙にキリスト教文化を浸透させてきました。

結婚式、その他の行事にキリスト教文化の多くなったこと。

あの世のことを極楽というと因業爺に見られ、天国といえば聞こえが良い。
ネックレスが卍じゃあギョッとされるが、十字架なら可愛いなんてたぐい。

なんの日本人は巧みに人生の楽しみを楽しむために諸外国文化を取り入れてきたのであって、大和魂は消えていないとおっしゃるかもしれないが、ご先祖がお葬式で坊さんから戒名(仏の仲間入りネーム)をさずかり、お釈迦さまの仏教のお寺に安らかに眠っているというのに、12月24日は忘れない多くの日本人が、4月8日は完全に忘却しております。

親から独立し、新しい家族(妻とまだ見ぬ子)と本格的な人生行路に船出する誓いの言葉を十字架の前でやっているのです。

僕は、ウオルターズ女史の文章を読むまでは、キリスト教のこういう侵略を楽観視していました。

日本人は根深いアニミズム信徒だから大丈夫だと。
日本人はキリスト教の神も、他の日本人を守護するたくさんの神の一つと軽く考えている。
神社、お寺、教会なんでもOKなのは、アニミズムという多神教の文化風土だからだと思うと。

だが、ウオルターズ女史の文章を読んで、キリスト教(イスラムも本質的には同じだろう)は、そんな生易しいものじゃないと思い知らされました。

「この(現世の)生の(本当の)目的とは、神を讃え、天国に行くことである。…天国こそが(本当の)我が棲家であるから。」(キリスト教徒)
「私は(やがて再び、死んだ)父さんや母さん、家族たち皆に会えるのを楽しみにしているんです」(キリスト教徒)
「「本当の生とは、(この現世の生ではなくて)来世の生the next lifeなのです。…現世でどういう生き方をしたかにかかっているのです。それで来世での我々の在り方が決まるのです。快適な家に住めて、絹製の寝椅子 silk couchesに横になれるのだと、私たちは教えられるのです。…喜びに充ちたセックスや芳しいワイン、旨い食べ物、それらがどれも、喜びとか芳しさとか美味しさとかだけがあって、満たされないとか渋いとか不味いといったようなことが無いのです(ムスリム)」

このセリフ、実は、日本の戦国時代にもよく聞かれた言葉なんです。
「お前たちはきっと阿弥陀様が見守ってくださり、死んだら必ず極楽にお迎えくださる。」
一向一揆です。
日本の宗教としては珍しい傾向なんですね。

さて、キリスト教徒やムスリムの信仰には、平均的な日本人のような宗教的曖昧さがない。

キリスト教やイスラムには、イエスかノーかの二者択一しかない。

ユダヤ教はもっとこれが徹底しているようです。

本当に唯一絶対の神なんですね。

日本人のような妥協的な態度とか融和的な態度は取りようがないんですね。

したがって、世界の宗教間の妥協は不可能ですから、棲み分けしかなくなると思います。

ところが、これが難しい。

宗教は必ず(例外は釈迦仏教ぐらいでしょう)政治経済と一体です。

アメリカ大統領選挙で宗教がどれだけ大きな勢力を持っているか調べれば分かります。

ユダヤ教のイスラエルや、イスラム諸国はもっと影響力が強いことは中東紛争を調べれば分かります。

日本人は例の9.11事件を単純に考えすぎています。

テロを一方的なキリスト教徒の視点で見すぎています。

ユダヤ・キリスト連合シンジケートの影を軽視しすぎです。

中東に絡むテロは、宗教と経済・政治が深く絡み合っていると考えるべきです。

ヒジュラ歴4世紀から始まったイスラム・キリスト教の争いが2世紀もかかったのです。

すでに中東紛争は始まってから半世紀経過しました。

解決の兆しはかすかなものです。

本当に悲しいことです。

これから一体どの位の犠牲者がでるんでしょう。

僕は、ウオルターズ女史の文章を以上のように読んだのですが、東山ハル一さんは別な読み方をされました。

その東山さんのコメントを引用させていただきます。

「なるほど、アメリカ人はほとんど天国を信じているんですか。
遺伝子的な要素もあるとか。
僕は天国があるかどうか分からないし、
自分の中の遺伝子的な作用でこれから
どんな気持ちになるかわからないですし、
とりあえずは無になる前提で今は考えてますね。

たとえ生まれ変わっても記憶が消えているのならある意味
今の自分は来世には無になってるようなもんですから。

その仏教の輪廻転生などを「自分」として繋がってると考えるのも
本当にとっても良い考えだと思います。

仏教やキリスト教などは死んだ後のことを考えて
今を見つめることの大切さ
を説いている気が文章を読んで感じました。
反対に無神論者の方も来世がない「無」と考えるから
今の自分の生き方を見つめ直そうとするのでしょう。

そういった意味では宗教の信者も無神論者も
生きていることを見つめ直せる考え方を抱けると言った意味で
根本では同じものを大切にしているのではないでしょうか。」


東山さんがコメントの以下の部分、


「仏教やキリスト教などは死んだ後のことを考えて
今を見つめることの大切さ
を説いている気が文章を読んで感じました。
反対に無神論者の方も来世がない「無」と考えるから
今の自分の生き方を見つめ直そうとするのでしょう。」


は、東山さんらしい受け取り方なんだと思います。

これが宗教本来の存在意義なんかなぁと考えさせられました。

目的は違っても、今の生き方をしっかり見詰めて、周りもよく見て、再点検しながら方向を定めて生きていくことなんですね。
結局自分に厳しく周りに優しい生き方なんでしょうかね。
難しいことだがやれないことじゃないですよね。

僕は世界に向かって行動してません。
だから、えらそうなことは言えないのですが、宗教は政治・経済から分離してほしい。

そうすると、政治・経済的弱者の拠り所まで奪うのかと言われるでしょうが、やっぱりお釈迦さまのように、政治・経済に一切関わらない宗教が良い。
政治・経済はもっと人に優しい原理を見つけるべきです。
テロは武力・戦争だけでは解決しない。

本気で早く研究して欲しい。
本当にすべての人に優しい政治と経済の原理を。
人に優しければきっと生き物すべてに優しくなれるでしょう。
 

民族間や異なる経済共同体の間で、宗教が絡んだ対立が絶えない。

それぞれの神や教祖の教えに反するような無残な殺戮行為や破壊行為が繰り返されている。

犠牲になるのは、直接戦闘せざるを得ない立場にある兵士だけでなく、その何百倍もの一般人とくに逃げ場や避難する手段(お金と行く当て)のない貧しい人々とその子供たちです。

このテーマを経済のカテゴリーに入れた理由は、まさにここにあります。

一見、民族宗教の対立のように見える戦争も、そもそもの原因は経済的な理由です。

今現在、地球の人々は、絶えざる熾烈な経済競争を繰り広げています。

野生の世界で繰り広げられている、食物連鎖や食をめぐる縄張り争いと構図は全く同じです。

譲ることも、分け合うことも出来ない緊張した状況に追い込まれているのです。

いってみれば食うか食われるかの闘いともいえるのではないでしょうか。

そもそも純粋な宗教の対立というようなものがあるのでしょうか?

