くらかけの雪
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野原もはやしも
ぽしゃぽしゃしたり黝んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母のふうの
朧なふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風な信仰です)
この詩は、難しい語彙が出てこない。
そのくせ、読み取りにくい。
「屈折率」と同じ日付を持つ。
七つ森辺りでは縮れた亜鉛の雲だった空が雪に変わったのか。
「たよりになるのは」...賢治は道を失ったのか。
それとも、新しい出発を決意した新しい進路はまだまだ朧に吹雪で霞んでいるのか。
酵母のようなとは。
酵母なんて、スーパーで売っている麹ぐらいしか思い浮かばないので、この表現が醸す感覚がよく分からない。
吹雪だが、突き刺さるような寒気を伴わないのか。
それとも、やはり、吹雪なんだから道は分からなくなるし、満足に眼も開けていられないほどなのか。
僕も一回だけ12月の小岩井への道を一人で歩いたことがある。
風が唸っていて、雪は肌にぶつかってきた。
怖いくらいだった。
それがこの詩では、なんか、厳しい冷たさが伝わってこない。
「朧な」のせいか。
「古風な信仰」とは、明治以前なのか、それよりもずっと以前のことなのか。
例えば、鎌倉時代とかもっと前の最澄・空海のころ。
もし、鎌倉や平安末のような信仰がイキイキしていた時代を念頭にしていたら、古風という表現はしないだろう。
明治維新までは、日本では山岳信仰や修験道が盛んだったらしい。
日本はインドや南アジアとはずいぶん違う仏教が行なわれた国だ。
日本古来のアニミズム信仰と仏教が深く結びついている。
修験道はそういうものだろう。
自然が信仰の対象になっていた。
賢治自身もそういう傾向を持っていたような気がする。
刊本の推敲ではある本では、( )のこの行を削除し、ある本では下げ字・括弧なしにしている。
農民芸術概論綱要で、西洋自然科学の流入(と、明治政府の神道復古)で、宗教の影響力が極端に衰微したのを嘆いている。
やはり、明治以降の西洋一辺倒になる以前ととるか。
まさか、法華経そのものが賢治の中でも朧になってきたなんてことはないだろう。
古来の素朴だが真摯で純粋な信仰を捨てていない賢治は、ふぶいてきて、道を失いそうになった時、煙のように立つ冬木立の向こうにかすかに続く尾根道と、その先に見え隠れしているくらかけ山を見た。
その時賢治は、自分を導いている法華経を想起した。
標シルベでもある法華経だ。
法華経の信仰は、だんだん顧みられなくなってきている。
古風な信仰とも言われるようになってきている。
それでも、賢治を導くものはそれしかないと思った。
だが、古風な信仰という表現がどうもしっくりこない。
刊本を手にして推敲を重ねた。
*参考サイト
くらかけ山の登山記録と写真
http://tsubuyaki.bg.cat-v.ne.jp/article/289500.html
http://tsubuyaki.bg.cat-v.ne.jp/article/290891.html
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野原もはやしも
ぽしゃぽしゃしたり黝んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母のふうの
朧なふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風な信仰です)
この詩は、難しい語彙が出てこない。
そのくせ、読み取りにくい。
「屈折率」と同じ日付を持つ。
七つ森辺りでは縮れた亜鉛の雲だった空が雪に変わったのか。
「たよりになるのは」...賢治は道を失ったのか。
それとも、新しい出発を決意した新しい進路はまだまだ朧に吹雪で霞んでいるのか。
酵母のようなとは。
酵母なんて、スーパーで売っている麹ぐらいしか思い浮かばないので、この表現が醸す感覚がよく分からない。
吹雪だが、突き刺さるような寒気を伴わないのか。
それとも、やはり、吹雪なんだから道は分からなくなるし、満足に眼も開けていられないほどなのか。
僕も一回だけ12月の小岩井への道を一人で歩いたことがある。
風が唸っていて、雪は肌にぶつかってきた。
怖いくらいだった。
それがこの詩では、なんか、厳しい冷たさが伝わってこない。
「朧な」のせいか。
「古風な信仰」とは、明治以前なのか、それよりもずっと以前のことなのか。
例えば、鎌倉時代とかもっと前の最澄・空海のころ。
もし、鎌倉や平安末のような信仰がイキイキしていた時代を念頭にしていたら、古風という表現はしないだろう。
明治維新までは、日本では山岳信仰や修験道が盛んだったらしい。
日本はインドや南アジアとはずいぶん違う仏教が行なわれた国だ。
日本古来のアニミズム信仰と仏教が深く結びついている。
修験道はそういうものだろう。
自然が信仰の対象になっていた。
賢治自身もそういう傾向を持っていたような気がする。
刊本の推敲ではある本では、( )のこの行を削除し、ある本では下げ字・括弧なしにしている。
農民芸術概論綱要で、西洋自然科学の流入(と、明治政府の神道復古)で、宗教の影響力が極端に衰微したのを嘆いている。
やはり、明治以降の西洋一辺倒になる以前ととるか。
まさか、法華経そのものが賢治の中でも朧になってきたなんてことはないだろう。
古来の素朴だが真摯で純粋な信仰を捨てていない賢治は、ふぶいてきて、道を失いそうになった時、煙のように立つ冬木立の向こうにかすかに続く尾根道と、その先に見え隠れしているくらかけ山を見た。
その時賢治は、自分を導いている法華経を想起した。
標シルベでもある法華経だ。
法華経の信仰は、だんだん顧みられなくなってきている。
古風な信仰とも言われるようになってきている。
それでも、賢治を導くものはそれしかないと思った。
だが、古風な信仰という表現がどうもしっくりこない。
刊本を手にして推敲を重ねた。
*参考サイト
くらかけ山の登山記録と写真
http://tsubuyaki.bg.cat-v.ne.jp/article/289500.html
http://tsubuyaki.bg.cat-v.ne.jp/article/290891.html