avarokitei83のblog

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。当初は、釈尊(お釈迦様・ゴータマブッダ)と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです(イスラム側の記録)。それも一つの生き方です。私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政(現にアジアの大国がやっている)に踏みにじられるのは見過ごせない。また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

日本の伝統仏教は、全て大乗仏教だから、誕生会と涅槃会の本当の違いが分かっていない。

釈尊の誕生は、他の人間の誕生と違いはない。

父と母の遺伝子を受け継いで母の胎内で発生し、出産でこの世に生まれ出た。

祝う理由は、誕生があったから成道がなされたというだけ。

釈尊は、誕生を祝うべきものと思ってなかった。

四苦(生老病死)と言うではないか。

釈尊の目標は、この四苦(輪廻)との決別であり、二度と生を受けない(生まれない)ことだった。

涅槃とは、この四苦(輪廻)と完全に縁が切れたことなのだ。

ネーランジャラー河畔の瞑想での成道こそが涅槃の達成であり、四苦(輪廻)からの離脱であった。

輪廻の桎梏である死を超克し涅槃を達成した修行者(比丘)にとっては、恐らく、肉体の死はどうでも良いものだったはず。

二度と四苦(生まれる・老いる・病む・死ぬ)の世界に戻らないから、肉体の死は喜ぶべきものだったはず。

従って、釈尊の死を悲しむのは、涅槃に達していない者ということになる。

経典でも、釈尊の死に立ち会った高弟二人の内、涅槃を達成していた者は、釈尊の状況を説明出来たが、達成できてなかった者は大きく動揺したと記述されている。

偉大な釈尊も、肉体の衰えや死を避けることは出来ないと、

本当の涅槃会は、成道会であり、絵図で示すならば、菩提樹下の瞑想図となる。

ただし、以上の説明は、生存を四苦即ち生老病死を繰り返す輪廻と考える古代インド人と同じ考え方をする人向けのもの。


「べにのはな」というのは、住んでいる桶川市がお金を出して、平成8年に完成した桶川市の「市民の歌」だそうです。

超簡潔な説明が桶川市のホームページに載ってますので興味があったらアクセスしてください。

キーワード「桶川市」ですぐヒットします。

その説明によると、この歌は、桶川市歌ではなく、桶川市「市民の歌」となっていますが、この歌の制作動機や経緯、選考過程、発表後の評判なども是非知りたい。

いまは、そういう詮索は置いておいて、歌を楽しむ方に専念したい。

私好みの歌なので早くお風呂で歌いたい。

この歌には、一般に公開されているものが無いので、市役所でCDを買ってきて、PCの音声記録用フリーソフトで全曲・一段落ごと(3部)の計4ファイル(MP3)を作成し、PC3台・スマホ1台・メモリカードに保存して聴いたり加工したりしている。

著作権が気になるが、私が儲けるのではないので大目に見てもらいたいが、youtubeやtwitterに公開しようと準備している。

windows ムービーメーカーで試作版は出来て、後は、歌に合う動画とか画像を作ればyoutubeに公開できる。

本来は、桶川市のホームページに歌詞・
楽譜・演奏(歌入り)が載っているべきなんだが。

市民の歌を聴くのに、今時、CDを買わなければならないなんて、チョット面白い姿勢ですよね。
  *このCDが、2曲(歌入り演奏と楽器だけ演奏)入りの小さいCDなので、デスクトップのDVDには多分セットできない。ノートパソコンのDVDは、中央の穴を差し込む棒が有るのでOK。

ちなみに、近隣の市の「市の歌」はPCが有ればすぐ聴けます。


youtubeにアップしました。

桶川市民の歌 べにのはな
https://www.youtube.com/watch?v=yBfx1hINRao&feature=youtu.be


現代の仏教は、大乗仏教(日本・チベットなどの)と上座部仏教(スリランカやタイ・ビルマ=ミャンマーなどに現存)という、大きく二つのグループに分かれていて、日本の仏教は全て大乗仏教グループに分類されるもの。

奈良仏教も京都仏教も鎌倉仏教もみんな大乗仏教。

つまり、明治以前の日本の仏教は、全て大乗仏教と思って良い。



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