大儀を掲げた戦争は止むにやまれぬものかも知れませんが、その人的犠牲と経済損失はあまりにも大きすぎ、戦争地域に生きる人たちに取り返しのつかない身心への傷を残し、人生そのものを変えてしまっています。

当事者にとってはそうするしかない戦争なのかもしれませんが、何とか避ける手立てはないのだろうか?

宗教は一体誰のために何の為にあるのか?

このテーマの中で、宗教と政治・経済との関係や宗教とは一体どんな意義があるのかというようなことを考えてみたい。

偶然にバーバラ・ウオルターズという方の文章を読む機会がありました。

ウオルターズ女史は、天国について欧米の人々がどんな態度や考え方をしているか、簡潔な文章で紹介しているので大変参考になると思います。

以前、その文章の部分訳をこのブログにアップしたことがありました。

やっと、全訳を終了しましたので、また、期間限定でアップします。
限定の理由は、許諾を頂いていないからです。

訳文の公開は終了しました。
読みたい方は、当ブログのどこかにコメントしてください。

原文は、以下のサイトにあります。

http://abcnews.go.com/International/Beliefs/story?id=1374010

おそらく誤訳だらけでしょうが、大体意味は取れると思います。

難しい言い回しの訳し方で、アドバイスいただいた方に感謝しています。読んでいただければ幸いです。

お釈迦様は、捨てられるものはすべて捨てたお方です。

で、その結果どうなったの?

住む家はありません。
自然の中で寝起きしました。

雨露はどうしのいだの?

洞穴を探しました。
大きな木の下に入りました。

それも見つからないときは?

途方に暮れたでしょうね。
野猿や野良犬のように雨に濡れそぼち、とぼとぼ歩き続けたかもしれません。

素っ裸で歩いてたの?

いえいえ、それは徳のない振る舞いです、自分の恥部をさらすことはなさらなかったようです。

じゃぁどうしていたの?

他人が捨てた衣類を集めて川で水洗いしてそのまま適当に着ていたようです。

昔って、布が貴重だったんでしょう、捨てたりしたんですか?

一番見つけやすかったのが墓場だったそうです。
死体をくるんでいた布です。

それって、お釈迦様以外の人にとってもお宝じゃないんですか、ほら、芥川の「羅生門」の婆みたいに?

日本ではそういう布も綺麗に洗えば売れたんでしょうね。
でも、古代インド(今も多分)では、これはなかったようです。

どういうこと?

穢ケガれです。
日本人も穢れを怖れます。
しかし、古代インド人の穢れ嫌いは徹底していました。

どうして?

魂が穢れるからです。

魂が穢れたらどうなるの?

悲惨な生まれかわりとなってしまうからです。
古代インド人の最大関心事だったんですよ、善い生まれかわりってのは。

分かったような分からないような、まあいいか、食べ物はどうしたの?

他人の食べ残しを食べました。

食べ残しって、食べかけのこと?

うーん、そうではなかったようです。

住む家がなくて、死に装束を拾って着て、他人から食い物を貰って生きるって、それって乞食じゃないの?

それが古代インドではちょっと違うんです。

どう違うの?

お釈迦様が食事を貰う時は、他人の家の前に行って、門口(玄関前)に黙って立ちます。
姿勢は低くしません、ぺこぺこしないんです。
愛想笑いもしません。
お願いも言いません。
貰っても「有り難う」を言いません。
乞食とは違います。

黙って立っていたんじゃいるかいないか分からないじゃない?

今のように、玄関を閉めきって家の中でスナックをつまみながらTVを見ていたんではそうですね。
でも、当時のインドではそうではなかったようです。
心ある家の人たちは待っていたそうです。

誰を、なにを?

お釈迦様のように食事を求めてこられる方を待っていたんだそうです。

托鉢のこと、ミャンマーとかタイとかスリランカなんかみたいな?

そうです。

あれ、結構綺麗でおいしそうなものをお坊さんの鉢の中に入れているよね?

まあ、どんどん上からなんでも入れますから、ごった混ぜらしいです。

確か一日一食だよね?

ところで、病気になったらどうしたの?

医者とか薬ですね、薬は牛のおしっこだそうです。
お釈迦様は医者にかかったかもしれませんが、たぶん、ご自分から医者のところには行かなかったでしょうね。

命も捨てていた?

そうは言えないようです。
今のところはなんとも言えません。
自殺を認めたかどうかも見解が分かれるところです。

そうやって捨てたのはどういうわけなんでしょうか?

それが最も根本的なお釈迦様の仏教の核心です。

どういうこと?

考えてご覧なさい、あらゆるものを捨てたお釈迦様というのは、普通のインドの人たちとどこが違いますか?

衣食住になんの望みも持っていないってことでしょう?

その通りです。

女性に触ったりもしなかったそうですね?

あらゆるものを捨てたのです。
人間が当たり前に持っているあらゆる気持を捨て去ったのです。

それって、もはや、人間じゃなくなってるんじゃない?

生きてますから人間は辞められません。
普通の人と同じような生き方を辞めたのです。

そんなら、さっさと山奥に入って、他の人に出会わないようにして生きればいいんじゃないの?

そういう生き方をした修行者もたくさん居たようです。
その人たちは、生きているためにはどうしなければなりませんか?

衣食住を自分で手に入れなけりゃならない?

そうです。
お釈迦様は衣食住を手に入れようとして活動する事も捨てたのです。

それってどういうこと?

ただ修行一途、修行だけに専念させたかったのです。

ちょっと待って、今、させたかったって言いませんでした?

その通りです。
お釈迦さまは、いろいろ試行錯誤してご自分の流儀で「さとり」を開かれました。

知ってます、それがなにか?

はっきり言って、「さとり」を開かれるまで実際に衣食住がどうだったかはよく分からない。
ただ、あらゆるものを捨てていたのは確かなんです。

つまり、今までの話しは、お釈迦様の「さとり」の後の話しだってことですね?

そうです。
だから、お釈迦さま自身はすでに修行を完成されていたので、修行に専念するのは弟子たちなんです。

なるほど、お釈迦さま流儀の修行法は、生きるために必要なものはすべて他の人に頼ってひたすら修行だけをやるということですね?

だから、お釈迦さまと弟子たちは、他の人たちの暮らす町や村からつかず離れずの場所で修行していたようです。

一般社会との接点は、衣食を提供する、貰うだけなんですね?

そうです。
今のお寺や教団のように、町のど真ん中で一般社会人と一緒に、同じような暮らしをして、子供も持ち、財産も持ちなどという暮らし方は、まったく、お釈迦さまとは関係がないのです。

お釈迦さまたちは、町や村からちょっと離れたところで修行だけをし、一般社会人は今までやってきたようないわゆる人間らしい暮らし方をする。
普通の人は、ほしいものをたくさん手に入れ、贅沢をし、家族を大切にし、好きな人を見つけ、結婚する、そういうことですね?

そうです、生きる目的が全くと言ってもいいほど違っていたのです。

宮沢賢治はどっちだったんでしょうね?

それはあなたがお考えなさい。


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    修行者は、食べ物をもらえなくても、残念に思うことなく、もらうまでうろつきまわったりせずに、帰ってくるように、とも言われていたようですね。
    生きることに執着しない、死ぬことにも執着しない、食事ができるかどうかは、全くの他人まかせ。
    せっかく食事をもらっても、舌で味わってはならない、味に執着してはならない、とまで言われていたようですね。

    宮沢賢治は、禁欲を貫き通したようですね。でも、財閥だった家の影響か、いい服や靴を身に付けて、チェロを習いに東京まで行ったりと、なにか独特の価値観があったような気がします。それでいて、食事は菜食主義をやってみたり、小作人なみに貧しい食生活したり。

    芸術には惜しみなく金を使う、ということだったのだろうか、という気がしました。

    [ mag**iok ]

    2008/6/8(日) 午後 7:58

  • 顔アイコン

    また性懲りもなく、自分好みのゴータマを創り出そうとしています。ゴータマは、「人間に関わるものはすべて過ぎ行く」と言いましたよね。それは「法」にも当てはまるんじゃないでしょうかね。たった一つの生き方なんてほんとは無いんじゃないでしょうか。つまり、悟りというのは、一人一人違うんじゃないかなってことです。ゴータマは人間の本質に迫る発見をして、それに対応する生き方を見つけ実践した。本当に修行をした坊さんは、一人一人生き方が違うような気がします。ゴータマの十大弟子はみんな個性的ですものね。お体よろしいんですか?私は、まだまだ腰痛と厳しい戦いをしなければなりません。賢治は本当に芸術に生きがいを持っていたのでしょうか。宗教家と言うより、芸術家なんでしょうかね。それにしても、みんなのためっていうのは大変なことですね。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/8(日) 午後 8:39

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    悟りには、いろいろある、というのは、そのとおりだと思います。
    経典から、自分なりの悟りを解釈する、ということでいいのではないかと思っています。

    歌や踊りをするように、農業がやれたら、農業は芸術だ、というようなセリフが賢治の映画でありました。

    農村には、過酷な労働と、生殖、それしかないというようなことも言っていたとどこかで読んだ気がします。
    だから、芸術にこだわったのかなと思います。

    [ mag**iok ]

    2008/6/8(日) 午後 9:07

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    ただ、それがクラシックというのは、いかに自分が好きだからとはいえ、農村にいきなりそれでは、賛同してくれる人が少ないのは、無理もないでしょうね。

    クラシックだなんて、金持ちの道楽、およそ貧乏人には縁がない、という世の中だったのですよね。

    でも、芝居はよかったのでしょうね。それなら受け入れやすいですよね。

    [ mag**iok ]

    2008/6/8(日) 午後 9:10

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    仏の教えを芝居にする、というのは、古くから行われいた手法のようですから、それは、芸術と法華経の普及という両方の目的に合致していたでしょうね。

    [ mag**iok ]

    2008/6/8(日) 午後 9:12

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    ウオルターズ女史の訳文をアップしてました。ご返信は明日いたします。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/9(月) 午前 2:00

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    あらゆる執着を執着と知り、さらにその理解を明智にまで高める。サマタやヴィパッサナーなども瞑想修行によって。おそらくこのタイプの修行者の方は、完全に執着を断って一生世間的な一切のことに興味関心を持たずに過ごすでしょう。輪廻からの離脱を考えなければ、この修行者の人生は、私たちがあれこれとふらつきながら生きがいや楽しみを求めて生きていくのに対して、ある一つの境地に満足するというだけの話しです。おそらく人間には、そのどちらかの生き方しか無いのではないかと思います。そこで、私にとって大問題になるのは、輪廻や三世が有るのかどうかです。あるとすれば、それをどうやって確認できるのかが次の課題です。賢治はこの問題を追及していたのではないかと思います。賢治は有ると考えていたと思います。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 0:47

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    私自身の考えは、ゴータマは無いと考えていたと思っています。来世が無い、やがて自分は無になるということが現実だと思うと、耐えられないほどの恐怖感に取り付かれたんでしょうね、古代インド人は。だから、ゴータマはそのあたりを柔らかくオブラートに包んで説いた。精神や自己、自我が進化論的に脳の発達に伴って今のような高度な機能になったのか、それとも、超神秘的ななにものかによって創造されたものなのか、無神論的に考えるか、神秘的に考えるか、私には分かりません。独断で言えば、無に帰する、無神論的な考えです。経典にもあるように、誰もどちらなのか実証的には答えられないのです。あとは、一種のゲームになるのかもしれません。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 1:11

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    賢治の一生はそのゲームに費やされたのだと思います。父正次郎さんは実業で成功するという人生ゲームに賭け、一応成功した。それだけなんだと言えなくも無い。父は、賢治やトシは思い通りの大人にさせられなかったが、その他の子供たちはみんな立派な社会人に育て、父母に孝養をつくし、社会的な地位もそれなりに獲得する結果となった。父は、仕掛けたゲームに勝ったが、賢治はまったく別なゲームに賭け、中途で人生が終了した。外見的には、それだけだと言えなくもない。しかし、これは、外部から他人がとやかく解釈しているだけのことで、本質ではない。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 1:13

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    本質的なことは、賢治は、当時の人たちが手をつけようとしなかった宗教の変革と人々の生活の質の向上の実現に取り組んで、実践したということだと思う。思索し、社会に向かって行動を起こし、人々に働きかけて、理想を実現しようと実践したことが本質的に重要なことなんだと思う。今の私のように、自分の中に閉じこもって、小さな窓から外を見て、ぶつぶつ独り言を言っているのも生きることだが、それだけではあんまり情けない。充実感が無い。ただ、これも一つの人生、生き方なのは事実です。じっとしていても、私たちと私たちを取り巻く世界は過ぎ去っていきます。どう生きるか、何をするかという人生の目標を自分で考えて決め、やり遂げる。ゴータマが「成し遂げよ」と遺訓を残しました。何かを決めて成し遂げる。これが生きることでしょうね。賢治の目標の中に芸術の普及があったことは確かなようです。ただ、中小作農民との距離は思いの外遠かったようです。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 1:48

  • 顔アイコン

    ところで今日深夜放送(6チャンネル)で、youtubeのことをいろいろ検証していました。私は、ちょっとはまっています。毎日、夢のようなvideoを視聴しています。歌詞自体はつまらない恋の歌なんですが、カルーゾ、ジリやパヴァロッティ、クラウス、ディ・ステファノが歌う「Una Furtiva Lagrima」を聞き比べられるのです。ほんと、夢心地ですよ。私にとっては、十分な音質です。彼等の伸びやかな歌声のなんと素晴らしいことか。それに比して、歌詞のなんと平凡なことか。ただ、おっしゃるようにこれらの歌曲の雰囲気はまさにクラシックですね。時代的です。今の私は痺れますが、若い人はどうなんでしょうね。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 2:01

  • 顔アイコン

    ここのところ夜更かし気味です。これからちょっと彼等の歌声を聞いてから寝ます。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 2:03

  • 顔アイコン

    羽のある人は、飛びたくなる。
    ナイフを持ったら使いたくなる。

    羽もナイフもない人は、飛べないことを、ナイフを使えないことを嘆いても仕方ない、とそう思うようにしています。

    せめて他者に迷惑かけないようにしたいと思っています。
    賢治でいうなら、「褒められもせず、苦にもされず」というところでしょうか。

    輪廻については、それが最大の関心事である、という人も多いのでしょうね。

    youtubeは、よく知らないのですが、ほんとに便利な世の中ですね。

    今の若い人の歌っているのは、ほとんど心に響きません。やはりその時期特有の感性なのでしょうね。

    [ mag**iok ]

    2008/6/10(火) 午前 8:03

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    お早うございます。今の私は、わずかな年金を分け合って文化的で最低限度の生活の下を行くつつましい経済生活をしています。今年は衣類は、靴下とTシャツしか買っていません(自分のは)。こういう生活に関して妻にはほんとに済まないと心でわびています。でも、私はすこしも惨めだなんて思いはありません。しかもそれでも私は羽とナイフ(mag**iokさんのいう意味とは違うかもしれませんが)も持っているつもりです。私の羽は自分とインターネットなど、ナイフは頑固で偏屈でしぶとい(面の皮の)思考です。70を過ぎて、妻といつも一緒に居る生活は、これがどちらかが死ぬまで恐らくそのままです。賢治は意思の自由・優れた素質と父の財産という羽とナイフを頼りに自分の人生を切り開きつつ生きたと思います。今あるものを使って生きる。釈迦の大切な遺訓だと思っています。腰の痛みとの闘いもいつか私が負けるでしょう。それも釈迦の遺訓です。だが生きているうちは生きる。工夫をして生きる。もしかしたら、遺訓を無視した執着まみれなんでしょうか。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 9:36

  • 顔アイコン

    もし私が、あと半年の命と宣告されたら、贅沢に暮らせるだけの蓄えがあります。
    でも、あと何年生きるか分からず、年金受給年齢までは18年もあります。しかも、早くに仕事を辞めていますから、年金額もわずかです。
    自分でお金を稼げる体はありません。でも、障害者にも認定してもらえません。
    死ぬのは、怖くてできません。
    最後は、野垂れ死にでいい、死ぬまで生きようと思っています。といっても、まだまだ蓄えがあるので、そんな気楽なことが言えるのだろうと思います。
    今は、釈迦の悟りを解明したい、体現したい、ということを、頼りにして生きている、という感じです。
    人生、なんでもいい、と自分に言い聞かせています。金がなくなったら、そのときは、生活保護がある、それがだめなら、餓死するだけのこと、なんてことまで考えたりします。これもまだまだ、切羽詰っていないから言えることですね。

    釈迦は、生にも、死にも執着するなと説きました。それを本当に実行できる人など、いるだろうか、と思います。

    [ mag**iok ]

    2008/6/10(火) 午前 10:44

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    すいませんでした。私にはどんなわずかでも今のところは年金があります。その事情を忘却してました。しかし、私も不安だらけです。もし、体が動かなくなったら、寝たきりになったら(いつかそうなるんですから)、年金制度を突然打ち切られたら(可能性がありそうで特に不安)、妻が徘徊でも始めたら(私がそうなる確率も高い)、私が突然死したら妻はどうなる?それに、もっと不安なことがあるんです。これは言えません。私が狒々爺だとか、詐欺師だとか言う自分自身のことではないんですが、自分のことより心配なことです。きりが無いほど悩みはありますよ。今は、とにかく、二ヶ月に一度年金が手にはいるからこんなのんきにうそぶいていられる、その通りでしょうね。ブログでは願望を書き連ねていますが、生身の私は煩悩の塊です。最近は少し開き直ってきました。良寛さんというより、一休さんの方に開き直ってます。たぶん。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 11:32

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    最後の二行について:私は居られると思います。ぜひとも居てほしい。ただ、そういうお方はインターネットで記事等書き連ねないでしょう。来る者は拒まず、去る者は追わず、静かに生きておられるでしょう。百千万劫にも会い難いかもしれませんね。私はあんまり会いたいと思いません。どうせ弟子入りはしないでしょうから。それに、もう私には敬慕する師がいます。師は、一人で十分です。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/10(火) 午前 11:33

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    苦しみは、そのときに、苦しめばいい、今じゃない、という言葉があるようですね。
    私は、それを自分に言い聞かせています。なかなか、難しいですけどね。

    [ mag**iok ]

    2008/6/10(火) 午後 10:48

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    いつものことなんですが、送信してしまってから、うまく気持を伝えられていないと分かる。考えがまとまっていないんですね。言いたいのは、ボンクラの僕でも、とても不安で仕様が無いということなんです。とにかく、ゴータマの勉強をして良かったと思っているし、スッタニパータの和訳があってよかったと思っています。ゴータマがわが師です。ところで、「苦しみは、そのときに、苦しめばいい、今じゃない、という言葉があるようですね。」もう少し説明してください。何となくは分かるような気がするんですが、やっぱり分からないことは知ったかぶりせず教えてもらったほうが誤解がなくて良い。よろしくお願いします。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/11(水) 午前 2:07

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    将来のことを考えて苦しんでも仕方ない、今晩死ぬかもしれないのだから。
    将来の苦しみは、そのときに苦しめばいいのであって、なにも今苦しむ必要はない、という意味です。
    過去は、もうない。
    未来は、まだない。
    あるのは、今だけ。
    という経典の文句を解説している文章にそうあったような気がします。

    [ mag**iok ]

    2008/6/11(水) 午前 8:04

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    分かりました。ゴータマの教えの核心だったんですね。教えていただくまでこの決まり文句が浮かびませんでした。でも、これ、頭では分かるけれど、おっしゃるように実際は非常に難しいことですね。本当に生きることは苦と向き合うことなんですね。時々、自分はほんとのバカだったほうが苦しみを感じなくて良かったんじゃないかなんて想うことがありました。中途半端な理解力があるばかりに苦しみだけを味わう羽目になっているなんてそれこそ馬鹿な考えをしたのです。ずっと昔です。今は、多少なりともゴータマの言葉に癒されています。

    [ ABAPO-OTTANTUNO ]

    2008/6/11(水) 午後 3:05

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    俗世の感覚で言うと、馬鹿になれ、というのが仏教かも、という気がするときがあります。

    俗世の馬鹿は、仏教においては、賢者、という感じです。

    [ mag**iok ]

    2008/6/12(木) 午前 5:12

いつもながら大げさな身振りで注目を集めようという浅ましい根性丸出しの老人でございます。

老人といえば、日本の命運を握っている国民の最高意思決定機関のメンバーである国会議員には、僕と同じ老人がうようよ居る。

しかも、僕よりずっと辛抱強く粘り強くて、目的に向かって邁進する根性は僕よりはるかに強烈だ。

面の皮の厚さも僕よりずっと上手だ。

だが、日本に居るのは、そういう老人ばかりじゃない。

日本全国を見渡しても、僕以上の高齢者が皆さんそれぞれに元気に「すがすがしく」活動されている。

だから僕もおたおたしていられない。

どんなことであろうとも、とにかく活動できるのは生きているうちです。

死んでからのことは、超心理学の領域ですから、もう信仰の領域で、久遠の釈迦仏が居られるやら居られないやら、三世は実在するやら虚無だやら、一向に僕には分からないので、とにかく、生きているうちにやりたいことはやるべし。

どなたかのサイトにあったように、

懸命に練習して競技の技を身につけて、いざ競技場に入っても、やがて間もなく、否応無く退場させられる人間なんだから。

という、ややマザコン気味で、高貴と汚辱が同居していた(人間皆同じ)フランスのエッセイスト・ルソーのお言葉にしみじみ感じ入ることもありますが、そこはそれ、知りたい、知っているぞと知られたいというどうしようもない自明な原理があります。

歌の道を究めんとして人生を旅に費やしたお二人、西行と芭蕉は、旅の途上のまま、それぞれが大好きな花と旅の夢の中で還らない旅立ちをしました。

何時何があってもおかしくないのが人間の生。

ただ、過ぎ行くだけのものなのも人間の生。

先日の4チャンネルで、人類滅亡後確か百万年もすれば地球から人間の痕跡は跡形も無くなると言っていた(滅亡してほしくはないが、これもさだめなきものゆえ)。

釈迦の予言どおりです。

釈迦はいろいろやることの無意味さを強調しました。

しかし、僕は21世紀に生きている。

可能性が多少変わっていると思う。

だから、いろいろやり続ける。

ここは、科学の勉強途上での思いつきをメモするところです。

ただし、科学の勉強といっても、理系の皆さんのように、実業に役立つ実際的な知識・技能を修得するための勉強ではないので、yahooのカテゴリーは人文にしました。

あくまで、釈迦仏教の理解のためと賢治作品理解のためのものです。

数式を避けて学ぶ科学の勉強というなんとも矛盾した態度です。

相対性理論というのは、ごく簡単な僕の理解では、

  .縫紂璽肇鵑覆匹領漏慷?世宇宙の物理現象を説明できていた。
◆.リレイなどの相対性理論によって、宇宙には基準となる絶対的なモノはないと考えられるようになっていた。
 運動の理論(力学)の他に、光を含む電磁気の理論が完成していた。
ぁ´´↓を統一する物理理論をアインシュタインが完成した。

このことから、相対性理論はそれまでに成立していた物理理論を踏まえて組み立てられた。

 特に先に成立した特殊相対性理論では、それまでの考え方を転換して、光速不変の原理を提唱して、理論を組み立てた。

つまり、アインシュタインの相対性理論には、説明する必要の無い「原理」がある。

光速不変の原理は、観測などによって証明されていた確実な事実なのだそうです。

つまり、「光速は本当に不変なのか?」というような問いは無視されるわけです。

どうして無視できるのかというと、誰が調べてもそういう事実が確認されるし、光の速度や、光速不変の原理を覆すようなデータは一切得られないからなんだそうです。

春と修羅序における賢治の主張(諸命題)は、序の最後の連で「すべてこれらの命題は・・・・・主張されます」と言って、理由を「心象と時間それ自身の性質として」と「第四次延長の中で」と限定的に述べています。

春と修羅序は哲学理論や宗教教理として提示されたのではなく、詩の形態で提示されているため、やや比喩的な表現になっていますが、詩集「春と修羅」の諸詩篇とことなり、自ら述べているように、命題を連ねたものですから、論理的な考察の対象になると思います。

賢治は、命題と言っておきながら、その命題が「真」であって、「偽」ではないと説明(証明)していません。

 「心象と時間それ自身の性質として」にしても「第四次延長」にしても、賢治はそれらについて説明をしていません。

これらの概念(言葉・表現)が当時の思想界で自明と言えるほど承認されていたものなら説明は不要かもしれません。

しかし、未だに定説が無い(と思いますが)のですから、到底自明であったとは言い難い。

同じように一切説明していない概念(言葉・表現)が幾つかあります。

 仝(ひかり)はたもち。
◆,錣燭しという現象が明滅(かげとひかり)である。
 すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)
ぁ^?(因果交流電燈・因果の時空的制約)
ァゝ霏腓北世襪せ?屬僚言


,痢峺(ひかり)」とは何か、の説明は無い。

△痢屬錣燭しが現象である」と「その現象とは明滅(かげとひかり)だと言うことも説明していない。

の言明がどうして真なのか説明していない。

な教用語の「因果」には、確定した説明はないと思う。つまり、多義な意味内容がある。説明するべき。

ジ治の四次感覚なんだろうが、説明が必要。

では、これらの概念は、詩篇を読めば分かるのだろうか。

分かるかもしれないが、詩篇自体が難解だし、春と修羅序自体が自立した文なのだから、この中に説明があるか、文を新たにして専用の説明をすべきだろう。

そこでこんなことが考えられないだろうか。

 仝治はこれらの概念(言葉・表現)を一種の原理として考えていた。つまり、賢治とその同士にとっては自明ともいえる原理なのだと言う解釈。

◆仝治が敢えてこれらの概念に説明を加えなかったのは、詩集「春と修羅」の読者が独力でこの詩集の詩篇に封じ込められた賢治の思いを理解できると考えていなくて(想定していなくて)、むしろ、難解だと感じて、賢治にその絵解きを求めてくることを想定していたのではないか。

ところが賢治の思惑は見事にはずれ、

 ‘瓜里聾修錣譴覆った。
◆‘票圓蓮∋軆検崕佞判ね紂廚了輅咾髻∧源曺未蝓峪蹇廚箸靴篤匹鵑任靴泙辰拭詩であれば、読み方は読者に任せられる。ほとんど全員の読者は賢治を詩人として認知してしまった。

これは、賢治の意図したところではなかった。

賢治の作品を世に知らしめる重要な役割を果たした詩人・草野心平と投稿を求められた詩に関して激しい意見の対立を見せたのも(書簡)、この辺の事情があるのだと思う。

では、何ゆえ絵解きを求めたのか。

それは賢治の理想を実現すべく共に同じ道を歩む同士が必要で、欲しかったから。

その切実な願いは、詩篇「小岩井農場」に明確に表明されていると思う。

賢治は春と修羅の詩篇を書いている最中にそういう同士の一人を失っている。

妹、トシだ。

賢治は、宗教的な道連れをいつも求めていた。

花巻農学校の堀籠文之進のその一人。(年譜1923(大正12)年3月4日(日)の項参照。

延長という名辞(概念と同義。ある何事か=概念を言語表現で示すもの)は、論理学の用語の外延とつながりがありそうです。

英語ではどちらもextensionと表記される。

英和辞典(英辞郎)によれば、extensionの和訳は、

ヽ板ァ⊃長、延長、伸展 。・・・。(論理学)外延。

とあり、

和英辞典(英辞郎)によれば、延長に相当する英語は、

allongement // allongment // continuation // elongation // enlargement(期限の) // extension // prolongation // protraction

とあります。

賢治の時代は、江戸時代までの日本語になかった欧米の概念が怒涛のようになだれ込んでいた時代だったと思います。

それまでの日本になかった概念がどんどん日本語化され取り入れられていたはずです。

当然まだ賢治の頃は、欧米語の概念を日本語に移し変える途上にあったはず。

では、「延長」は欧米語(概念)の日本語訳なのか、それとも、欧米語流入以前からの日本語(漢字、漢字に無い日本語、仏教語、仏教由来の語など)なのかを調べるという手もあります。

ただし、時間的にも自由の利かない僕には難しい課題で、ちょっと僕の手には負えない。

おそらく、有能な研究者がとっくに詮索済みだろうと思います。

残念ながら、そういう研究の一覧がないし、僕が読むことは出来ないだろうと思うので、今回も僕の推論のみです。

試しに、ネット上で調べられる範囲でやっていたら、Chinese-English-dictionry(三つのサイト)で次のような結果が出ました。

   ̄篦喉extend,prolong
  外延→extension(semantics意味論)
 ◆ ̄篦喉Sorry,no matching entries were found in the dictionary. 外延→extension(logic論理学)
 延長→to prolong;to extend;to delay
外延→extension(semantics意味論)

さらに、English-chinese dictionaryで検索する(二つのサイト)と、
 
 extension→伸展;拡大;延期;附加
◆extension→伸展(extension);外延(logic,extension);延期(delay/extension/postpone )

などとあり、現在の中国語辞書(中国本土、香港、台湾、その他の中国語圏の辞書)には、延長や外延という単語が載っているようです。

英語のextensionが、中国語でも延長(extendの名詞)と言えなくもない。さらに、(論理学の)外延という訳もちゃんと辞書にある。

ただ、これらのonline辞書では、日本語の延長・外延同様それらの語が、欧米概念流入前から存在した語なのかどうかは不明。

賢治の中学・高農時代には「延長」「外延」が現在のような意味で使われていたかどうか本当に知りたいところです。

賢治は、春と修羅に「延長」と書いた時、それが漢訳仏典の仏教用語由来なのか、欧米由来のものなのか考慮したでしょうか。

それとも、延長という語(概念)が大正期にはれっきとした日本語だったのでしょうか。

ではいよいよ、考証無しの推理に移りますが、賢治が「延長」を論理学用語のextensionのつもりで使った可能性はないのかなというのがこの一文の動機です。

つまり、賢治は論理学のextensionの日本語訳を「延長」と考えていた可能性はないかということです。

何故そんな突飛なことを考えたかというと、春と修羅序の最後の連が論理学の用語「命題」で始まっているからです。


すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます


論理学では、命題とは事物の性質や関係についての判断を表わす文であると定義している。

この連は、主語述語だけを取り出せば、

これらの命題は、(第四次延長のなかで)主張される

ということになる。

春と修羅序の 「わたくしといふ現象は」で始まる主張がすべて命題であり、賢治の判断を表わす文であると考えられます。

賢治の作品やメモ・文章の中に、「四次」「四次元(限)」「第四次」「幻想第四次」「四次芸術」「四次感覚」などというように、「四次」を含む語が使われていますが、「四次」に「延長」を付加した語は、春と修羅序だけだと思われます。
(参考サイト:http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/27314654.html)

なお、この文では「四次」は、アインシュタインに始まる「相対性理論」における空間の三次元に、時間の一次元の四次(元時空)であるとして考えています。

このことは、上に引用した連の中にも「心象や時間それ自身の性質として」という言い回しで「これらの命題が空間(心象)と時間に関わるものだ」と表明していることからも言えると思う。

「四次芸術」「四次感覚」等とありますから、賢治はこの「第四次延長」も、同じような用語感覚で使った可能性の方が大きいでしょう。

つまり、延長とは、相対性理論の四次元時空の理論を、芸術や感覚に通じる観念・概念として(心象世界を表現する)芸術世界に(延長・拡張して)当てはめるための修飾語ようなものなのだ、というような解釈が適当なのかもしれません。

春と修羅序で賢治が主張した命題を理解するには、アインシュタインの相対性理論の理解が前提ですよ、第四次とは、四次元時空のことで、ニュートン的時空観で読んでは理解できませんよと言いたいわけです。

しかし、命題という言葉に拘って、賢治が「延長」の原語がextensionだと知っていて、さらに、論理学の用語であることも知っていたと仮定して推理を続ければ以下のような解釈も或は可能かななんていう程度のものがこの文の眼目です。

論理学のextensionは、現在は外延と訳され、内包intensionと対になる用語。

内包が、ある概念の内容であり、外延がその概念の集合なのだそうだ。

例:「理性的動物」「二足歩行動物」は「人間」という概念の意味内容であり、これを「人間」という概念の内包とし、すべての「人間」の集合を「人間」という概念の外延とする。(で、良いかな?)

本来は、このように、外延・内包は概念に関する用語なのだそうだ。

その後、命題についても外延・内包という用語が適用され、内包が意味内容を、外延がその真偽(値)を意味することになったそうです。

この程度の知識で「延長」を論理学の用語に関係して使われたと推理するのは強引過ぎるが、敢えてそうすれば次のような説明ができる。

第四次延長とは、第四次(=四次元時空)という概念が指示する範囲(集合)のことである。

つまり、春と修羅序で賢治が主張する命題は、これまでのような時空観(常識的なニュートン的時空観、もしくは三世サンゼ=過去世・現世(今生)・未来世に関する従来の通念)では到底理解できないものなのだと言いたいわけです。

詩集の読者は、第四次という用語ですぐにアインシュタインの相対性理論や四次元時空を想起できると賢治は予定していたということです。

つまり、それらの(賢治がそうあってほしいと願った)読者は、ニュートンの時空観とアインシュタインの時空観がどう違うのか知っているはずだと想定していたと考える他ない。

また、次のようにも言えます。

賢治が春と修羅序で主張している命題は、この第四次(四次元時空)の中でのみ真偽が明らかになるものである(というより、真であるというほうが適当か)。

やっぱり相当に苦しい推理です。

ただ、延長という用語は、おおよそこのような意味合いの用語だと考えても良いような気がします。

なお、この文では全く触れていないが、四次元という概念に関係すると思われる言葉に「異空間」という賢治の言葉があります。

第四次とか、四次元という概念と、異空間という概念は全く異なる概念なのか、それとも、異空間は、四次元に含まれる概念なのか、別に考える必要があります。

つまり、賢治の第四次は、アインシュタインが相対性理論(特殊・一般)で提示した物理理論そのものではなく、その理論を借りた全く別の賢治の理論であったと思います。

賢治はどなたかがおっしゃったように、すでにある宇宙論・世界観を持っていて、それと相対性理論が非常に似ていることから、この物理理論を借用したと考えます。

そこで、もともと賢治が持っていた宇宙観・世界観とはどういうものだったのかが最も重要な探究課題となるわけです。

参考サイト:http://www.kenji-world.net/works/jikuu.html

大正育ちの賢治も、衣食住のような現実の生活を改善するには西洋科学の知識と技術が不可欠だと思っていただろう。

また、特に羅須地人協会ごろの賢治は、社会改革にも深い関心を持ち何らかのかかわりを持っていたとされる。

羅須地人協会での農村生活の改善運動・肥料設計、労農運動に金銭・事務所の提供、石灰工場への関与などが、そういう賢治の考え方を示している。

だが、賢治が残した文学作品(?)には、あまりそういう方面のものがない。

「カイロ団長」とか「オッベルと象」「ポラーノの広場」「グスコーブドリの伝記」などは、そういう賢治の考え方を作品化したと言えなくもないが、僕には、どちらかといえば、社会改革とか、科学革命というのより、精神的な面に強調がおかれているような気がする。

中路正恒さんという方が、「修羅の存在論 -宮沢賢治の『春と修羅』序を読む」
 ( http://fuunichi.hp.infoseek.co.jp/Studies/ShuraOntologyE.html )
の中で、次ぎのように言っておられる。


「そして、私の見るところでは、賢治は、『春と修羅』の序において、心象のみを実在とする存在論を語った。この存在論は実に重たい。というのも、この存在論は、まさに修羅の存在論を語っているようにみえるからだ。そこには仏は存在せず、仏の救いの光の片鱗すら存在しないようにみえるのである。そして賢治は、それとは別の存在論を、実際どこにおいても語っていないように見えるのである。」


中路さんは、「春と修羅」序を几帳面に読んでおられ、その解釈の仕方は僕なんかよりずっと緻密な感じがする。

読んでいて冷や汗が出てきた。

しかし、上の文章はどこかおかしい。

賢治の作品は決して社会変革のための論文ではない。

しかし、哲学論(存在論もその一つ)でもない。

そして、文学的詩、童話でもない、と僕は思う。

やはり、賢治自身が言っているように(高知尾師の勧めに従ってという)高度な宗教文学だと思う。

或は宗教思索文学。


序を読めば分かるように、序は詩集「春と修羅」の位置づけ、解題であり、いわば総論という性格を持っている。

各論は勿論、この詩集の各詩篇であります。

ということは、中路さんの言われるように、序が修羅の存在論であるとするなら、各詩篇はその存在論の詳説と言えるでしょう。

僕は、詩集「春と修羅」の各詩篇には、仏が溢れているような気がする。

各詩篇には仏や法華経が内蔵されていると思う。

問題は、その仏や法華経に対して賢治がどういうスタンスを取っているのかということなのだとおもう。

中道さんに逆にお尋ねしたいのだが、詩集「春と修羅」の次の詩篇は、一体何を歌っているのか。

これも修羅の存在論なのか?

その詩篇というのは、「日輪と太市」「谷」「ひざしとかれくさ」「かはばた」「芝生」「天然誘接」などの短い詩篇だ。

例えば、「芝生」


風とひのきのひるすぎに
小田中はのびあがり
あらんかぎり手をのばし
灰いろのゴムのまり 光の標本を
受けかねてぽろっとおとす


この小田中が修羅だというのか?

僕はそういう解釈ではうまく読めないと思う。

風とひのきの昼過ぎ、という表現は、表現の技巧だけなんだろうか?
そこに何か読ませたいモノが潜んでいないか?
ひのきは、短歌時代の賢治にとっては、あるシンボルだったらしい。
小田中はどういう人間を代表させられているのか?
あらん限り手を伸ばして受けとろうとしたものとは一体何か?
つまり、光の標本とは何なのか?
彼はぽろっと落とした、この落としたとはどういうことを暗示しているのか?
小田中は賢治なのか?
何故、「光」の「標本」が「灰色」なのか?

題名の「芝生」は、たまたまボール遊びをしていた場所が芝生だっただけなのか?
芝生を日影に作っても綺麗に出来ない。
芝生は日向を暗示する。
日光が燦燦と降り注ぐ場所の代表なのだとも読める。
そんな日の光を一杯に浴びるところにいて小田中は光の標本を受け損ねた。
たまたま、事実はそうだったのだろう。
だが、そのシーンを見ていた賢治の心象中では別な景観が瞬時に再現された。
日常の情景の中に賢治はちょくちょく異世界のような情景を心象の中に再現していたような気がする。

小田中はボールを落としても良かったのだろうか?
ボールを落とすべきではなかったのか?

中路さんはこうも言っておられる。


「あるいは、彼がその法華経の語る救済に与ったとするならば、それは何処に証しされるのであろうか。曖昧な言明の許されることではない。これについて論ずる者は、正確にテキストを挙げ、正確にその読解を示すことによって自らの主張を示さなければならないであろう。」


僕もそうしなければならないと思っている。

ただ、何分能力不足の素人なので(言い訳は見苦しいが)、立証までは難しい。

また、文学作品の内容に関して完璧な立証など不可能だろうし。

とにかく、総論とか自説の展開ではなく、賢治の作品に即して解釈をしなければならないと思う。

例えば、僕はずっと理解不能だった「日輪と太市」という、一体賢治はなにを歌ったのか、賢治のミューズ魂にどんなヒラメキがあったのか、全く分からなかったものに、一応解釈をつけてみた。
 (  http://blogs.yahoo.co.jp/avaroikite/53035418.html )

「日輪と太市」と「芝生」は、相関するような気がする。

どちらも、「光」とその光源である「太陽」に関する歌だと思う。

光の存在に太市は気づき対応し、小田中は気づかず対応できなかった(ただし、あらんかぎり手を伸ばした...が引っかかるのだが)のではないかと思う。

少なくとも賢治のミューズ魂にはそう響いたのだと思う。

詩篇「かはばた」はもっとも明るい(肯定的な)光の讃歌だと思える。


かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしょふ燕麦オートの種子タネは)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子


一つ一つの言葉にいみがありそうなのだが、読み取れない。
気になるのは、なぜ「鳥が居ない」と良いのか、「咳払い」は、たまたま聞こえただけなのか、どうして賢治の心象の中にこの咳払いが入り込んできたのか(必然性の構造)など(賢治が感受したこの情景は当然、もっとたくさんのデータに溢れていたはずだ。賢治の心象は一種のフィルターでもあり、データの取捨が何らかの形で行なわれているはず)。

とにかく、幸せな光景なのではないだろうか?

幸せだと感じさせるのは、暖かそうな光の充満感ではないか?

二人の子供を幸せに包む「光」とは何か?

賢治は、ただ、陽の光が暖かだから幸せだなどと言っているのではないだろう。

もっと強引な読み方をすると、二人の子は、「ひかりのなかの」と表現されているから、もしかすると賢治は、少なくとも心象の中で、光り輝く二人の子(通常の人の子ではない---例えばユリアとペンペルのような)を見たのかもしれない。

鳥はこの幸せを邪魔するものなのか?

この詩を読むと、同じ川端と思われる場所で、二人の兄妹が連れ立って歩く「花鳥図譜・七月・」(1924.7.15の日付がある。発表は昭和8年)を思い出す。

この詩にも鳥(カワセミ)が出てきます。


表題の説明がまだであります。

現在、詩篇「春と修羅」の周辺を漁りながら、特殊相対性理論も勉強しています。

詩篇「春と修羅」を読むためには、やはり、法華経の読みを続けなければならないと思う。

法華経を信仰していた賢治が東京への出奔から帰ってきたら、どうして突然(でも無いのか?)修羅に変身したのか、その訳は、法華経にあるような気がするからです。

相対性理論は1905年の特殊の方だけで良いような気がする。

どうしてか。

法華経は重力理論までは必要としないだろう。

賢治も、特殊相対性理論は理解できても、一般相対性理論を理解できたとは思えないし、詩集「春と修羅」序を見ても、重力理論の必要性は感じられないから。

時間と空間に関する通念(常識)が誤りであり、この世界が平板な見たとおりの世界でなく、複雑な様相を持っているということを相対論が示したことが重要だったような気がするのです。

問題は、法華経にどんな位置を与えていたかということ、特殊相対論(アインシュタインその他の解釈を含めた)を賢治が物理理論としてのみ受容したとは思えないので、当然賢治のどんな世界観と関連付けされたのかということが検討しなければならないことだと思う(これは既にたくさん論じられた観点だが、出尽くしていないように思える)。

例えば、多くの科学者が、同時に熱心なキリスト教やユダヤ教の信者であるようです。

無神論の科学者も居るようですが。

しかし、どちらの科学者も、聖書がすべてに優先されるとは思っていないでしょう。

現在の科学者は、聖書が必要な時と、科学が必要な時が別だと考えていると思います。

では、賢治はこういう問題にどう対処していたのか。

これまであまり論じられていなかったような気がする。

カオスなどといったり、コスモスなどといって曖昧に済ましてきたと思うのです。

両立だとか、並立等と言ってごまかしては分からなくなってしまう。

賢治は賢治なりに、法華経の位置をきちんとさせていたような気がします。

しかし、でかい課題ですから、簡単に答えはでません。

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